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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #2
俺と七瀬のハプニング・ジャーニー その7

 カシャッ
 いつものようにカーテンの引かれる音と、そして目の奥を貫く陽光。
「浩平っ! 朝だよっ、起きなよっ!」
「ん……」
「もう、早く起きないと朝ご飯食べてる時間、無くなっちゃうよ〜」
「長森〜、代わりに食べておいてくれぇ」
「もう、浩平無茶苦茶だよ〜。そんなことできるわけないよ〜」
 長森のうろたえている声がする。
 ……あれ?
 なんで長森が俺を起こしてるわけだ? 七瀬はどうした?
 ま、まさか……。

「やっぱり、駄目だよ〜、七瀬さん」
「そう。くっくっく。やっぱり浩平は、このあたし、ストリートファイト歴24年の七瀬留美が、七瀬流剣法で叩き起こすしかないってわけねっ」
 手に竹刀を持った七瀬がにやりと笑う。ちなみに、上下とも赤ジャージ着用である。
「まっ、待て七瀬っ!」
「くぉらぁっ、起きんかぁい!!」
 ビシィビシィッ
「痛い痛いぞっ!」
「たりねぇたりねぇ、気合いがたりねぇっ!!」

 ……。
「うわぁっ!!」
 俺は思わず跳ね起きた。どうやら布団をはごうとしていたらしく、端に手をかけていた長森が、びっくりして俺を見ている。
「わぁ、起きた」
「はぁはぁはぁはぁ……。あれ?」
 俺は、周囲を見回した。いつもの俺の部屋じゃない。
「長森、ここはどこだ?」
「浩平ったら、やっぱり寝ぼけてるんだもん。ここは、旅館だよ。旅館」
 そう言われて思い出した。
 そういえば、俺と七瀬は昨日旅行に出かけたんだよな。で、途中でみさき先輩や澪達、演劇部御一行様と逢って、そして旅館に来てみると、長森と椎名がいて……。
 で、みさき先輩と温泉に入ったり、そのあと七瀬と踊ったりしてたんだよな。うん。思い出した。

「ねぇ、あたしアホっ?」
 くしゃみをしながら、七瀬は俺に尋ねた。一通り気が済むまで踊った後、部屋に戻る途中だ。
「うー、すっかり湯冷めしちゃったよぉ」
「髪をちゃんと乾かさないからだろ」
「乾かす暇なかったのよっ」
 不機嫌に言う七瀬。ちなみに今は、濡れた髪を頭の後ろで無造作にくくった、いわゆるポニーテイルの出来損ないのような髪型だ。
「どうしてだよ?」
「そりゃ、その、浩平がどこかに行って戻ってこないし、それで気になって。あ、で、でも別にみさき先輩と仲が良さそうだったのが気になったとかそういうんじゃないからねっ!」
「気になってたんだろ?」
「はぅん……」
 俺の的確な指摘に、がっくりと肩を落とすと、七瀬は俺の前をとぼとぼと歩きだした。
 俺は肩をすくめた。
「七瀬」
「なによっ!」
「旅行から帰ったら、クッキーが食べたいな、とふと思ったんだが」
「クッキー?」
 七瀬は振り返ると、くすっと笑った。
「いいよ。また焼いてあげるね」
「ああ、頼むな」
 ちょうどそこで、俺達は部屋の前に着いた。
 俺がドアを開けると、ジャージ姿の長森と椎名がこっちを見た。
「あ、二人ともお帰り〜」
「おかえり〜」
「おお、椎名がまともなことをしゃべっているっ!」
 なんだか感動して、俺は椎名のあごの下をくすぐってやった。
「みゅ〜♪」
 気持ちよさそうに目を細める椎名。
「なんだ、結局みゅーだな、椎名は」
「みゅ?」
「さってと、寝るか」
 俺は大きく伸びをすると、不意に気付いた。
「あのさ、七瀬、長森」
「なに?」
「なによ?」
「俺達、一緒の部屋で寝るのか?」
「しょうがないでしょ? 4人部屋なんだから」
 七瀬が肩をすくめる。長森は困ったように笑った。
「ごめんね。宿の人に聞いたんだけど、今日は4人部屋しかなかったんだよ〜。明日になったら、変えてもらうから、今日は我慢してよ〜」
「いや、俺はいいんだが、お前らはいいのか?」
「?」
 きょとんとして顔を見合わせる長森と七瀬。
「いや、だからだな、年頃の男女が一つの部屋で一夜を過ごしたりしてだな、何か間違いでもあったらと……」
「……ぷっ」
 いきなり吹き出すか、長森。
「あははっ。もう、浩平ったら冗談ばっかりぃ。あ〜、可笑しかった」
「確かに浩平ってHだからね〜」
 腕組みして、七瀬がうんうんとうなずいた。長森が、興味津々という表情で聞く。
「そうなの?」
「そうなのよ〜。聞いてよ瑞佳。こいつったらね、初めてのときだっていきなりね〜」
「あ〜、そんなこと言うか七瀬。いいだろう。それじゃ初めての時のことを長森に聞いてもらって、どっちがHかを判定してもらおうじゃないか」
「えっ? ええーーっ? わたしにっ? そんな浩平も七瀬さんもいいのっ? わたしだよ、わたしっ! わたしなんかに話してもいいのっ?」
 真っ赤になってあわてふためく長森。
「いいから、落ち着け長森っ。それじゃ椎名に聞いて貰おうか?」
「みゅ?」
 きょとんとしている椎名。ま、椎名にこの手の話を振ったって、どうしようもないだろうな。
 こっちとしても椎名がいきなり
「そうね。今の話を聞く限りでは、七瀬さんの勘違いに乗じた浩平の方が、どちらかといえば性欲が勝っていた、と言うべきかしら。七瀬さんの方は、まだそれに憧れていた、という段階だったのに、強引な浩平によって無理矢理にされてしまった、という感もなきにしもあらずだわ。でも、最終的には七瀬さんのほうも受け入れたわけだし、第一七瀬さんが本当に嫌だったのならいくらでも方法があったのに、そこまで至ってしまったということは、やはり七瀬さんの方にも非はあったと認めるべきではないかしら」
 とか言いだすと、それはそれで怖いよな。うん。
「……もういい。あたしは疲れたから寝るわ」
 がっくりと肩を落として呟く七瀬。
「寝る? まぁ、H」
「誰がよっ!」
 ボフッ
 怒鳴り声と同時に枕が飛んできた。俺はそれを頭の下に敷いてそのままごろんと横になる。
「お休み〜」
「あっ、こらっ、浩平! あたしの枕返せっ!」
 七瀬の怒鳴り声を聞きながら、俺は気持ち良く眠りについた。

 すっかり思い出したところで、俺は長森に尋ねた。
「長森、七瀬はどうしたんだ? 結局枕が無くて放浪の旅に出たのか?」
「はぁ〜。もう浩平、七瀬さんをいじめちゃだめだよ〜。私が枕を貸して上げたからよかったけど」
「それじゃ長森は枕なしか?」
「わたしは大丈夫だよ。枕無くても眠れるもん」
 そう言ってから、長森は俺の向いの布団を指した。
「七瀬さん、まだ寝てるよ」
「何? 俺が起きたのにまだ寝てるとは、許されんやつだな」
「そんなことないよ〜。疲れてたみたいだから、ゆっくり寝かせてあげたほうがいいよ〜」
 俺は、とりあえず七瀬の寝顔を見に行った。考えてみると、七瀬の寝ているところなんて、授業中によだれを垂らしながら眠りこけているところしか見たことはない。
 すーすーすー
 なんだか幸せそうに眠っている。
「ほら、よく寝てるんだから、起こしちゃだめだよ〜」
「長森、サインペンないか?」
「サインペン? ボールペンならあるけど。……あ、駄目だよ、髭なんて書いちゃ」
 むぅ、長森め、付き合いが長いだけあって、俺の行動は読めるらしいな。
 と、七瀬がころんと寝返りを打つと、小さく呟いた。
「むにゃ……。浩平……」
 そう呟くと、にぃーっと笑顔になる七瀬。
「ほら、七瀬さん、きっと浩平の夢見てるんだよ〜。しばらく幸せにさせておこうよ〜」
 そう言って俺を引っ張る長森。……なんだか、それって目が覚めると辛い現実が待ってるんだよ、みたいな言い方だな、おい。
 ま、いいか。
「さ、早く顔洗って」
 そう言われて、時計を見る。……おい、まだ6時過ぎじゃないかっ!
「な〜が〜も〜り〜」
 俺がじろっと長森を見ると、長森は困ったように笑った。
「だって、早く目が覚めちゃって、他には誰も起きてこなくて、暇だったんだもん。それに浩平だって、たまには早起きした方がいいんだよ」
「……ったく」
 俺は肩をすくめた。長森は立ち上がる。
「早く顔洗おうよ〜」
「ちょっと待て」
 長森にそう言ってから、俺は身をかがめると、七瀬のほっぺたにキスした。それから顔を上げると、長森が真っ赤な顔で俺を見ていた。
「わっ、わわ〜っ、わわわっ」
「落ち着けって」
「だってだって、初めて見たんだもん。わぁ、わわわぁっ」
 真っ赤になったままうろたえまくる長森。俺は呆れて立ち上がった。
「ったく。長森の恋人になる奴が心配だぜ」
「えっ?」
 きょとんとする長森。俺は、バッグからタオルを出しながら、溜息をついた。
「おまえ、俺にあれだけ恋人作れ、恋人作れって言ってたくせに、自分のことは考えてねぇのか?」
「……」
 今度は黙り込む長森。……変な奴。
 俺は立ち上がると、外に出た。

 洗面所で顔を洗っても良かったんだが、せっかく温泉にいるんだから、俺は朝風呂としゃれ込むことにした。
 露天風呂は、ちょうど朝日が射し込んできたところで、昨日の夜とはまた違った風情がある。
 俺はぐるっと広い風呂場を見回した。……そこはかとなく期待してたのだが、あいにく誰もいなかった。
 半ばがっかり、半ばほっとして、俺は湯舟に浸かった。
 ふぅ……。
 昨日の晩はみさき先輩のおかげで、のんびりと風呂に入れなかったからなぁ。
 全身の力を抜いて、湯に浸かっていると、体中の疲れがすっと湯に溶けていくようで、なんとも心地よい。
 と。
 カラカラカラ
 引き戸の開く音がした。それも、俺が出てきた男性用更衣室とは違う方向から。
 これはっ!
 と、声が聞こえた。
「すみませぇ〜ん、誰かいらっしゃいますかぁ〜?」
 この声、長森?
「いませんねぇ〜?」
 ややおいて、長森がぺたぺたと歩いてきた。
 俺は湯舟に肘を付いて、片手を上げた。
「よう、長森」
「えっ? ええっ? こ、こ、ここっ、こっ、こ」
「……お前はにわとりか?」
「浩平っ! ど、どうしてどうしてっ!? 私ちゃんと女湯だよっ! 女湯なのにっ! うそでしょ〜っ!」
 慌てまくる長森。俺は苦笑した。
「どうやら、この露天風呂は中で男湯と女湯が繋がっているらしいのだ」
「ええーっ! そ、そんなの聞いてないもん! 絶対浩平だもん!」
「……おまえ、何言ってるかわからんぞ」
 と。
 シュルッ
 微かな音を立てて、長森が身体に巻いていたバスタオルが落ちた。
「……え?」
「……あ……」
 しかも、そのときちょうど風が吹いて、湯気が一瞬吹き払われた。
「きゃぁきゃぁきゃぁぁぁっ」
 その場にしゃがみ込む長森。それから、真っ赤な顔で俺の方を見た。
「浩平、見た?」
 俺は、ぐっと拳を握り締めた。
「俺はこの一瞬を青春のメモリーとして永久に心の奥に焼きつける事であろうっ!」
「そんなの焼きつけなくてもいいよ〜」
 半泣きになりながら、長森は俺に言った。
「いいから、タオル取ってよ〜」
「どれ」
 ザバッ
「きゃぁきゃぁきゃぁっ」
 俺が湯舟から上がると、また悲鳴を上げて、顔を手で覆う長森。
「なんだよ」
「だって、浩平裸だよ、裸っ!」
 あ。そうだった。
「やーん。長森のえっちぃ」
「だってだって見せたの浩平だよっ。あーん、いいからタオル取ってよ〜」
 俺は、バスタオルを取ると、長森に放り投げた。それから、更衣室の方に歩き出す。
「えっ? 浩平どこに行くの?」
「上がる。……っくしょん」
 盛大なくしゃみが出てしまった。バスタオルを身体に巻いてやっと落ち着いた長森が、くすっと笑う。
「ちゃんと暖まらないとだめだよ〜。私、出てるから……。くちゅん」
 そう言いながら自分もくしゃみをする長森。俺は肩をすくめた。
「一緒に入るか」
「……う、うん」
 躊躇ってから、長森は頷いた。

To be continued...

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