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茜と別れて、俺は真っ直ぐに家に戻った。別に寄るところもなかったし。
To be continued...
「ただいま〜」
ドアを開けて声をかけると、みさおがたたっと廊下を走ってきた。
「おかえり、お兄ちゃん」
「おう。いい子にしてたか?」
「うんっ」
笑顔で頷くみさおの頭をよしよしと撫でてから、俺は靴を脱いだ。
不意にみさおが顔を上げて言った。
「お兄ちゃん、あかねと仲良いんだよね?」
「おう、仲良いぞ」
笑って答えると、みさおは頷いた。
「よかった」
「……なんでだ?」
「ん〜」
困ったように宙を睨んで、みさおは言った。
「なんとなくなんだけど……」
「ああ、いいから言ってみな」
「……あのね、あかねと仲良くしてないと、誰かの命にかかわることになるような……そんな気がするんだぁ」
「何を莫迦な……」
そう言いかけて、俺は自分の右手の包帯に気付いた。
そうだ、みさおはこの怪我のことも言い当てた。だとすると……。
本当に誰かの命にかかわる? でも、なんでだ?
「……お兄ちゃん?」
俺が考え込んでいると、みさおが俺の顔をのぞき込んだ。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない。それよりもう遅いんだ。みさおは早く寝な」
「うん……」
なんとなくあいまいな頷き方をしてから、みさおはとたたっと奧に駆け込んでいった。
ドサッ
ベッドに横になると、俺は大きく息をついた。
なんか色々ありすぎてわけがわからんなぁ。
何げなく、壁にかかっているカレンダーを見る。
……ああ、そういえば明日は14日か。
バレンタインデー、だな。
そういや、茜はチョコをくれるんだろうか?
……ま、どうでもいいか、そんなこと。
俺は毛布を被った。
思ったよりも疲れていたせいか、そのまま俺は眠りに引きずり込まれていった。
カシャァッ
カーテンを引く音と、そして目の奧を刺す陽光。
「お兄ちゃん、起きてよっ! 朝だよ、朝っ!」
「ダメだよ、みさおちゃん。浩平は揺すったくらいじゃ起きないんだもん」
「そうなの?」
「そんなことはないぞ」
俺はむくっと起き上がった。
「わぁっ、浩平が起きたっ! なぜっ!? どうしてっ!?」
何故か狼狽えている長森をよそに、みさおは俺に飛びついてきた。
「おはようっ、お兄ちゃん」
「おう、今日も元気だな、みさお」
「うんっ。お兄ちゃんも」
「わははっ、それは朝の生理現象という奴だ」
「せいりげんしょー?」
「わぁっ! 浩平っ! 子供になんてこと言うんだよっ!!」
一人で狼狽えていた長森が慌てて割り込んできた。そのままみさおの耳を塞ぐ。
「みさおちゃんは聞いちゃだめだよっ!」
「長森お姉ちゃん、聞こえないようっ!」
「ダメったらダメっ!」
……朝から騒がしい奴らだ。
「とっ、とにかくはいっ、着替えと鞄っ! それじゃわたし達は下にいるもんっ」
いつもの調子で俺に制服と鞄を押しつけて、みさおを抱えるようにして部屋を出ていく長森。
ふぅ。
それじゃ改めて寝るか……。
毛布に潜り込もうとしたとき、いきなりドアが開いた。
「はうー、やっぱり二度寝しようとしてる〜」
「くそっ、気付かれたか」
「伊達にいつも起こしてるわけじゃないもん」
俺のパターンは既に長森に見抜かれていた。
タッタッタッ
「……どうしてわたしたち、走ってるんだろうね」
「そりゃ遅刻しそうだからな」
「今朝は結構早起きしたはずだったのに」
「いや、今朝の運勢が気になってな。ちなみに長森の星座は運勢悪かったぞ」
「はぅ〜。もういいもんっ」
ぷいっとそっぽを向いて走り続ける長森。なんていうか器用な奴である。
と、
「おはよーっ」
無意味に爽やかを装った声が後ろから聞こえた。俺は右手を押さえる。
「くぅっ、右手の傷が痛むっ」
「……ごめん」
いきなりしょんぼりしながら、七瀬が登場した。さすがに昨日の今日だけあって、反省してるらしい。ふっふっふ、これでしばらく七瀬には貸しが出来たというものだ。
そう思ってほくそ笑んでいると、いきなり長森がとんでもない発言をした。
「浩平、もしかして、七瀬さんをいじめるネタにしようとして、わざと怪我したんじゃない?」
七瀬の眉がくいっとつり上がる。
「そうなのっ!?」
「ば、バカなこと言うなっ! 誰がそんなことのために怪我までするかっ!!」
「あんたならやりかねないわ」
きっぱりと言う七瀬に、深々と頷く長森。
「あのなぁ……。お前ら、もうちょっと常識的に考えろ」
「あんたが常識を語るなぁっ!!」
ガスッ
七瀬の容赦ないツッコミが入る。くそ、誰も見てないところだと思いやがって……。
「あっ、いけない。急がないと遅刻だよ!」
腕時計をのぞき込んで叫ぶ長森。俺は無念さに歯がみした。
「くっ、七瀬のせいで時間をロスしてしまったじゃないか」
「あたしのせいっ!? ねぇ、あたしのせいなのっ!?」
なにやら叫ぶ七瀬を無視して、俺は腕組みして考え込んだ。それから長森に視線を向ける。
「こうなったら、あのルートを使うしかないか」
「裏山越えだね」
笑顔で頷く長森。対照的に嫌そうな顔をする七瀬。
「あたし、あの道にいい思い出無いんだけど」
「そう言うな。運が良ければ椎名に逢えるかもしれんぞ」
「あたし、絶対行かない」
お下げを両手で押さえて後ずさりすると、七瀬は身を翻した。
「じゃーねっ! 瑞佳、教室で逢おうねっ!!」
そう言い残して、七瀬はバタバタッと走り去っていった。
「くそ、逃げられたか。長森がちゃんと押さえつけておかないからだぞ」
「莫迦なこと言ってないで行くよっ!」
長森は既に走り出していた。俺も慌ててその後を追いかける。
カシャカシャカシャッ
フェンスをよじ登って飛び降りると、俺はため息をついた。
「うーむ、やっぱりフェンスに豪快に顔面から体当たりしてくれる奴がいないと、どうも物足りないなぁ」
「もう……。あ、そうだ」
不意に長森は鞄を開けてごそごそし始めた。そして、包みを出して俺に渡す。
「あげないつもりだったんだけど、何故か作っちゃったからあげるね」
「小包爆弾か?」
「ばかっ。はう〜、もういいもん」
そう言いながら引っ込めようとするので、俺は長森の手からそれを奪い取った。
「あっ、もう返してよっ!」
「冗談だ。ありがたくもらっとく」
俺がそう言うと、長森は複雑な表情をした。
「う、うん。でも、里村さんには内緒にしておいてね」
「なんでだ?」
「そりゃ、やっぱり里村さんに悪いよ〜」
そう言うと、長森は時計を見て慌てる。
「わぁっ、もう予鈴鳴り終わってる時間だよっ!」
「くそ、あとは髭との勝負かっ!」
俺達は駆け出した。
とりあえず髭との勝負に辛勝した俺は、こちらは惜敗した七瀬をいなしながら1時間目を終えた。
「さて、それじゃ七瀬、さらば」
「あっ、こら待ちなさいっ!」
チャイムが鳴り終わる前に、素早く脱兎のごとく教室から逃げ出すと、廊下でばったりと澪に出くわした。
「おっ、どうした澪?」
あのねあのね、と俺の袖を引っ張る澪。と、後ろから怒声が接近してくる。
「こらぁっ、待ちなさいっ!」
しまった。今の俺は逃亡者だった。
「いかんっ! 澪、後で話をしよう。それじゃさらば」
そう言い残して逃げようとする俺。
だが、澪は袖を離さなかった。
「わっ、こら澪っ! 袖が伸びるっ!」
「あ、澪ちゃん捕まえててっ!」
状況を見て取った七瀬が、叫びながら駆け寄ってくる。
くそっ、こうなったら最後の手段だ!
俺はひょいを澪を抱え上げた。そして望みを託して叫ぶ。
「椎名っ、みゅーだぞっ!!」
「ええっ!?」
俺を捕まえんばかりの距離まで急接近していた七瀬が、慌ててお下げを押さえながら急ブレーキをかける。それから左右をキョロキョロ見回す。
「ど、どこよっ!?」
「さらばだ七瀬っ、また逢おうっ!!」
笑いながら廊下を駆け抜けていく俺に気付いて、七瀬は奮然と追跡を再開する。
「このぉっ! たばかったわねぇっ!!」
「俺は正直者で通ってるんだけど。ほれ」
そう言って、俺は七瀬の後ろを顎でしゃくってみせた。振り返る七瀬。
「えっ? でぇぇえっ!!」
ダダダダダッ
すごい勢いで駆け寄ってくるのは、間違いなく椎名だった。
「みゅーっ!」
「うわぁーーっ、来ないでよぉっ!!」
七瀬は一気に俺を追い抜いて駆け抜けていった。それは既に神の領域に達していた。
その後を嬉しそうに椎名が追いかけていくのを見送ってから、俺は澪を下ろした。
「ふぅ。で、どうした?」
「……」
澪は真っ赤になってしばらくもじもじしていたが、いきなりばっと綺麗にラッピングされた箱を俺に差し出した。
「お? くれるのか?」
訊ねると、うんうんっとリボンが揺れるほど大きく頷く澪。でも顔をあげようとしない。
「それじゃもらっとく」
そう言って箱を取ると、いきなり澪は身を翻して、バタバタッと駆け去っていった。
「……なんじゃありゃ」
「きっと恥ずかしいのよ。うーん、初々しくって可愛いわねぇ」
俺はため息混じりに振り返った。
「いつもながら、どこから出てくるんだ柚木詩子」
したり顔で腕組みをしてうんうんと頷いていた柚木が、顔をあげる。
「ま、そんな細かいことは気にしないの」
「気にするわいっ!」
「それより、茜からもうチョコもらった?」
興味津々という顔で訊ねる柚木に、俺は首を振った。
「いや。今日はまだ話もしてないぞ」
「ありゃ。そりゃいけないわねぇ。よぉし、それじゃこの詩子さんが一肌脱いであげよう。あ、脱ぐって言っても服を脱ぐんじゃないからね」
笑顔で付け加えると、すたすたと廊下を歩いていく柚木。
なんとなくそれを見送ってから、俺は手にしていた澪のチョコに視線を落とした。
「……バレンタイン、か」
呟いて、俺は歩き出した。
チャイムが鳴って、昼休みになった。
何となくいつもと雰囲気が違うような気がするのは、やはりバレンタインだからか。
そう思って見回してみると、手持ちぶさたにうろうろしている男子がやたらと目につく。
俺はそのうちの一人に声を掛けてみた。
「よう、住井。収穫はどうだ?」
「まだ里村さんからチョコをもらってはいない折原じゃないか」
なぜか嬉しそうな住井。それにしても……。
「どうして知ってるんだ?」
訊ねると、住井は腕組みして頷いた。
「里村さんは南がマークしてるからな」
「沢口が? あいつはストーカーか?」
「当たらずといえど遠からずってところだな。まぁ、今日だけの辛抱だ」
訳知り顔に頷くと、住井は俺の肩を叩いた。
「そんなわけでだ、君も我々の同志として誰かにもらえる日を夢見てだな……」
「あ、ちなみにチョコはもらったぞ」
「……なんだとっ!?」
がばと俺の襟首を掴む住井。
「嘘だっ!!」
「嘘ついてどうする?」
俺は住井の手を掴んで離させると、これ見よがしに襟を直しながら、勝者の笑みを浮かべてみせた。
「ちなみに2つだ」
「……くくっ、どうして貴様ばかりっ!! 天よ地よ人よ、このような悪が許されてもいいのかぁっ! ちくしょぉぉっ」
血の涙を流しながら走り去る住井。まったく見てて飽きないが……。
俺は、茜の席の方に視線を向けた。住井とバカをやってるうちにどこへ行ったのか、茜の姿はもうそこにはなかった。
あとがき
バレンタインのお嬢さん(後編2) 00/3/14 Up 00/3/16 Update