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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #2
俺と七瀬のハプニング・ジャーニー その2

 プルルルルルル
『間もなく2番線より列車が発車いたします。ご乗車の方はお急ぎください。かけ込み乗車は危険ですのでおやめください』
 ベルとアナウンスの鳴り響く中、俺と七瀬はエスカレーターを駆け上がり、プラットホームに飛び出した。
「ドアは!?」
「あっち!」
 七瀬が、空いているドアを指した。俺はうなずき、2つの鞄をまとめて右手に持つと、左手で七瀬の腕を掴んだ。
「行くぞっ!」
「うんっ!」
 俺達はダッシュして、ドアの中に飛び込んだ。その直後、ドアが閉まり、列車はゆっくりと動きだした。
「ふぅ。なんとか間に合ったな……」
「あ、あれあれっ?」
 へたりこみかけていた七瀬が、慌てて立ち上がる。
「どうした?」
 訊ねると、七瀬は泣きそうな顔を俺に向けた。
「……列車の進んでる方向、逆……」
「なにぃっ!?」
 思わず飛び上がりかけて、俺は七瀬に訊ねた。
「で、どこに向かうつもりだったんだ?」
「……はうぅぅ……」
 今度こそ涙ぐみながら、七瀬は自分のバッグを開けて、中から旅行ガイドを出した。
 ふむ、温泉か。さすが七瀬、いいポイントを知ってるな。
「ま、そう泣くな。次の駅で降りて、乗り替えれば済むだろ」
「でも、せっかく指定席取ってたのに……」
「自由席でもいいじゃねぇか」
 慰めると、俺は立ち上がった。そこにアナウンスが聞こえてきた。
『ご乗車いただき、ありがとうございます。当列車は特急です。次の停車駅は〜』
「特急!?」
 俺と七瀬は顔を見合わせた。それから、俺はおそるおそる、ドアの上にある停車駅一覧表を眺めた。
「……七瀬、次に止まるのはいくつ先の駅か、聞きたいか?」
「ひーん」
 ……なんとも情けない旅立ちではある。ま、俺と七瀬じゃ、こんなものかな。

 特急の停車駅でしばし待ったあとで、ようやく正しい方向に向かう特急に乗り込んだ俺達が、出発した駅を通り過ぎる頃には、時計の針は11時を過ぎていた。結局2時間のロスってことになるわけだ。
 七瀬は不屈の闘志で復活を果たし、今は俺の隣の席でスケジュール調整に余念がない。
「えっと、ここには行けないから、代わりにここに行って、とするとここはパスして……」
「おーい、七瀬さ〜ん。あそぼ〜よぉ」
「うるさいっ!」
 一言怒鳴られて終わってしまった。……寂しい。
 仕方なく、俺は車窓の向こうを流れていく風景を眺めていた。
 5月、新緑の季節。
 目に痛いほど濃い緑に彩られた、山の風景。
 茶よりも緑が目立つようになってきた、田んぼの風景。
 これだけは変わり様が無く、灰色のままの、町の風景。
 それらが次々と、目の前をかすめ、過ぎていく。

「……い、浩平っ!」
「ん……?」
 身体を揺さぶられて、俺は目を開けた。どうやら眠ってしまっていたらしい。
「なんだよ、なが……七瀬」
 うーん。未だに起こされると、とっさにあいつの名前が出かかる。習性とは怖ろしいもんだ。
 七瀬は、一瞬だけ表情を固くするが、すぐに笑みを取り戻す。最初の頃は色々と思うところがあったらしいが、最近はもう「いつか私の名前を呼ばせてみせるんだから」と割り切ったらしい。
「もうすぐ着くよ」
「そっか。ふわぁ〜」
 俺は、固い座席の上で、大きく伸びをした。それから訊ねる。
「で、プランは固まったか?」
「うんっ」
 にこにこしている。これは会心のプランが出来たのか?
「よしよし、偉いぞ七瀬」
 俺は誉め言葉の代わりに、七瀬のほっぺたを両手でふにぃっと引っ張った。
「ふぁ、ひゃめふぇよ、ふぉふぃふぁふぁぁ」
 おお、意外と伸びるな。これは面白い。
 ふにふにふに〜。
「ふぁのふぇ、ふぉふぃふぁふぁ、ひゃへふぇ……」
 ふにふに……。
「ふぁふぇんふぁぁっ!!」
 ボガァッ
「……痛い」
「あたりまえよっ! うー、ほっぺたが伸びたぁ〜」
 引っ張りすぎて赤くなったほっぺたを押さえて、七瀬は俺をじろーっと睨む。
 俺は頭を押さえながら、言った。
「七瀬、トンガの方では、下ぶくれの方が美人なんだぞ」
「ほんと?」
「嘘」
「……ねぇ、もう一回殴ってもいい?」
「痛いからいや」
「はぁぁ」
 七瀬は、座席の間で身体を折り曲げて、深々とため息をついた。
「なんだってこんなやつのことを……。七瀬留美一生の不覚だわ〜」

 そんなふうに楽しい会話をしながら、俺達は列車を乗り継ぎ、終点で降りた。
 既に半分山の中にある小さな駅舎を出ると、俺は大きく息を吸い込んだ。
「ふぅー、いい空気だ」
「ほんと」
 俺の隣で、七瀬も深呼吸する。俺はそんな七瀬をじっと見ていた。
「な、なによ」
 ちょっと赤くなって俺の方を見返す七瀬。
「いや、こういう風景に七瀬って似合うなって思ってさ」
「ちょっと、やだ。誉めても何も出ないわよ」
 さらに赤くなると、はにかむように俯く七瀬。
 俺は大きく両手を広げた。
「タイトルはこうだな。『七瀬自然に還る』」
「……どういう意味よっ!」
「ここからはバスか?」
「そうよっ!」
 なぜか怒ったように答えると、七瀬はそのままずかずかと歩いていった。

 バスに揺られること1時間半。俺達はひなびたバス亭の前に辿り着いた。
「七瀬、大丈夫か?」
「……う、うん」
 青い顔をして、七瀬はその場にしゃがみ込んだ。ここにくるまでの山道ですっかりバスに酔ってしまったらしい。
 俺はその背中をさすってやった。
「吐けば楽になるぞ、七瀬」
「だめ……。こんなところで、吐くなんて出来ない……」
 相変わらず乙女を追求している七瀬としては、それは出来ない相談らしい。……べつに乙女だって吐くときは吐くと思うがなぁ。
 旅館まで行けば、トイレで吐いてこい、と行かせることもできるんだが、その旅館までは、ガイドによるとさらに30分くらい歩くらしい。七瀬のこの様子じゃたどり着けないぞ。
 俺は辺りを見回したが、ジュースの自販機も何もない。せめて何か飲ませてやろうと思ったが、これじゃなぁ。
 と。
 俺達の来た方向から、小さなバスが走ってくるのが見えた。10人くらいしか乗れないマイクロバスだ。
 この道の先には、俺達が行く予定の旅館しかないはず。
 乗せてもらおう。緊急事態だしな。
「七瀬」
「……」
 無言で俺を見上げる七瀬。
 俺は悲壮な決意をたたえ、七瀬の手を握った。
「少しの間、一人でも頑張れるな?」
「……浩平は?」
「七瀬を救うために、努力してみる」
 そう言うと、俺は立ち上がった。そして、道の中央に進み出ると、大きく手を振った。
「こっちだ、越前!!」
 キキーッ
 マイクロバスは俺の目の前で止まった。運転手が顔を出す。
「どうした、若いの?」
「すまん。急病人なんだ。この先の旅館まで乗せていってくれないかな?」
 と、運転手が答えるより先に、別の顔が窓から出てきた。
「誰かと思ったら、折原くんじゃない?」
「えっ? 浩平君?」
 聞き覚えのある声がした。
 プシュー
 空気の抜けるような音がして、マイクロバスのドアが開き、長い黒髪の女の子が降りてきた。
 その姿には、見覚えがあった。
「……みさき先輩」
 俺の言葉に、彼女は俺の方に向き直った。そして、冷たく暗い瞳に、暖かな笑顔を乗せて、微笑んだ。
「久しぶりだね、浩平君。逢いたかったよ〜」
「ほんとに……。でも、どうわぁっ!」
 いきなり袖を引っ張られて、俺はひっくり返りかけた。懐かしい感触。
 そっちを見ると、思った通り、小柄な少女がにこにこ笑いながら、俺の袖をしっかり掴んでいた。
「澪! 元気だったか!?」
 思わず声を上げる俺に、澪はうんうんとうなずいた。
 そこまできて、俺はやっと、最初にバスから顔を出した女の子のことを思い出した。
 演劇部の部長、いや、元部長にして、みさき先輩の親友の深山先輩じゃないか。
「どうしたの?」
 みさき先輩は、小首を傾げた。俺は苦笑した。
「いや、澪と感激の再会を果たしてたところだ。な、澪?」
 澪はこくこくとうなずくと、スケッチブックを開いた。
 『うれしいの』
「そっかそっか」
 俺は澪の頭をぐりぐりと撫でてやった。と、深山先輩がバスから降りてくると、俺に言った。
「ところで、あのバス停で苦しんでる娘って、あなたのお連れさんじゃないの?」
 あ。忘れてた。
 俺は慌てて七瀬のところに駆け戻った。
「七瀬っ! しっかりしろっ!」
「あたし……もう疲れたよ」
 気弱な表情をする七瀬。
「助けが来たぞっ! もう少し頑張るんだ!!」
 澪がパタパタと駆け寄ってくると、七瀬の顔を見て、慌ててバスに駆け戻っていった。それから、深山先輩を引っ張ってくる。
「ちょっと、あなた、大丈夫なの?」
「うう……」
 深山先輩は七瀬に声をかけるが、なにせ本人は既に死にかけである。結局俺に訊ねた。
「彼女、どうしたの?」
「バスに酔ったらしい。というところで、旅館まで乗せていってくれないか?」
「旅館? もしかして、湯野里旅館?」
「だったっけ、七瀬?」
 振り返ると、七瀬は既に死人のような顔色になっていた。かなりやばそうである。
 深山先輩も、緊急事態と理解してくれたようだ。
「とにかく乗りなさいよ」
「サンキュ!」
 俺はグッタリと動けなくなっている七瀬をかつぎ上げた。
「しっかりしろ、七瀬! 傷は浅いぞっ!」

 とりあえず旅館に着いたところで、俺は出迎えに出てきた仲居さんにトイレを教えてもらい、七瀬はあやうく“理想の乙女”を守りぬくことができた。こいつの根性にだけはいつもながら敬服する。
 そのあと、濡れタオルを額にあてて、七瀬がロビーのソファでぐたっとのびている間に、俺は深山先輩から話を聞いていた。
「そういえば、俺も見覚えのある連中が多いようだけど、もしかして演劇部関係の合宿か何かなのか?」
「慰安旅行よ」
「慰安? 何の慰安だ?」
 俺が訊ねると、深山先輩は呆れたような顔をした。
「あんた、まさか同じ学校で、あれだけ澪をかまってたくせに、知らないとか言わないわよね?」
「あ、えっと」
 ここ1年近くのことは良く知らないのだが、そう言うわけにもいかずに困っていると、みさき先輩が横から口を出してくれた。
「澪ちゃん、すごくがんばったんだよ〜。去年の高校演劇コンクールで優秀賞取ったんだよ〜」
「そうなのか?」
 俺が訊ねると、澪はにこにこして、こくこくと頷いた。ちなみに澪は、ロビーに来てからずっと俺の腕にしがみついている。
「そっか。偉かったな、澪」
 そう言って撫でてやると、澪は嬉しそうに微笑んだ。
「で、ゴールデンウィークを使って慰安旅行ってわけか。でも、深山先輩は今年、じゃねぇ、去年卒業したんだろ? それにみさき先輩なんて演劇部とは関係ないじゃないか」
「浩平君、ひどいよ〜」
 みさき先輩は拗ねて口を尖らせた。深山先輩が苦笑する。
「あたしは、澪がどうしても来て欲しいっていうから」
 澪がスケッチブックを出すと、マジックで何やら書いて俺に見せる。
 『おせわになったもの』
「なるほどな」
 澪が最初に演劇部に入ったときの部長が、深山先輩だった。言ってみれば、澪の才能を最初に見抜いた人である。澪にとっちゃ恩人ってわけだよな。
「で、せっかくだからみさきも誘ったわけよ」
「うん。雪ちゃんに誘われたんだよ。でも、浩平君と逢えるなんて思ってなかったよ」
 みさき先輩は、暖かい微笑みを浮かべた。
 みさき先輩も、澪も、あの頃と変わってない。
 俺は、それが嬉しかった。

To be continued...

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