喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #2
俺と七瀬のハプニング・ジャーニー その5

 はぁはぁはぁはぁ
 俺は、ちらっと後ろを振り返った。
 くそぉ。七瀬のやつ、ぴったりと俺のスリップストリームにはいってやがる。最後の直線で俺を抜くつもりだな。
 そうはいくかぁっ!!
 更にスピードを上げる俺。だが、七瀬もスピードを上げ、俺から離れない。
「くっそぉ、七瀬っ、いい加減諦めろっ」
「ふ、ふんだっ! 負けるもんですかっ!」
 廊下を駆け抜ける俺達。
「ね、ねえっ」
「なんだよっ」
「あたし達、恋人同士、よねっ」
「なんだよ、今さら?」
「恋人、同志のっ、追いかけっこって、もっとロマンチックな、ものだと思ってたのにっ!」
「なんだよ、それ?」
「何がっ、悲しくてっ、全力疾走……。ひんっ」
 ……器用なやつ。全力疾走しながら泣いてやがるとは。
 しかし、俺はこういう無意味な事ほど燃えるたちなのだ。断じて七瀬に勝ちは譲るものかっ。
 トップスピードを保ったまま、コーナーに突入しながら、俺はしかし、その瞬間奇妙なデジャブーを感じた。
 いつか、こんなことが……。

 ごぉん

 次の瞬間、俺は誰かと思いきり衝突していた。
 ててて……。
 額を押さえながら、顔を上げると、そこには思った通りの光景が展開していた。
「ううっ、いたいよぉ〜。目がちかちかするよぉ〜」
 額を押さえてうるうるしていたのは、みさき先輩だった。
 俺は苦笑して立ち上がると、みさき先輩に話しかけた。
「よぉ、先輩。また、ぶつかっちまったな」
「えっ? あっ、浩平君?」
 みさき先輩は、俺だと知って拗ねたように口を尖らせた。
「ひどいよぉ〜。おでこぶつけたんだよぉ〜」
「悪い悪い」
 俺は謝りながら、みさき先輩を引っ張り起こした。
「で、なんだってこんなところを走ってるんだ?」
「うん。お風呂に行くんだよ」
 みさき先輩はにこっと笑った。さすが打たれ強いだけあって、もう回復したらしい。おでこは赤いが。
「にしたって、一人でなんて無茶だぞ……」
「大丈夫だよ。もう道は覚えたんだから」
「でもよ……」
 俺が言いかけたところに、後ろから声が聞こえた。
「あ、いたいた」
 振り返ると、深山先輩が駆け寄ってくるところだった。
「雪ちゃん!? もう、一人で行っちゃうから、心配したんだよ〜」
「心配したのはこっちよ! もう、みさきったら一人でさっさと行っちゃうんだから」
「でも、道は覚えたんだよ〜」
「……こっちは、全然違うわよ」
「……」
「……」
「あの、あの、あの……」
 俺と深山先輩にじーっと見つめられて、みさき先輩は小さくなって、ごめんなさいと言った。
 深山先輩は肩をすくめた。
「まったく。露天風呂って聞いただけで子供みたいにはしゃぐんだから」
「だって、広いお風呂って、楽しみなんだよ〜」
「わかったわかった。それじゃ行きましょう。折原君、ありがと」
「あ、いや」
「浩平君、まったねぇ〜」
 手を振って、去っていくみさき先輩の後ろ姿を見送りながら、俺は少し考えていた。
 みさき先輩が露天風呂に入る。そっかぁ。
「濡れ羽色の髪がしっとりとして、肌を滑る水滴のエロチシズム……」
「どあほうっ!」
 ばごぉっ
 いきなり後ろから殴られて、俺は我に返った。
「何をする、グレッグ七瀬」
「誰がグレッグよっ!」
 七瀬はプリプリしたまま、ずかずかと歩き去っていった。
 ……と、いかん。
「おのれ、七瀬。巧みな話術でごまかそうとしても、そうはいかんぞっ!」
「あっ、こら浩平、待てっ!!」

 やっと部屋まで辿り着き、俺はドアを開けた。
「長森〜、椎名〜、今帰ったぞぉ〜」
 返事がない。
「あれ?」
 椎名に引っ張られることを警戒してか、おさげをしっかり押さえながら、七瀬も部屋を覗き込む。そして、机の上を指した。
「ほら、浩平。書き置きじゃない?」
「くそぉ、だよもん星人め、書き置きとは味な真似を」
「わけが判らない事言わないでよ」
 七瀬は、ブツブツ言いながら部屋にはいると、書き置きを手に取った。
「二人とも、先にお風呂に入ってるって」
「そっか。それじゃ、しばらく帰ってこないな」
「そうね。さってと、あたしも風呂に入ろうかな」
 そう言いながら、自分のバッグを開く七瀬。
 俺は、もう既に布団が敷いてあるのを見て、とりあえずその上に寝そべった。そのまま、七瀬の後ろ姿を見る。
「♪ふんふん、ふふ〜ん」
 楽しそうに鼻歌を歌いながら、バッグをかきわけている七瀬。と、俺の視線に気付いたのか、振り返る。
「何よ、浩平?」
「いや、可愛いなと思ってさ」
 何の気なしに、思った通りの事を言う。と、七瀬はかぁっと赤くなった。
「なによ、今さら……。そんなこと言っても無駄なんだからねっ」
 そう言いながら、俯いてもじもじしている。うーむ、こうしてみると、悔しいが(なぜだ?)、女の子らしいと認めざるをえないなぁ。
「えっと、あの、ね」
 はにかみながら、七瀬は俺をちらっと見た。
「なんだ?」
「あのさ、浩平、……あ、そうだ。お風呂行こうっと!」
 いきなり立ち上がる七瀬。がくんとつんのめる俺。
「なんじゃそりゃ?」
「ベーだ。その手には乗らないもんね〜。ったく、すぐにHに持っていこうとするんだから、油断も隙もないわね〜」
「おい、俺はだなぁ……」
「じゃ〜ね〜!」
 そのまま、七瀬はたたっと駆け出していった。
 俺は思わず呟いていた。
「おーのー」
 妙にかん高い声で、しかも抑揚なく言うのがポイントである。
 しかぁし!
 俺はむくりと起き上がった。
 甘い、甘いぞ七瀬っ! その程度でこの折原浩平が挫けるものかっ!
 俺は、とりあえずバッグからアロハシャツを出して着用した。そして、サングラスをかけて、鏡を見る。
 うむ、別人に見えるな。変装は完璧。
 ……しかし、なんで長森のやつ、こんなものまで用意してるんだ?(忘れてる人も多いだろうが、その1を読めば判るとおり、俺の荷物はだよもん星人こと長森が用意してくれたものである)
 まあいい。あるものは利用させてもらうとしよう。
 俺は素速く行動した。

 匍匐前進し、茂みを掻き分けると、予想通りそこには湯気に包まれた露天風呂が広がっていた。
 ここに来るまでには、想像を絶する苦闘があったのだが、そんなものを書いても読む人はいないだろうから省略させてもらう。
「あっ、こらぁ、繭っ! ちゃんと肩までつからないとだめよっ」
「♪みゅ〜」
 長森が、椎名を湯につけている。
「はい、100まで数えるまで出ちゃだめだよ」
「みゅー、みゅー、みゅー」
 ……それで数えてるのか、椎名?
 洗い場の方で髪を洗っていた七瀬が振り返る。一瞬見つかったかと身をすくめたが、そうではなかったらしい。ストリートファイトからしばらく離れているうちに、腕が落ちたのか?
「瑞佳〜、ボディソープ持ってきてる?」
「あっ、うん。持ってきてるよ〜。貸して上げるね」
 ざば〜っ
 おっ、長森のやつ、なかなかいい身体付きじゃないか。俺に無断で何時の間にあんなに育ったんだ? 胸は七瀬よりはちょっと小さめだが、まぁ七瀬の方が全体的に大きいから、割合から言えばなかなかじゃないだろうか?
 しかし、何故に椎名が「みゅー」と七瀬の髪を引っ張らないんだろう? と、少し考えてから、俺は理解した。七瀬は髪を下ろしてるから、例のフェレット・テールになってないんだな。
「はい、どうぞ」
「ありがと。にしても、浩平にもまいるわよ〜」
 なぬ?
「また、浩平が何かしたの?」
 心配そうに訊ねる長森。七瀬はボディソープの泡を身体に塗りながら、肩をすくめた。
「廊下から部屋まで全力疾走よ。もう、こっちは腰に爆弾抱えてるってのに〜」
「爆弾?」
 ぎょっとする長森。あいつは馬鹿正直で、言葉をそのまま受け取るからなぁ。
「もしかして、いつも浩平が言ってること、ホントなの?」
「へ?」
「だって、浩平、この前言ってたよ。七瀬はここにくるまで世界中の戦場を駆け抜けてきた傭兵だったって」
 ばかっ! と思わず叫びかけて口を押さえる俺。
「……浩平……絶対殴る」
 ぐっと拳を握る七瀬。トホホ。
 俺は視線の方向を変えた。
 おっ、あっちには演劇部女子部員ご一行さまか?
 ちゃぷちゃぷ
「気持ちいいねぇ、雪ちゃん」
 結い上げた髪の上にタオルを乗せて、気持ちよさそうに目を閉じて、みさき先輩が言った。
「そうね。日頃の疲れも溶けてくみたい」
 こっちも気持ちよさげな深山先輩。
 うんうんと頷く澪。と、その目がふと俺を見た。
「……」
 視線がバッチリ合ってしまった。
「……!」
 思わず悲鳴を上げかける澪。俺は慌ててひとさし指を唇に立てた。いわゆる、静かにのサインだ。
「どうしたの、澪?」
 澪の様子がおかしいのに気付いて、深山先輩が訊ねる。
 ああっ、一巻の終わりかっ。
 俺は観念した。
 他の人はともかく、七瀬がただで済ますわけはない。
 澪は、一瞬だけ俺に視線を走らせ、それからふるふると首を振った。
「なんでもないの? そう」
 深山先輩はうなずくと、またみさき先輩と雑談を始めた。
 ……澪、なんていい娘なんだっ! あとでまたなでなでしてやるからなっ!
 俺が熱い視線を澪に送ると、澪は真っ赤になって湯の中にずぶずぶと沈んでしまった。

 とりあえず撤収してから、俺は今度は風呂に入ることにして、タオルを肩に掛けて露天風呂に入った。
 カラカラカラッ
 引き戸を開けると、湯気がもうっとする。
 そのもやをかき分けるようにして、湯舟のほうに近寄っていくと、誰かがいるのが見えた。
 演劇部の男子部員か誰かが入ってるのかな、と思って、俺は気にもせずに、そこらに転がっていた湯桶を掴んだ。湯を汲んで、肩からざばっとかける。
 ほどよい熱さだ、……などと思ったとき、不意に声が聞こえた。
「誰か、来たの?」
 その声に、俺は思わずその場に凍りついた。
 ザバッ
 お湯の跳ねる音。そして、ほのかなもやの向こうに白い裸身。
 そこにいたのは、みさき先輩だった。

To be continued...

 メニューに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く