Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 60
ステージでは、1年生の娘から順番に隠し芸を始めていった。
ところが、その1年生の最後、F組の娘の番になったときに、ちょっとしたハプニングが起こった。
ちょっと内気っぽいショートカットの娘は、ステージに進み出たところでいきなり泣き出してしまったのだ。
「どうしたんだろう?」
思わず手すり越しに身を乗り出して眺めながら呟くと、今まで俺が話しかけても黙っていた天野が、ぽつりと答えた。
「何をしていいのか判らなかったのでしょう」
「どういうことだ?」
聞き返す俺に、天野はちらっと視線を向けた。
「1年生は、この学校に入ってまだ1ヶ月ちょっとです。しかも、コンテストが実際にこうして行われることが決まったのは、10日ほど前ですよ。2年生や3年生ならともかく、彼女たちは、多分それまでこんなコンテストが存在していることも知らなかったはずです」
「そういえば、すっかり忘れてたけど、美少女コンテストっていうのは、ずっと秘密のコンテストだったんだよなぁ。それが、急に公式プログラムに組み込まれたんだっけ」
「……はい。あくまでも私の想像に過ぎませんが、その時になって急に「あなたが実はクラス代表です」なんてことを知らされた娘もいたのではないでしょうか。それから10日しかたっていないのに、こんな場で芸を披露しろなんて、……そんな酷なことはないでしょう」
「そう言われてみればそうかもしれないな。お?」
立ったまましゃくり上げている娘に、佐祐理さんが近づいて、そのまま優しく舞台袖に連れて行くと、すぐにとって返してきた。
「はい、すみませんでした。えっと、今の人は1年F組の葛木さん、ですね。それじゃ葛木さんの代わりに、佐祐理が一つやらせてもらいますね」
「なにっ!?」
思わず、さらに身を乗り出し掛ける俺。
眼下の会場でも、ざわめきが広がる。
そんな中、佐祐理さんは袖に入ると、すぐに出てきた。その手には、金色に光るステッキが1本。
「えーっと、本当は皆さんの終わった後でやらせてもらうはずだったんですけど、ごめんなさい。今やっちゃいますね」
「おーけーっ!」
「いいぞーっ!」
会場からの声に、佐祐理さんははにかんだように笑うと、一つ大きく深呼吸した。それから、ステッキをくるくると回し始めた。
「お、チアガールのやってるあれか」
「そのようですね」
天野が頷く。
スポットライトの光の中、金色の円を描くステッキ。その円を前に後ろに自在に操りながら、佐祐理さんはステージの上をリズミカルに歩き始めた。
バトントワリング、か。
と、客席から手を叩く音が聞こえた。かと思ううちに、それは大勢の手拍子となって会場を包む。
その手拍子に乗って、佐祐理さんはステッキを回し、投げ上げ、キャッチしながら、ステージ狭しと踊ってみせてくれた。
最後に大きくステッキを投げ上げると同時に、ステージがいきなり白煙に包まれた。
その煙の中にステッキが吸い込まれたかと思うと、煙がさっと晴れ、中からステッキを手にした佐祐理さんが現れる。
しかも、その衣装は、見事なまでに魔女っ娘だった。
客席からどよめきがあがり、そしてそれは喝采に変わる。
「あははーっ、ありがとうございますーっ」
佐祐理さんは笑顔で手を振ると、とんでもないことを続けた。
「それじゃ、今の佐祐理の芸は、葛木さんの芸だと思ってくださいねーっ。それではまじかる☆さゆりんでしたーっ」
「おいおいっ!」
思わずキャットウォークの上ということも忘れて声を上げてしまう俺。
客席でも同様の声が上がっていた。無理もない。他のクラスも、あんな芸と比べられてはたまったもんじゃないことだろう。
特に、この次の娘はめちゃくちゃやりにくいだろうなぁ。
佐祐理さんは、どうやらその魔女っ娘コスチュームのままで司会を続けるつもりらしく、ステージの袖に向かって手を振った。
「それでは、次のクラスの娘に登場していただきますねっ。えっと、次は、2年A組、美坂栞さんですー」
あ、そういえば次は栞なんだっけ。
しかし、いくら栞でもあの次はきついぞ、こりゃ。
そう思いながら、俺はステージの袖から手を振りながら登場した栞に、視線を向けた。
栞はステージの中央に歩み出ると、客席に向かってぺこりと一礼した。それから、佐祐理さんを小さく手招きして呼び寄せる。
「はぇ? なんでしょうか? あ、マイクですか。はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
佐祐理さんに礼を言って、それから栞は客席に視線を向けた。
と、不意に栞は首をかしげた。まるで、そこにあるべきものがない、とでも言うように、一瞬視線を泳がせるが、すぐに小さく首を振って、言う。
「あの、2年A組の美坂栞です。えっと、倉田さんの後じゃ正直やりにくいですけど、仕方ないです。それじゃ、始めます」
拍手が起こる。
栞はポケットに手を入れると、いとも簡単にあっさりとスケッチブックを出した。
おお、とどよめく客席。
「む、栞は例の四次元ポケットで来たか」
「そうでしょうか?」
「なんだよ、天野はあの四次元ポケットじゃ芸にならないと言うのか?」
「いえ、確かにあれは、私も芸の域に達しているとは思いますが、美坂さん自身は芸だとは思ってないのでは?」
天野は小首を傾げて聞き返した。
と、ステージ上の栞が、今度は鉛筆とおぼしきものを取り出して、言った。
「えっと、私の芸ですけど、似顔絵を描きますっ」
おおーっ、と、事情を知らない一般大衆は拍手する。
俺は、キャットウォークに座り込んで、頭を抱えた。
「栞のやつ、なんでまたここで自爆芸を」
「相沢さん、そんなことを言うなんて、それは酷というものでしょう」
「それなら、天野なら栞のスケッチのモデルになるか?」
天野は、その質問にしばらく黙って考えている風だったが、やがて黙ったまま首を振った。
「まぁ、そうだろうな」
「……はい」
なんというか、微妙な返事だった。
一方のステージ上では、栞が言葉を続けていた。
「でも、今すぐに描くには、よく知ってる人でないとダメですから、私のよく知ってる人にさせてくださいね」
「いいぞーっ」
「がんばれーっ、栞ちゃーんっ」
客席から声が飛び、栞は照れたように笑った。
「あはっ、ありがとうございます。えっと、それじゃ……お姉ちゃん、出てきてください」
その言葉と同時に、ぱっとスポットライトが、客席の中にいる香里に当たった。
俺は、南無南無と手を合わせた。
「成仏せいよ、香里」
一方、客席の香里は慌てて声を上げていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「さぁさぁお姉ちゃん、覚悟を決めて出てきてくださいねっ」
ステージ上の栞の楽しそうな声に、香里は渋々、立ち上らざるを得なかった。
「わかったわよ。まったく……」
「はい、出来ましたっ」
3分後、栞はそう言って、スケッチブックから顔を上げた。そして、スケッチブックを香里に見せる。
「どうですか、お姉ちゃん。私、今回は結構自信あるんですよっ」
香里は、じぃっとスケッチブックを凝視してから、はぁ、とため息を付いて、スケッチの間座っていた椅子から立ち上がった。
「栞、やっぱりあなた、才能無いわよ」
「えぅ〜、そんなこと言うお姉ちゃん嫌いです〜。これ、適当なタイトル付けてやふおくに出したら、きっと高値で売れますよっ!」
「抽象画としてならね」
どっと沸く観衆。
俺は、キャットウォークの上からそれを見降ろしながら、額を押さえていた。
「……なにをしてるんだか、栞は」
佐祐理さんが栞に訊ねる。
「あの、美坂さんの隠し芸は、これでおしまいですか?」
「えっ? あ、えっと、はい」
こくりと頷く栞。それを見て、佐祐理さんは観客に向き直った。
「2年A組代表・美坂栞さんの、姉妹漫才でしたーっ」
「なんでやねんっ!」
見事な、姉妹揃ってのユニゾンダブルツッコミだった。
栞が香里と仲良く舞台袖に下がると、天野が目に見えてそわそわし始めた。
「どうした、天野。トイレか?」
「違います」
むっとしたように俺を睨むと、天野はキャットウォークの手すりをぎゅっと握りしめた。あたかも、それで自分をこの場所につなぎ止めておこう、とでもいうように。
俺は苦笑した。
「真琴が心配なんだろ? 何だったら、今からあいつの所に行ってもいいぞ」
「いえ」
天野は首を振った。
「真琴なら、一人でも大丈夫です」
「なら、いいけどな」
「……はい」
そう言ってる間に、2年B組、C組と順番に女の子が出ては、なにやら芸をして、退場していく。
そして。
「はい。2年D組代表・片瀬さんでした〜っ。皆さん、拍手をお願いしますねーっ」
会場からの拍手の中、ショートカットの女の子が笑顔で舞台袖に消えていく。
佐祐理さんは、反対側の舞台袖に視線を向けた。
「それでは、次です。2年E組代表、沢渡真琴さんですーっ。どうぞーっ!」
その言葉に、真琴がスポットライトの中に出てくる。
「……て」
微かな声が聞こえたような気がして、天野の方に視線を向ける。
天野は、手すりをぎゅっと両手で握りしめて、小さく呟いていた。
「落ち着いて、大丈夫。うまくいくから……」
「……天野」
「きゃっ!」
小さな悲鳴を上げて、天野は俺に視線を向けた。
「な、なんですかっ、急にっ!?」
「いや、何っていう程の用があるわけじゃないんだが。それにしても、天野って、真琴のお母さんみたいだな」
「し、失礼ですね。あんな大きな子供がいるように見えますか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。あ、ほら、真琴の芸が始まるぞ」
俺の言葉に、ステージに視線を向け直す天野。
「えっと……」
キィーーーーン
ちょうどその時、ステージ上の真琴がマイクに向かって何か言いかけたとたんに、ハウリングが起こった。
「真琴っ!」
ばっとキャットウォークから身を乗り出す天野。俺は慌ててその身体を引っ張り戻す。
「馬鹿! 落ちるぞっ!」
ゴトンッ
馬鹿でかい音が体育館中に響いた。それは、天野が俺もろともキャットウォークから転落した音ではなく、ハウリングに驚いた真琴が、マイクを放り捨てた音だった。
「あははーっ、大丈夫ですか、沢渡さん?」
袖に控えていた佐祐理さんが、素早くフォローに出る。
真琴は、涙目になって、あうあうと佐祐理さんに何か訴えていた。流石にマイクがない状況では、何を言ってるかまでは判らないが。
その間に、俺は天野をようやく安全地帯まで引っ張り戻し、額の汗を拭った。
「ふぅ。まったく、危ないじゃないか」
「あっ、相沢さんっ、た、助けてもらったことには、お礼を言いますけど」
妙に赤くなった天野が、顔を俺に向けて言う。
「そ、その手は離してください」
「へ?」
言われて、とっさに天野の腰を両手で掴んでいたことに気付く。
「おう、悪い」
手を離すと、俺はステージに視線を向けた。
ステージでは、改めて佐祐理さんが真琴にマイクを手渡していた。
「はい、マイクです。少し口から離してしゃべったら、大丈夫ですよ」
「あ、あうーっ、びっくりしたぁ」
「もう大丈夫ですか、沢渡さん?」
「だ、大丈夫ようっ」
「良かったです。さて、それじゃ改めて、よろしくお願いしますね」
「うんっ」
大きく頷くと、真琴はえへんと胸を張って言った。
「真琴はねっ、肉まん女王なのようっ!」
「……なんだと?」
聞こえるはずがないとは知りつつも、思わず聞き返してしまう俺。
もっとも、その辺りの手はずは既に整っていたらしく、数人の黒子(ご丁寧に、ちゃんと黒子の格好をしていた)が、2つのせいろの乗ったテーブルを運んできた。
佐祐理さんが司会者よろしく説明してくれる。
「えーっとですね、今出てきたせいろの中には、肉まんが全部で10個入ってます。そのうちの7個は、近所のコンビニや商店街で買ってきた肉まんですけど、たった一つだけ、横浜の高級中華料理店特製の肉まんが入ってるんですよ」
「数が合わないぞーっ」
客席からの声に、佐祐理さんは笑顔で答えた。
「はい。残りの2つですけど、一つは沢渡さんのお母さん特製です。そしてもう一つですけど、佐祐理が作っちゃいました」
おおーっ、と客席からどよめきが上がる。
佐祐理さんは言葉を続けた。
「もちろん、外見上はどれもまったくおんなじです。それを沢渡さんに食べていただきまして、高級肉まん、沢渡さんのお母さんの肉まん、それから佐祐理の肉まんを当ててもらおうっていうわけなんです」
「そうなのようっ」
拳を突き上げて高らかに宣言すると、真琴はいそいそと椅子に座った。
その前でせいろの蓋が開けられ、もわっと湯気が上がる。
俺は天野に尋ねた。
「なぁ、天野は知ってたのか?」
「この芸のことですか? ……いえ、実は知りませんでした」
首を振ると、天野は心配そうな顔でステージを見つめる。
「大丈夫でしょうか?」
「やっぱり、天野も心配か?」
「はい」
こくんと頷く天野。俺はその肩にぽんと手を置いた。
「そうだな。俺も心配だ」
「相沢さん……」
顔をあげて、俺に瞳を向ける天野。
深々と頷く俺。
「ああ。真琴の奴、肉まん10個も完食できるんだろうか?」
「わ、私は、そんなことは心配してませんっ! 真琴がちゃんと当てられるかを心配してるんですっ!」
どうやら、俺と天野は違うことを心配していたらしい。
「だって、肉まん10個だぞ、10個。いくら真琴でも、全部は無理だろ」
「一口ずつ食べればいいじゃないですか。それくらい、真琴にだって判りますっ」
真琴のことだからか、珍しく興奮した面持ちの天野。
俺はステージを指した。
「ほれ」
「えっ? あ……」
ステージ上では、真琴が既に、一心不乱に肉まんにかぶりついていた。
俺の危ぐをよそに、真琴は割とあっさり10個の肉まんを平らげてしまった。もしかしたら、肉まん大食いコンテストに出てもそこそこのところまで行けるかも知れない。
それでも、さすがに最後の方は苦しそうだったが、それでも完食してお茶をすすってみせる。
「ぷはぁ。美味しかったーっ。えへへっ」
その真琴の笑顔を見て、会場からは「萌えーっ」の声が挙がる。
佐祐理さんが、そんな真琴にマイクを向ける。
「さて、それではどれが高級肉まんだったのか、わかりましたか? あ、ちなみに会場の皆さんには答えをお見せしますね。係の人、どうぞーっ」
佐祐理さんの言葉と共に、ステージの脇、ちょうどステージ上からは見えないところにばっと紙が張り出される。
なるほど。1番が高級品、8番が佐祐理さん、10番が秋子さん、か。
「えっと、8番が佐祐理で、10番が秋子さんなのは判ったんだけど」
おおーっと声が上がる。が、ステージ上の真琴は首をひねっている。
「あとね、2番が家の近くのコンビニで、3番が商店街のお店で、4番が学校から北に行ったところのお店で、5番がものみの丘の近くのコンビニで、6番が商店街のはずれにあるファミレスで、7番と9番はれいとーしょくひんなのは判ったんだ。でも高級なのがどれなのかわかんない」
……おそるべし、沢渡真琴。
佐祐理さんは、それを聞いて、小走りに舞台袖に走っていくと、なにやら尋ねていた。それから、また小走りに戻ってくると、真琴の腕を掴んでばっと上げた。
「お見事ですーっ! 消去法で、残った1番が高級品っていうことですよねーっ。全部正解ですーっ!」
会場が、おおーっというどよめきに包まれた。そして拍手が上がる。
「えっ? 真琴の勝ち?」
「はい、勝ちです」
佐祐理さんが笑顔で頷くと、真琴もえへっと笑った。それからこっちに視線を向ける。
「祐一ーっ、美汐ーっ、真琴の勝ちだよーっ!!」
げ、気付かれてたのか。
俺はとっさに天野を引っ張り寄せて身を隠した。こんな所に2人でいるのが見つかったら、えらいことになりそうだったからだ。
「きゃっ、あ、相沢さんっ」
「悪いがちょっと我慢してくれ」
「……はい」
天野は、俺の言葉にこくりと頷くと、俺の身体に身を寄せた。
Fortsetzung folgt
あとがき
真琴が佐祐理さんのことを「佐祐理」と呼び捨てにしてるのは、『プール設定』でそうなってるからです。つまり、私の脳内設定っていうことで。
ちなみに、秋子さん以外は全部呼び捨てにしてます<真琴。
プールに行こう6 Episode 60 02/3/24 Up