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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 64

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 俺は目の前のカラオケボックスを見上げた。それから、隣にいる名雪に尋ねる。
「ここで間違いないか?」
「うん、そうだよ。わたし達がよく行くお店」
「いや、それは知ってるけどな。前に名雪や香里に連れて来られたことあるし。でも、秋子さんがそれを知ってるのか?」
「うん。お母さんもこのお店は知ってるよ」
 水瀬家のキッチンに置いてあったメモには、秋子さんの字で、みんなでカラオケに行くので、間に合うようなら来て欲しいということと、そのカラオケの場所が記してあった。
 そこで、俺達はそのメモに従って、カラオケボックスにやって来た、というわけだ。
「とりあえず、入ろうよ、祐一」
「おう、そうだな」
 俺は頷いて、店内に入ると、カウンターにいた店員に声をかけた。
「すみません、水瀬で部屋を取ってあると思うんですけど、どの部屋ですか?」
「あ、ええっと……、404ですね。ご案内しましょうか?」
「いえ、場所は判りますから。行こう、名雪」
「うん」
 俺も名雪も、何度か来たことがあるから、店内の部屋はどの辺りになるかくらい見当がつくわけだ。

 エレベーターで4階に上がり、狭い廊下を2人でくっつくようにして進むと、突き当たりの部屋が404だ。
 中からは、微かに音楽が聞こえてくる。
 俺はノックして、ドアを開けた。
 404号室は8人用の部屋なので、そこそこ広い。
 そして、マイクを手にして歌っていたのは、ちょっと予想外なことに天野だった。
 他には水瀬家の3人、つまり秋子さんにあゆと真琴がいるだけだ。どうやら舞や佐祐理さん、美坂姉妹はそれぞれの家に帰ってしまったらしい。
 秋子さんが俺達をちらっと見て、「座ってください」と身振りで示す。
 俺達は無言で頷き、ソファの端に並んで腰掛けた。
 そんな俺達に気付かないようで、天野は画面を見ながら、気持ちよさそうに歌っていた。

 ♪君を 君を 愛してる〜

 天野が歌っているのを聞くのはほとんど初めてだったが、その歌声は、俺の知ってるような表現が陳腐にしか思えないほどのものだった。強いて言葉にあらわせば、透明な歌声、という感じだろうか。
 あゆや、普段からじっとしていることが苦手な真琴までも、大人しく座って天野の歌声に聞き惚れていた。

 天野が歌い終わり、マイクをテーブルに置いたところで、俺は立ち上がって拍手した。
「やるな、天野。ここまでとは思わなかったぞ」
「え?」
 顔を上げた天野は、俺と名雪を見て、頬を赤らめた。
「あっ、相沢さん! いつから聞いていたんですか?」
「途中から。いや、気持ちよさそうだから、邪魔するのもなんだなって」
「本当に上手かったよね」
 あゆがうんうんと頷いた。
「ボクも歌は好きだけど、天野さんには敵わないかも」
「そんな……」
「真琴は、美汐の歌、大好きようっ」
 真琴がそう言って、がばっと天野に抱きつく。
「きゃっ!」
「えへへ〜」
「それじゃ、わたしも歌おうかなっ」
 名雪がそう言ってリモコンを取った。そういえば、名雪も歌うのは好きなんだよなぁ。

「楽しかったね」
「ああ、そうだな」
 結局、それから2時間はたっぷり歌い、俺達は水瀬家に向かって帰途についていた。
 俺は、背中で寝息を立てている名雪を背負い直すと、隣のあゆに向かって言う。
「それにしても、あゆも結構やるじゃないか」
「えへへ、そうでしょ? ボク、歌には結構自信あるんだよっ」
 胸を張るあゆ。
 真琴が対抗してか、天野にじゃれつきながら言った。
「美汐の方があゆあゆよりも上手いよねっ」
「うぐぅ……」
 途端にかくんと肩を落とすあゆ。
「そんなことを言うものではありませんよ、真琴。歌は楽しく歌えればそれでいいんですよ」
 天野に諭されて、真琴は俺に矛先を変えた。
「祐一も美汐の方が上手いと思ったよねっ!」
「あのな……」
「真琴、天野さんの言うとおりよ」
 俺が困っていると、横から秋子さんが助け船を出してくれた。
「あ、あう……」
 さすがに秋子さんに言われては反論できない様子の真琴が、不意に違うことを言い出した。
「あっ、そう言えば祐一っ! 前から言おうって思ってたことがあるのようっ!」
「なんだ、いきなり?」
 聞き返すと、真琴は俺の前に回り込み、腰に手を当てて言った。
「どうして美汐だけ名前で呼ばないのようっ」
「……」
 言われてみれば、他の娘はみんな名前で呼んでいるのだが、天野だけは苗字で呼んでいた。
 正確には全員というわけでもないんだが。七瀬とかいるし。
 ただ、親しい娘、ということで言えば、だ。
 名雪、舞、佐祐理さん、香里、栞、真琴、あゆ。確かに他の娘は全員名前で呼んでいる。保護者の立場である秋子さんですら、だ。確かに、考え直してみると、ちょっと違和感があるかもしれない。
「うむ、真琴の言うことにも一理あることは認めざるを得まい。だが、天野はどうなんだ?」
「えっ? 私ですか?」
 いきなり名前を呼ばれてきょとんとする天野。
 俺は頷いた。
「ああ。天野だって、俺に、例えば美汐なんて呼び捨てにされるのは、嫌じゃないのか?」
「……嫌じゃ、ないです」
「ほら。……へ?」
 真琴に言い返しかけたところで、俺は慌てて向き直った。
「天野、今なんて?」
「……恥ずかしいんですから、二度も言わせないでください」
 天野の横顔がほんのりと赤く染まっていた。
「それじゃ、みっしーって呼んでもいいのか?」
「それは嫌です」
 即座に返されて、俺は頭を掻いた。
「判った。んじゃ、美汐って呼んでもいいんだな?」
「……はい。相沢さんがそうしたいのなら、そうしてくださっても結構です」
 天野はそう言うと、ちらっと俺を見た。
「あ、あの、代わりに……」
「うん?」
「祐一さんって……。あ、いえ、なんでもないです」
 慌てたようにかぶりを振る天野。
 俺は苦笑した。
「それくらい、いいって。栞や佐祐理さんだってそう呼んでるんだし、真琴なんて呼び捨てだぞ」
「なにようっ、祐一は祐一じゃないのようっ」
 拳を振り上げて意味不明な怒り方をする真琴。その真琴の背中から、天野……いや、美汐は抱きついた。
「きゃうっ! み、美汐っ!?」
「今は、こうさせて下さい」
 そう言って、美汐はそのまま、真琴の髪に顔を埋めた。
「も、もうっ、美汐ったら」
 そう言いながらも、大人しく美汐に抱きつかれている真琴。
 なんだか、いつもと逆のパターンで、妙に微笑ましい情景だった。
「1レベルアップ、ですね」
「秋子さん?」
「なんでもありませんよ、祐一さん。それより、これから、ますます大変ですね」
 謎めいたことを言って、秋子さんはにっこり笑った。

 翌朝。
「プールに行こうっ!」
「いきなりなんだっ!」
 いきなりドアを開けて飛び込んできた真琴に枕をぶつけながら怒鳴り返す。
 真琴はその枕を器用にかわし、Vサインをしてみせる。
「えっへへーっ、真琴にぶつけるなんて、せ〜〜〜〜んねんはやいわぁっ」
「で、なんでプールなんだ?」
 他にぶつけるものがないかを目で捜しながら訊ねる。
「え? だって、今日は日曜でしょ?」
「日曜とプールに行くことのどこに接点があるのか30字以内で述べよ、制限時間30秒」
「あ、あうっ、えっと、えっと……、真琴が行きたいからっ!」
「……もっとがんばりましょう」
 そう言って、もう一度毛布を被って横になる。
 と、真琴がどしっと上に飛び乗ってきた。
「ぐはっ」
「ゆーいちーっ、遊びにいこーよぉーっ」
 そう言いながら、俺の上でどしんどしんと暴れる真琴。
「こ、こらっ、降りろっ」
 俺は、手を伸ばして真琴を捕まえた。そのまま腕に力を込めて、ベッドから弾き落とす。
 どしんっ
「あいたぁっ。もう、なにするのようっ!」
 尻餅をついた姿勢で拳を振り上げる真琴。
 と、ドアをノックする音が聞こえた。
「相ざ……。こほん、祐一……さん。あの、起きていらっしゃいますか?」
「おう、美汐か?」
「はい。おはようございます。開けてもよろしいですか?」
「ああ、構わないぜ」
 そう答えると、ドアが開いた。
「失礼します。あの、真琴が来て……いますね」
 床にぺたんと座り込んだ真琴の姿を見て、美汐はため息をついた。
「真琴、朝から相沢さんに迷惑を掛けてはダメでしょう?」
「祐一さんだ」
「あっ、すみません」
 俺が言うと、美汐はぽっと赤くなって頭を下げた。
「その、慣れてないもので」
「あ〜、美汐真っ赤になってる〜」
「も、もうっ、真琴っ」
 照れながら怒るという器用なことをしながら、美汐は部屋に入ってくると、真琴の襟首を掴んで引っ張り上げた。
「きゃうっ!」
「では、失礼しますっ」
 ぺこりと頭を下げると、細腕のどこにそんな力があるのか、美汐は真琴をぶら下げるようにして部屋から出て行った。
 とりあえず眠気の方もどこかに吹き飛んでいたので、俺は起きることにして、ベッドから降りた。

 1階に降りて、顔を洗ってからダイニングに入ると、秋子さんとあゆが何やら楽しそうに話しながら朝食を用意していた。

「あ、秋子さん、おはようございます」
「あら、祐一さん。おはようございます」
「おはよっ、祐一くんっ。今日はボクの作ったフレンチトーストだよっ」
「それじゃ俺、朝練があるからもう行きます」
 そう言ってダイニングを出ようとすると、あゆがしっかと腕を掴む。
「うぐぅ、ボクだって、もうちゃんと食べられるもの作ってるもん」
「わかった、わかった。食べるから」
「ホントに?」
 上目遣いに俺に視線を向けるあゆ。
「ああ、ちゃんと食べるって。それはそれとして、秋子さん」
「はい、なんですか?」
 サラダボウルをテーブルに置きながら、秋子さんは俺に顔を向けた。
「さっき真琴が、プールに行きたいって言ってきたんですけど」
「あら、そうなの? それじゃ、お弁当作ってあげましょうか」
 秋子さんは手を拭きながら、キッチンの方に戻っていく。と、途中で立ち止まって振り返る。
「真琴だけ連れて行くの?」
「いえ。そんなことしたら、後からみんなに何を言われるか判らないですから」
 俺が首を振ると、秋子さんは微笑んだ。
「それじゃ、みんなで行くのね。了承」
「でも、栞ちゃんとか舞さんにはまだ話してないんでしょ?」
 あゆに聞かれて、俺は頷いた。
「ああ。とりあえず、今から電話してみるさ」
「うん、そうだね」
 こくりと頷いて、あゆはリビングに走っていった。そしてすぐに子機を持って戻ってくる。
「はい、電話」
「サンキュ。えっと……」
 俺は、まずは舞と佐祐理さんのところに電話を入れることにした。
 短縮ダイヤルのボタンを押して、コール音が鳴るのを聞きながら待つ。
「はい、川澄です」
 受話器を取る音とともに、柔らかな声が聞こえてきた。
「あ、佐祐理さん?」
「はぇ? あ、祐一さんですか。おはようございます」
「ああ、おはようさん。舞もいる?」
「あははーっ、舞はまだお寝坊さんですよ。どうしたんですか、こんな朝から?」
「まずは昨日のお礼を言おうと思って。それと、今日は2人とも暇?」
「お礼なんていいですよ。えっと、暇かどうか聞くってことは、デートのお誘いですか?」
「他のみんなも一緒でデートって言うなら、そうなるかな」
「あ、そういうことですか。はい、今日は2人とも暇でしたから、大丈夫ですよ。それで、どこに行くんですか?」
「真琴の希望でプールに行こうかと」
「判りました。どこに何時に行けばいいですか?」
「そうだな……」
 俺は時計を見てから、受話器に向かっていった。
「10時に市民プール前で」
「はい、判りました。それじゃ、それまでに舞を起こしておきますねーっ」
 佐祐理さんの嬉しそうな声を聞くと、こちらまで元気になってしまう。
「それじゃ、また後で」
「はいっ。楽しみにしてますね」
 電話を切ると、今度は美坂家に掛け直す。
 数度のコールの後、おばさんの声が聞こえた。
「はい、美坂です」
「あ、私、相沢と申しますが……」
「ああ、相沢さん。いつも娘がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ。それで……」
「はいはい、栞ですね。少し待ってくださいね。栞〜っ、相沢さんからお電話よーっ」
 おばさんが、受話器を手で押さえて栞を呼ぶ声が、微かに聞こえてきた。ややあって、栞が電話に出る。
「はいっ、美坂栞ですっ。元気ですっ。……お姉ちゃん、そこで笑わないでくださいっ」
 その声に被って、後ろで香里が笑う声が聞こえてきた。
「なんだかそっちは賑やかそうだな」
「気にしないでください。それより、どうしたんですか? あ、とうとう……」
「何を想像したかは聞かないが、違うとだけ言っておこう。ところで、今日は暇かね、栞くん?」
「えっ? あ、はい、暇ですっ。お姉ちゃんと買い物の約束なんてしてませんっ」
「ちょ、ちょっと栞っ」
 後ろで香里の慌てた声が聞こえたが、とりあえず姉妹喧嘩に介入するつもりはないので、一方的に用件だけ述べる。
「いや、今日みんなでプールに行こうって話になって、とりあえず栞も誘っておこうとおもってな。10時に市民プール前に集合だ。それではさらば」
 そこまで一息に言うと、俺は電話を切った。そして、話を聞いていたあゆに子機を渡す。
「ほい、元の所に戻してきてくれ」
「うぐぅ、栞ちゃん、香里さんと喧嘩してなければいいけど」
 そう言いながらも、子機をリビングに戻しに行くあゆ。
 と、その間に真琴と美汐がダイニングに入ってきた。
「祐一っ」
「おう、プールに行くぞ」
「うんっ」
 なんかツーカーという感じで頷く俺と真琴。
 美汐がそんな俺達を見比べて、小首を傾げた。
「いつの間に決まったんですか? まださっきは決まってなかったと思うのですが」
「まぁ、たまには真琴の言うことも聞いてやろうかなと思ってな」
 そう言いながら頭を撫でてやると、真琴は嬉しそうに笑った。
「えへへっ。さっすが祐一、ちゃんと判ってるじゃないのよう」
「……良かったですね、真琴」
「うんっ」
 美汐の言葉に笑顔で頷く真琴。
 そこに、あゆがリビングから戻ってきた。
「あ、真琴ちゃん、天野さん、おはよっ」
「おはよ、あゆあゆ」
「おはようございます」
 2人2様の返事を聞いて、うんうんと頷くあゆ。
「やっぱり朝はちゃんと挨拶からだよね」
「はい、そう思います」
「美汐は相変わらずおばさんくさいな」
「失礼ですね。物腰が上品と言ってください」
 そう言って微笑む美汐。
「でも、相ざ……、祐一さんも、いつも通りですよね」
「?」
「あ、深い意味はありませんよ」
 慌てたように手を振って、美汐はテーブルに付いた。
 ちょうどそこに、秋子さんがキッチンから戻ってくる。
「祐一さん、結局全員ということでいいのかしら?」
「はい。栞と香里が不確定ですけど」
 俺の返事に、秋子さんは頷いた。
「それじゃ、張り切ってお弁当作りますね」
「真琴も手伝うっ!」
「ボクもっ!」
 ぴょんと立ち上がる娘2人に笑顔を向けてから、秋子さんは美汐にも視線を向けた。
「天野さんも、手伝ってくださるかしら?」
「私ですか? でも、お邪魔では……」
「そんなことはありませんよ。祐一さんは一杯食べてくださいますから。ね、祐一さん?」
「は、はぁ……」
 急に話を向けらた俺は、ほとんど反射的に頷いた。
 美汐はちらっと俺を見て、秋子さんに答えた。
「判りました。お手伝いさせていただきます」
「ありがとう、天野さん」
 秋子さんは頬に手を当てて、にっこり笑った。それから、俺に向き直る。
「ところで、祐一さん」
「はい、なんですか?」
「名雪はまだ寝てますか?」
 ……そういえば、誰かいないと思った。
 俺は頭を掻いて立ち上がった。
「すぐに起こしてきます」
「お願いしますね」
 秋子さんはやんわりと微笑んだ。

 結局、名雪を起こして1階に連れてきたときには、他のみんなは既に朝食を食べ終わって、弁当を作り始めていた。
 キッチンから4人の楽しそうな声が漏れてくる中、俺と名雪はダイニングのテーブルに向かい合って座り、朝食を食べる。
「うーっ、祐一のお弁当はわたしが作りたかったのに……」
「お前がいつまでも寝てるからだろ?」
「だってぇ」
 フォークを片手に不満そうに俺を見る名雪。
 俺は折衷案を思い付いた。
「それじゃ、明日の弁当は名雪に頼む。これでいいか?」
「あ、うん。わかったよ」
 ぱっと表情を明るくして、名雪は嬉しそうにサラダを食べ始めた。
「楽しみだなっ、明日」
「その前に今日を楽しみにしてくれ」
「あ、もちろん今日も楽しみだよ。あゆちゃん、どれくらいお料理上手くなったかなっ」
「うぐっ!」
 ガッシャァン
 キッチンから悲鳴と何かが割れる音がした。俺はため息をついて、名雪に言った。
「名雪、あんまり無用なプレッシャーを掛けるなよ」
「うん、ごめんね」
 失敗したと思ったらしく、名雪も素直に謝った。

 結局、お弁当が完成したのは、それから30分後だった。


Fortsetzung folgt

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あとがき
 秋子さん、楽しんでます。

 プールに行こう6 Episode 64 02/4/2 Up
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