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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 13

 食堂は、今日はわりと空いている方だった。
 入り口をくぐったところで、振り返って訊ねる。
「みさきは何を食べたいの?」
 みさきは、ほっぺたに指を当てて少し考えてから答えた。
「そうだね……、まずはカツカレーかな?」
「……はいはい。取ってきてあげるわよ」
「わぁい、ありがとう雪ちゃん」
 はしゃぐみさきを椅子に座らせてから、私はカウンターに向かう。
「おばさん……」
「あら、深山さん。今日はどれから?」
「カツカレーから。とりあえず4人前」
「いつも大変ねぇ」
 笑いながらカツカレーを盛りつけてくれるおばさん。
 毎度のことなので、もうすっかり顔馴染みになってしまった。
「……それにしても、もうすぐ卒業だねぇ」
 ライスの上に要領よくカツを乗せながら言うおばさん。
「……そうですね」
「みさきちゃん、大丈夫なのかしら?」
 みさきが小さな頃……ここで遊び回っていた頃からの知り合いというおばさんは、今でもみさきのことをみさきちゃんと呼んでいる。
「大丈夫、って?」
「だって、あの娘……。卒業したらどうするんだろうね……」
 ちらっと、テーブルの前に座っているみさきに視線を送る。
「……」
 中学の頃。
 視力を失ったみさきが始めて飛び込んだ見知らぬ世界。それも、自分で飛び込んだんじゃない。義務教育とかいう大人の事情で、背中を押されて飛び込まされた世界。
 みさきは随分いじめられた。もちろん、できる限り私はそんなみさきをかばったのだけど、それでも限界があった。
 それが、みさきを見知らぬ場所に出ることに対して臆病にさせてしまった原因の一つなのは間違いない。今でもみさきは、この学校と自分の家以外の場所には行こうとしないのだから。
「……はい、深山さん。カツカレー4人前出来たよ」
「あ、はい」
 おばさんの声に我に返ると、私は4つの皿を乗せたお盆を持ち上げた。
「あ、今の話、みさきちゃんには内緒だよ」
「判ってます」
 おばさんの言葉に頷いて、みさきの元に戻る。
「はい、カツカレーよ」
 どん、とお盆をテーブルに置くと、私は腕を軽く回した。
「ふぉふぇんふぇぇ、ふふぃふぁん」
「……しゃべるのは食べてからにしなさい」
「ふぁい」
 頷いて、カツカレーの攻略に戻るみさき。もっとも、カツカレーとの戦いはみさきの圧勝に終わりそうだが。
 と、みさきが不意に手を止めた。
「雪ちゃん……」
「何?」
「雪ちゃんは食べないの?」
「……」
 自分の食べる分を取ってくるのを忘れていた。
 でも、正直に言うのも悔しいので、平静を装って答えた。
「ダイエットしてるのよ」
「うーん、私もダイエットした方がいいかなぁ? 雪ちゃんはどう思う?」
「……」
 改めて、みさきの身体を見てみる。
 いつも、あの分量の食事がどこに消えているのかと思うほどの完璧なプロポーションだった。
「別に必要ないと思うわよ」
「よかったよ〜。これ以上食事減らすと、私も困るよ〜」
「そうね」
 私は微笑んで、みさきのほっぺたに飛んだご飯粒を取った。
「わっ、今なにかほっぺたに当たったよっ」
「あたしよ。ご飯粒取ってあげただけ」
「あ、そうだったんだ。ごめんね〜」
 そう言って、スプーンを置くみさき。
 私は立ち上がった。
「次は何?」
「ん〜、それじゃコロッケカレーとチキンカレーにしようかな」
 と。
「お、今日も食べてるか?」
 不意に声を掛けられて、私は振り返った。
 折原くんと、上月さんだった。
 みさきがそちらに顔を向ける。
「その声は、浩平くんだね」
「ああ。さすがみさき先輩だな、俺に気付くとは」
「浩平くんならすぐに判るよ〜。今日は一人なの?」
「ああ、一人を堪能してるところだ」
 折原くんがそういうと、上月さんがぽかぽかとその腕を叩いた。みさきが首を傾げる。
「……?」
「てて、わかったわかった。澪先輩も一緒だ」
 ぽかぽかぽかっ
 さらに叩くと、上月さんはスケッチブックを出した。
『嫌なの』
「澪先輩?」
 みさきが聞き返すと、上月さんはえう〜っと泣きそうな顔になった。
『嫌なの』
「もう、折原くんも上月さんをいじめないの」
「あ、やっぱり澪ちゃんがいたんだね〜」
 にこにこして、みさきは声の方に手を伸ばす。上月さんがその手をぎゅっと握ってぶんぶんと振り回すのを、私は微笑んで見つめていた。
 と、不意に気がついた。
 折原くんも、私と同じように2人を見つめていたのだ。
「……折原くん?」
「あ、何すか、部長?」
「ううん、なんでもないわ」
「それならいいや。澪先輩、A定食でいいのか?」
 ……えうっ
 ばんばんばんっ
「いたたたっ、わ、わかった澪っ、もう言わないからスケッチブックで叩くのはやめろっ」
「浩平くん、あんまり澪ちゃんをいじめない方がいいと思うよ。なんとなくだけどね」
 でも、上月さんとみさきを見つめていた折原くんは、いつもの陽気で騒がしい折原くんとは違う雰囲気だった。
 そう、最近になってから、折原くんは時々ああいう目をしている。
 ……そんなに彼のことをよく知ってるわけじゃないから、それが本来の折原くんなのかどうかは、まだ判らないけれど。
「それじゃ行くぞ澪っ」
 うんっ
 大きく頷いて、上月さんは私たちにばいばいと手を振ると、ちょこちょこと折原くんの後についていった。
 それを見送ってると、みさきが小さな声で呟いた。
「澪ちゃん、幸せそうだったね……」
「……みさき」
「あ、私ももちろん幸せだよ」
 そう言うと、スプーンをくわえて私を見た。
「でも、今ちょっと不幸かもしれないよ」
「……はいはい。コロッケカレーとチキンカレーね?」
「ありがと、雪ちゃん」
 私は苦笑して、カウンターに向かった。

 カレーを持って戻ってくると、折原くんと上月さんがみさきの隣でしゃべりながら定食を食べていた。
「……というわけで、澪の上達振りには目を見張るものがあるぞ」
「へぇ、そうなんだ。すごいね澪ちゃん」
 あうあう
「ええっ? 俺にはそんなこととても言えないぞ」
「なになに? 澪ちゃんなんて言ったの、浩平くん?」
「私の演技の前には何人たりとも感動の嵐に巻き込まれるであろうなの、と言って……」
 ばきゃっ
「……つつつ、スケッチブックの角はないだろ澪っ」
『いじわるなの』
「……なんだかよくわからないけど、澪ちゃんの勝ちとだけ言っておくよ」
「くそぉ、みさき先輩も澪の味方かぁ」
「うん。もちろんだよ」
 てれてれ
「平然と答えるとはさすがみさき先輩だな」
 と、みさきが不意に私の方に顔を向けた。鼻をくんくんさせてから、折原くんに言う。
「多分、雪ちゃん。浩平くん、当たり?」
「おお、当たりだぞみさき先輩」
「やっぱりね〜。カレーの匂いがしたから、そうじゃないかと思ったんだよ」
 私は苦笑して、お盆をテーブルに乗せた。折原くんが訊ねる。
「深山部長、それで今日は何杯目なんだ?」
「……聞きたい?」
「いや、やっぱりいい」
 首を振る折原くんに、上月さんがスケッチブックを見せる。
『聞きたいの』
「……澪、本当に聞きたいのか?」
 怖い顔をする折原くん。上月さんがびくっとする。
「この世には、あのとき聞かないでおけば良かったって思うことがあるんだぞ〜。それでも聞きたいのか〜?」
 あうあう、ぶんぶん
 慌てて首をふると、上月さんは折原くんの制服の袖をぐいっと引っ張る。
「わっ、よせ澪っ。制服が伸びるっ」
 えうえうっ
 首を振って、さらに引っ張る上月さん。
「……なんだかよく判らないけど、私の悪口言ってるような気がするよ……」
 みさきはみさきでなんだか拗ねてるようだった。
「えっと、そうじゃなくて……、こら澪、あんまり引っ張るなっ。深山部長っ、助けてくれぇ」
「自分の撒いたタネでしょ?」
「……ふっ、人は所詮独りで生きていくものなのさ。さよなら澪……」
 あうあうっ
 慌ててさらに袖を引っ張る上月さん。
「わわっ、こらよせ澪っ」
 ようやく上月さんの手を離れたときには、もう折原くんの制服の袖は、びろーんと伸びてしまっていた。
「あ〜あ」
 その袖を振りながらため息をつく折原くんと、すまなそうな顔でぺこぺこと頭を下げる上月さん。
 私はため息をついて、2人に言った。
「とりあえず座ったら? 食事の途中だったんでしょ?」
「雪ちゃ〜ん、私、もう食べるものないよ……」
 みさきの前の皿は、既に空になっていた。
「……はいはい。次はなに?」
「浩平くんや澪ちゃんが美味しそうに食べてるから、私もA定食にするよ」
「わかったわ」
 頷いて立ち上がると、後ろから呼び止められる。
「雪ちゃん、ちょっと……」
「え? 何、みさき?」
「そのね……」
 手招きするみさき。何かと思って耳を寄せると、みさきは小さな声で言った。
「……5人前ね」
「あんたねぇ……」
「だって、お腹空いたんだよ〜」
「……わかりました。折原くん、手伝ってくれないかしら?」
「わわっ、言ったらだめだよっ」
 何故か慌てるみさき。
「ん? 何がどうしたんだ?」
「なんでもないよっ。いいから浩平くんは座ってて。ねっ、雪ちゃん」
「……」
「あ、もしかして、雪ちゃん、怒ってる?」
「怒ってない。呆れただけ。それじゃちょっと待ってなさいね」
 私は、肩をすくめてカウンターに向かった。
 折原くんには秘密、か。どうせ、テーブルに並べればすぐに判っちゃうのに。
 でも、みさきの乙女心って初めて見たようで、悪い気はしなかった。

 折原くんは、空になったトレイの上に箸を置くと、みさきに言った。
「さて、昼飯食ったことだし、俺達はそろそろ行くから」
 その隣では、上月さんが「ごちそうさまなの」と手を合わせていた。
「え? でも、まだお昼休みはあるよ」
 そういうみさきの前には、B定食が並んでる。
「いや、この後また澪に稽古をつけてやらないといけないから。な、澪?」
 うんうん、と頷いて、上月さんはスケッチブックを広げてみせた。
『がんばるの』
「そっか。残念だね。でも、お稽古頑張ってね〜」
 微笑んで笑うみさきに、折原くんが答えた。
「おう、まかせとけっ。行くぞ澪っ」
 2人は食堂を出ていった。
 それを見送るように顔を向けながら、みさきは呟いた。
「浩平くん、なんだか元気なかったね……」
「え? そう?」
「うん……。上手く言えないけど……、前よりも雰囲気が薄くなってるって言うか……。あはは、何言ってるのかな、私って……」
 口ごもってから、笑うと、みさきは自分の前に広げられているB定食に箸を戻した。そして顔を上げる。
「雪ちゃん、C定食もお願いね」
「……はいはい、わかりました」
 私は苦笑して立ち上がった。

 その時はまだ、誰も、彼の身の上に起こりつつあることに、気付いてはいなかったのだ……。

To be continued...

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あとがき
 さて、13話ですが……。なんかえらくゆったりしてますなぁ、このシリーズは。
 あんまり反響もないんですが、まぁそんなものかと(笑)

PS
 修正しました(謎笑)

 雪のように白く その13 2000/10/18 Up 2000/10/19 Update

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