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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #10
野バラのエチュード その3

「はい、折原です」
「あ、折原君? ……あたし、柚木詩子……」
 電話の向こうで、柚木の声がした。
「ああ、柚木か……」
「あのね、折原君。今日は、ごめんね。連れ回しちゃって……」
「いや、別にそれはいいんだけどよ……」
「で、ね……」
 柚木は、一拍置いた。
「もしもし?」
「……ううん。ごめんなさい。それだけ」
「そっか」
「それじゃ、お休みなさい」
「あ、ああ……」
 プツッ、ツー・ツー・ツー
 電話が切れた。
 ……柚木の奴、何が言いたかったんだ?
 俺は首を傾げながら、受話器を置いた。
「今の電話、柚木さんから?」
「わぁっ!」
 いきなり後から話しかけられて、俺は驚いた。
「何だよっ、だよもん星人!?」
「だよもん星人じゃないもん。そんなこと言うの浩平だけだよ〜」
 口を尖らせると、長森はぷいっとそっぽを向いた。それから向き直る。
「そうじゃなくって! 今の電話、柚木さんなの?」
「え? あ、ああ。でも、なんだか謝って切れたぜ」
「謝って?」
「ああ。今日はごめんとかなんとか言って、ぷっつり。長森、どう思う?」
 俺が尋ねると、長森は首を振った。
「わかんないよ〜」
「ったく、役に立たない奴だ」
「そんなこと言ったって……。浩平が直接聞いてみればいいんだよ〜」
「ま、そうかもしれねぇな」
 腕組みして、俺はうなずいた。
「よし。明日にでも聞いてみるか」

 カ……
「あれっ? 開かないよ〜」
 カ……
「ど、どうしよう。開かないっ。もう、浩平でしょ〜!」
 ぐらぐらぐら
 いきなり揺り起こされて、俺はしぶしぶ目を開けた。
「なんだよ、長森……」
「なんだよ、じゃないよ〜。カーテン開かないよ〜」
「長森、お前壊しただろ?」
 俺が言うと、長森はぶんぶんと首を振った。
「そんなことしないよっ!」
「嘘つけっ。だいたいだな、このカーテンを開けてるのはほとんどお前だぞ」
「それは浩平が早く起きないからだよ〜」
 拗ねる長森。
「それに、浩平でしょ? カーテン開けなくしたのは。接着剤で止めてあるんだもん」
 むぅ。もうばれたか。
「カーテンは直しておくから、浩平は用意しなよ〜」
「しょうがねぇなぁ」
 俺は体を起こして、長森から鞄と着替えを受け取った。
「今日は予備校が終わったら、里村さんとデートなんでしょ? ちゃんとプレゼントくらい買っておいたほうがいいよ」
「そのへんは抜かりない。ちゃんとワッフル詰め合わせを……って、どうしてお前が知ってるんだ?」
 部屋を出ていきかけたところで、思わず振り返ると、長森はカーテンレールの下に椅子を運びながら言った。
「それくらいわかるんだもん」
「……そっか」
 なんだか、何を言っても泥沼になりそうだったので、俺はそれだけ答えると、階段を下りていった。

 タッタッタッ
 長森と並んで道を走りながら、俺は尋ねた。
「で、茜はちゃんと大学に来てるのか?」
「うん。高校より授業が始まるのが遅いから、大丈夫みたいだよ」
「くっそぉ。来年を見てろよ、俺だって!」
「そうだよ〜。大体、浩平がちゃんと受験しないからいけないんだよ〜。浩平って頭いいくせに手を抜くんだもん」
 隣で、長森は口を尖らせた。
「一緒に大学、行きたかったのになぁ〜」
「なんだって?」
「なんでもないよっ!」
 その後は、お互いに何も言わずに走り続けた。

 予備校の入口で、ちょうど向こうから走ってきた住井と出くわした。
「おっ、今日も長森さんと一緒か」
「あっ、住井くん。おはよう」
 長森はにこっと笑って挨拶した。
「やぁ、長森さん。こいつも里村さんと付き合ってることだし、そろそろ長森さんも他の男に目を向けようって気にはならないの?」
 住井が言うと、長森はくすっと笑った。
「わたしなんて相手にしてくれる人なんていないよ〜」
「へ?」
「あ、こんな時間だ。それじゃ、浩平。ちゃんと授業受けるんだよ〜。住井くん、またね〜」
 腕時計をちらっと見て、ばたばたと走っていく長森。
 それを見送ってから、住井は俺に尋ねた。
「なぁ、長森さんは、本気で自分に声をかけてくる男はいないって思ってるのか?」
「ああ、そうらしいな」
 俺が答えると、住井はぐっと拳を握った。
「もったいない! 長森さんほどの娘が、既に彼女付きの、それもこんなしょうもない男に引っかかってるなんて人類にとっての損失じゃないかっ」
「誰がしょうもない男だ、誰が」
「おっと、時間だ」
 わざとらしく時計を見て駆け出す住井。俺はその後を追いかけた。
「待て、こらっ!!」

 とりあえず授業も終わり、俺達は予備校から出てきた。
「そういえば、今日は柚木先生見なかったな」
「ん、ああ。担当の授業がないからだろ?」
 俺は生返事をしながらも、なんとなく釈然としないものを感じていた。
 確かに、柚木の担当する授業は今日はないけど、あいつはこれまでなら、別に授業がなくても、毎日予備校に顔を出してたんだよなぁ。
 いつもなら気にもとめないだろうけど、さすがに昨日の今日だ。
「お」
 不意に住井が立ち止まると、俺の脇腹に肘打ちをきめようとした。
 俺はそれを両腕を交差させてブロックした。
「甘いな住井」
「ぬぅっ、やるなっ! ……ってのはいいとして、ほれ、お姫様がお待ちだぜ」
「ん?」
 言われてそっちの方を見ると、茜が両手で鞄を提げて、立っている。
 俺は住井の肩を叩いた。
「それじゃ、俺は青春を謳歌してくる」
「とほほ〜」
 がっくりとうなだれる住井をその場に残し、俺は茜のところに駆け寄った。
「よぉ。どうしたんだ? 待ち合わせは2時に駅前だろ? あ、そっか。待ちきれなかったんだな」
「違います」
「よしよし、それじゃさっさと行こうぜ」
「詩子、来てますか?」
「駅前に美味いたいやき屋ができたんだぜ。これがまた尻尾まであんこが詰まってるんだ……。へ?」
 茜の肩を抱きながら歩き出しかけたところで、俺は立ち止まった。
「柚木?」
「たいやき屋?」
 俺と茜の声がきれいに唱和った。
「茜、柚木に会いに来たのか?」
「本当に美味しいんですか?」
 一瞬間を置いて、また同時にしゃべる俺と茜。
「……」
「……」
 再び見つめ合う俺達。これじゃ、らちがあかない。
 俺は肩をすくめると、尋ねた。
「なぁ、柚木が……って、茜さん?」
「行かないんですか?」
 既に駅に向かって歩き出していた茜が、振り返った。
「だって、柚木と待ち合わせてたんじゃないのか?」
「たいやきの方が大事です」
 そう言い残して、すたすたと歩き出す茜。
 柚木。茜にとってお前の存在は、たいやきよりも軽かったようだな。哀れな奴よ。それに引き替え、この俺は……。
「おい、折原。里村さん走っていったけど、何かケンカでもしたのか?」
「何っ?」
 住井の声ではっと気づくと、茜の後ろ姿はもう小さくなっていた。
 ……俺の存在もたいやきよりも軽いのかっ、茜!
「しょうがねぇなぁ。それじゃ俺が里村さんを慰めて……」
「お前には無理だ」
 きっぱり言い切ってから、俺は茜を追いかけて走り出した。

 元々、茜が走る速度はそんなに速いわけじゃないので、俺はあっという間にその隣に並んだ。
「ひどいじゃないか、俺を置いていくなんて」
「……はい」
 茜はちらっと俺を見て、速度を上げた。どうやら、俺のために少し押さえ気味に走っていたらしい。
 とりあえずはそれで満足することにして、俺も茜に追随した。

 公園。
 紙にくるまれた熱々のたいやきをほおばりながら、上機嫌の茜だった。
 上機嫌って言っても、柚木みたいに「やった〜! 嬉しいっ」なんてやるわけじゃないが。
 そうそう。
「で、柚木に会いに来たって、何かあったのか?」
「……」
 視線だけをこちらに向けると、茜は無言だった。……もっとも、たいやきをほおばりながらしゃべるのは、茜のキャラクターじゃないよな。
 俺は、1匹目のたいやきを平らげると、2匹目に手を伸ばそうとしたが、茜の強烈な非難の視線を感じたのでやめた。紙を丸めて、くずかごに向かって投げる。
 結局茜がたいやきを食べ終わったのは、それから5分後だった。
 たいやきを包んでいた紙を丁寧に畳みながら、不意にボソッと言う。
「昨日、電話がありました」
「電話? 柚木からか?」
「……はい」
 頷くと、茜は俺に視線を向けた。
「昨日、詩子と映画を見に行ったそうですね」
「ああ。あいつが、券が余ったから一緒に行かない? なんて言うからさ」
「……」
 茜は俺から視線を逸らすと、空を見上げた。
「なぁ、あいつ、茜に何か言ったのか?」
「……浩平」
 不意に、茜は俺に向き直った。
「もし、他に好きな人ができたら、私に遠慮なんてしないでください」
「……へ?」
 あまりに唐突で、俺は一瞬何と言っていいのかわからなくなって、ぽかんと口を開けてしまった。
「な、何を……」
「私、もう大丈夫ですから……。私……」
 不意に、茜は俯いた。
「茜……」
 俺は立ち上がると、茜の頭を自分の胸に押しつけるように抱きしめた。
「柚木が何を言ったかは知らないけどな、俺は茜が好きだよ」
「……苦しいです」
 くぐもった声で言う茜。
「そ、そっか。ごめん」
 謝って、腕をゆるめようとした俺の腰に、茜の腕が回された。そのまま、ぐいっと引き寄せられる。
「茜……?」
 茜は、小さな声で言った。
「でも、……もう少し、このままでいてもかまいません……」
「そうか……」
 一人はベンチに座ったまま、もう一人は立ったまま。
 俺達は、奇妙な抱擁をしばらく続けていた。

To be continued...

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