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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #25
バレンタインのお嬢さん(中編2)

「……お兄ちゃん、おはよ」
「……」
 俺は、ぐるっと首を回して、長森、茜と視線を移した。
 二人とも、じっと俺を見ている。
 ……俺?
 こくこく
 自分を指さす俺に、二人は大きく頷いた。
 ……まぁ、確かに長森も茜も「お兄ちゃん」には見えない。
 俺は、女の子に向き直った。
「……もしかして、お兄ちゃんって俺のことか?」
「うん」
 大きく頷いて、もう一つあくびをすると、その子は目をごしごしとこすった。
 なんとなく、猫みたいな仕草だ……。
 猫!?
 はっとして長森の方を見ると、案の定、嬉しそうな顔をして俺に囁いてきた。
「すっごく可愛いねっ、浩平」
 放っておくと今にも拾って帰りそうな雰囲気だった。
「へいへい。でも猫じゃないんだから拾って帰るなよ」
「そんなのわかってるもん」
「……どうだか」
 俺はため息を付いてから、女の子に訊ねる。
「で、君は誰? どこから来たの?」
「私は……。えーっと、……あれ?」
 そこで、女の子は言葉を切った。きょときょとと辺りを見回す。
 思いっきり嫌な予感がした。
 そして、その予感は見事に的中する。
 女の子は小首を傾げて、訊ねた。
「……私は誰っ!?」
「えっ?」
 長森が、素っ頓狂な声を上げた。
 茜が女の子の前にかがみ込んで訊ねる。
「もしかして、何も覚えていないのですか?」
「……」
 こくり、と女の子が頷く。
 茜は女の子の頭を撫でた。
「そうですか……」
「ちょ、ちょっと待て茜! 納得してるんじゃないっ! お前もいい加減なことを言うなっ!」
 あ、しまった……。
「うっ、えぐっ……」
「……浩平」
 女の子の頭を撫でながら、茜は俺を見上げた。うっ、睨まれてる。
「ごめんね。浩平、きっと悪気はないんだよ」
 長森が代わりに謝ると、女の子はぐしぐしと目をこすりながら、こくんと頷いた。
「うん、……大丈夫だよ。だって、お兄ちゃんって昔っからそういう人だから」
「……ちょっと待て。お前、記憶喪失だって言ったな? だったらなんで、俺のことを知ってるんだ?」
 俺は女の子に尋ねた。女の子は首を傾げる。
「……え? うーん、なんでなのかな……?」
「……長森、電話取ってくれ」
「え? どうするの?」
「警察に電話する」
 そう言うと、長森はぷんとそっぽを向いた。
「とってやんないもん」
「あのなっ!」
「だって、可哀想だよ……」
「お前、何考えてんだ? 猫じゃねぇんだぞ!」
「でも……」
「茜もそう思うだろ? ……茜?」
 振り返ってみると、茜はまだ女の子の頭を撫でながら話しかけていた。
「自分の名前も、わからないのですか?」
「名前?」
「そうです」
「……うーん、えーっと、えーっと……」
 女の子はしきりに首を傾げながらうんうんと唸り始めた。
「うーんと、うーんと……」
「焦らないで、ゆっくりで構わないですから」
 優しく頭を撫でながら励ます茜。
 しかし、澪のときもそうだったけど、茜って意外とこういうの上手いんだよなぁ。
 と、女の子がぽつりと呟いた。
「……み……」
「み?」
「……みさお」
「そう、みさおさんというのですね? ありがとう」
「えへへーっ」
 誉められて嬉しそうに笑う女の子。つられたように、笑顔で顔を見合わせる長森と茜。
 だけど、俺は……。
「嘘だ!」
「……浩平?」
 急に俺が声を上げたので、長森も茜も、そして女の子も驚いて俺を見た。
 俺は、女の子の肩を掴んだ。
「嘘だ。お前がみさおのはずはないんだ! みさおのはずは……」
「いっ……、痛いよ、お兄ちゃん……」

「いたいよ……、おにいちゃん……」

「やめろーっ!!」
 俺は絶叫していた。そのまま、女の子を揺さぶる。
「そんなはずがあるもんかっ! そんなはずがぁっ!!」
「浩平っ! やめてっ!!」
 長森が後から俺にしがみつく。だが、俺はそれを力任せに振り払う。
「きゃっ!!」
 ドサッ
 後で倒れる音がしたが、かまわずに俺は……。
 バシッ
「……落ち着いてください、浩平」
 頬が、かぁっと熱くなった。
「……茜、か」
 俺は、頬に手を当てて、大きく息をついた。それから、振り返った。
「あいたた……、ひどいよ、浩平」
 ちょうど後にあったソファに埋もれるようにして、長森が俺を軽く睨んだ。
「……悪い」
「謝るなら、この子にもです」
 茜に言われて、俺はため息を付いてその子の頭に手を乗せた。
「悪かった」
「……」
 その子は、俺をじっと見上げた。
 ……似てる。
 不意に、記憶の底に沈めていた面影が、俺を金縛りにした。
 そして、その記憶が俺に告げる。
「本当に……みさお、なのか?」
 俺の言葉に、その子は、ためらいがちに、こくりと頷いた。そして、おずおずと笑顔を見せる。
 その顔は、間違いなくあのころのみさおそのものだった。
「みさお!」
 俺は、みさおを思い切り抱きしめていた。
「きゃっ! い、痛いよお兄ちゃん……」
「それくらい我慢しろ」
 そう言って、俺はそのままみさおの小さな体を抱きしめ続けていた。

「……よく寝てたよ」
 あれから、またすぐに眠ってしまったみさおを客間に寝かせ、俺達はリビングでちょっと遅れた夕飯をとっていた。
「それで、浩平。みさおっていう名前に、何か心当たりがあるんですか?」
 茜に聞かれて、俺は味噌汁をテーブルに置いた。
「……俺の妹、だったんだ」
「妹さん、ですか?」
「でも、たしかみさおちゃんって……」
 長森が俺の顔をのぞき込む。
「……ああ」
 俺は頷いた。
「もうずっと前に……死んだんだ」
 それを受け入れるまで、長い時間がかかった事実。
 多分、この長森がいなかったら、今も俺はそれを受け入れられずにいただろう。
「え? 死んだって……?」
「ああ。だからあの子がみさおのはずはないんだ」
「そうだよね。第一、浩平の妹のみさおちゃんだと、歳が全然合わないでしょ? 浩平、お代わりいる?」
「ああ、頼む」
 長森に茶碗を渡して、俺はため息を付いた。
「みさおは俺の1つ下だったから、生きてたら高校1年だ」
 そう言ってから、やりきれない思いに捕らわれる。
「……それじゃやっぱり別人ですね」
 茜はそう言うと、俺に視線を向けた。
「もしかして、そのみさおさんが亡くなったのは、ちょうどあの子くらいの……?」
「ああ。みさおは……6歳だったからな」
 ふっとため息を付く俺の前に、湯気を立てる飯茶碗が置かれた。
「はい。大盛りにしてきたよ」
「おう」
 長森はテーブルの前に座ると、茜に視線を向けた。
「わたしも逢ったことはないんだけど、浩平に話は聞いてたから」
「そうですか……」
 茜は、なんていうか、曰く言い難い表情をしていた。強いて言えば、懐かしそうな、というような、でももっと複雑な感情の混ざった表情だった。
「それで、これからどうするの?」
 長森に聞かれて、俺は腕組みした。
「うーん」
「警察に渡す、なんて言わないよね?」
「いや、それが一番まともな対応だろ、普通は……」
 そうは言ったが、俺自身の心は決まっていた。
 それは、長森にも茜にもわかっていたらしい。長森とは長い付き合いだし、茜とは深い付き合いだからな。
「でも、浩平がそのつもりでも、由起子さんはどうかな?」
「とりあえず、帰ってきたら事情を説明するよ」
「それがいいと思います」
 茜は頷いた。
「でも、本当に浩平に似てるよね。もしかしたら、本当にみさおちゃんなのかもしれないよ」
 長森がお茶を飲みながら言った。
「そんな馬鹿なことがあるかよ」
 そう言いながら、俺は客間の方に視線を向けた。
 俺が無くしてきたもの。それを取り戻す事が出来るとしたら……。

 えいえんは、あるよ

 翌朝。
 シャッ
 カーテンを引く音と、そして目の奧を刺す陽光。
 いつもと同じように、俺を起こす声が聞こえる。
「お兄ちゃん、起きてよ〜」
「うー。まだ眠いんだ……」
「ダメだよ。いい天気なんだから、早く起きてよ〜」
 ゆさゆさと揺さぶられる。だが、俺のこの心地よい微睡みを邪魔させるわけには……。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんってばぁ」
 ……お兄ちゃん?
 俺は、がばっと跳ね起きた。
「わっ! び、びっくりしたぁ」
 枕元で目を丸く見開いているのは、みさおだった。
「なんだ、みさおか……」
「うん。起こしに来たよ」
 すぐに笑顔になって、みさおは俺の脇にちょこんと腰掛けた。
「だって私だけ起きてても退屈なんだもん」
「だからって俺を起こすなよ」
「意地悪ぅ〜」
 ぷっとふくれるみさお。俺は苦笑してその頭を撫でてやった。
「わかったわかった。それで……」
 カチャ
 ドアが開いて、長森が入ってきた。俺達の姿を見て、笑顔で言う。
「みさおちゃんが浩平を起こしてくれたんだ」
「あ、瑞佳お姉ちゃん。おはよっ!」
 みさおがぴょこんと手を上げる。
「うん、おはよう。みさおちゃんがこれから起こしてくれるんなら、もう私が起こしに来なくても大丈夫かな?」
「えー? 私ずっとお兄ちゃんの面倒見るのやだよ〜」
「あはっ、それもそうだよね」
 笑顔で話す二人を見ていると、本当の姉妹みたいだった。
「それじゃ、みさおちゃん。ちゃんと着替えてきなさいね」
「あ、私まだパジャマだった。着替えてきま〜す」
 そう言ってぱたぱたと部屋を出ていくみさお。それを見送ってから、長森は俺に尋ねた。
「それで、みさおちゃんのこと、由起子さんなにか言ってた?」
「落ち着くまでは警察よりもうちにいたほうがいいだろうって言ってくれた。とりあえず警察の方には知らせておくとは言ってたけど」
「知らせても大丈夫かな? 警察の人に連れて行かれちゃったりしない?」
「それはどうだかわかんねぇけど……。でも今すぐ連れて行くとかそういうこともないだろうとは、由起子さん言ってたけどな」
「それなら、とりあえずは安心だね」
 長森は笑って俺に着替えを押しつけた。
「それじゃ、早く着替えてね。あんまりのんびりしてると、また遅刻だよ」
「へいへい」
 俺は肩をすくめて着替えを受け取った。

To be continued...

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あとがき
 どうも最近スランプ気味のようで困ったものです(苦笑)
 って、前と同じか(笑)

 バレンタインのお嬢さん(中編2) 00/2/12 Up

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