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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #2
俺と七瀬のハプニング・ジャーニー その3

「さてと。みさき、それに澪も、そろそろ部屋に荷物を置きにいくわよ」
 深山先輩は、腕時計を見て、腰を上げた。
「えー? 私、もうちょっと浩平君とお話していたいんだよ〜」
 みさき先輩が言うと、澪もうんうんとうなずく。
 深山先輩は苦笑した。
「久しぶりで盛り上がるのはわかるけどさ、折原君にはちゃんとお連れさんがいるでしょ。それに、荷物ちゃんと片づけないと、夕御飯ん食べる暇も無くなっちゃうよ」
 夕御飯と聞いて、みさき先輩は困った顔をして、立ち上がった。
「それは困るよ」
「でしょ? ほら、さっさと行った」
「うん。澪ちゃん、行こう」
 そう言って、みさき先輩はバッグを片手にスタスタと歩き出した。
 ……って、おい!
 ドシィン
 止める間もなく、壁に激突するみさき先輩。思わず沈黙する一同。
 ややあって、みさき先輩は赤くなったおでこを押さえながら、涙目になって振り返った。
「ひどいよ〜、教えてくれたっていいのに〜」
 そうかぁ。みさき先輩が打たれ強いのはこういうことがよくあるからなんだな。
「もう。こっちよ、こっち」
 深山先輩がみさき先輩を肘に掴まらせて歩き出した。みさき先輩は一度振り返って笑顔で言った。
「またね、浩平君」
「ああ、またな、先輩」
 澪が、その後をあわあわと追いかける。と、振り返って、スケッチブックを広げて見せた。
 『またあうの』
「ああ、澪もまたな」
 俺が言うと、澪は笑顔でうんうんとうなずいて、また二人の後を追っていった。
 途端に、静かになるロビー。
 俺は七瀬に声を掛けた。
「どうだ、七瀬。そろそろ変身できそうか?」
 すると、七瀬はおでこに乗せたタオルの下から俺をジロッと見た。
「なんで変身なのよっ、浩平」
 どうやら、だいぶ良くなったらしい。
「……ううっ、またプランが台無し……」
 なにやらブツブツ言いながら、身体を起こす七瀬。
「おい、まだ横になってた方がいいんじゃねぇか?」
「横になるんなら、部屋でなってた方がいいわよっ!」
「そうか? ロビーで横になってると、みんなに見てもらえるぞ」
「見てもらえなくてもいいわよっ!」
 小さな声で怒鳴ると、七瀬は立ち上がった。一瞬ふらつくところを気力で持ちこたえると、カウンターに歩み寄る。
「済みません、予約していた七瀬です」
「は、はぁ……」
 カウンターの中にいた仲居さんは、ちょっと困った顔をしてうなずく。まぁ、あれだけ散々騒いでおいて、いまさら「たった今着いたんです」みたいな事をされても、対応に困るだろう。
 それでも宿帳を出して、チェックしてくれた。
「七瀬さんですね。お部屋は、4階の梅の間になります。ご案内いたしますので」
「ありがとうございます」
 ぺこりと馬鹿丁寧に頭を下げると、なぜか気分良くなったらしく、七瀬は鼻歌混じりに俺の所に戻ってきた。
「やっぱ、旅行ってのはこうでなくっちゃね。見知らぬ土地で、知ってるのは一緒に旅をしてる人だけ」
「さっき、みさき先輩や澪や……」
「忘れて」
 一瞬じろっと俺を見る七瀬。
 どうやら、七瀬は旅をしてる間くらいは日常から離れたいらしい。俺としては、変わらない日常こそが素晴らしいと思うんだが、まぁこいつが非日常を望んでいるなら仕方ないな。

「こちらのお部屋です」
 仲居さんはそう言って、ドアの前まで俺達を案内した。そして、そのドアをノックする。
「すみません」
 ……なぜノック?
 俺達は顔を見合わせ、そして次の瞬間、あごをかくんと落とした。
「はぁい」
 聞き慣れた声がして、ドアが開くと、そこからだよもん星人が顔を出したのだ。
「なっ、長森っ?」
「瑞佳っ!?」
 俺達が思わず声を揃えて叫んでいる間、長森は平然と仲居さんと言葉を交わしていた。
「お連れさんがお着きになられましたので、ご案内してきました」
「ありがとうございます」
「それじゃ、ごゆっくり」
 仲居さんが板張りの廊下をパタパタと歩き去ってから、長森は笑顔で俺達に言った。
「随分遅かったね。心配しちゃったよ〜。あ、疲れたでしょ? さ、入って入って」
「お、おう」
 俺は、長森の脇をすり抜けて部屋に入った。そしてバッグを畳に置くと、振り返った。
「七瀬?」
「七瀬さん?」
 長森も振り返る。
 七瀬は、ずるずるとそのまま崩れ落ち、廊下にペタンと座り込んだ。そのままうつろな目をしてブツブツ呟く。
「……必殺のプランが、非日常のアバンチュールが……」
「七瀬? なっなっせぇ〜」
 返事がない。ただのしかばねのようだ。
 と。
 ぐきぃっ
「ぎゃぁぁぁぁっ!!」
 いきなり悲鳴を上げて、七瀬は復活した。
「みゅー
「おっ、椎名じゃないか」
 俺が声をかけると、七瀬のおさげを引っ張っていた椎名は、俺の方に視線を向けて、笑った。
「みゅー」
「もしかして、長森が連れてきたのか?」
「うん。たまには旅行もいいかなって」
「みゅー
「いいから離せぇっ!」
 必死になって、椎名の手からおさげを奪回すると、七瀬は涙ぐんだ。
「もう、めちゃめちゃよぉ……。って、ぎゃぁっ!!」
「みゅーみゅー
 今度は両方のおさげを引っ張る椎名。隙を見せるからだ。
 ああ、それはそうと。
 俺は向き直った。
「さて、長森。説明してもらおうか?」
「ほら、繭も離した方がいいよ。七瀬さん、痛いって」
 ぶんぶん
「こらっ、離してよっ」
「みゅー」
「みゅーじゃないっ!」
 ……俺は無視されていた。寂しい。

「みゅー
「ううっ」
 椎名におさげを占領されて、泣きながら荷物整理をする七瀬を放って置いて、俺は長森に尋ねた。
「で、どうしておめぇらがここにいるんだ?」
 俺が訊ねると、長森は「えっ」という顔をして、七瀬の方に視線を向けた。
「七瀬さん、浩平に話してなかったの?」
「何をよ?」
「私達のことだよ。私は繭を迎えに行くから、後から行くよって」
「……は?」
 きょとんとする七瀬。長森は長森で、なぜか焦ったように、言った。
「七瀬さん、私達も一緒に行きたいって言ったら、いいよって言ったよね?」
「……は?」
 さらにきょとんとする七瀬。
 俺は、ため息を付いた。
「七瀬。お前、舞い上がって長森の言うこと聞いてなかったんだろ?」
「えっ? そ、そうかな? あはは〜、ってぎゃぁっ!」
「みゅー
「引っ張らないでって言ってるでしょっ!」
 楽しそうな七瀬と椎名を放っておいて、俺は長森に向き直った。
「七瀬は知らないらしいぞ」
「でも、ここ2人部屋じゃなくて4人部屋だもん。だから、七瀬さんはちゃんと聞いてたんだよ〜」
 長森は言い張った。俺は念のために訊ねた。
「長森、もしかしてここを予約したのは?」
「私だよ。七瀬さんがお願いっていうから」
「……」
「……」
 と。
 トントン
 ノックの音がした。弾かれたように長森が立ち上がって返事をした。
「はぁい」
「深山だけど、折原君いる?」
 ドアを開けて、深山先輩が顔を出した。そして部屋の様子を眺めて、曰く言い難い顔をした。
 俺はため息混じりに立ち上がった。
「何でしょ?」
「ああ、折原君。夕御飯は部屋で食べるの?」
「長森、どうなってる?」
「食堂に食べに行くつもりだけど……」
 長森は答えた。俺は振り返る。
「だそうだ」
「それなら、私達と一緒に食べない? 一応、大広間を貸切で夕食を取ることにしてるんだけど、せっかくだから」
「この赤い扉を開けるぜ?」
「……は?」
「いや、気にしないでくれ。長森はどうだ?」
「?」
 きょとんとする長森。そういえば、長森と深山先輩って初対面だっけ?
 俺は再び向き直ると、うなずいた。
「男なら、やってやれだ」
「なんだかよくわからないけど、オッケイなのね。それじゃ、5時半くらいに1階の大広間の方に来てちょうだいね」
 そう言い残して、深山先輩は、もう一度部屋の中を見回してから、去っていった。
「浩平、どういうこと?」
「うん。話せば長いことながら、45億年ほど前に地球が誕生してだな」
「さかのぼりすぎだよ〜」
 長森が苦笑しながら言った。困った奴だ。
「じゃあ、簡潔に説明するとだな、夕飯を一緒に食わないかという誘いを受けた訳だな」
「それくらい判ってるもん。さっきの人、浩平の知り合いなの?」
「ああ。俺達の一つ上の深山先輩。元演劇部の部長だ」
「それならそうと言ってよ〜。私、浩平がナンパしたのかと思って焦っちゃったよ〜」
「あのなぁ……」
 呟いて、ふと七瀬の方を見ると……。
「ううっ、二人っきりの夕食のはずだったのに……」
「みゅー
 まだ、楽しそうに椎名とじゃれあっていた。

 大広間に俺達が着くと、もう演劇部員はみな集まっていた。深山先輩が、俺達を手招きする。
「あ、来た来た。こっちこっち」
「すみません、お邪魔しまぁす」
 長森がぺこっと頭を下げる。さすが気配り万全、一家に一台のだよもん星人だ。
 深山先輩が俺達をさして、他の部員達に説明する。
「彼は、みんなも知ってるとおり澪の面倒をちょっとだけ見てくれた折原君と、そのクラスメート。たまたま、旅行中で同じ旅館に泊まってるって話なので、一緒に夕食を食べましょうってことで来てもらいました」
 パチパチパチ
 なぜか起こる拍手。深山部長は俺に視線を向けた。
「さ、折原君から、自己紹介して」
「あ、ども、折原です」
 そう言って、俺はそそくさと座った。隣にいた七瀬がペコリと頭を下げる。
「七瀬留美です。よろしくおねがぐぇっ……」
 演劇部員には男子部員もいるので、いつも通り乙女モードで行こうとにこやかに挨拶しかけた七瀬だが、いきなりかくんと後ろにのけぞった。
「みゅー
 例によって例のごとく、後ろから椎名が七瀬のおさげを引っ張ったんだ。
 慌てて止めに入る長森。
「だ、だめよっ、繭っ」
「ほえ?」
「あっ、えっと、あの、長森瑞佳ですっ。そして、この娘は椎名繭です。ほら、繭、おじぎ、おじぎ」
「みゅっ?」
「いいから」
 長森は椎名の頭を押してさげさせると、自分もペコリと頭を下げた。
「さて、それじゃ食事にしよっか」
 深山先輩が言うと、歓声が上がった。
「待ってたんだよ〜
 ……誰の歓声かはあえて言うまい。
 ちなみに、料理はというと、刺身から鍋からいろいろとあるいわゆる宴会セットだ。うん、なかなか美味そうである。
 普段から貧しい食生活に慣れ親しんでいる俺としては、こういう機会を逃すわけにはいかん。というわけで、とりあえず隣の七瀬の前にある鯛の刺身を箸で摘む。
「あーっ、浩平、刺身取ったぁ!」
「証拠はないぞ」
「この目で見てたわよっ!! 楽しみにして、とっといたのに〜」
 ブツブツ言う七瀬。俺は舌打ちした。
「ったく、いやしい奴だ」
「どっちがっ!」
「もう、浩平ったら、あいかわらず無茶苦茶なんだからぁ。はい、七瀬さん。私のあげるよ」
 長森がそう言いながら、自分の前の刺身を七瀬の皿に移す。
「ごめんね、瑞佳」
「ううん。浩平と付き合ってくれてるんだもん、感謝しなくちゃいけないのはこっちだよ」
 ……長森、お前は俺の保護者か?
 と。
 バシャァッ
 いきなり俺の背中が猛烈に熱くなった。
「どわぁりゃぁぁっ!!」
 俺は慌てて振り返った。横でぼそっと七瀬が「いい気味だわ」と呟くのが聞こえた。あとで七年殺しだ。
 思った通り、そこでわたわたしていたのは澪だった。どうやら、鍋をひっくり返したらしい。
 って、マジ熱いって!
 慌てて俺は立ち上がると、廊下に飛び出した。そこでジャケットを脱ぎ捨てる。
「浩平、大丈夫? ほら、これで拭いて」
 長森が慌ててタオルを持ってくる。そのあとから、さらに澪がタオルを5枚くらい持って飛び出してくると、俺の背中をぐしぐしと拭き始めた。
 俺は顔を上げて、訊ねた。
「……七瀬、何をしてるんだ?」
「何でもないわよっ!」
 七瀬は憤然として言うと、手にしたタオルを俺に投げつけて、戻っていった。
 おろおろと、俺と七瀬を見比べる澪。一方、長森は溜息混じりに呟いた。
「……七瀬さんに、悪いことしちゃったかな……」

To be continued...

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