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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #2
俺と七瀬のハプニング・ジャーニー その1

 カシャァッ!
 いつものようにカーテンの引かれる音と、そして目の奥を貫く陽光。
「ねぇ、おきてよぉ」
「ん……」
 俺は、心地よい朝の眠りを……。
「起きてってばぁ……。はぁん、起きないよぉ。どうしよう……」
「むぅ?」
 俺は薄目を開けた。
 思った通り、七瀬だった。俺が起きないもんだから、おろおろと狼狽えている。と思うと、パタパタと部屋から出ていった。
 ……あきらめたのか?
 と思ったら、パタパタと戻ってきた。そして、いきなり頭の支えが無くなる。
 むぅっ、息が……苦しい……。
「ぶはぁっ」
 俺は、やっとのことで、顔に押しつけられた枕から逃れて、息をついた。
「やっぱり、瑞佳の言う通りにしないと起きないのよね、折原は」
「七瀬か……」
 俺はそのまま、パタンと倒れる。
「わっ、こら折原っ!」
「寝かせろ」
「ダメだって!」
「ぐー」
 ボコッ
「殴るよ、ぐーでっ!」
「殴ってから言うなっ」
「あは 起きた起きた」
「……お休み」
「寝るな〜っ!!」

 俺が朝飯代わりのパンを牛乳で流し込んでいる隣で、七瀬は何やら涙ぐんでいた。
「くすん。やっぱり瑞佳には勝てないのかなぁ……」
「無理するな、七瀬。お前と長森じゃ年季の入り方が違う」
「でも、七瀬さん、すごい上達だよ。私なんて起こせるようになるまで1年くらいかかってたもん」
「そうそう……。って、なんで長森がここにいるっ!?」
 俺は、リビングのソファにすまして座っている長森に、ぴっと指を突きつけた。
 長森は七瀬と顔を見合わせた。
「ほら、忘れてる」
「やっぱり」
「ちょ、ちょっと待て。今思い出すから」
 このままじゃ何だか悔しいので、俺は頭を押さえて考え込んだ。

 俺が無事にこっちの世界に帰還してから、はや2ヶ月あまり。世間じゃ5月だが、帰ってみると浪人生になってた俺にはあんまり関係がなく、勉強に明け暮れる毎日だった。
 幸い、七瀬だけでなく、世話好きのだよもん星人こと長森も手伝ってくれ、どうにかこうにか予備校通いを続けている昨今である。
 で、今日から世間一般で言うところのゴールデンウィークってやつだ。

「わかったぞ!」
「思い出した?」
 七瀬がこっちを見る。
 俺は自信たっぷりに答えた。
「長森が水着コンテストに出るんだ」
「そんなことしないよ〜」
 間髪入れずに長森が答える。俺は肩をすくめた。
「ま、そうだろうな」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ」
 七瀬が突っ込んだ。……しかし、何故赤くなってる?
「今日から、旅行に行くんでしょ」
「ん〜?」
 俺は腕組みしてしばらく考えてから、七瀬に訊ねた。
「七瀬が?」
「う、うん……」
 上目づかいにちろちろと俺を見ながら、七瀬はこくんと頷いた。
 俺は七瀬の肩を叩いた。
「そうかぁ。それじゃしばらくお別れだな」
「へ?」
「ま、旅先で風邪なんて引くなよ。お前、寝相が悪いからな。愛用の毛糸の腹巻き持ったか?」
「誰がそんなもん愛用しとるかっ!」
 とツッコミが入ることを予想して身構える。
「……浩平、何してるの?」
「あ、いや、七瀬必殺の崩拳が来るかと……」
 長森に答えてから、七瀬の方を伺うと……。
「……すん、すん」
 なんだか立ったまましゃくり上げているじゃないか。
「ど、どうした七瀬? 正露丸忘れたのかっ?」
「絶対違うと思うよ」
 長森が言う。
「どう違うっていうんだ、だよもん星人?」
「そんなの知らないもん、ばかばか星人」
「ああっ、そんな古い話を持ちだしやがってこの馬鹿っ」
「また馬鹿って言ったぁ! ……って、駄目だよ浩平。七瀬さんほっといたらっ」
 と、セリフ後半は俺の耳に囁く長森。
 俺は七瀬に訊ねた。
「マジに、どうした?」
「あほぉっ!」
 一声叫ぶと、七瀬はリビングを飛び出していった。あっけに取られる俺。
「……なんだよ、あいつ?」
「浩平、七瀬さん追いかけないとだめだよっ!」
 そう言って、俺の背中を押す長森。
「ちょ、ちょっと待て長森! 俺まだパジャマだぞ!」

 タッタッタッ
 とりあえず着替えた俺は、うちから飛び出していった七瀬を捜して、街を走っていた。
 まぁ、行き先はたぶんあそこだろう。
 高校に向かう道を途中で右に折れ、坂を駆け上がると、公園がある。
 やっぱり、いた。
 立木に背中を持たれかけさせて、こっちには背中を向けている。
 うーん、なんていうか、雰囲気がしょぼんとしてるな。
「な〜なせ」
 後ろから話しかけると、七瀬はちらっとこっちを見てから背中を向けた。
「なんだよ、おい」
「知らないわよ。折原なんて……」
 さすがにむっとして、俺は無言で歩み寄った。
「私、楽しみにしてたのに……」
 その声が震えているのを知るまで。
「七瀬……?」
「わくわくして、どきどきして、昨日だってなかなか眠れないくらいだったのに……。くすん」
「お前、泣いて……」
「泣いてなんかいないわよっ!」
 十分泣いてるじゃねぇか。
 とりあえず、俺は思い出してみることにした。
 七瀬に旅行について聞いたこと、あったっけ……?
 旅行、旅行、旅行……。
 あ……。

「ねぇ、浩平」
「なんだ?」
「あのさ、まだお祝いしてないよね」
「お祝い? 何の?」
「その、浩平が帰ってきたお祝い」
「まぁ、してねぇだろうな」
「それじゃ、やろうよ、お祝い」
「でも、ありきたりじゃつまんねぇな。どっかに旅行でも行くか?」
「旅行!? いいね、それ」
「ああ。それじゃそういうことで、あとは任せた」
「ちょ、ちょっと浩平っ! 待ってよっ!!」

 あの時の話か……。そういえば、何日か前に七瀬がパンフを持ってきてたような気も……。
「七瀬」
「何よっ」
「出発は、何時だ?」
「9時25分の列車」
 何も見ないで答える七瀬。きっと、スケジュールを暗記するまで読んでたんだな。
 俺は、公園の時計を見上げた。9時3分。
「よし、まだ間に合う!」
「え?」
 俺は七瀬の腕を掴んだ。
「家まで走るぞ!」
「な、なに、ちょっと!」
 有無を言わさず、俺は駆け出した。

 バタン
「長森っ!」
「もう、これっきりだよ、浩平」
 玄関に置かれた2つのスポーツバッグを前に、長森が笑顔で言った。
「助かる!」
 俺は、バッグを掴んだ。
「ちょっと、待ってよ浩平!」
「七瀬、駅まで走るぞ!」
「はい、七瀬さんの荷物。これだけで良かったよね?」
 長森が七瀬に荷物を渡す。
「う、うん……」
「ほれ、早く!」
「七瀬さん、浩平のこと、見捨てないでね」
 長森が、心配そうに七瀬に言った。七瀬は、深呼吸すると、ぺしんと自分の顔を叩いて、言った。
「大丈夫」
「早く早く!」
 足踏みしながら俺が声をかけると、七瀬は駆け寄ってきた。そして、やっと笑顔を見せた。
「とりあえず、列車に間に合ったら一発殴らせてくれる?」
「痛いのは嫌だ」
 そんなことを言い合いながら、走っていく俺達の後ろから、長森が声をかけた。
「いってらっしゃぁい。車には気をつけるんだよ〜」
 ……長森は、俺達のことを何だと思ってるんだろ?

To be continued...

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