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「あけましておめでとうございま〜す」
To be continued...
「おめでとう」
4日、演劇部にとっての年始めの部活が始まった。
私は、1週間ぶりに見る部員達の顔を見回した。
みんな、緊張して私の顔を見ている。
その理由は、わかってる。
私は一つ頷いて、言った。
「それじゃ、配役を発表します」
声にならないざわめきが走る。
3月に行われる、毎年恒例の演劇部の卒業公演。その最終的な配役が発表されるのは、この新年最初の部活の日に決まっている。
とはいえ、大体の配役は既に内定していて、よほどのことがない限り変更はない。まぁ、言ってみれば儀式みたいなものだ。
だけど。
私は、決まっていた通りの配役を発表し、安堵の息をつく皆を見回して、言った。
「最後に、まだ決まっていなかった、少女の役だけど……。上月さんにやってもらうわ」
みんなの視線が一斉に集まる中、一瞬ぽかんとした上月さんが、おそるおそる私に視線を向ける。
私は頷いて、繰り返した。
「上月さん、あなたにも、劇に出てもらうわよ」
「……」
一拍おいて、上月さんはたたっと私に駆け寄ると、そのままジャンプするように抱きついていた。そして、その腕を取ってぶんぶんと振り回す。
全身で喜びを表す上月さんの姿を見て、皆が思わず微笑んでいた。
私は上月さんの頭を撫でてあげて、それからパンパンと手を叩いた。
「はい、それじゃ早速だけど、すぐに作業に入るわよ。大道具班、小道具班はそれぞれのチーフに従って作業を初めてちょうだい。あと実質2ヶ月だからね」
「はいっ!」
みんなが大きく頷き、そして部室に散っていった。
上月さんがスケッチブックを私に向ける。
『なにをすればいいの?』
「……そうね。とりあえず、今は大道具の手伝いをお願いしてもいい?」
『わかったの』
頷いて、部屋の隅に駆けていく上月さん。
それを見送っていると、後ろから小声で呼びかけられた。
「部長、ちょっといいですか?」
振り返ると、副部長の牧田くんだった。
「ちょっとお話しがあるんですが……」
そう言って、ドアのほうに顎をしゃくる。
私は頷いた。
私たちは廊下に出た。
後から出た牧田君がドアを閉めると、私に向き直って、まずはため息をついてみせた。
「部長、やっぱりやってしまったんですねぇ」
「……上月さんのことね」
無言で頷く牧田くん。
そう、上月さんを役に付けることに、牧田くんはずっと反対していたから。
「まぁ、部長が、こうと決めたら考えを変えない、ってことは、ずっと前から承知してましたけどね」
眼鏡の位置を直しながら言うと、牧田くんは私に視線を向けた。
「上月さんの稽古のことですけど、部員全員でローテーションを組んで、日替わりで付いてあげれば、なんとかなるかとは思うんですがね」
「牧田くん……」
てっきりさらに反対すると思っていた私は、ちょっと驚いた。その顔を見て、牧田くんは苦笑した。
「一応立場上反対する者も必要かなって思って言ってただけで、本当は僕も見てみたいんですよ。上月さんの舞台を」
「……ありがとう。それからごめんなさいね。私、牧田くんは上月さんのことが嫌いなんじゃないかと思ってたわ」
思わず笑いながら言うと、牧田くんは肩をすくめた。
「ひどいな。苦労してる副部長の身にもなってくださいよ」
「本当にごめんなさい」
「いえいえ。それで、どうします?」
「上月さんのことね……。うん……」
私は腕組みして考え込んだ。確かに牧田くんの言うように、部員全員がかりで、それぞれの仕事の合間に……というのなら、上月さんの相手も出来るだろう。だけど……。
「……だめよ」
首を振って、私は答えた。
「そんなに入れ替わり立ち替わりじゃ、指導にもムラが出ちゃうし、上月さんの上達振りも判らなくなっちゃうわ。それに、今の上月さんには、あまり細かい演技指導は必要ないと思うのよ。それよりもむしろ必要なのは……」
「舞台度胸ってやつですか?」
牧田くんは、ため息をついた。
「でも、そればっかりは……」
「ええ。だから余計に、入れ替わり立ち替わりじゃ駄目だと思うのよ。毎日々々違う人相手じゃ、上月さんも慣れるどころか萎縮してしまいかねないわ」
「ですが、現実的に、そんな余裕がある人間はいませんよ」
「……それは、私がなんとかするわ」
あてなんてなかったけど、私はそう答えるしかなかった。
「あてなんてないんでしょう?」
……あっという間にばれた。
でも、私は肩をすくめるしかなかった。
「……それでも、なんとかするわ」
「……わかりました」
牧田くんは頷いた。
牧田くんの後について、部室の中に戻ると、私は部屋を見回した。
みんな忙しそうに働いている。
みんな忙しくて、誰も上月さんに稽古を付けてあげられない……か。
やっぱり、無謀だったかもね。
ため息をついてから、私も、自分の仕事にかかろうとした時だった。
がらがらっ
今閉めたばかりのドアが開いて、一人の男子生徒が顔を出した。
「ちわーっす」
そっちを見て、私は苦笑した。
「折原くん、新年早々遅刻とはいい度胸ね」
「すんません。なにせ昨日の夜まで酒盛りしてたもんで」
頭を掻く折原くん。私はもう一度ため息をついた。
「今のは聞かなかったことにしておくわね。うちの部員から停学者なんて出してる余裕はないから」
「恩に着ます」
私に手を合わせる折原くん。
「部長!」
私を呼ぶ声に、振り返ると、小道具班のチーフの武田くんだった。リストを私に示しながら言う。
「これとこれなんですが、買ってこないとちょっと無理ですね」
「そう。仕方ないわね……。それじゃ買ってきて。領収書は忘れないようにね」
「はい。三井、川村、一緒に来いっ」
「はいっ!」
3人が出ていくのを見送ってから、私は折原くんに向き直った。
それを待っていたように、折原くんの方から訊ねてきた。
「それで、澪は?」
「今は、そこで大道具を作るのを手伝ってるはずだけど」
そう言って指さす先で、上月さんは、木のはりぼてにペンキを塗っていた。
自分の身長よりも高い木の周りを、ちょこちょこと走り回りながら作業をしている。見るからに一生懸命で微笑ましかった。
「……」
そして、その上月さんを見る折原くんの視線は、とても優しかった。
その時、不意に閃いた。
「ところで折原くん。ちょっと話があるんだけど」
「……はい?」
我に返ったように、私に視線を向ける折原くん。
私は、バッグの中から台本を出した。
「これ見て」
「……なんだ、これ?」
「次の舞台の台本。って言っても、まだ製本前のコピーだけど」
配役が今日正式に決まったところで、その名前を刷って製本してから、みんなに配る、というわけ。
折原くんはそれをパラパラとめくりながら、困惑した表情を浮かべる。
「でも、俺裏方だから、今台本もらっても……」
「お願いがあるのよ」
「……はぁ?」
怪訝そうに聞き返す折原くんに、私は言った。
「これで、上月さんの練習を手伝って欲しいの」
そう。裏方が一人減るのは確かに痛いけれども、元々彼は最初の予定には入っていなかった新入部員。つまり、上月さんに張り付いて練習を見てもらっても、問題はない。
それに……。
「練習を?」
「そう。見ての通り、今は人手不足で、とても練習に入れる状況じゃないのよ」
「それなら、余計に俺も仕事をした方がいいんじゃないのか?」
「いいから、話を聞きなさい」
私は、折原くんに説明した。
「こんな状況だから、他のみんなは練習に入るどころじゃないわけよ。それで、上月さんだけ先に練習を始めてもらおうと思うの」
「澪だけ、先に?」
「ええ。あの娘、今回が初舞台だからね。絶対に緊張すると思うの」
「……ああ、なるほど」
一瞬、その様子を想像したらしい。折原くんは苦笑して頷いた。
「それで、俺に澪のコーチをやってくれというわけだ」
「コーチなんて大げさなものじゃないけどね」
私も苦笑した。そして、改めて訊ねる。
「それで、お願いできる?」
「でも、俺演劇については素人だぞ。澪先輩の方がよっぽど詳しいだろ?」
「誰もあなたに演劇論をマスターしろなんて言ってないわよ。あの娘が初舞台で慌てないように、度胸を付けてくれればそれで十分」
「それなら大丈夫だ」
胸を張る折原くん。
「俺は昔から、意味のない度胸には定評があるからな」
「それは頼もしいわ。それじゃお願いね」
「ああ、任せとけ」
「じゃ、そういうことで」
私はそう言い残して、自分の仕事に戻った。
後ろで、折原くんが上月さんを呼ぶ声が聞こえた。
「おーいっ、澪っ」
もう一つ、彼に上月さんを任せた理由。それは、彼の上月さんを見るときの優しい目。
……それが勘違いじゃないことを、私は演劇の神に祈るだけだった。
折原くんと上月さんは、しばらく何か話してから、部室を出ていった。多分、どこか広いところで練習するつもりだろう。
2人が出て行ってから、牧田くんが駆け寄ってきた。
「折原を上月さんのコーチに使うんですか? 大丈夫ですかねぇ」
「何かまずいことでもあるの?」
「いえ、折原といえば、いろんな噂がありますからね。部長は多分知らないと思いますけど」
私は、人の噂には出来るだけ関わらないようにしている。
盲目の生徒なんて、格好のゴシップネタだから。
「そんなに?」
「ええ、彼の奇行は枚挙に暇無し、とも」
彼は肩をすくめた。
「でも、不思議と嫌われてはないようですけどね」
「ふぅん」
声が震えないように出来たのは、普段から演じることに慣れていたからだろう。
「ま、いいわ。それじゃ仕事を続けるから」
「あ、はい」
戻っていく牧田くん。
私はノートに目を落として、ため息をついた。
みさき、今頃どうしているかしら。帰りに家に寄っていこう。
ピンポーン
チャイムを鳴らすと、おばさんが顔を出した。
「あら、雪ちゃん。こんにちわ」
「すみません。みさきは……?」
「いつものように、食っちゃ寝してるわよ」
笑いながら言うと、おばさんは奧に声をかけた。
「みさき〜っ。雪ちゃんが来てくれたわよ〜」
「……」
返事がない。
「もう、あの娘ったら寝てるのかしら。あ、雪ちゃん、ごめんなさい。どうぞ上がってちょうだい」
「すみません。お邪魔します」
「すぐにみさきを起こしてくるわね」
そう言ってみさきの部屋に行こうとするおばさんを止めた。
「あ、大丈夫です。私が起こしますから」
「そう? それじゃ私はおやつの用意でもするわね」
そう言って、台所の方に戻っていくおばさん。
勝手知ったるみさきの家。私はみさきの部屋の前まで来ると、ドアをノックした。
「みさき、私よ」
「……」
返事がない。
ノブに手をかけて回すと、あっさりドアが開いた。
部屋の中は、カーテンが閉まっているのだろう、外の光に慣れた目には真っ暗に見えた。
私は部屋に入ると、そのまま手を伸ばして、掴んだカーテンを開けた。
シャッ
外の光が入って、部屋が明るくなった。
振り返ると、思った通り、ベッドの上では
「……くー」
みさきが丸くなって眠っていた。
私は、ベッドに腰を下ろすと、その頬をつついてみた。
「……うにゃ……。ごめんね、雪ちゃん……」
どきっ
心臓が鼓動を一つ飛ばしたような気がして、私は胸を押さえた。
「……ちょびひげはわざとじゃないんだよ……むにゃ……」
続く言葉で、私は一気に脱力して、おおきくため息をついた。
「あんたねぇ……」
「……あ、あれ? その声、雪ちゃん?」
みさきが身体を起こした。私の方に顔を向ける。
「そうよ、ねぼすけみさき」
「あれ? 今何時?」
「ええっとね、午後4時25分よ」
私が腕時計を見て時間を教えると、みさきはぐしぐしと目元を擦ってから、欠伸を一つした。
「そっかぁ……。それじゃそろそろ何か食べよ……」
いつもと変わらないみさきがいること。それが、私にとっての日常。
「本当に食っちゃ寝してるのねぇ」
「わっ、雪ちゃん、ひどいよ〜。そんなことないのに〜」
悲しそうに言うみさきに、私は笑って言った。
「おばさんが、おやつの用意をしてくれるって」
「行こうっ、雪ちゃん」
一瞬ではっきり目を覚ましたみさきが、手探りで私の袖を掴むと引っ張った。
「……はいはい」
私は苦笑しながら、みさきに引っ張られてダイニングに向かった。
そう、その時、私は間違いなく幸せだった……。
あとがき
すごくお久しぶりな雪ちゃんです。
……って、このシリーズは毎回お久しぶりなんですが(笑)
まぁ、プールや2014が週刊なら雪ちゃんやセントエルシアは月刊だと思ってください(笑)
しかし、寝ぼすけみさき先輩を書いてみると、ますます名雪化が進んでるような……(笑)
雪のように白く その12 2000/10/2 Up