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トントン
To be continued...
ノックの音がして、深山先輩が顔を出した。
「みんな、ちょっといいかしら?」
「なんだ? 次の異星人ズの出し物の相談か?」
「なによ、その異星人ズって?」
もそもそとぽてちを食いながら、七瀬が訊ねる。俺は胸を張って答えた。
「美男子星人とだよもん星人とあほあほ星人で、3人合わせて異星人ズだ」
「誰があほあほ星人よっ!」
「だよもん星人じゃないもん」
同時に二人から攻撃を受ける。それから、七瀬と長森は顔を見合わせて、同時に言った。
「それから、美男子星人って誰よっ!」
「俺だ」
「はぁ〜」
七瀬は、重々しくため息を付くと、長森にもたれ掛かった。
「瑞佳、あたしもうくじけそう……」
「七瀬さん、頑張って! 七瀬さんがあきらめたら、誰が浩平を更生させるのよ」
「うん、そうだね。あたし、頑張るわっ!」
「おい、俺は何者だ?」
「……はいはい、面白い面白い」
後ろで深山先輩がパチパチと手を叩いた。それから訊ねる。
「で、用件に入りたいんだけど、いいかしら?」
うーむ。さすが海千山千の元演劇部部長。一筋縄ではいかないようだ。
「すみませ〜ん。で、何でしょう?」
見るに見かねた様子で、長森が応対に出た。深山先輩は、訊ねた。
「今日、あなた達の予定ってどうなってるの?」
「えーっと、どうなってたっけ?」
振り返って七瀬に訊ねる長森。七瀬はうろたえる。
「えっと、えっと……」
「俺と愛欲の限りを尽くす予定だったんだな?」
「アホかっ!!!」
真っ赤になって怒鳴る七瀬。だが、それ以上追求してこないところをみると、当たらずと言えど遠からずってところか?
長森も苦笑して、深山先輩に向き直る。
「別にないみたいです」
「だったら、あたし達と一緒に行かない? この裏の山にハイキングに行こうと思うんだけど」
体力増強も兼ねてね、とつけ加える。
確かに、演劇部って、一見優雅に見えるが、意外と体力勝負なところがあるんだよな。
「はい、よろしければ」
にっこり笑って長森はうなずいた。それから、七瀬を振り返る。
「七瀬さんと浩平は、残ってる?」
「行くわよっ」
なぜ怒る、七瀬?
「俺は寝てる」
「浩平も行くのっ!」
また布団を広げようとした俺は、七瀬に蹴飛ばされた。
「繭は山登りに行く?」
「うんっ」
長森に、椎名は笑顔でうなずいた。
深山先輩はうなずいて、腕時計を見た。
「これで、全員参加、と。それじゃ、9時に正面玄関前に集合だから」
「はい、わかりました。何か持って行くものとかありますか?」
「大丈夫。それはこっちで用意しておくから」
深山先輩は、意味ありげにちらっと俺を見てから、身を翻した。
……ふっ、罪な男だぜ、俺も。
「布団を広げながら気どるなっ!」
……また蹴飛ばされた。
「……こういうわけね」
「よろしくねっ、折原君」
深山先輩は、にこにこしながら俺の肩をぽんと叩いた。
俺の前には、まるでヒマラヤ登山のシェルパの担ぐような大きなリュックがドンと鎮座している。
俺は、訊ねた。
「あの〜、もしかして、これって?」
「多分、あなたの予想通りよ」
「ぐわ」
思わず、うめき声を上げてしまう俺。
と、後ろから明るい声がかかった。
「浩平君が、私のご飯を運んでくれるんだって? よかったよ〜。山に登ってお腹が減ったらどうしようって思ってたんだよ〜」
「……ひん」
思わず泣く俺の頭を、澪が背伸びして撫でてくれた。
「澪、君っていい娘だなぁ〜」
俺が感動してると、澪はスケッチブックを広げた。
『がんばるの』
「はいはい」
俺はため息をついた。
「七瀬……。俺はもうダメだ。七瀬だけでも、行ってくれ」
「何を言うの、浩平っ! 馬鹿な事言わないでっ!」
「すまん……。幸せになってくれ……」
「浩平……」
七瀬は、悲しそうに言った。
「出発して、まだ5分しかたってないのよ」
「……くわ」
肩に、ずっしりと重みがかかる。
後ろから、深山先輩に手を引かれて歩いているみさき先輩が、すまなそうに言う。
「ごめんね〜。お昼には一生懸命食べて、軽くしてあげるよ〜」
「おう、期待してるぜっ」
「うん、任せてよ〜」
「……はうぅっ」
みさき先輩が元気いい分、俺の元気が吸いとられていくような気がする……。
くいくい
袖が引っ張られた。振り向くと、澪がスケッチブックを掲げている。
『がんばるの!』
「お、おう」
俺がうなずくと、今度は澪は俺の前に回って、引っ張り始めた。
……いや、嬉しいんだけど、袖が伸びるんだってば。
難行苦行の末(最後は澪に引っ張ってもらい、長森に押してもらい、と散々な有様であった)、やっと山頂についたのはお昼過ぎだった。
「風が、気持ちいいよ〜」
みさき先輩が、山頂を吹き渡る風に長い髪をなびかせている。
俺は、リュックをその場に置くと、しゃがみ込んだ。
澪が俺の顔を覗き込むと、ハンカチで額の汗を拭いてくれる。
「おう、サンキュー、澪。……ところで、七瀬、何してる?」
「なんでもないわよっ!」
タオルを片手に、七瀬はガックリ肩を落としていた。
「……ひんっ」
「七瀬さんっ、負けちゃだめだよっ! ふぁいとぉっ!」
「ありがと、瑞佳ぁ」
なにやら女の友情をしている七瀬と長森。なんのこっちゃ。
澪は、にこにこしながらスケッチブックを広げた。
『気持ちいいの』
「おう、そうだな」
俺がうなずくと、嬉しそうにうんうんとうなずく澪。
向こうの方で、みさき先輩が深山先輩に言っていた。
「雪ちゃん、浩平君が可哀想だから、はやくご飯にしようよ〜」
「みさき、ほんとうにそれだけ?」
「うん、それだけだよ。別に私がお腹が空いたから言ってるんじゃないよ」
くー
「……」
「……」
「えっと、えっと……」
みさき先輩は、顔を赤くして俯いた。
「……雪ちゃんの意地悪ぅ〜」
「あのね。まぁ、いいわ。それじゃお昼にしましょう」
深山先輩の言葉で、みんなでお昼ご飯を食べることになった。
俺達は、長森が敷いたビニールシートの上に、弁当を囲んで座った。ちなみに、弁当は旅館で用意してくれたらしい、プラスチックパックに入った幕の内だ。
と、俺は視線を感じて振り返った。
澪が、あう〜っという顔で俺達の方を見てる。弁当とスケッチブックで両手が塞がっていて、どうしようもないようだ。
「どうした、澪?」
俺が声を掛けると、なんだかあうあうとわたわたしている澪。
長森がにこっと笑った。
「きっと、一緒に食べたいんだよ。そうだよね、澪ちゃん?」
今度は笑顔になって、うんうんとうなずく澪。
「そっか。よし、来い来い」
俺は座っていた場所をずらして、澪の入る隙間を作ってやった。
澪はぺこりを頭を下げてから、靴を脱いでビニールシートにあがってくると、俺の隣にちょこんと座った。
「……ひんっ……」
ちょうど、間に割り込まれた形になった七瀬が、泣きそうな声を上げる。俺は苦笑した。
「泣くな、七瀬。お前には椎名がついてる」
「みゅ〜〜♪」
相変わらず、七瀬のおさげを引っ張りながら、笑顔でうなずく椎名。
「……瑞佳ぁ〜」
「浩平、ちょっとあんまりだよ〜。七瀬さん、私と場所代わる?」
澪とは反対側の隣に座っている長森が立ち上がる。
「……ありがと、瑞佳。……あ、でもやっぱりいいわ」
立ち上がりかけて、七瀬はまた腰を下ろした。
「えっ? どうして?」
「浩平、すぐ私のお弁当つまむから」
「ちぇー。七瀬の弁当楽しみにしてたのになぁ〜」
「みんな同じ弁当でしょうがっ!」
「けちっ」
「関係ないでしょっ」
憤然として、ドスンと腰を下ろす七瀬。
「……くわ」
「どうした、七瀬っ!?」
「……ひんっ」
涙を浮かべると、七瀬は座っている位置をずらした。七瀬が腰を下ろした場所には、ビニールシートを突き破って、尖った岩が顔を出している。
……不幸なやつ。
「大丈夫、七瀬さんっ?」
「こっ、この位大丈夫よっ」
「そうだな。七瀬のお尻は画鋲にだって耐えたんだ」
「嫌なこと思い出させないでっ。……ううっ」
泣きながらお尻をさする七瀬。
澪が、俺にスケッチブックを見せる。
『痛そうなの』
「そうだな。笑ってやれば、きっと七瀬も楽しくなってくれるぞ」
「なるかっ!」
傷ついた七瀬のおかげで、弁当を食い始めるのがすっかり遅くなってしまった。
俺は卵焼きをつまみながら澪に訊ねた。
「どうだ、美味いか?」
はぐはぐと食べていた澪は、俺に聞かれてこくこくとうなずいた。それから、にぱっと笑顔を見せる。
美味しいの、といったところか。
「よしよし。長森、その卵焼きくれ」
「うん、いいよ」
長森のも貰って食べる。うむ、美味だ。景色はいいし、風は気持ち良いし、何より重労働に勝る調味料無しと言うし。
「よし、今日の弁当は10点満点だ。ほめてやるぞ、七瀬」
「……あたしが作った時に言って欲しいんだけどな、それは」
ブツブツ言いながら、飯を頬ばる七瀬。
俺は弁当を食い終わると、入れ物を長森に渡して立ち上がった。
「さて、食い終わったし、腹ごなしに散歩に行こうか、澪」
うんうんとうなずく澪。
『一緒にいくの』
「お前らどうする?」
「お願い、休ませて」
うるうるしながら言う七瀬。どうやら、傷が癒えてないらしい。
長森も、ちょっと困った笑顔で言う。
「私は……この通りだから」
「すぴー」
その膝に頭を乗せて、椎名がすやすやと眠っていた。どうやら食後のお昼寝のようである。
「そっか。それじゃ行くか、澪」
うんうんとうなずくと、澪は靴を履いた。その後から俺も靴を履くと、一応深山先輩にも声をかけておく。
「深山先輩、俺と澪はちょっとそのへん散歩してくるわ」
「そう? えっと、2時くらいまでにここに戻ってきてね」
「おう。それじゃ、行くぜ」
うんうん。
というわけで、俺達は雑木林の間を散策していた。
と、目の前が不意に開けた。切り立った崖になっていて、はるか下の方に川が流れているのが見える。
「おっ。なかなかいい眺めだな。なぁ、澪」
うんうん
澪はうなずくと、わぁ、と景色を見回している。
と、不意にとことこと崖っぷちに駆け寄っていった。
「おい、澪。危ないぞ〜」
俺が声を掛けると、大丈夫〜、と手を振って、崖っぷちに立つと、下を覗き込んだ。それから、嬉しそうな顔をして振り返ると、手を振った。
どうやら、何か見つけたらしい。
「なんだよ、おい」
俺は苦笑しながら歩み寄った。
その時。
不意に突風が吹いた。
ゴウッ
崖の下から吹き上げる風。
崖に背中を向けて、こっちに向かって手を振っていた澪がよろめいた。バランスを崩して、後ろにひっくり返る。
そこには、もう地面はない。はるか谷底まで、何も。
「……!!」
声にならない悲鳴を上げ、澪の小さな身体はそのまま落ちていった。
「澪ーーーっ!!」
俺の絶叫が、崖の間にこだました……。