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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 11

 その日は久しぶりに雪が積もった。

 新雪を踏みしめるようにして歩く。
 雪の日は、どうしてこんなに静かなんだろう。
 そう思いながら、『川名』の表札にもうっすらと積もった雪を手で払い、チャイムを押す。
「はい。あら、雪ちゃんじゃない」
「おはようございます」
 頭を下げると、おばさんは笑いながら頭を下げ返してきた。
「今年はお世話になりました。来年もよろしくして下さるかしら?」
「もちろんです。あ、これは母からです」
 おばさんに石鹸の詰め合わせの箱を渡して、訊ねる。
「みさきは部屋ですか?」
「ええ。みさき〜、雪ちゃんが来てくれたわよ〜」
 奧に向かって声を掛けると、みさきの部屋のドアが開く。
「あ、雪ちゃん来てくれたの?」
「ええ。みさきが退屈してると思ったから」
「おみやげは?」
「こら、みさき。なんですか?」
「いいんですよ。みさきがそう言うと思ったから、買ってきたわよ。山葉堂のワッフル」
 今日は大晦日である。

 いつからだっただろう。大晦日にこうしてみさきの家に来て、年を越すまで一緒にいるようになったのは。
「うん、甘くておいしいね」
 ワッフルを頬張るみさきに苦笑して、私はこたつの中で足を伸ばす。
 ここに来るまで、ブーツの皮越しに雪で冷やされた足には心地よい暖かさ。
「そんなに急いで食べると、すぐに無くなっちゃうわよ」
「でも、おいしいんだもの」
「しょうがないんだから……」
 苦笑して、私はみかんを手に取る。
 みさきは、不意に窓の外の方に顔を向けた。
「……雪ちゃん、今日は雪?」
「えっ? あ、ああ。うん、そうよ」
 一瞬、自分のことかと思ったけれど、すぐに外のことと判って、私は頷いた。
「久しぶりに積もってるわよ」
「へぇ……」
 みさきは、少し考えると、こたつから出て立ち上がった。
「雪ちゃん、行こっ!」
「え?」
「学校だよ」
 そう言うと、みさきはいそいそと着ていた半纏を脱ぎ捨てる。
「ちょ、ちょっと、なんでいきなり……」
「だって、雪が積もってるんでしょ? 遊ばないともったいないよ」
 そう言って、ハンガーからジャケットを取って羽織ると、ドアを開けるみさき。
 私はため息をついた。
「わかったわよ。私も行くから、ちょっと待ちなさいよ」
「うん。急いでね」
 笑顔でみさきは頷いた。

 校門は開いていた。
 学校は休みのはずなのに、と思ったけれど、すぐにその原因はわかった。
 校庭では小学生達が、思い思いに雪合戦したり、雪だるまを作ったりして遊んでいたのだ。
 どうやら、そのために今日は特別に校庭を解放したらしい。
 みさきは、校門をくぐるとすぐに屈み込んで、雪を手ですくっていた。
「わっ、冷たいね」
「雪が暖かかったら不気味よ」
「もう、雪ちゃん情緒がないよ〜」
 そう言うと、みさきはすくった雪を丸め始めた。
「ちょっと、何するの?」
「雪合戦しようと思って」
「あのね。私とあなたの2人でどうやって雪合戦するのよ」
「うーん、それもそうだね。それじゃ、雪だるま作ろうよ」
 そう言って、みさきは雪を集め始めた。
 こんな遊びが出来るのも、もう最後かもしれない。
「……そうね」
 私は頷いて、みさきに手を貸そうと屈み込んだ。

「あれ? みさき先輩に部長じゃないか」

 心臓がドキッと跳ねた。
 顔を上げると、折原くんが不思議そうに私たちを見ていた。
「その声は、浩平くんだね」
 みさきが顔を上げて、折原くんの方を向く。
「私たちは、雪遊びをしに来たんだよ。ね、雪ちゃん」
「私はみさきに付き合ってあげてるだけよ」
「わっ、ひどいよ雪ちゃん。それじゃ私が無理矢理連れだしたみたいじゃない」
「違ったのかしら?」
「うう〜っ。あ、それで、浩平くんはどうして?」
 反論できなくなったみさきが、折原くんに話を振る。折原くんは肩をすくめた。
「いや、暇だったから、ぶらぶらしてた」
「そっか。それじゃ、一緒に遊ばない? ちょうど雪だるまを作ろうとしてたんだよ」
「へぇ。よし、それじゃ全長50メートルはあるやつを作ろう」
「浩平くん、それじゃ大きすぎるよ」
 笑うみさきの横にしゃがむ折原くん。
「それで、これが胴体か?」
「うん、その予定だよ」
「随分小さな胴体だな」
「これから大きくするんだよ」
 あのクリスマスの時のことなんて忘れたように、他愛のない会話を交わす2人。
 でも、みさきの秘めている想いを知ってしまっている私は、そんな2人を見るのが辛かった。
「……雪ちゃん?」
「えっ? な、何?」
「どうしたの? なんだかぼーっとしてたみたいだけど。疲れちゃった?」
「そ、そんなことないわよ」
 私はそう言うと、屈み込んだ。
「それじゃ、私が頭を作るから、2人は胴体をよろしくね」
 ひとときだけでも、全てを忘れて、子供のように無邪気に戯れることが出来るなら。
 みさきがそれでいいのなら。
 私は、雪に感謝しよう。

「よし、出来たぞ」
 最後に頭を乗せて、雪だるまが完成したのは、もうそろそろお昼過ぎという頃だった。
「わーい」
 ぱちぱちと手を叩くみさき。
「それで、どれくらいの大きさになったの? 全長50メートルになった?」
「さすがにそれはちょっと無理だった」
「……莫迦ね」
 高さ50センチくらいの雪だるま。顔もないけれど、それはまぎれもなく、私たちの作ったものだった。
「さて、それじゃそろそろ帰るよ」
 折原くんがそう言うと、みさきは残念そうに俯いた。
「そう……。残念だけど、仕方ないよね」
「それじゃ、また。次は来年だな」
「……そうね」
 私は頷いた。
「それじゃ、浩平くん。良いお年を」
 みさきが笑顔で言うと、浩平くんは「ああ」と頷いて、走って行ってしまった。
 その足音が聞こえなくなってから、しばらくして、みさきは振り返った。
「雪ちゃん。私……笑えてたかな?」
 みさき……。
 私は、無言でみさきを抱きしめた。
「ひゃっ、雪ちゃん?」
「……みさき、偉いよ……」
 気の利いたセリフが思いつかず、私はそう呟くのが精一杯だった。

 みさきの家に戻ってくると、おばさんが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。お汁粉、暖めて置いたわよ」
「わーい、お汁粉っ! お汁粉っ!」
 さっきまでの感傷はどこへやら、嬉しそうなみさきを見て、私も苦笑した。
「あ、それから、雪ちゃんにお客さまよ」
「えっ?」
 私に?
 私の表情を読み取って、おばさんは頷いた。
「ええ。最初は雪ちゃんの家に行って、そこでこっちに来てるって聞いたんですって。客間で待っててもらってるわよ」
「すみません」
 演劇部の誰かかしら?
 私は首を傾げながら、客間のドアを開けた。
 ソファに借りてきた猫のようにかしこまっていた少女が、私をみて慌てて頭を下げた。
「あっ、深山先輩。すみません」
「あなた、確か……長森さん」
「はい」
 もう一度頭を下げると、長森さんは言葉を継いだ。
「その、やっぱり迷惑でしたよね。ごめんなさい、すぐに帰りますから……」
「いいのよ。それより、どうしたの? 私に何の用なのかしら?」
「ええ。浩平のことで、ちょっと……」
 長い話になりそうな気がしたので、とりあえず私もソファに腰を下ろす。
「折原くんのこと?」
「あ、はい……」
 長森さんは頷いた。
「あの、浩平が演劇部に入ったって聞いたものですから。その、浩平ってちょっと変わったところがあって、すぐに誤解されやすいですから、その、ちょっと知っておいてもらった方がいいかなって思ったんです……」
「知っておいた方がいいって?」
「あ、はい。……その、浩平の、家庭環境のことなんです……」

 長森さんの話を聞いて、私は初めて彼が両親と妹を失い、叔母の家に厄介になっていることを知った。
 あの明るい折原くんに、そんな重い過去があったなんて、正直、私も想像していなかった。
「……そんなことが、あったの……」
「はい……。特にみさおちゃん……、あ、妹さんの名前なんですけど、そのみさおちゃんを失ったことが、浩平の心に深い傷を残してると思うんです」
 長森さんは辛そうな顔をした。
「今でもまだ、浩平は、絶対、みさおちゃんの話をしようとはしないんです」
「そう……」
 私が相づちを打つと、長森さんは立ち上がって頭を下げた。
「深山先輩、浩平がいろいろとご迷惑を掛けるかも知れないですけど、でも、悪いことしたなら、わたしに言ってくれれば、ちゃんと言って聞かせますから」
「……ふふっ」
 思わず笑みを漏らしてしまった。長森さんが怪訝そうに私を見る。
「あ、あの……?」
「あ、ごめんなさい。長森さんって、本当に面倒見がいいのねって思って」
「あ……」
 長森さんは、かぁっと赤くなって俯いてしまった。
「えっと、そういうんじゃなくってですね、その、わたしはたまたま浩平とちょっとした知り合いで、その、えっと、色々と事情も知ってるから、その……」
「でも、判るわよ、そういうの」
「だから、その……。えっ?」
 顔を上げる長森さん。
 私は立ち上がった。
「とにかく、事情はわかったから、安心して。それに、演劇部は万年人手不足だから、ちょっとおいたをしたくらいじゃ放り出すなんてことしないから」
「あっ、はい。ありがとうございます」
 長森さんはぺこりと頭を下げた。それから、笑顔になって言った。
「初めてじゃないかって思うんです。浩平が、自分から何かをしようって思ったことって」
 その理由も、長森さんはきっと察してるんだろう、と思う。
 それでも、彼女は笑っていた。
 私は、どうだろうか……?

「……雪ちゃん、どうしたの?」
「えっ? あ、ううん、なんでもないわ」
 すっかり日も暮れ、私とみさきは、こたつに潜り込んで、テレビを見るともなく眺めていた。
「ちょっと、今年も疲れたなぁって思ってただけ」
「うん、私も疲れたよ」
 みさきは笑っていった。私は肩をすくめた。
「そりゃ、あれだけ食べてりゃ疲れるでしょうね」
「うっ……。で、でも、ほら、私って育ち盛りだから……」
「はいはい。みかん、食べる?」
「うん」
 嬉しそうに頷くみさきの手にみかんを渡す。
 と、みさきが不意に、窓の方に顔を向けた。
「どうしたの?」
「うん。今聞こえたよ……」
 何が、と聞きかけて、私は気が付いた。どうでもいい歌をだらだら流すテレビを消す。

 ごぉぉぉぉん

 微かに、鐘の音が聞こえてきた。百八の煩悩を鎮める、除夜の鐘。
「……まぁ、いろいろあったけど、今年も終わりね」
「そうだね……」
 みさきは、こたつの上にぺたりと突っ伏した。
「年が明けたら、すぐに卒業、だよね……」
 卒業。
 それがみさきにとってどういう意味を持っているか、知っているから。
 私は、こたつの中に手を忍ばせて、みさきの手を握った。
「大丈夫よ。私は……」
 ずっと一緒にいるから……。

 こうして、静かに年は暮れ、年が明けた。

To be continued...

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あとがき

 雪のように白く その11 2000/6/6 Up

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