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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #25
バレンタインのお嬢さん(前編)

「よう、折原」
 昼休み、学食で昼飯を食ってから、教室に向かっていると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、そこにいたのは沢口だった。
「俺は南だって言ってるだろうがっ!」
「そんなことはどうでもいい。で、何の用だ、沢口?」
「どうでもいいことあるかっ! で、本題なんだが……」
 沢口はそれとなく辺りを見回してから、俺に尋ねた。
「その……、お前、里村さんにチョコレートをもらう約束とかしたのか?」
「茜に?」
 そう言われてから、あとちょっとしたらバレンタインとかいう行事があったことを思い出した。
「別に約束はしてねぇけど……」
「そっかー。やっぱりそうだよなぁ〜。うんうん」
 何故か訳知り顔に頷く沢口。
「南だ!」
「で、それがどうかしたのか、沢口」
「いや、未だかつて里村さんがチョコレートを男に渡したのを見たことないからな」
「別にお前が見たことないだけじゃないのか?」
「いや、俺が見てないってことは誰にも渡してないってことだ。何しろバレンタインデーには必ず里村さんの見える範囲にいたからな」
「……もしかしてお前、茜にチョコをもらえるんじゃないかと淡い期待を抱いて、わざと茜の視界の中にいるようにしてたりしたのか?」
 俺が指摘すると、沢口はさりげなく窓の外を眺めた。
「折原ぁ〜、空はいいなぁ〜。空は全てを忘れさせてくれる」
「ちなみに俺と茜はもう他人じゃないんだ」
「……うぉぉぉぉ、青い空のばかやろーーーーーーっ!!」
 絶叫しながら走り去っていく沢口。
 それを見送っていると、また後ろから声がかけられた。
「あいつもまだまだ青いな」
「よう、住井」
 振り返って片手を上げると、住井も片手を上げた。それから訊ねる。
「で、勝算は?」
「なんのだ?」
「里村さんからチョコをもらう勝算」
「……なんだそりゃ?」
「それくらいの難関だってことだ」
 住井は腕組みしてうんうんと頷いた。それから遠い目をする。
「今までに幾人が、里村さんのチョコを得ようと戦い、破れていったことか……。俺はあいつらのことを、きっと忘れない……」
「そんなもん忘れろ」
「そうする。考えてみれば男なんて覚えててもしょうがないしな」
 相変わらずサッパリした奴だ。
「で?」
「ああ、勝算か? うーん、どうなんだろ?」
 俺は肩をすくめた。
「まぁ、成り行きに任せる」
「さすが折原、余裕だな。まぁお前の場合、義理チョコも内定してるしなぁ。うらやましい奴だ」
「なんだよ、その義理チョコ内定って?」
「少なくとも、長森さんはくれるだろ?」
「長森が?」
「ああ。毎年なんだかんだ言いつつもらってただろ、お前」
 そう言われてみるとそんな憶えもあるが……。
「でも、今年こそはやめようと思ってるんだもん」
「出たなだよもん」
「もうっ、浩平またっ! わたしそんなにだよももんも言ってないもんっ!」
 振り返ってみると、やっぱりだよもん星人こと長森だった。
 住井が訊ねる。
「でも、長森さん、折原に毎年あげてたんじゃ?」
「うん。だって今までは他に浩平にあげるような人がいなかったんだもん。だけど、今年は里村さんがいるから、わたしは止めようと思ってるんだよ」
 ……十分、だよももんも使ってるじゃねぇか。
 そんなことを俺が考えていると、長森は俯いて続けた。
「それに、里村さんに悪いしね」
「なるほど、それじゃ代わりに俺にくれるっていうのは?」
「あははっ、考えとくね」
 笑って、長森は歩いていった。住井はにやりと笑って俺の肩を叩いた。
「そんなわけで、長森さんのチョコは俺がもらうことにした。それじゃさらばだ折原っ! あでぃおーす、また会お〜〜っ」
「……それはそれで何となく悔しいな」
 俺は屈辱を感じながら、スキップしていく住井の後ろ姿を見送るのだった。

 放課後、俺は茜と並んで帰り道を歩いていた。
 しかし……、今まで全然意識してなかったけど……。チョコかぁ……。
 ちらっと茜を見る。
 用意してくれるんだろうか?
 でも、ここで正面切って聞くのも、なんかあからさまに要求してるみたいだしなぁ……。
 うーん。
「……どうしたんですか、浩平?」
 茜に聞かれて、俺は慌てて手を振った。
「いやっ、なんでもないぞっ!」
「そうですか……」
 また視線を前に戻す茜。
 よし、こうなったら、それとなく聞いてみよう。

「なぁ、茜。もう来週だな」
「バレンタインデーですか?」
「ああ。茜は誰かにあげるのか?」
「……恥ずかしいこと聞かないでください。私がチョコレートをあげるのは、浩平だけです」
「このぉ、可愛いやつめっ」
「恥ずかしいです……」

 完璧なシミュレートだ。よし。
「……なぁ、茜。もう来週だな」
「何がですか?」
「……」
 シミュレートは最初からつまずいた。
「あ、いや、その、……なんでもない」
「……はい」
 そう言ってから、茜は俺に視線を向けた。
「それじゃ今日はここで」
「ああ……って、ここで?」
「はい。それでは失礼します」
 すっと頭を下げて、茜はいつもの帰り道とは違う方向に歩いていった。
「やーい、振られた振られたぁ」
「うるさいぞ柚木詩子」
 そう言ってから、振り返って俺はため息をついた。
「で、どうしてお前がここにいるんだ?」
「なんとなく」
 笑って答えると、柚木は茜の後ろ姿を額に手を当てて眺めた。
「ほほぉ、茜が向かってるのは商店街の方向ね〜」
 そう言われてみるとそうだった。
「商店街で何を買うのかな、茜ってば」
「さぁな」
 俺は肩をすくめて歩き出した。
「俺は別に茜の私生活にまで干渉するつもりはねぇよ」
「へぇ〜」
 意味ありげに笑う柚木。
「なんだよ、その笑いは?」
「だったら、どうして折原くんも商店街に向かってるの?」
「俺もたまたま商店街に用事があるんだよ。柚木こそ」
「あたしもたまたま商店街に用事があるのよ」
 ……。
「勝手にしろ」
 そう言って、俺は歩みを早めた。
「ちょ、ちょっと待ってよっ!」
 慌てて柚木が追いかけてくる。

「……くっ!」
 俺は茜が入っていった店の前で呻き声を上げた。
「こ、ここは……」
「どうしたのよ、折原くん?」
 柚木が俺の顔をのぞき込む。
「追いかけないの?」
「そうしたいのは山々だが……、ここだけはダメなんだ」
「なんで? 可愛いお店じゃない」
 そう、そこは俺にとっての鬼門、ファンシーショップだったのだ。
「……というわけで、柚木。お前を偵察要員に任命してやるから、見てこい」
「あたし、パタポ屋のクレープ食べたいなぁ〜」
 わざとらしく明後日の方向を見ながら言う柚木。
 一瞬、俺と柚木の間で激烈な火花が散る。
 が、俺に最初から勝ち目はなかった。
「……わかった。クレープだな?」
「任務了解っ」
 ぴしっと敬礼して、柚木はファンシーショップにとてとてっと入っていった。
 俺はさりげなく電柱の影に身を隠して、ファンシーショップの外で張り込みを続けるのだった。

 しばらくして、茜と柚木がなにやらお喋りしながら出てきた。
 ……っておいっ!
 俺は出ていくわけにもいかず、2人の様子をうかがった。
「それにしても、ちょっと意外ね〜」
「そんなことはないです……」
「そっかな〜。でも、あの頃から考えるとさぁ……」
「……」
「あ、ごめん。ま、親友として応援したげるね」
 そう言って、ぽんぽんと茜の肩を叩く柚木。
 茜は何か言いたげに柚木を見たあとで、黙って頭を下げた。
「それでは」
「あ、うん。それじゃまたね」
 手を振って柚木と別れ、茜は歩き去っていった。
 しばらくそれを見送ってから、柚木は辺りをキョロキョロと見回した。
 俺が電柱の影から出ていくと、それに気付いて笑顔で駆け寄ってきた。
「お待たせっ! それじゃ行きましょっ!」
「おい、その前に……」
「ちっちっ」
 指を振ってから、柚木は言った。
「ビジネスライクにいきましょ? ちゃんと報酬をもらってからでないとね」
 俺はため息をついた。
「へいへい……」

「ん〜、美味し」
 イチゴクレープを一口食べて、満足げに笑う柚木。
 俺は財布を仕舞いながら訊ねた。
「で?」
「ん? 何が?」
「何がって、茜だっ! あの店でなにしてたんだっ!?」
「あのね……」
 もう一口食べてから、柚木はすすっと後ずさった。
「柚木? あ、てめっ!!」
 俺がはっと気付いたときには遅かった。柚木は身を翻して駆け出していった。
「ごめんね〜っ。茜と約束したから〜っ!!」
「だったらクレープ返せ〜っっ!!」
 俺の声が商店街にむなしく響き渡った。

 その翌日。
「……というわけだ」
「わかったわ、折原」
 七瀬は雄々しく頷いた。そしてぐっと拳を握る。
「バレンタインデーに男の子に義理チョコを配る。なるほど、乙女にしか為せない技だわ! あんたもたまにはいいこと言うのねっ」
「俺の言うことはいつも良いことだ」
「どうだか。ま、とりあえず感謝しとくわね」
 気味が悪いくらいの笑顔を振りまきながら、七瀬は席に戻っていった。
 これで、とりあえず今年は「誰もチョコをくれなかった〜」とわめく亡者の群に悩まされることもないだろう。
 さて、問題は……。
 ぐいっ
 いきなり袖を引っ張られて、俺はそっちを見た。
「よぉ、澪」
『こんにちわなの』
 笑顔でスケッチブックを開いてみせると、澪は笑顔で俺を見上げた。
「ん? 何だ?」
 俺が訊ねると、あのねあのね、と澪は袖を引っ張ってから、スケッチブックに書き込んで、広げて見せた。
 が、俺が読む前にぱたんと閉じてしまった。
「?」
 澪は、何故か真っ赤な顔で俺を見上げていたかと思うと、そのままぱたぱたっと走っていった。
 ……なんなんだ、一体?
 わけがわからず澪の後ろ姿を見ていると、後ろからだよもん星人の声がした。
「今の、澪ちゃん?」
「ああ、そうだけど……」
「浩平、澪ちゃんいじめたらダメだよ」
「あのな……」
 俺は振り返って文句を言おうとしたが、長森の向こうに教室に入ろうとしてる茜を見て言葉を切った。
「え?」
 俺の視線を追って振り返った長森が、茜の姿を見て声を掛けようとする。
「長森」
「何、浩平?」
「……いや、なんでもない」
「変なの」
 首を傾げた長森が、もう一度教室の入り口を見たが、もう茜は教室に入ってしまった後だった。
「……浩平、もしかして……」
「さて、俺達も教室にはいるか」
 俺はそう言って、さっさと後ろの入り口から教室に入った。
「あ、待ってよ、浩平っ」
 後ろから長森が入ってくるのと同時に、前の入り口から髭が入ってきた。
「ホームルーム始めるぞ! 席につけ〜」

 ホームルームの時間中、俺は茜の横顔を見るともなく見ていた。
 だが、茜が俺の方を見ることは一度もなかった……。

To be continued...

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あとがき
 どうも最近スランプ気味のようで困ったものです(苦笑)

 バレンタインのお嬢さん(前編) 00/2/8 Up

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