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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #10
野バラのエチュード その1

「あたし、あなたが好きなのっ!」
「……はぁ?」
 俺は思わず聞き返した。
「柚木、いきなりどうした? 正気か? 飯はちゃんと食ってるか?」
「正気だし、ご飯もちゃんと食べてるわよ」
 ちょっとむくれる柚木。
「それじゃ、なんだよ、いきなり」
「あたし、あなたに一目惚れしちゃったの!」
「……ほえ?」
 と、柚木はいきなり制服のベストを脱ぎ始めた。
「おっ、おい柚木っ!?」
「折原くん。……ううん、浩平。あたしをあげる」
 ベストを脱ぐと、今度はスカートに手をかける柚木。
「ま、待て早まるなっ! 俺には茜という恋人がっ!!」
「茜のことはわかってる! でも、あたし、もう押さえられないのよっ!」
 ストッとスカートが落ちた。続いて、ネクタイをしゅるっとほどくと、柚木は尋ねた。
「それとも、あたしって魅力ない?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「それなら、いいじゃない。ね?」
 白いブラウス一枚という悩殺的な姿で迫ってくる柚木。ちらっと見える白いパンティが……じゃないっ!
「ま、待てって!」
「待てない」
 そう言うと、ブラウスのボタンを一つ、二つと外す柚木。それに従って、ふたつの膨らみが……。

 ガバァッ!
「わっ、び、びっくりしたぁ」
「はぁはぁはぁはぁはぁ……」
 俺は荒い息をついて、辺りを見回した。カーテンに手をかけた姿勢で、長森がびっくりしたように俺を見ている。
「どうしたの、浩平?」
 カシャッ
 カーテンを開けながら、長森が尋ねた。同時に、明るい光が俺の部屋を照らし出す。
「……あ、いや……」
「あ……」
 不意に長森が真っ赤になると、下を向いてもじもじし始めた。
「なんだよ?」
「こ、浩平、えっと、朝から元気なんだね……」
「えっ?」
 言われてみると、ものの見事に毛布が股間の辺りでテントを張っている。
「ば、ばかっ! コレはだな、男の生理現象だっ!」
「だ、だってぇ……」
 そわそわする長森。ったく、初めてでもあるまいし。
 とはいえ、今日はまた特大か。あんな夢見たせいだろうなぁ。
「……って、浩平、時間っ!」
「お、もうそんな時間か」
「はいっ、鞄と着替えっ!」
「おう」
「きゃぁっ!」
 いきなり鞄と着替えを放り出して目を覆う長森。俺はすんでの所でそれをキャッチした。
「な、なんだよいきなりっ?」
「だってだって、浩平っ、だよっ!」
 なにを言ってるかサッパリわからんが、なぜうろたえてるかはわかった。
「ば、ばかっ! さてはおまえ脱がせたなっ!」
「そ、そんなことしてないもん! はう〜。女の子に朝から見せるものじゃないよ〜。ばかぁ〜」

 “えいえんのせかい”から帰還を果たして既に半年。俺はめでたく予備校通いを続けている。
 茜との付き合いもちゃんと続いている。
 ……じゃあ、なんで長森が朝から起こしに来てるかって? 茜は朝が弱いからだ。
 一度、長森が茜に遠慮して「それじゃ、里村さんにお願いしたら?」って言ったことがあったが、茜はあっさりと「嫌です」って言ったんで、結局前の通りの展開になっている。
 ちなみに、茜も長森もちゃんと大学生になっている。……くそ。

「ふぅ、間に合ったか」
 俺は腕時計を見ながら、予備校の校舎を見上げた。
「もう。ちゃんと授業受けるんだよ〜。じゃあね〜」
 手を振って、長森は今度は大学へ走っていく。相変わらずせわしない奴だ。
「あ、おはよう、折原くん!」
「うわぁおっ!!」
 後からポンと肩をたたかれて、思わず飛び上がる俺。おそるおそる振り返ると、柚木がキョトンとしてたっていた。
「なに慌ててるのよ?」
「えっ。いや、なんだ……、あははは」
 俺は頭の後を掻いて照れ笑いした。さすがに柚木に迫られる夢を見てた、なんて言えるか。
「そう? とにかく、早くいかないと授業始まるよ」
「お、おう」
 柚木はさっさと俺の前を歩いていく。ちなみに、予備校に入っていくのを見てもわかるとおり、こいつも浪人組の一人かといえばさにあらず。この予備校で講師のバイトをしているのである。……なんだか屈辱感を感じなくもない。
「よ、折原。なにやってんだ、こんな所で?」
「おう、住井か」
 振り返ると住井である。こいつは見ての通りの浪人だ。
 住井は俺の肩越しに柚木の後ろ姿を見つけた。額に手をかざしてそれを見送る。
「お、柚木ちゃんか。いい女だよなぁ」
「へいへい。それじゃ行くぞ」
「おう。1時間目はなんだっけ?」
「えっと、確か古典だっけ?」
「げぇ〜。俺苦手なんだよなぁ〜」
 そんな会話を交わしながら、廊下を歩いていく。

 キーンコーンカーンコーン
 チャイムが鳴って、今日の授業は終わった。
 俺は教科書をまとめて、立ち上がる。
「ふぅ、終わった終わったと」
「おう」
 住井もさっと立ち上がった。そして俺に尋ねる。
「折原、今日はお姫様のお出迎えはないのか?」
「ああ。茜なら今日は遅くなるって言ってたからな」
 確か、昨日そう言ってたはず。
「それじゃさ、久しぶりにゲーセン行かねぇか?」
「そうだな。それもいいか」
 俺が頷きかけると、不意に後から声が聞こえた。
「それじゃ、あたしも行っていいかなぁ?」
「柚木ちゃんなら大歓迎」
 住井がにこにこしてうなずいた。俺の肩を叩く。
「なぁ、折原」
「……すまん。俺パス」
「ええーーーっ? 付き合い悪いなぁ、折原くんってばぁ」
 口を尖らす柚木。
 俺は鞄を担ぎ上げた。住井の肩をポンと叩く。
「住井。柚木は手強いぞ。健闘を祈る」
「おう。死して屍拾う者無し、だな?」
 俺達は親指をピッと立てあった。それから、俺は軽く手を挙げて教室を出た。
「あ、こら、折原くんっ!」
「まぁまぁ、それよりさぁ……」
 柚木と住井の声を後に聞きながら、俺は廊下をすたすたと歩いていった。

 予備校を出て、振り返る。
「柚木、詩子か」
「詩子が、どうかしたの?」
「ああ、それが……って、茜っ?」
「はい」
 振り返ると、茜が鞄を両手で下げて、そこに立っていた。
「今日は来ないんじゃなかったの?」
「予定が変わりましたから」
「そ、そう……」
「……帰りましょう」
「あ、ああ」
 と、不意に後から声が聞こえた。
「待ってってば、折原くんっ!」
 バタバタと、予備校の玄関から飛び出してきた柚木が、俺の隣に立っている茜の姿を見て急停止する。
「あ、茜……」
「……詩子……」
 二人の視線が、一瞬交錯した。それから、柚木が視線を逸らした。
「ご、ごめん。じゃ、またね、折原くん」
「あ、ああ」
 俺が答えると、柚木はまたバタバタと予備校の校舎の中に飛び込んで行った。
「……なんだ、ありゃ? なぁ、茜。……茜?」
「……はい」
 茜は、ゆっくりと、視線を柚木の消えた予備校の玄関から、俺に移した。それから、その視線を伏せると、静かに言った。
「それでは、帰りましょう」
「……そうだな」
 俺はうなずいた。

 商店街を抜ける道を、俺と茜は並んで歩いていた。
「にしても、今日の柚木、なんだか変だったなぁ。茜、何か思い当たることないか?」
「……いいえ」
「そっかぁ」
 不意に、茜が立ち止まった。そして、俯いて呟く。
「……もし、……」
「え?」
 俺も立ち止まった。振り返る。
「何だって?」
「……なんでも、ないです」
 そう答えると、茜は顔をあげた。
「……ワッフル、食べませんか?」
「山葉堂のワッフルか?」
「はい」
「よし、行くか」
 俺は、山葉堂の方に向きを変えた。茜は、少しうれしそうな顔で、俺の後に続いた。

 しっかし、相変わらず甘いもの好きだな、茜のやつは。
 俺は、もたれそうな胃を押さえながら、ベッドに寝転がっていた。
 ま、茜が楽しそうだったから、それでいいか。
 と。
 トルルル、トルルル、トルルル
 電話が鳴り出した。
「はいはいはい」
 リビングルームにでると、受話器を取る。
「はい、折原です」
「あ、折原くん? あたし、柚木なんだけど……」
「あれ? 柚木って俺の番号知ってたか?」
「うん、予備校の生徒資料から、ちょっとね」
「この、不良講師がぁ。で、何だ?」
「えっとね、そのぉ……」
 妙に歯切れが悪い。なんだ、一体?
「何の用だよ?」
「あのね、明日、日曜でしょ? 暇……かなって、思って」
 俺はちょっと考えた。……別に予定はなにもないよな。
「まぁ、暇だけどさ」
「ホントっ? そ、それじゃさぁ、あの、もしよかったら、だけど……」
「へ?」
「映画に、行かない? 映画」
「あのな。何でおまえと映画を見に行かにゃならんのだ? 茜でも誘え」
「だってぇ、茜は忙しいって言うし、それにペアチケットなのよ〜。一人じゃ使えないんだもの」
「それなら住井でも誘えばいいじゃないか」
 一瞬、間があいた。
「……もしもし?」
「……そうだよね。ごめんなさい」
 なんだぁ? 柚木が素直に謝っただとぉ?
 なんだか余計に不気味な気がするぞ。
 ええい。
「わかった。待ち合わせは?」
「えっ? 来てくれるの?」
「どっちにしろ、暇だからな」
「うんうん、よかったぁ♪ 10時に駅前で、どう?」
 妙に弾んだ声の柚木。……なにを企んでるんだか。
 ま、いいや。乗ってやろうじゃねぇか。
「それでいいぜ。じゃあな」
「うん。遅れないでよ」
「任せとけ」
 俺はそう答えると、電話を切った。

To be continued...

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