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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 14

 あっというまに、カレンダーの1枚目が、その役目を終えた。
 私は、部室の壁にかかっていたカレンダーから切り取った1枚目を、筒のように丸めながら振り返った。
 教室一つ分はある部屋も、今や所狭しと置かれた木や壁で、半分くらいまで狭まっている。
 大道具や小道具も準備が整ってきたみたいね。
 そろそろ、本格的な練習に入ろうかしら。
 そういえば、上月さんの練習、どうなってるのかしら? ここのところ、忙しくて折原くんに任せっきりになってたし。
 ……いけないわね。部長失格だわ、これじゃ。
 苦笑しながら、ほとんど無意識に、手にした筒でぽんぽんともう片方の手を打っていると、ドアが開いて、その折原くんが入ってきた。私を見て挨拶する。
「あ、部長。ちわっす」
「こんにちわ、折原くん」
「あれ? 澪はまだなのか?」
 きょろきょろと部室を見回す。
「ええ、今日はまだよ」
 そう言ってから、訊ねる。
「折原くん、上月さんはどう?」
「どうって、俺は演劇じゃ素人だからどうこうは言えないけどさ、でも前みたいにつっかえることも少なくなってきたぜ」
「そう」
「ああ……。ま、先生がいいからなんだろうな」
 そう言って胸を張る折原くん。
 と、そこにちょうど上月さんが入ってきた。折原君の姿を見て、嬉しそうにその背中にぴたっとくっつく。
「わっ、澪、こら」
 照れくさそうに言う折原くんだけど、上月さんは本当に嬉しそうに、その制服の背中をくいくいっと引っ張っている。
 なんていうか、仲の良い兄妹みたい。ううん、むしろ、仲の良い恋人同士……。
「ええい、部長が見てるぞっ」
「……!」
 折原君に言われて、初めて私がいることに気付いたらしく、上月さんは大慌てで折原くんから離れた。その弾みに手にしていたスケッチブックを取り落としてしまい、さらに慌ててかがみ込んでそれを拾う。と、今度は鞄を落としてしまい、おまけに落ちた弾みにその鞄が開いて、中に入っていた教科書やノートがばらばらっと床に散らばる。
 それを見て、さらにわたわたする上月さんの肩を、折原君が押さえる。
「……澪、いいから落ち着け」
「……」
 落ち着いたはいいけど、そのままはぅ〜と落ち込む上月さん。
 私は苦笑して、折原くんと手分けして、落ちていた教科書やノートを拾い集めた。そして、とんとんとまとめて、上月さんに手渡す。
「はい」
『ありがとうなの』
 上月さんは、真っ赤な顔でぺこりと頭を下げて、それを受け取って、鞄にしまい直す。
 ……あら?
 その時一瞬だけ見えた鞄の中に、もう一冊のスケッチブックがあった。
 今使っているやつの予備……じゃないわね。背の針金も随分くたびれてるみたいだし、それにセロテープで補強してるところもあるみたいだし……。
 ぱたん、と上月さんが鞄を閉めて、そのスケッチブックは視界から消えた。
 私もすぐにそのことは忘れて、2人に言った。
「そうそう。そろそろ大道具や小道具も揃ってきたから、他のみんなも練習に入ろうと思ってるから」
「なるほど、俺はお役ご免ってわけだな」
 ……!
 上月さんが、はっとしたように私と折原くんを見比べた。それから、おろおろし始める。
「……どうした、澪?」
 その頭に手を置いて訊ねる折原君に、上月さんはう〜っと上目遣いに私を見てから、おそるおそる、という感じでスケッチブックにペンを走らせた。
『まだなの』
「まだ?」
 首を傾げる折原君と、恥ずかしそうな上月さん。
「……そうみたいね」
 私は苦笑した。
 まだ、上月さんは、折原君から離れては、演技が出来ないのだろう。特にコーチに付いて練習していると、そのコーチから離れると自信を失ってしまう。初心者にはよくあることだ。
 それを克服するには、さらに練習するしかないことも、私は知っていた。
「まぁ、練習が始まったって言っても、他のみんなはまだ台本読みから始めるような状況だし……。もちろん、全体練習には上月さんにも参加してもらうけど、折原くんにも、もう少し上月さんのコーチをしてもらわないとね」
 私の言葉に、ぱっと表情を明るくする上月さん。
「折原くん、そんなわけだから、もうしばらくお願いできるかしら?」
「そりゃいいけどな」
 折原君も、彼にしては珍しくすんなりと快諾した。……彼がかなり天の邪鬼な性格をしてるっていうのは、長森さんからよく聞かされてたから、ここで意地悪の一つや二つは言うと思ってたんだけどな。
 わぁい、と両手を上げる上月さんに、折原君はぐっと顔を近づけ、にやりと笑った。
「よぉし、それじゃ今日からはもっとびしばしっと厳しくやらせてもらおうか」
 ひくっと笑顔が引きつる上月さん。
「とりあえずはタイヤ3個を引きずってグラウンド20周だな」
 前言撤回。
 私はため息をついて、折原君に言った。
「あくまでも、上月さんはあなたに預けてるだけですからね。演劇部のホープを舞台に立つ前に葬ったりしないでね」
「やだな、冗談っすよ、部長」
 笑って言う折原君に、私もまた苦笑した。

 ガラガラッ
「……やっぱり、ここにいたのね、みさき」
 図書室のドアを開けると、オレンジ色に染まった広い部屋の中、ぽつんと一人取り残されたようにして本を開いているみさきの姿があった。
 冬になって屋上が寒くて出られないようになってからは、みさきは、大体、放課後にはここにいることが多い。
「あ、雪ちゃん?」
 こちらの方に顔を向けるみさき。
 私は、歩み寄って訊ねた。
「でも、まだみさきが読むような本があったの?」
「えっと、い、いろいろあるんだよ」
 そう言いながら、読んでいた本をぱたんと閉じて胸に抱くみさき。
「何の本なの?」
 ちょっと興味を惹かれて訊ねると、みさきはさらにぐっと身体を丸めて、本を見せないようにする。
「秘密だよ〜」
「……ま、いいけど。それより、もう帰るんでしょう? その本返して置いてあげるわよ」
「ありがとう、雪ちゃん。はい」
 あっさりと私にその本を渡してから、はっとして慌てるみさき。
「わわっ、ひどいよ雪ちゃん、騙すなんて〜」
「騙すなんて、人聞き悪いこと言わないでよ」
 そう言いながら、本を取り戻そうとじたばたするみさきのおでこを片手で押さえて、本のタイトルを見る。
「……リルケの詩集……? なんか宿題でも出てたの?」
「……どういう意味よぉ?」
「あ、大した意味無いけど……」
 みさきに詩集なんて、余りに似合わないから……。
 まぁ、黙って座ってれば、詩集をひもとくお嬢さんなんだけどねぇ。
「……雪ちゃん、なにかひどいこと考えてない?」
 私が黙り込んでいると、みさきは拗ねたように頬を膨らませた。
「そ、そんなことあるわけないじゃないのよ」
「雪ちゃん、しゃべり方が変だよ」
「ええっと……。あ、そうだ。これ、本棚に戻してきてあげるから、ちょっと待ってなさいね」
 私は、詩集を持って、本棚の間に入っていった。

「……雪ちゃん」
「どうしたの、みさき?」
 本を返して、図書室の鍵を閉めてから、私たちは廊下を並んで歩いていた。
「……浩平くん、澪ちゃんと仲良くしてる?」
「え……?」
 私は一瞬、答えられなかった。
「……雪ちゃん?」
「あ、うん、もちろんよ」
「そっか……。良かったよ」
 みさきは微笑んだ。
 私は……笑えなかった。
 みさきが、彼のことを好きなのを、知ってるから。
「みさきは……最近は、逢ってないの?」
「うん、そうなんだよ。二人とも忙しいみたいでね、食堂でも声を聞かないしね」
 残念そうに言うみさき。
「折原君は、ずっと上月さんに付きっきりでコーチしてるみたいだからね」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「……みさき」
 私は……。
「やっぱり、お似合いだよ、きっと……。私には、見えないけどね」
 笑うみさき。
「やめて!」
 私は、声を上げていた。
「みさきっ、どうして、どうしてそんな風に言えるのっ!? みさきは、彼のことが好きなんでしょっ! それをどうしてそんな風に……っ」
「だって……」
 みさきは、俯いた。それから、不意に顔を上げる。
「あははっ」
「……みさき」
「雪ちゃん、帰ろっ」
 そう言って、みさきは歩き出した。
 振り返らずに、歩いていく。
 みさき……。
 そうよね。
 それが、みさきが選んだことなら、私はそれについて、とやかく言うべきじゃない。
 ……あ。
 私、なんだかほっとしてる?
 折原君に、みさきを取られなかったから?
 だったら、私は……。
「雪ちゃん?」
 私は、嫌な女だ……。
「どうしたの、雪ちゃん? 先に行っちゃうよ?」
「……ごめん。今行くわ」
 私は、みさきの後を追って、歩き出した。

 昇降口で靴をはきかえていると、後ろから声を掛けられた。
「あ、深山先輩?」
「え?」
 振り返ると、そこにいたのは長森さんだった。
「あら、こんにちわ。長森さんも部活の帰りなのかしら?」
「ええ。あ、わたしは助っ人ですけど」
 笑って言ってから、長森さんはみさきに視線を向ける。
「あの、そちらは……?」
「ああ、私の友達の川名みさき」
「……雪ちゃん、私にも、ちゃんと紹介してよ〜」
 つま先をとんとんと地面でついて、かかとをはめながら言うみさき。
 私は、ちょっと困った。
「ええっと、2年の長森さん。ちょっとした知り合いなのよ」
「長森瑞佳です。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる長森さん。そして、顔を上げて怪訝そうな表情を浮かべる。
 まぁ、無理もないか。
「あ、私、目が見えないんだよ」
 あっさりと言うみさき。
「えっ? あ、そうなんですか」
 長森さんはそう言うと、みさきに近づいて、その手を取った。
「初めまして。長森瑞佳です」
「ええっと……」
 みさきは、少し考えてから、長森さんの手を握り返した。
「もう、あんまり長くはいないけど、よろしくね」
「あっ、はい」
 そうか。もうあと2ヶ月もないんだね……。
「それじゃ、わたしはこれで失礼しますね」
 長森さんは、もう一度ぺこりとお辞儀をして、歩いていった。
 それを何となく見送っていた私の脇を、みさきが肘でつついた。
「雪ちゃん、さっきの長森さんって、どういうお知り合いなの?」
「あ、えーっと……」
「演劇部の子じゃないよね? 私、知らないもの」
 演劇部に時々出入りしてる関係上、みさきは演劇部のメンバーは、全員覚えてしまっているのよね。
「ねぇねぇ、雪ちゃん?」
 ……隠しておいてもいずれは判ってしまうだろうし、それに……、みさきに隠し事をするのは、もう嫌だった。
「……はぁ。判ったわよ」
 私はため息をついて、正直に答えることにした。
「長森さんはね、折原君の幼なじみなのよ」
「……あ」
 みさきは息を飲んだ。それから、私から顔を逸らして呟いた。
「……そうだったんだ」
「ええ。折原くんが演劇部に入るときに、彼女によろしくって頼まれてたのよ」
「……浩平くんに、そんな娘がいたんだ……。ショックだよ……」
 俯くみさき。
「……みさき……」
 やっぱり、言うべきじゃなかった……。
 私は後悔しながら、みさきに声をかけた。
「なんて、ね」
「……えっ?」
 くるっと振り返ると、みさきはにこっと笑った。
「長森さんのことは、浩平くんに聞いてたんだよ」
「ええっ?」
「雪ちゃんがあんまり私に気を遣うから、ちょっとからかっちゃおうって思ったんだよ。ごめんね、雪ちゃん」
「……あ、あのねぇ……」
 私は、わざと大きな声を上げながら、みさきの鼻の頭を指で弾いた。
「あいたぁっ! ううっ、雪ちゃんひどいよぉ」
「みさきこそ。親友をかつぐようなことをする人は、もう知りません」
「うう〜〜、ちょっとしたお茶目だったんだよ〜〜」
 鼻を押さえながら、涙目になって訴えるみさきの顔を見ていると、私はなんだか、今まで気を砕いていた自分が可笑しくなった。
「……うふふっ」
「ひどいよ〜、笑うなんて〜」
 勘違いして膨れるみさきの頭にぽんと手を置く。
「ごめんごめん。さ、帰りましょうか。きっとおばさん、夕ご飯用意してくれてるわよ」
「うん、そうだねっ」
 ぱっと機嫌を直して、笑顔になるみさき。
 私は、そんなみさきと手を繋いで、校庭を横切っていった。

To be continued...

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あとがき
 これも随分と間が空いてしまいましたが、雪ちゃんの続きです。
 ……未だにONEのSS、という気もしないでもないですが。

 雪のように白く その14 2001/7/2 Up

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