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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #25
バレンタインのお嬢さん(中編1)

 ホームルームが終わり、髭が教室を出ていくと、途端に開放感が教室を包む。
 俺は、そんなざわめきに背を向け、鞄を背負うようにして教室を出る。
 ふ。ハードボイルドだな。
 ぐいっ
「ぐぁっ」
 いきなり左腕が重くなった。そっちを見ると、思った通り、笑顔の澪がぶら下がっていた。
「あのな……」
 ハードボイルドは3秒も保たなかった。
「なんだよ、澪?」
 あのねあのね、と澪はスケッチブックを広げ、おそるおそる見せた。
『ごめんなさい』
 ……多分、さっきいきなり逃亡したことだろう。
「実はものすごく傷ついた」
 あうーっ、と泣きそうな顔になる澪。
「冗談だ。気にしてないぞ」
 俺がそう答えると、ぱっと嬉しそうに笑顔になる澪。
 本当に子犬みたいなやつだな。
「それで、なんだったんだ?」
 訊ねると、澪は、んーっと、と考え込んでから、また赤くなって首を振った。
『やっぱりヒミツなの』
「……あのな……」
 一気に脱力した俺をおいて、澪はとててっと走っていってしまった。
 やれやれ、と思いながら、とりあえず声をかける。
「転ぶなよ〜っ!」
 だいじょうぶ〜っ、と振り返って手を振ると、澪はそのまま廊下を曲がっていった。
 さて、俺も帰るかな……。
「浩平……」
 不意に、後から声が聞こえた。
 振り返ると、茜が鞄を両手で提げて立っていた。
「どうしたんですか?」
「今から帰ろうとしていたところだ」
「そうですか」
 軽く頷いて、茜はささっと歩いていく。
 ううっ、寂しい。
 その場でしゃがみ込んで床をつついていると、茜が振り返った。
「帰らないんですか?」
「いや、帰るけどさ……」
「それじゃ、帰りましょう」
「それって、もしかして一緒に帰ろうって誘ってるの?」
「……」
 ぽっと頬を染めて、さりげなく視線を逸らす茜。
 くーっ、可愛いっ! 冬だけど人生の春っ!

 というわけで、俺と茜は並んで学校を出た。
「あのさ、今日も商店街に寄って帰るの?」
「いえ」
 首を振って、茜は怪訝そうに俺を見た。
「どうしてですか?」
「あ、いや、べつに何でも……」
 俺はぱたぱたと手を振った。
「そりゃ、茜。やっぱり、恋人の行動は気になるものなのよ〜」
「……はぁ」
 俺はため息をついて振り返った。
「いい加減に他の登場パターンを考えたらどうなんだ?」
「そっかなぁ〜? あたしとしてはなかなか気に入ってるんだけど」
 腕組みして、小首を傾げながら柚木は答えた。
 俺はもう一度ため息を付いた。それから茜に向き直る。
「なぁ、茜。友達は選んだ方がいいと思うんだが」
 茜はじーっと俺を見てから、言った。
「私は、友達選びは上手くない方ですから」
 ……俺を見てそういうことを言うか……。
 ふてくされている俺を見て、茜はくすっと微笑んだ。
「冗談です」
 茜……。
 俺が幸せに漂っていると、柚木が腕組みしてうんうんと頷いた。
「茜って昔っから男の趣味が悪いからねぇ」
「そんなことはありません」
「あるわよ。現に……」
 そこで、不意に言いよどむ柚木。
「……あ、あれ? おかしいなぁ……」
「どうした柚木? 拾い食いでもしたか?」
「そんなことしてないわよ。……うーん、変ねぇ。でも、そんなはずないもんね。うん」
 なんか勝手に自己完結して頷くと、柚木は陽気に手を振った。
「さて、それじゃあたしは今日はこれで。ばいばーい」
 そのまま走っていく柚木を見送ってから、俺は振り返った。
「ったく、やかましいやつだ……。茜……?」
「……」
 茜は俯いていた。鞄の取っ手を、手が白くなるくらいぎゅっと握りしめて。
「茜、どうした?」
「……何でもありません」
 そう言って、茜は顔を上げた。
「浩平……」
「ん?」
「今日は、浩平の家に行ってもいいですか?」
「俺の家に? いや、来てもいいけど……」
 どうせ今日も由起子さんの帰りは遅いだろうし、と言いかけて止める。そんなことを言って「じゃやめます」なんて展開になると、それはそれで悲しいし。

「ま、上がってくれ」
「……御邪魔します」
 礼儀正しくぺこりと頭を下げてから、靴を脱いで上がってくる茜。
「毎朝勝手に上がってくる長森とは大違いだな」
「そんなことないもん。浩平が聞いてないだけで、ちゃんと御邪魔しますって言って上がってるもん」
 いきなりキッチンから顔を出して、長森が言った。
「うわぁっ!」
 流石に驚いた。
「あ、里村さん、いらっしゃい」
「こんにちわ、長森さん」
 ……なぜ茜は驚かないんだ?
「長森! お前、何勝手にうちに上がり込んでんだっ?」
「勝手にじゃないもん」
 口をとがらす長森。
「今朝、由起子さんにお願いされたんだよ。今日は遅くなるから、浩平の夕御飯よろしくって」
「……あの人は……」
 俺は額を押さえた。
 長森は笑顔で言った。
「でも、里村さんが来てくれたんなら、わたしは帰ろうかな?」
 さすが長森。なかなか気を利かせるじゃないか。
 俺の中で長森ポイントが10上がった。
「いえ、私はすぐに帰りますから」
 つれないことを言う茜。
「わぁっ! 待て、待つんだあかね〜〜っ!」
「嫌です」
 そう言ってくるっと踵を返そうとする茜。
 と、長森がぽんと手を叩いた。
「あ、そうそう。イチゴが安かったから、イチゴムース作ってみたんだよ。良かったらみんなで食べない?」
「いただきます」
 速攻だった。

「……ん、なかなかいけるな、これ。なぁ、茜?」
「美味しいです」
「よかった」
 話の流れで、俺達はリビングで長森特製のイチゴムースを食べていた。
 ちなみに茜はそのムースに例の練乳をかけて食べている。が、最初は驚いていた長森も、最近は流石に慣れたらしい。
「さて、それじゃそろそろ料理の続き、と」
 ムースを食べ終わった長森は腰を上げた。そして茜に声をかける。
「里村さん、良かったら手伝ってくれないかな?」
「私が、ですか?」
 小首を傾げる茜に、長森は笑顔で頷いた。
「うん。浩平の好みの味、教えてあげるから」
「……判りました」
 少し逡巡してから、茜は立ち上がった。

 ことことこと……
 とんとんとんとん……
「……うん、こんなものかな? 浩平、意外と薄口が好みだから」
「そうなんですか?」
「うん」
 台所から、いい匂いと、楽しそうな(と言っても、茜はいつもと同じだが)声が聞こえてくる。
 なんだか、仲良く料理を作る嫁と姑って感じだな。
 リビングのソファに寝転がっていた俺は、そんなことを考えて苦笑する。
 こんな時間がずっと続けばいいのにな……。

 えいえんは、あるよ。

「……!?」
 俺は飛び起きて、辺りを見回した。
 誰もいない。
 ……そうだよな。
 それにしても、さっきの声は……。
「気のせい、だよな……」
 自分で呟いて、俺はもう一度ソファに横になった。
 そのまま、台所から聞こえる声に耳を澄ます。
「そういえば、里村さん」
「なんですか?」
「浩平、ずいぶん気にしてるみたいだったよ」
「何がですか?」
「バレンタインのチョコ、里村さんにもらえるのかなって」
 でかした長森っ! ナイスだ!
 俺は、思わず長森ポイントを100ほど上げて、耳をダンボにして茜の答えを待った。
「……そうですか」
「うん。とっても楽しみにしてると思うよ」
「……でも、私は……」
「あ、そうか。浩平が聞いてるかもしれないもんね」
 不意に、長森がリビングをのぞき込んだ。
「浩平、女の子の話を盗み聞きするなんてよくな……い……」
「いやっ、俺はそんなことなんてしていないこともないかもしれない」
 俺は身振り手振りを加えて熱く語ったが、長森の視線は俺を見ていなかった。
「浩平、その子、誰?」
「へ?」
 言われて、長森の視線を辿る。
 俺の寝ころんでいたソファに、白いワンピースを着た小さな女の子が横になっていた。
 すぅすぅと寝息を立てている。
 俺は長森に視線を移した。
「それじゃ夕飯ができたら呼んでくれ。俺はもう一眠りするから」
「わぁっ! いきなり現実逃避しないでよっ!!」
「どうしたんですか?」
 茜もリビングにやってきた。そして女の子を見て、俺に訊ねた。
「どなたですか?」
「バレンタイン大佐の娘だ」
 俺はキッパリと言った。速攻で長森がけちをつける。
「浩平ムチャクチャだよっ! 大体誰なのよ、バレンタイン大佐って?」
「知らないのか、長森? 戦後すぐの混乱期に、餓えた子供達にチョコレートを配って歩いた進駐軍の人だぞ。何を隠そう、バレンタインデーっていうのはこのバレンタイン大佐にちなんだ行事なのだ」
「嘘ばっかりっ! 浩平の言う事なんて誰も信じないもん!」
「いや、茜なら信じてくれるぞ。なぁ、茜?」
「絶対に嫌です」
「そんなことより、今はこの子の……」
 と。
「う、うん……」
 周りで騒いでいたせいか、不意に眠っていた女の子が身じろぎした。それからゆっくりを身を起こす。
 思わず息をのむ俺達を、まだぼーっとした表情でぐるっと見回し、最後に俺に視線を止めて、にこっと笑った。
「……お兄ちゃん、おはよ」

To be continued...

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あとがき
 どうも最近スランプ気味のようで困ったものです(苦笑)
 って、前と同じか(笑)

 バレンタインのお嬢さん(中編1) 00/2/11 Up

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