喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #10
野バラのエチュード その2

 カシャァッ!
 いつものようにカーテンの引かれる音と、そして目の奥を貫く陽光。
「浩平っ、朝だよっ、朝っ!」
「ん……」
 俺は、ごろんと毛布を引っ張って横になった。
「もう少し眠らせてくれ……」
「何言ってるんだよ〜。早く起きないと駄目だよ〜」
 ぐらぐらぐらぐら
 身体を思い切り揺すられて、俺は目を開けた。
「もうすこし優しくしてくれたっていいだろぉ……」
「何言ってるんだよ〜。もう、しょうがないなぁ」
 苦笑する長森。
 俺はカレンダーに目をやった。それから尋ねる。
「なぁ、長森。今日は日曜じゃないのか?」
「うん、そうだよ」
「……なんで、長森が俺を起こしにくるんだ?」
 長森は苦笑した。
「やっぱり、忘れてる〜。昨日電話してきたじゃない。今日は遅れるわけに行かないから、起こしに来てくれって」
「む〜、そうだったっけ」
「もう。里村さんとデートなんでしょ?」
「茜は俺以上に朝は弱いんだが……」
 俺は体を起こして、やっと思い出した。
「あ、そうか」
 柚木の奴と映画を見に行くんだったな。
「やっと思い出した? もう、女の子を待たせちゃ駄目だよ〜」
 笑いながら、長森はクローゼットを開けると、中から服を取り出す。
「はい、着替え」
「おう」
 俺は頭をぼりぼり掻きながら、それを受け取ってベッドから降りた。

 どうやら茜とデートと思いこんでいるらしい長森に見送られ、俺は家を出た。
 約束の場所に着いたのは、10時15分前だった。
 これだけ早く付けば、柚木もまだ来てないだろう。ふふふ、待合い場所に仕掛けをされる心配もないってもんだぜ。
 勝利感を抱きながら、ぐるっと駅前を見回す。
 日曜だけあって、結構待ち合わせをしているらしい若者が多い。
 と、案内板の前で手持ちぶさたにきょろきょろしていた女の子と目が合ってしまった。
 お。笑って手を振ってる。結構可愛いじゃないか。
 俺も手を振り返してみた。
 あれ? こっちに近づいてくるぞ。
 俺がきょとんとしていると、その娘は俺の前に立って、笑いかけてきた。
「ずいぶん早かったのね。いつも遅れてくるって聞いてたから、覚悟してたのに〜」
「ほえ?」
 思わず、椎名のような反応をしてしまった。もう一度、よく見る。
「どうしたの?」
 小首を傾げると、その娘はくすっと笑った。
「今日の折原君、なんだか変よ」
 も、もしかして……。
「お、おめぇ、柚木かっ!?」
「そうよ」
 にこっと笑うと、柚木はまた笑った。
「似合うでしょ〜」
 そう言うと、スカートの裾をつまんでくるっと回ってみせる。
 ひらりと翻るスカート。
 と、と。見とれてどうするっ!
「ま、まぁな」
「よかったぁ
 無邪気に喜ぶ柚木。
「えっと、映画は何時からだ?」
「え? 10時半から……。あっと、ちょっと時間あるな〜」
 柚木は、駅前の時計を見上げて答えた。
「それじゃ、ちょっと喫茶店でも寄ってから行くか?」
「うん、ありがと」
 俺は、先に歩き出した。

 喫茶店で他愛のないお喋りをした後、ちょうどいい時間になったので、映画館に入ることにした。……のだが。
「お、おいおい、なんだよこれ?」
 俺は、映画館の前で立ち止まると、大きな看板を見上げた。
「何って、映画館」
「そんなの、見ればわかるわい。映画の中身だ、中身っ!」
「こういうの、嫌い?」
「……男でこういうのが好きなんていう奴は、あんまりいねぇぞ」
 俺はもう一度看板を見上げる。

 “君との愛と青春のメロディ”

 ……勘弁してくれよ。タイトルだけで、茜が喜びそうなくらい甘いぞ。
「マジにこれなのか?」
「うん。ほらっ」
 にこにこしながら、ペアチケットを見せびらかす柚木。
「……た、確かに」
「それじゃ、行きましょっ
 そう言って、柚木は俺の腕と自分の腕を組んだ。
「お、おいっ!」
「え、どうしたの? 大きな声出して。みんな見てるわよ」
 慌てて辺りを見回すと、確かに映画館に入ろうとしていたカップルが俺達の方を見ている。
「ほら、行こうよっ」
 柚木は俺の腕をぐいっと引っ張った。その弾みに、肘が柚木の胸に当たる。
 ぷに
「やぁん。折原君のえっちぃ」
「ば、ばかっ。偶然だろうが、偶然っ」
「もう、ホントにえっちなんだからぁ」
 そう言いながら、俺の腕を放そうとせずに、柚木は俺をそのまま映画館に引っ張り込んだ。

「すごくよかったねぇ」
「そっか?」
 なんだか知らないが、上気してしゃべりまくる柚木と並んで、俺は映画館を出てきた。
「ほら、最後のヒロインが病気になっちゃうところなんて、あたし泣けてきちゃったわ」
「あ、そう」
 自慢じゃないが、俺は始まって5分もたたないうちに寝てしまい、ふと目が覚めてみると、スクリーンには大きく“Fin”と出ていた、という状況だったので、内容なんてさっぱりわからんのだった。
 俺は大きく伸びをすると、柚木に言った。
「さて、映画は終わったことだし、俺そろそろ帰るわ」
「え〜。もうちょっと付き合ってくれたっていいじゃないの」
 ぷっと膨れる柚木。
「あのな」
「あ、そうだ。折原君、お腹空かない?」
 そう言われると、朝、喫茶店でちょっとコーヒーを飲んだだけなんだよな〜。
「まぁ、空いたって言えば空いたな」
「それじゃあさ、どこかで何か食べて行かない?」
「おごりか?」
 俺が尋ねると、柚木はまたぷっと膨れた。
「なんで女の子が男の子におごるのよ。普通は男の子が女の子におごるものよ」
「俺、帰ってカップラーメン食うわ。それじゃ」
「あ〜、嘘よ、嘘っ! 割り勘に決まってるじゃない。ね?」
 慌てて俺の腕を引っ張る柚木。
 まぁ、割り勘ならいいか。
「よし。それじゃ駅前のラーメン屋に……」
「まぁまぁ。あたしに任せて。いいところ知ってるんだ。ねっ」
 ウィンクする柚木。
 ま、断る理由もないか。
「よし。ただし、まずかったらテーブルひっくり返してシェフを呼べって叫ぶぞ」
「うん、いいよっ。あたしは他人の振りするから」
 いい度胸してるよ、まったく。

 というわけで、俺が柚木に引っ張ってこられたのはイタリアンレストランであった。
 ちょうど昼時ということもあって、店内は結構混んでいたが、俺達は運良く窓際の席を確保できた。
「で、何を食べるんだ?」
「ここはね、パスタがお勧めよ」
「ほう、よく知ってるな」
 俺はメニューを開きながら、柚木に聞いた。
「よく来るのか?」
「よく、ってほどじゃないけど、友達と何回か、ね」
「友達って、茜か?」
 そう尋ねると、メニューをめくっていた柚木の手が一瞬止まった。
「ま、まぁ、ね。折原君はもう決まった?」
「ミートソースのセット」
「そう? じゃ私はナポリタンね」
 柚木は、通りかかったウェイターを呼び止めて、注文を伝えた。
「ミートソースとナポリタン、両方ともセットで」
「かしこまりました。コーヒーはいつお持ちしましょう?」
「あたしは食後で。折原君は?」
「後だ、後」
「それじゃ、両方とも食後で」
「はい。少々お待ちください」
 ウェイターが頭を下げて向こうへ行くのを見送ってから、俺は柚木に向き直った。
「なぁ、柚木」
「なぁに?」
 にこにこしながら、俺に視線を向ける柚木。
「そろそろ種明かししてくれてもいいんじゃないか? 一体何で、俺が柚木に連れ回されてるわけだ? これじゃまるで、デートしてるみたいじゃないか」
「え……」
 柚木の笑顔が、一瞬凍り付いたように見えた。
「……折原君は、楽しくないの?」
「別に」
 俺は思ったとおりを口にした。
「……そっか。楽しくないか……」
 柚木は、窓の外に視線を向けた。
 その唇が、微かに動いた。
「勝てない、か……」
「あん?」
 俺が聞き返そうとしたとき、ウェイターがスープを運んできた。
「お待たせしました」
「あ、来た来た。とりあえず、食べちゃお。ね?」
 早速スプーンを手にすると、柚木は俺に笑いかけた。

 その後、柚木と俺はスパゲティのセットを平らげて、イタリアンレストランを出た。
「ね、結構美味しかったでしょ?」
「まぁな」
 尋ねる柚木に俺は答えた。確かに、スパゲティは文句なく美味かった。
「さて、と。飯も食ったし、そろそろ帰るか」
 俺はあくびをひとつして、振り返った。
「そうね」
 柚木は、あっさりとうなずいた。もう少しだだをこねるかと思っていた俺は、ちょっと拍子抜けした。

 駅前まで戻ってきたところで、柚木は振り返った。
「今日は付き合ってくれてありがと」
「……いや」
 最後に何かどんでん返しを持ってくる気だな、こいつは。
 俺はそう思って、心の中で身構えていた。
「あっ、あの……」
「な、なんだよ」
「……ううん、なんでもない。あたしは楽しかったよ」
 そう言って、にこっと笑うと、柚木は身を翻した。そのまま駆けていく。
 ……なんだったんだ?
 俺は首をひねりながら、家路についた。

 家に帰っても、どうも今日の柚木の行動は全然わけがわからなかったので、俺は長森を呼び出した。なんとなく、茜に聞くのはちょっと遠慮した方がいいような気がしたし、他にこんなことを相談できる女の子といえば、長森くらいしか思いつかなかった。
「それって、どう見てもデートだよ、浩平」
 話を聞いた長森は、きっぱりと言うと、自分で煎れた紅茶に口を付けた。
「そうなのか?」
「うん」
 こくりとうなずくと、長森は小首を傾げた。
「でも、どうして柚木さん、浩平とデートなんてしたのかな?」
「俺が聞きたいのはそこなんだが?」
 コーヒーをすすりながら尋ねると、長森は困ったように笑った。
「そんなの、わたしにもわかんないもん」
「なんだよ、この役立たず」
「もう、浩平むちゃくちゃだよ〜。わたし、柚木さんじゃないんだから、柚木さんが何を考えてるかなんてわかんないもん」
 まぁ、考えてみりゃその通りなんだが。
 と。
 トルルル、トルルル
 電話がかかってきた。
「長森〜、電話だぞ〜」
「ええーーっ? だって、浩平の電話じゃない。わたしが出るわけにはいかないよ〜」
「ったく、使えねぇ奴だな」
 俺は、立ち上がって電話の所まで行った。受話器を取る。
「はい、折原です」
「あ、折原君? ……あたし、詩子……。柚木詩子……だけど……」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、柚木の声だった。

To be continued...

 メニューに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く