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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #25
バレンタインのお嬢さん(完結編)

 中庭に出ると、冷たい風が吹いていた。まだ2月、外は寒い。
 思わず身を震わせて、俺は辺りを見回した。そして芝生に駆け寄っていった。
 俺の足音に気付いて、茜は顔をあげた。
「よう、何してるんだ?」
「お昼を食べているところです」
「そっか。一緒に食ってもいいか?」
 そう言って、返事を待たずに茜の隣りに座ると、食堂で買ってきたパンの袋を破く。
「……はい」
 頷いて、茜は俺に視線を向けた。
「……ん? 欲しいのか?」
「違います」
 首を振ってから、茜は自分の弁当に視線を落とした。
「昨日は、楽しかったです」
「怪我したこと以外は、俺も楽しかったぞ」
「はい」
 答えてから、茜はもう一度俺を見る。
「怪我は……?」
「ああ、これか? そんなに痛むわけじゃないさ。薬飲んだからかな?」
 俺は包帯に包まれた右手を振って見せた。茜の表情が微かに和らぐ。
「そうですか……」
 しばし、沈黙。
 俺は、ウーロン茶の缶を出して、プルを引いた。
 プシッ、と音がする。
 茜は相変わらずのスローペースで弁当を口に運んでいた。
「……なぁ、茜」
「……はい?」
「寒くないか?」
「……寒いです」
 きっぱりと答える茜。
「じゃ、なんで?」
「食堂は混んでましたから」
「教室は?」
「人に見つめられながら食べるのは嫌です」
 きっぱり言う茜。俺は苦笑した。
「それじゃ、邪魔したか?」
「はい」
 頷くと、茜は俺の表情を見て、付け加えた。
「冗談です」
「……ま、判ってるけどな」
 多分、沢口のことだな。後でシメてやる。
「……浩平」
 不意に、今度は茜の方から声をかけてきた。
「何だ?」
「今日は、みさおちゃんは?」
「家だ。今日は学校に来ないように、厳重に申し付けておいたから、来ないと思うぞ」
「……」
 茜は無言で肩をすくめた。それから、視線を俺から外してあらぬ方向を見つめる。
「?」
 俺はその視線を追ってみた。
「やっほーっ、茜〜、折原く〜ん。今日もみさおちゃんが来てたよ〜」
 手を振りながら歩いてくる柚木の後ろに隠れるようにして、みさおが俺達の方を伺っているのを見て、俺はため息をついた。
「……やれやれ。まぁ、学校中を泣き叫びながら走り回らないだけ、椎名よりはましか」
「浩平に、似てますね」
 茜は呟いた。
「みさおが?」
「はい……。人の言うことを聞いてくれないところなんて、そっくりじゃないですか」
 そう言って、茜は顔をあげた。

 来てしまったものはしょうがない、というわけで、俺達は4人で芝生に座った。
「寒いよ、あかね〜」
「うるさいぞ柚木。根性が足りん」
「お兄ちゃん、私も寒い……」
「よし、それじゃ食堂に行こうか?」
「……あかね〜、折原くんが差別するよ〜」
 茜に泣きついている柚木を無視して、俺は立ち上がるとズボンを払った。
「茜はどうする?」
「まだ食べ終わってませんから」
 なるほど、茜の弁当はまだ半分以上残っている。
 と、みさおも腰を下ろした。
「あかねがまだなら私も待つね」
「お、偉いぞみさお」
 俺はみさおの頭を撫でてやった。
 みさおはあかねの弁当をのぞき込んで訊ねた。
「あかね、これ全部あかねが作ったの?」
「はい」
「すごーい。私のお母さんみたい」
「そうですか」
 ……お母さん、か。
 俺は仰向けに寝ころんだ。それからがばっと起き上がる。
「みさお、今何て言った?」
「え? 私のお母さんみたい……って」
「それだ! お前のお母さんのことで憶えてることはないか?」
「ん〜」
 みさおはほっぺたに指を当てて、空を仰いだ。
「とっても優しくて綺麗で……」
「もうちょっと具体的に何か無いのか? 首が伸びるとか、頭が三つあるとか」
「それは人間じゃないです」
 茜にツッコミを入れられて、俺は肩をすくめた。
「たとえばだ、たとえば」
「たとえが極端すぎます」
 そう言われてみれば、そうかもしれないな。
 みさおはうーんと考え込んでいたが、不意に顔をあげた。
「髪が長かったよ」
「髪が……長い、か」
 思い出したくない思い出。
 俺の母親と呼ばれていた、あの女も、確か髪は長かった。
 俺は頭を振ってその思い出を再び記憶の底に沈めると、みさおの頭を撫でた。
「ま、そんなに慌てて思い出すこともないって」
「……うん。ありがと、お兄ちゃん」
「さて、話もまとまったところで……」
 柚木が強引に割り込んできた。茜に視線を向ける。
「もう渡したの?」
「……詩子」
 茜がじろっと柚木を見ると、柚木はため息をついた。
「ダメねぇ、そんなんじゃ……」
「……」
「はいはい、わかってますって」
 なにやら2人でアイコンタクトを取ったらしいが、俺にはよく判らなかった。

 それから、他愛のないおしゃべりをしていると(主に一方的にしゃべっていたのが柚木なのは言うまでもないが)、予鈴が鳴り出した。
 茜は弁当箱の蓋を閉めると、手提げ袋に入れて立ち上がった。
「それじゃ、戻りましょう」
「そうだな。みさおも来るか?」
「うん、お兄ちゃんと一緒にいる」
「あたしも茜と一緒にいるぅ」
「おめぇは自分の学校に戻れ」
「茜〜、折原くんがあんなこと言ってるよ〜」
「お前に言ってるんだっ!」
 いつものやりとりをしながら、俺達は校舎の中に駆け込んだ。途中でなんとか柚木を追い返して教室に駆け込むと、5時間目のチャイムが鳴る寸前の時間帯だった。
 自分の席で教科書を出していた長森が、みさおに気付いて駆け寄ってくる。
「みさおちゃん、今日も来ちゃったの?」
「うん。ごめんなさい……」
「ううん、怒ってないよ。いつでも遊びに来ていいんだよ」
 ……それでいいのか、長森?
 俺は半ば呆れて、みさおの頭を撫でている長森を見ていた。
「それでは、また後で」
 茜は静かにそう言うと、自分の席に戻っていった。
 みさおはそれを見送って俺に尋ねた。
「お兄ちゃん、あかねと仲悪いの?」
「そんなことないぞ」
 俺はきっぱりと胸を張って答えた。みさおも笑顔になって頷く。
「そうだよねっ」
「……あ、先生が来たよ」
 長森に言われて、俺とみさおは席についた。ちなみにみさおの席は、すっかり外人部隊の席として定着してしまった住井の前の席だ。

 チャイムが鳴って、放課後になった。
 いつものように七瀬をからかっていると、速攻で長森がやって来て、小声で訊ねた。
「浩平、もう里村さんにチョコもらった?」
「んにゃ、もらってねぇよ」
「はぅ〜、そうなんだ……。わたし、悪いコトしちゃったかなぁ」
 頭を抱える長森。どうやら、朝方チョコを俺に渡したことらしい。
 と、不意に長森は立ち直ると、俺に耳打ちした。
「わたしがみさおちゃん連れて帰ってあげるから、浩平は里村さんと一緒に帰りなよ」
 ……相変わらずのお節介ぶりだった。
 俺が半ば呆れている間にも、長森はみさおに話しかけていた。
「あ、みさおちゃん、帰りに喫茶店に寄って帰ろうか? チョコパフェおごってあげるよ」
「えっ? あ、でも……」
 俺をちらっと見るみさお。
 まぁ、そこまでお膳立てされて断るのも悪いか。
 そう思って答える。
「ああ、俺なら構わないぜ。ちょっと用事があるしな」
「そう? うーん、それじゃ家でねっ!」
 少し悩んでから、みさおは長森と帰っていった。
 俺は鞄を持って立ち上がると、茜の席に歩み寄った。

 ちょうど、茜も鞄を持って立ち上がろうとしていたところだった。
「茜、帰るのか?」
「はい」
 こくりと頷く茜。
「それじゃ一緒に帰ろうぜ」
「……山葉堂に寄ろうと思っていたんですが……」
 はう。
 一瞬、脳裏を例の激甘ワッフルが過ぎるが、俺が食うわけでもないから、まぁいいかと思い直す。
「よし、それじゃ山葉堂に寄って行こうぜ」
「ありがとう」
 茜は微かに微笑んで、立ち上がった。
 俺は茜と並んで教室を出ながら、じとーっと柱の影からこっちを見ていた沢口にVサインをして見せた。おっ、沢口の奴、泣きながら走り去っていくぞ。
「……どうかしたんですか?」
 振り返る茜。
「いや、なんでもない」
 俺は爽やかに答えると、訊ね返した。
「なぁ、茜」
「何ですか?」
「手、繋いでもいいか?」
「恥ずかしいから、嫌です」
 ……相変わらず茜は手強かった。

 首尾良く山葉堂でワッフルを買った俺達は、とりあえず学校帰りの生徒達でごった返しているその辺りから離れることにした。
「さて、それじゃどこで食おっか?」
 訊ねると、茜は俺に視線を向けた。
「浩平の家では、ダメですか?」
「俺の家? 別にいいけど」
「それなら」
 そう言ってから、恥ずかしそうに「寒いですから」と付け加える茜。
 ううっ、可愛いなぁ。
 俺は茜の後を追って歩き出した。

「ただいま〜」
 玄関のドアを開けて声を掛けたが、誰も出てこなかった。どうやら、まだみさおは帰ってきていないらしい。
「他の人は?」
「由起子さんはいつもと同じ。暗くなるまで帰ってこないよ。みさおは帰りに長森と喫茶店に寄ってくるって言ってたし」
「……そうですか」
 頷くと、茜は「御邪魔します」と言って靴を脱いだ。
 並んでリビングに入ると、机にワッフルの入った紙袋を置く。
「それじゃ、とりあえずワッフル食うかな。コーヒーでいいか?」
「あ、それなら私が入れてきます」
 茜が鞄をソファに置きながら言った。
「そっか? それじゃ頼む」
「はい。台所、お借りします」
 そう言って茜は台所に入っていった。

 しばらくして、茜は盆に湯気の立つカップを乗せて、台所から出てきた。
「コーヒーが無かったから、ココアにしましたけど、いいですか?」
「ああ、いいよ」
 俺が頷くと、茜はココアの入ったカップを俺の前に置いた。
 俺はワッフルの入った紙袋を開けて、中からワッフルを出す。相変わらず甘そうだ。
「どうぞ」
 そう思って見ていると、茜はこともあろうにそのワッフルを俺に勧めてきた。
「……俺?」
「はい」
 笑顔で頷く茜。ううっ、この笑顔には逆らえん。
 俺はワッフルを一口噛み切った。ぐわ、あ、甘い……。
 慌てて、ココアを飲む。
「あちちっっ」
「慌てて飲むからです」
 そう言って、上品にココアを一口、口に含む茜。
 そして、テーブルに手をついて、俺の方に身を乗り出した。
 ……って、ええっ?
 茜の唇が、俺の唇に重なっていた。
 程良く暖まった、甘い液体が流れ込んでくる。
 こくん、こくん……。
「……」
 茜は顔を離すと、真っ赤になって視線をそらして、ワッフルを口にした。
 ……ようやく、何がどうなったのかを理解すると、俺はだんとテーブルに手を付いた。
「茜っ! もう一度、ワンモアプリーズっ!!」
 「……恥ずかしいから嫌です」
 と言うかと思ったが、茜はこくりと頷いた。
「わかりました」
 うぉ、どうしたんだ茜は? いつになく積極的じゃないか。
 そう思いながら、俺は甘い液体に溺れていった。

「それでは」
 靴を履くと、ぺこりと頭を下げる茜。
「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
「……ゆっくりしていったら、何かするんじゃないですか?」
「もちろん!」
 俺はぐっと拳を握って力説した。
「全身全霊を挙げてたっぷりと可愛がるっ!!」
「……やっぱり帰ります」
 相変わらず、冗談が通じないなぁ。
「ま、いっか。送ろうか?」
「いいえ、まだ明るいですから」
 そう言って、もう一度頭を下げる茜。
「それでは、また明日」
「ああ、それじゃ」
 茜はそのまま背を向けた。と、不意に振り返る。
「浩平……」
「ん?」
「……ええと」
 珍しく、少し口ごもってから、茜は言った。
「なんでもないです」
「……あ、そう?」
「では」
 今度こそ、茜は戻っていった。

 それからしばらくして、長森とみさおが帰ってきた。
「ただいま、お兄ちゃん」
 元気のいい声に、リビングで雑誌を読んでいた俺は顔を上げた。
「お、みさおか。長森にたかられたりしなかったのか?」
「わたし、そんなことしないもん」
 みさおの後から長森が顔を出した。
「そんなこと言うなら、今日の夕ご飯は浩平だけ抜きにするもん」
「わかったわかった。俺が悪うございました」
 ぱしんと両手を合わせて拝むと、長森は機嫌を直したらしく、台所に入っていった。
 みさおが話しかけてくる。
「長森お姉ちゃんにね、パフェ食べさせてもらったんだよ。チョコパフェ」
「よし、それじゃ今度俺も食べさせてもらおうかねぇ」
「それで、お兄ちゃん、あかねからチョコもらったの?」
 ……そういえば、すっかり忘れてた。
 別にそれはいいんだが、そのまま言うとみさおに心配させちまいそうだな……。
「いや、それはだなぁ……」
「浩平ーっ!」
 俺が返事に窮していると、台所から長森の声が聞こえてきた。と、手に銀色の缶を持って顔を出す。
「このココアの缶、里村さんが持ってきたの?」
「へ? 家にあったんじゃなかったのか?」
「コーヒーとか紅茶のティーパックはあるけど、ココアなんて見たことないもん」
 首を振る長森。ま、一番うちの台所に詳しい長森が言うんなら間違いないだろうけど……。
「それじゃ、多分茜が持ってきたんだろ」
「……あっ、そうか」
 不意に長森は大きく頷いた。そして笑顔で俺に言う。
「よかったね、浩平」
「……は?」
 聞き返す俺を無視して、長森は鼻歌を歌いながら台所に戻っていった。

 結局、俺がココアの別名を知ったのは、1ヶ月ほどたった後のことだった。

To be continued for "White Day's My Lady"...?

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あとがき
 A代表はどうして点が取れんのかなぁ……。
 うーん。

 バレンタインのお嬢さん(完結編) 00/3/15 Up

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