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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #2
俺とみさき先輩のハプニング・ジャーニー その6

 もやの向こう、オレンジ色のライトに照らしだされたみさき先輩の裸身は、艶っぽさを通り越して、神々しさまで感じられた。
 俺が、思わず言葉もなく立ちつくしていると、みさき先輩は不安そうな声をだした。
「あの、誰か、そこにいるんですよね?」
 そうか。見えないんだよな、みさき先輩は。
 このまま、何も言わずに行ってしまえば、俺が来たってことは知られないで済むだろう。
 でも、俺は、声を出した。
「俺だよ、みさき先輩」
「ええっ!? こ、浩平君っ!?」
 ジャバッ
 みさき先輩は、慌てて胸を腕で押さえて、その場にしゃがみ込んだ。それから、おそるおそる俺の方に顔を向ける。
「ど、どうして浩平君が来るんだよ〜」
「どうしてって、俺はちゃんと男湯に入ったぞ」
「私はずっと入っていたんだよ〜」
「……もしかして、男湯と女湯は中で繋がってるとかいうオチかっ!?」
「えー、聞いてないよ〜」
 俺だってそんなことは聞いてない。
「だいたい、何でみさき先輩がまだいるんだよ? もうとっくに上がったと思ってたぞ」
「気持ち良かったんだよ〜」
 おいおい。そうだとしても、もう1時間以上つかってるんじゃないのか?
 と、俺の来たほうから、ガラガラとドアの開く音がした。そして男の声。
「にしても、ラッキーだよなぁ。七瀬先輩に長森先輩って、去年の卒業生じゃ、人気ナンバー1とナンバー2だろ? その二人が来てるなんてさぁ」
「ああ。上月さまさまだなぁ」
 演劇部の男子部員達だな。……って、おい!
「おーのー」
 みさき先輩が小さく呟いた。
 まずすぎる。みさき先輩のすっぽんぽんを、俺はともかく、他の連中に拝ませる訳にはいかん!
 俺はキョロキョロと辺りを見回した。幸い、結構広いうえに、自然を意識してか、いくつも岩が置いてあったりして、隠れる場所には事欠かない。
「先輩、こっちだ」
 俺は、先輩の手を握って引っ張った。
「きゃっ」
 いきなり引っ張られて、バランスを崩した先輩は、そのまま小さな悲鳴を上げて、湯舟の中でつんのめる。
 とっさに、俺は先輩の身体を受けとめていた。
「……浩平君、何か当たってるよ〜」
 俺の耳元で、真っ赤になった先輩が囁く。
「えっと、それはだな……」
 なんとか適当な事を言おうとしたが、その前に演劇部員達の声が聞こえた。
「なんだ? 今女の声がしなかったか?」
「もしかして、誰か入ってるのか? ラッキー♪」
 ラッキーじゃねぇ!
 演劇部の男どもは、ジャブジャブと湯をかき分けて、こっちに来る。
 こうなったら……。
「先輩、ごめん!」
 俺は小さな声で言うと、先輩の頭に手をかけた。

 ジャバジャバ
「……あれ? 折原先輩じゃないですか?」
「おう。おめぇら、今来たのか? 惜しかったな」
「えっ?」
「さっきまでここに女子大生がいたんだが、俺がじっくり鑑賞してたら、悲鳴を上げて逃げていっちまった。あっはっはっは」
「いいなぁ〜。どんな娘でした?」
 いいから、早く行けって。
「そうだなぁ。ぼぉーーーっとしてて脳天気そうな女の子だったぞ」
 なにげに後ろに回している手の先から、藻掻くような気配が感じられた。やばい、限界かっ?
「ちぇ〜。行こうぜ」
「そうだな」
「じゃ、先輩、また後で」
「ああ、またな〜」
 そいつらが、湯舟から上がって、洗い場の方に行くのを見てから、俺は一息ついて、手を離した。
 バシャッ
「ひどいよ〜。死ぬかと思ったよぉ〜」
 みさき先輩が、湯の中から顔を出すと、俺に恨めしそうに言った。
「悪いな、先輩。でも、緊急事態だったから」
 あいつらが来るのを見て、俺はとっさにみさき先輩の頭を掴んで、お湯の中に沈めたのだ。我ながら、迅速かつ的確な対処だと思うのだが。
 みさき先輩は拗ねたように言った。
「それに、ぼーっとなんてしてないよ〜」
「聞こえてたんかい?」
「うん。水の中って音が良く聞こえるんだよ〜」
「いや、まぁ、それはいいけど、もう少し奥に移動しないと、今度こそあいつらに見つかるぞ」
「うん、そうだね」
 みさき先輩は頷くと、右手を俺の方に伸ばした。
「……え?」
「連れていって、くれるんだよね?」
 左腕で胸を押さえながら、俺を見上げるみさき先輩。さっき俺が沈めた弾みで、頭の上に結い上げていた髪がほどけて、みさき先輩の回りをゆらゆらと漂っている。
「浩平君?」
「あ、ああ。任せとけ。宇宙の果てまで逃げ延びてみせるぜっ」
 そう言いながら、俺はみさき先輩の右手を取った。
「それは逃げすぎだよ」
 くすっと笑いながら、みさき先輩は俺の手をぎゅっと握った。
「こっちだ、先輩」
 俺は、慎重に湯の中を歩き出した。立ってざばざば歩くわけに行かないので(そんなことしたら、あの連中がこっちを見ただけで気付かれてしまう)、中腰になってゆっくり進む。

 幸い、その後は演劇部の連中も俺に構うことなく、しばらく温泉に浸かった後「お先に〜」と口々に挨拶して出ていった。
 俺は、最後の一人が出ていったところで、ほっと大きく息を付いた。
「もう大丈夫だぜ、みさき先輩」
「本当? よかったよ〜」
 みさき先輩はほっとしたように笑顔をみせた。
「どきどきしたよ〜」
「俺もだ」
「そっか〜。それじゃおあいこだね」
「それより、もう上がった方がいいぞ。俺もそろそろ上がるから」
 っていうか、これ以上入っていたらのぼせそうだ。
「そうだね」
 みさき先輩はこくりとうなずいた。
「もう少し入っていたいけど、危ないものね」
「ああ。脱衣場、わかるか?」
「大丈夫だよ。私、一度通った道は忘れないんだ」
「そうなのか?」
 まぁ、みさき先輩がそう言うなら、大丈夫だろう。
「あ、浩平君」
「なんだ?」
「先に上がってよ〜。見られると恥ずかしいんだよ〜」
 赤くなって、みさき先輩は俯いた。
 考えてみると、俺もみさき先輩もすっぽんぽんのままである。やっぱり七瀬と違って本当の乙女は恥ずかしいものなのだろう。
「悪い。それじゃ、先に上がってるぜ」
 俺は、先輩にもわかるように、わざとジャバジャバと音を立てながら、湯舟を出た。
 脱衣場には誰もいなかった。誰か入ろうとしてたら妨害工作をして、先輩が上がる時間を稼がなければ、と思ってた俺は、少し拍子抜けしながら、浴衣を羽織った。

 カラカラカラ
 “女湯”と書いてあるのれんのかかったドアが開いた。俺は、寄りかかっていた壁から身を起こした。
「よ、先輩」
「あれ? 浩平君?」
 浴衣の上にどてらを羽織った姿のみさき先輩は、俺の方を見た。
「ああ」
「待っててくれたの?」
「心配でな」
 俺が言うと、みさき先輩は複雑な表情をした。嬉しそうな、拗ねているような。
「そんなに子供じゃないよ〜」
「まぁまぁ。それじゃ、行くか」
「……浩平君、優しいんだね」
「よせって」
 俺は苦笑した。そして、歩き出す。
 ……あれ?
 みさき先輩は、その場から動いていなかった。俺は振り返った。
「先輩?」
「優しすぎるって、残酷だよ」
 先輩は、暗い色の瞳をじっと俺に向けていた。見えないその瞳で、俺を見つめていた。
「私ね、浩平君のことが……」
 一旦言葉を切り、少し躊躇ってから、言う。
「好きだったんだよ」
 過去形。
「でも、浩平君が七瀬さんと付き合ってるって聞いて、よかったって思った」
 そう言って笑う先輩。
「本当は、とっても辛かったんだよ。苦しかったんだよ。……もう、何も見えないんだって知ったときと、同じくらい。だけど、もう大丈夫だよ」
 その頬を、雫が流れ落ちる。
「あ、あれ? ごめんねっ」
 慌てて、頬を拭う、みさき先輩。
「あはは、変だよね。この目、何も見えないのに、涙は出るんだね……」
「みさき……先輩」
 俺は、みさき先輩を抱きしめていた。
「ごめん、みさき先輩」
「浩平……く……、ううっ……」
 みさき先輩は、俺の胸に顔を埋めて、静かに嗚咽を漏らしていた。

 しばらくして、みさき先輩は顔を上げた。
「やっぱり、浩平君、優しすぎるよ。だから、甘えちゃうんだよ」
「そ、そうかな?」
 みさき先輩は、赤くなった鼻の頭をちょっとこすると、1歩下がった。
「ちゃんと七瀬さんにも優しくしてる?」
「まぁ、それなりに」
「それなりじゃ、駄目だよ。一番大切な人に、一番優しくしてあげなくちゃいけないよ」
 そう言うと、みさき先輩は歩き出した。俺と擦れ違いざまに、一言呟く。
「バイバイ」
「……」
 俺は、無意識にその肩を掴んで止めようとしかけた。でも、止めた。
 ……そうだよな、先輩。
「ありがとう」
 だから、俺はそう言った。
 みさき先輩は振り返って笑った。
「それじゃ、もうこの話はお終い」
「ああ」
 強い先輩。でも、その強さの裏にあるものは……。
 大丈夫だ。きっといつか、こんな俺より立派な人が、先輩を支えてくれる人が、現れるよ。
 だから、今は、笑っててくれ。
「行こうぜ、先輩」
「うん」

 トントン
 部屋をノックすると、がばぁっという勢いでドアが開いた。深山先輩がすごい勢いで顔を出す。
「みさきっ!?」
「ごめんね、雪ちゃん」
 みさき先輩が、頭を下げた。深山先輩はその後ろに立っていた俺に気付く。
「あ、折原君が送ってくれたの? ごめんね」
「いや。俺と話ししてたせいで遅くなったんだから、あんまりみさき先輩を怒らないでくれよ」
 そう言いながら、なにげに部屋の中を見ると、澪がじっとこっちを見ていた。と、俺の視線に気付いてぷいっと横を向く。
 ありゃ、すっかり拗ねてるみたいだ。
 しまった。後でなでなでしてやろうと思ってすっかり忘れてたな。
 ま、明日にでもなでなでしてやるか。
 俺は、深山先輩に頭を下げると、みさき先輩に向き直った。
「じゃあな」
 みさき先輩は、笑顔でうなずいた。
「浩平君。でも、いい友達には、なれるよね?」
「……そうだな。それじゃお休み」
 パタン
 ドアを閉める。中から深山先輩の声が微かに聞こえた。
「ちょっと、みさき、今のはどういうこと?」
 俺は、大きく息をついて、ドアを離れた。廊下を歩き、角を曲がる。
 そこに、七瀬がいた。
「浩平……、泣いてるの?」
「んなことねぇよ」
 七瀬の手を取る。
「七瀬、踊ろうぜ」
「えっ? あ、ちょっと、こんなところで?」
「ああ。こんなところで、だ」
「……もう、浩平って、いつもそうなんだから」
 そう言いながら、七瀬は俺に合わせてくれた。
 俺は、七瀬と踊りながら、心の中で、先輩に別れを告げていた。
 ……さよなら。先輩。

To be continued...

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