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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #10
野バラのエチュード その8

「浩平〜、ご飯出来たよぉ〜」
 下から長森が呼ぶ声が聞こえて、俺は雑誌を置いて起き上がった。
 階段を降りてリビングに入ると、長森が盆におかずを乗せてやってくる。
「今日はふろふき大根だよ〜」
「なるほど。美味くて安い大根を使うとは、長森もなかなか主婦道を極めようとしているな」
「もう。誉めても何にも出ないよぉ」
 そう言いながらも、そこはかとなく満足そうに、長森は茶碗に飯をよそっている。
「さてと、野球でも見るかな。長森、ビールくれ」
「だ〜め。お酒は二十歳になってから!」
「けち」
「麦茶入れてくるから、それでガマンしてよ」
 そう言って、長森は立ち上がると台所に歩いていった。俺はテレビのスイッチを入れる。
 ちょうど、つけたチャンネルではニュースを流していた。俺は新聞を広げてテレビ欄を……。
「……、…………」
 え?
 アナウンサーが読み上げる声が、一瞬耳をかすめ、俺は慌ててテレビを見た。だが、アナウンサーは既に別のニュースを読み上げていた。
 どれくらい、俺はテレビを睨んでいただろうか。
 トン、と俺の前に麦茶のグラスが置かれて、俺は我に返った。
「あれ? 珍しいね。浩平がニュース見てるなんて」
「長森、さっきのニュース見たいから巻き戻ししてくれ」
「ビデオじゃないんだから、そんなの無理だよっ!」
 そう言ってから、長森は俺の正面に座ると訊ねた。
「どんなニュースだったの?」
「さぁ」
「さぁ、って……。はぁ」
 呆れたようにため息をつく長森。
「やっぱり浩平の事心配だもん。里村さんに愛想尽かされちゃわないかなぁ」
「浩平、わたしの口真似するのやめてよぉ」
 心底嫌そうに言う長森をからかっているうちに、俺はそのニュースの事を忘れていた。

 夕飯を食い終わった頃、不意に「ピンポン」とチャイムが鳴った。
「あんだ? 新聞の勧誘か?」
「あ。わたし見てくるよ」
 長森がエプロンを外して畳みながら玄関に向かってぱたぱたと駆け出す。……つくづく便利な奴。
 ややあって、戻ってくる。
「浩平、お客さんだよ」
「お客? 誰だよ、ったく」
「俺だよ!」
 長森の後ろから顔を出した住井を見て、俺は思わずずざっと1メートルほど飛び退いた。
「待て住井! 俺はノーマルだぞっ!!」
「……なんのことだ? それよりも……」
「落ち着け、落ち着いて話し合おう住井!」
「お前の方が落ち着けっ!!」
 長森が、俺と住井を交互に見比べて、とってつけたような笑顔で言った。
「わ、わたしは席を外してたほうがいいかなっ? そうだ、洗い物が……」
「待てっ、長森っ! ここにいてくれ、頼む!」
「えっ? で、でも……」
 住井をちらっと見る長森。
「長森がいるなら、住井の話も聞いてやろう」
「俺の意志は関係なしかっ!」
 住井が叫ぶが、長森がなだめに入っている。
「住井くん、諦めたほうがいいよ」
「……くっ。確かに折原はそういう奴だからな……。わかった」
 長森になだめられて、住井はソファに腰を下ろした。……あのソファ、後で消毒したほうが良いかもしれないな。
「で、何の話だ。さっきの話なら、俺はお断りだぞ」
 最初に釘を挿すと、住井はかぁっと赤くなった。
「そんなことで納得できると思ってるのかっ!」
 いきなりキレて立ち上がる住井。と、絶妙のタイミングで長森が割り込んだ。
「さっきの話って、住井くんが浩平に告白したって話?」
「そうだ」
 俺はきっぱりと頷いた。
「なにせ、俺には茜という恋人がいる身だ。そうでなくても男と付き合う気はないっ!」
「……そうだよね。もう恋人いるんだもんね」
 ……なぜ寂しそうな顔になる長森?
「ちょ、ちょっと待て」
 今度は住井が焦った声を出す。
「いつ俺がお前に告白したっ!?」
「さっき電話でしただろうが! 思いっきり気持ち悪かったんだぞ。慰謝料払え」
「誰がそんなことしたっ!」
「……へ?」
 今度は俺がきょとんとした。
「でも、さっき電話で、『俺はマジに好きだったんだ』とか『俺は純愛だ』とか……」
「言ったけど、それがどうして、俺がお前に告白した話になったんだっ!」
「わわっ! 迫るなぁっ!」
 のけぞる俺に、長森が言った。
「ねぇ、浩平。本当に、住井くん、“浩平が”好きだって言ったの?」
「ん〜?」
 俺は腕組みして考えた。それから訊ねる。
「なぁ、住井。お前は誰が好きなんだ?」
「柚木さんに決まってるだろうが!」
 憮然として腕組みしたまま、住井が言う。俺はほっとした。
「なんだ。よかった」
「ほんとだよ。住井くんが浩平に迫ったって聞いて、わたしもびっくりしちゃったんだよ〜」
 長森も、ほっと胸をなで下ろしている。
「あ、そうだ。住井、何か食っていくか? 長森、ふろふきの残りあるだろ?」
「うん。今日のふろふき大根はいい出来だったんだよ〜」
「ちょっと待てい! いきなり和むなっ!」
 再び立ち上がる住井。
「俺の話が全然終わってないだろうがっ!」
「長森の作ったふろふき大根はいらんのか?」
「……くれ」

「で、結局何の話だったんだ?」
「ちょっと、浩平! その前に柚木さんのこと教えて上げた方がいいんじゃ?」
 いきなり長森が思いだしたように言う。
「え? 柚木さんのこと?」
 ふろふき大根を食べていた住井が顔を上げる。長森が頷いた。
「うん。倒れて入院したんだよ」
「なにぃっ!」
 いきなり立ち上がる住井。
「こら、食事は静かにしろって教わらなかったのか?」
「お前に言われたくないわいっ! それよりも、どういうことなんだよ、長森さん?」
「それはな、住井、かくかくしかじかで……」
「もう、浩平! 冗談言ってる場合じゃないんだよ〜」
「なんだよ、お前だって忘れてたくせに」
「あ〜っ、もういいからちゃんと教えてくれっ!」
 悲鳴のような声を上げる住井に、長森が慌てて謝る。
「あっ、ごめんなさい。実はね、今朝のことなんだけど……」

「……というわけだったんだよ」
 こういう長ったらしい説明は、長森に任せるに限る。というわけで、俺は口を挟むでもなく長森がしゃべるにまかせていた。
「柚木さんが……記憶喪失?」
「あ、でもまだそう決まったわけじゃないと思うよ。でね、今日はもう面会時間終わっちゃってるから、明日また行こうと思うんだ。住井くんもその時に一緒に行こうよ。ね?」
 そう言うと、長森は何か言おうとした俺の足を踏んだ。
「痛て。なんだよ長森」
「浩平、ギャグ飛ばしていい時じゃないよ」
 じろりと俺を睨む長森。むぅ、俺が張りつめた空気をギャグでも飛ばして和ませようとしたことが何故判ったんだ?
「あのな。俺がギャグを飛ばしていいときと悪いときをわきまえてないとでも思ってるのか?」
「うん」
 躊躇いなく頷く長森。
「……あのな」
「……実はさ」
 不意に住井が言った。だが、構っている暇は無いのだ。
「俺がいったいいつそんなTPOをわきまえない発言をしたというんだ? ええ?」
「あーっ、浩平ったらそんなこと言ってるし。ちゃんと自覚してよねっ! もう、里村さんに愛想尽かされないかどうか、とっても心配だよ〜」
「やかましいっ! だいたいお前もだな、いつまでも俺の世話ばっかり焼いてるんじゃねぇよっ! どっかでいい男でも見つければいいじゃねぇか!」
「そういうことは、ちゃんと浩平が一人で起きられるようになったら考えるもん!」
「ほぉ。わたしはいつでも男の一人や二人すぐに引っかけられるもん、ってか?」
「わぁっ! そんなこと言ってないよぉっ!!」
「おまえらぁ〜っ!! 俺の話も聞けぇっ!!」
 あ、住井がまたキレた。
「ご、ごめんなさい、住井くん。どうぞ」
 慌てて謝る長森。
「まぁ、聞いてやろう」
「浩平っ! どうしてそんなに偉そうなんだよっ!」
「なんだよ、長森。俺が偉そうなら長森はだよもん星人じゃないかっ!」
「そんなことないもんっ!」
「……お願い、聞いてください」
 とうとう懇願を始めた住井だった。

「俺と柚木さんって、付き合い始めてから結構になるじゃないか」
 住井に言われて、俺は中空を睨んだ。
「確か3日前からだったよな」
「もうっ、浩平! こんな時に冗談言ってるんじゃないよっ! えっと、去年からだったよね? 住井くんが柚木さんと付き合ってたのって」
 長森が俺の頭を軽くぽくっと叩きながら言った。
「ああ、去年の11月からなんだ」
 頷く住井。そういえば、その頃になんか住井が狂喜乱舞してたような覚えがある。
「んで、だ。やっぱり俺も柚木さんも中学生ってわけじゃないから、それなりの付き合いってモノがあると思うだろ」
「それなりの付き合いって、何だ?」
「そんなこと一々言わせるなっ!」
 ちょっと照れたように言う住井。なんだ、そういうことか。
「でも、中学生だってやってるんじゃないのか?」
「そ、それはそうかもしれないが、やっぱり中学生同士はやばいんじゃないか?」
「いや、やっぱり年齢よりもお互いの気持ちが問題だろ? なぁ、長森」
「わぁっ! ど、どうしてわたしに振るんだよっ!」
「あれ? どうした長森? 顔が赤いぞ」
「知らないもんっ!」
 あ、拗ねた。
「あのなぁ、折原。一々長森さんと漫才するのは止めてくれないか?」
 じれた様子で口を挟む住井。慌ててまた謝る長森。
「ご、ごめんなさい。続けていいよ」
「しかし、俺にも床屋志望のプライドが……」
「もうっ、浩平も、しばらく黙って聞いてあげようよ〜」
 長森にそこまで言われて、俺は仕方なく口をつぐんだ。
「で、健康な青年の俺としては、だ。そりゃ柚木さんのことは大切に思ってるけど、反面そういう付き合いがしたいってことは否定できないわけで、だ」
 ……やたらもってまわった言い方をしてるが、要するにやりたかったわけだな。うんうん。若いな、住井も。……って俺と同じ歳じゃん。
 口を挟むとまた長森に言われそうなので、心の中で一人ツッコミをしている俺をよそに、住井は話を続けた。
「でも、やっぱりそういうのを切り出すのって、タイミングがあるだろ? 二人の記念日ってやつなんだし」
「そうだよね。それは何となく判るよ」
 俺と茜の時は、別に何でもない日だったような覚えがあるけど……。あ、山葉堂の新ワッフルの発売日だったか。
「で、俺は浪人してただろ? だから、柚木さんと約束したんだ。大学に合格したら、その、しようって」
 なるほど。合格発表の時に住井が「俺には崇高な目標がある」とか言ってたのは、このことだったのか。……どう見ても「崇高な目標」とは思えないがなぁ。
「あ、そうなんだ……。あは、あははっ」
 真っ赤になっている長森。だから何でお前がそんなに照れる?
「で、いざって時にいきなり拒まれた、と」
 俺は、いい加減に面倒になってずばっと言った。とたんに住井ががくっとうなだれる。
「……そうなんだ」
 マジにか? 俺は適当に一番面白そうな展開を言ってみただけなんだが……。
「ええっ? で、でも、柚木さん、住井くんのことが好きだから付き合ってたんじゃ……ないの?」
 長森もびっくりしたように住井に尋ねた。
「ああ、俺もそう思ってたよ。でも……」
 住井は投げやりに肩をすくめた。
「どうやら、違ってたらしい。柚木さんは、折原……お前のことが今でも一番好きらしい」
「……俺?」
 思わず自分を指して聞き返してしまう。
「……昨日だよ」
 住井は、片手で自分の額を押さえながら、言った。
「昨日の夜、柚木さんと食事して、それからホテルに行ったんだ。でも、いざって時になって……、やっぱりダメって泣き出して、そのまま出て行っちまって……」
「……」
 昨日の夜、か。それじゃ、その後俺の家の前に来て、ずっと立ちつくしていたのか、柚木は……。
「それじゃ、そのまま行かせちゃったの?」
「……俺だってショックだったんだよ」
 非難気味の長森の言葉に、住井はいらだった声で答えた。
「柚木さんはずっと俺を騙してたんだぜ!」
「……そうかもしれないけど……。でも……」
 長森は言いよどんだ。住井は俺に視線を向けた。
「それで、さっき折原から電話があった時、てっきり柚木さんは俺がもらうとでも言うのかと思ってな……」
「あのな。俺がそういうことを言うような男に見えるのか?」
「見える」
 きっぱり言う住井。……長森までうんうんと頷いてやがる。あとでデコピンしてやろう。
 俺の視線に危険を察知したか、長森は慌てた口調で言った。
「で、でも、浩平は別に柚木さんと付き合う気はないんだもんね」
「ああ。俺には茜がいるしな。でも……柚木の気持ちまでは、俺にもどうにもならんぞ、住井」
「そりゃそうだろうけど……」
「……住井くん」
 長森が躊躇いがちに訊ねた。
「柚木さんが、やっぱりダメって言ったとき、住井くん、柚木さんに何か言わなかった?」
「……」
 住井は、微かに頷いた。
「期待してたことが裏切られて、かぁっとなっちまって……。それに、俺知ってたんだ。柚木さんが、折原のことを好きだって……」
「なにっ?」
 俺は驚いた。このことは、俺と茜と長森と柚木自身しか知らないことだと思っていたのに。
「それくらい、見てれば判るって」
 俺の驚きように、住井は呆れたように言った。
「でも、お前は里村さんと付き合ってるわけだし、だから、俺の告白を受けてくれたとき、柚木さんはお前のことは諦めたんだって思ってた。でも、土壇場でああ言われて、やっぱり……って思ったんだ。やっぱり、柚木さんはお前のことをって」
「……本当に好きだったら、諦めきれないものなんだよ」
 不意にぽつりと長森が言った。
「長森?」
「ううん。なんでもない。それで、住井くん、柚木さんに……?」
「ああ。やっぱり俺を騙してたんだな……って」
 そう言って、住井はうなだれた。
「すまん……折原」
「俺に謝ってどうする」
 俺は、住井の肩を叩いた。
「とりあえず、今日はこれ以上いても仕方ねぇだろ。明日、病院に行こうぜ」
「でも……」
「そうだね。わたしも今日は帰るよ」
 長森も立ち上がった。
「……そうだな。悪いな、折原」
「ホントに悪い」
「……そこで「そんなことないぜ。俺達親友だろ」って返すのが普通だろうが」
「誰が親友だ、誰が?」
「もう、二人ともバカやってないの」
 長森が呆れたように割って入った。
「浩平、ちゃんとお皿洗っておいてね」
「面倒なことさせるな」
「……せめて、水に漬けておいてね」
 そう言って、長森はバッグを肩にかけてリビングを出ていった。住井も立ち上がる。
「それじゃ、俺も帰るわ」
「ああ……」
 俺は軽く手を挙げて、出ていく住井を見送った。
 しばらくして、玄関のドアがパタンと閉まる音がした。

To be continued...

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