Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 57
そしていよいよ、土曜日。
泣いても笑っても、今日が1週間にも渡って続けられた文化体育祭の最終日である。
「というわけで、当然ながらどのクラスも、自分のところの出し物でのラストスパートに懸命になっている、と思ってたんだが」
「はい、そうですよ」
「なら、なんでお前が3年A組にいるのか、小一時間問い詰めてもいいかな? 2年A組出席番号34番、美坂栞さん?」
俺は訊ねた。
栞は、お盆を胸に抱えて頬を膨らませた。
「いいじゃないですかっ。私だってウェイトレスしたいんですっ」
そう、今日は自由なのでゆっくりと朝寝をした俺が、10時過ぎになってから3年A組の教室に顔を出してみると、香里がいるのは当番だから当然なのだが、どういうわけか栞までウェイトレスをしていた。
ちなみに栞の制服はかの今は亡きブロンズパロット立川日野橋店である。うーん、惜しい制服を、もとい、惜しい店を亡くしたものだ。
「しかし、それにしても、よく栞のサイズの制服があったな」
「秋子さんに夕べお願いしました。特注ですよっ」
笑顔で言うと、くるりと回ってみせる栞。それにつれて、ひらりとスカートが。
「どうですか?」
「おおーーっ」
パチパチパチ
俺よりも早く周囲の男子生徒客からどよめきと拍手が上がる。
「あは、どうもありがとうございます〜」
栞は笑顔でその男子生徒達に頭を下げた。
その間に、俺はカウンターの中で頬杖を付いてそんな栞を眺めていた、今日の3年A組総合責任者殿に訊ねた。
「香里、これは何がどうなってるんだよ?」
「栞が、どうしてもウェイトレスをやりたいって言ったのよ。あたしとしては断りたかったんだけれど、昨日のことを持ち出されると断れなくてね」
ため息混じりに答える香里。
「昨日のこと? ああ、香里が栞との約束をすっぽかして北川とデートしたことか」
べし
「大声で言わないで」
香里は、俺の後頭部を掴んでそう言った。迂闊なことを言うと、この体勢から「カーフ・ブランディング(子牛の焼き印押し)」に持って行かれるので、俺は慌てて頷いた。
「ごめんなさい」
「よろしい」
手を解くと、香里は栞に視線を向けた。
「まぁ、栞には栞の理由があるんでしょうけどね」
「どういう理由だ? 姉としてその理由とやらを推察してみてくれ」
「午後にコンテストの本選があるでしょ? そのためのプロモーションじゃないのかしら。少なくとも貸衣装屋の奥にこもってるよりは効果があると思うわよ」
「なるほど。さすが栞、己の勝利の為には、手段は選ばないわけだな」
「真琴ちゃんの方が今のところ有利だって、昨日潤も言ってたしね」
「今のところ、下馬評では七瀬さん、沢渡さん、栞ちゃんの3人が三つどもえだけど、栞ちゃんがやや一歩出遅れって感は否めないっていうのがブックメーカーの昨日時点での評価だな」
「いたのか北川スキー」
「おう、いたとも相沢ビッチ。いやぁ、コンテストの準備で忙しくて、なかなかこっちに来られなくてさぁ」
ちょうど来たところらしく、そのままカウンター席に座りながら言う北川。
俺は肩をすくめた。
「よく言うぜ。昨日は香里とラブラブな文化祭を楽しんでたって聞いたぞ」
「ちょ、ちょっと相沢くんっ」
慌てて口を挟む香里。
「別に誰もそんなこと言ってないでしょっ!」
「いや、栞がそんなこと言ってたからな」
「そ、それは栞が勝手に……」
「お姉ちゃん、言い訳は見苦しいですよ」
口を挟んだのは、注文を取ってカウンターに戻ってきた栞だった。
「栞っ、あなたねっ!」
「それよりもお姉ちゃん、注文いいですか?」
「えっ? あ、えっと、そうだったわね。えーっと、何?」
栞の言葉に、何とか平静を取り戻したらしく、香里は注文を聞き始めた。
俺は北川に向き直って尋ねた。
「で、さっきの話だが、やっぱり栞は駄目なのか?」
ぴくり、と栞の肩が震えるのを横目で確認。どうやら注文を待つ振りをして聞き耳を立てているらしい。
北川はそれに気付いているのかいないのか、平然と答えた。
「いや、今日になってまた栞ちゃんのオッズが下がったからな。やっぱりここでウェイトレスしてるのは、結構、効果的らしいな。何しろ、今のところ、ここが校内の模擬店では集客率が一番いいようだし」
「やったぁ」
小声で小さくガッツポーズを取る栞。
なるほど、効果はばっちりってことか。
「とすると、三つどもえの3人は今のところ一線上に並んでるっていう感じなのか?」
「そういうことだ。予想屋としては腕の振るい甲斐があるってもんだな」
「いつから予想屋になったんだ、北川スキー? まぁ、いい。で、栞がこの先さらにポイントを伸ばすとしたら、どういう手段がいいと思う? やっぱりお色気に走るべきか?」
「うーん、脱いで人気を取りに行くのは簡単だが、それで清純派のファンが離れていく諸刃の剣。素人にはお勧め出来ないな」
もっともらしく腕組みをして頷く北川。
俺はくるっと椅子を回して栞に向き直った。
「というわけだから、脱いでも勝負できないぞ、栞」
「うー、残念です」
本当に残念そうに呟く栞。
「その前に、あたしがそんなのは許さないわよ。栞、注文のサンドイッチとケーキセット」
香里が栞に皿を乗せたトレイを渡す。栞は不満げな顔をしながらもそれを受け取ると、客の所に走っていった。
北川が香里に声を掛けた。
「でもさ、栞ちゃんがああやって、建気に頑張ってるところを売り込もうとしてるのに、ここで香里が睨みを効かせてると効果半減じゃないのか?」
「なるほど。道理でさっきから栞ちゃんに声を掛ける男子生徒がいないと思ったぜ」
俺は納得した。まさしく、踊り子には手を触れないでください状態。
「悪い?」
ぎろっと睨まれて、俺と北川は速攻で両手を上げた。
「よろしい」
香里は頷いて、それからまた栞の方に視線を向けた。
その横顔を見て、俺は訊ねた。
「なぁ、香里。まだやっぱり、栞とは……」
「……」
ぎゅっと唇を引き結ぶ香里。その表情を見た俺は、それ以上の追求はしないことにして、立ち上がった。
「さて、それじゃそろそろ他の所に行くか。北川はもうちょっとここにいるのか?」
「いや、俺もそろそろ委員会に戻らないとな」
北川も時計を見て立ち上がった。そして香里に声を掛ける。
「またな。今度は昼飯を食いに来ると思うぜ」
「ええ、わかったわ」
香里は軽く手を振った。
教室を出たところで、体育館に向かうという北川とは別れ、俺は廊下をぶらぶらと歩いていた。
「相沢さん」
不意に後ろから声を掛けられた。
「うん?」
振り返ると、制服姿の天野が立っていた。
「よう、天野じゃないか」
「……はい」
「真琴は一緒じゃないんだな」
一人なのを見て何気なしにそう言うと、天野は表情を険しくした。
「相沢さん。私は、真琴の保護者ではありません」
「まぁ、そりゃそうだな。気に障ったか?」
珍しい天野の口調に、ちょっと驚いて聞き返す。
「いえ」
首を振る天野。
その表情がいつものものに戻ってるのを見て、俺は改めて訊ねた。
「それで、こんなところでどうしたんだ? クラスの方は?」
「少し休憩したらどうかと、クラスのみんなに言われましたので」
なるほど。
「それなら、どこかのクラスでも見に行けばいいのに。あ、でも一人で見て回ってもつまらないか」
「はい、それもありますし、それに昨日、真琴や水瀬先輩と一緒に回りましたし」
「でも、全部回った訳じゃないだろ? 校庭の方の模擬店には行ってないわけだし。よし、それじゃ行ってみるか」
「……は?」
聞き返す天野の腕を取って、俺は歩き出した。
「ちょ、ちょっと相沢さん、何を……」
「何って、一緒に見て回ろうぜ」
「相沢さんとですか?」
聞き返されて、俺は立ち止まった。
「嫌ならいいけどさ」
「そ、そんなことは、ありませんけど……」
俯いて口ごもる天野。
「前々から天野には色々世話になってるからな、この時とばかりに恩返しをしておきたいんだ」
「あ、相沢さんっ、日本語が変です」
そう言うと、天野は顔を上げた。
「それに、水瀬先輩に悪いですし……」
「名雪に? 別に名雪は気にしないと思うけどなぁ」
「それは、相沢さんがそう思ってるだけですよ。水瀬先輩だって、私なんかが相沢さんと一緒に見て回ったなんて噂になったら、気を悪くします」
「そんなことないよ」
「……っ!」
思わず息を呑む天野。
俺は振り返って、「よう」と手を上げた。
「名雪、今からうちのクラスでウェイトレスするのか?」
「うん。わたし、あっちに行ったりこっちに行ったりで、忙しくて大変だよ」
そう言うわりには楽しそうに笑う名雪。
ちなみに名雪は、今日は朝からずっと陸上部の方を手伝っていたはず。
「陸上部の方は?」
「うん、やっと終わったんだよ。それで、次に喫茶店の方を手伝おうと思って。元々わたしも当番なんだし」
「それは感心なことだが、少しくらい休憩入れてもいいんじゃないか?」
「でも、今日で文化祭もおしまいだもん、休んでるのがなんだかもったいなくて」
そう言って笑う名雪。さすがは陸上部部長、体力は十分なようである。
「そういうもんか」
「そういうもんだよ。というわけで、わたしは忙しいから、天野さん」
「は、はいっ!?」
いきなり話を振られて、珍しく素っ頓狂な声を上げる天野に、名雪は微笑んだ。
「祐一のこと、お願いするね」
「はい……、って、ええっ? な、何を言ってるんですかっ?」
「わたしも、天野さんには色々お世話になってるし、それにあゆちゃんや真琴の分もあるし。だから、わたしはいいよ」
「ちょ、ちょっと、そんな簡単に……」
「あ、早く行かないと香里に怒られちゃうよ。じゃねっ!」
そのまま、さすがは陸上部部長というスピードで名雪は教室に駆け込んでいった。
俺は肩をすくめて、天野に向き直る。
「というわけで、名雪はOKだそうだから、あとは天野次第だな」
「……相沢さん、ずるいです」
天野はそう言うと、俺に視線を向け、頭を下げた。
「わかりました。それでは、ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「おう、任せとけ」
俺は頷いて歩き出した。
「あっ、待ってくださいっ」
慌てて追いかけてくる天野に、振り返って俺は言った。
「なんなら、手を繋ぐか?」
「そっ、そこまでしなくてもいいですっ」
校庭に出ると、さすがは最終日と言うべきか、ほとんど神社のお祭り状態だった。金魚すくいや射的、マニアックなところでは型抜きの屋台まで出ている。
「なんつーか、浴衣で歩きたい雰囲気だな、こりゃ」
「そうですね」
「お、綿飴だな。天野、一つ買ってやろうか?」
「あ、はい」
天野が頷いたので、俺は店番の生徒に頼んで綿飴を作ってもらった。代金を払って2つの綿飴を受け取り、一つを天野に渡す。
「ほら」
「ありがとうございます」
天野は頭を下げて綿飴を受け取ると、小さく口を開けて囓り取った。
「ふふっ、美味しいです」
「そっか」
俺も一口綿飴を食べた。
「……甘い」
「綿飴とは、そういうものですよ」
天野はそう言って微笑んだ。
ピンポンパンポーン
『ウォンチュ! そろそろ、体育館で男子生徒の皆さんお待ちかね、美少女コンテストが始まっちゃうよ。お急ぎでない人はみてらっしゃい。でもカップルで行くと相手の娘には怒られる罠。ヒヤウィゴー!』
相変わらずはっちゃけたアナウンスだった。もうこれが聞けるのも今日限りかと思うと少々もったいない気がするが。
「相沢さん、コンテストが始まりますよ」
「いいのか? カップルで行くと相手の娘が怒るんだろ?」
「……」
無言で、天野は俺の脇腹をつねった。
「あいてて」
「行きますよ」
そのまま、すたすたと歩いていく天野。
俺は苦笑して、その後を追いかけた。
体育館の入り口は、押し寄せる人波にごった返していた。
入り口で投票用紙をもらい、中に入る。
基本的に体育館は、2日目の舞踏会を除けば、フロアで何かするというよりも、ステージで何かをするのを観客が見るという催しに使われる。というわけで、フロアにパイプ椅子がずらっと並べられているのは、もうおなじみの風景となっていた。
ただし、今日の客席の埋まり具合はいつもの5割増しである。当然ながら圧倒的に男の方が多いのだが、その数がどう見ても、うちの学校の男子生徒全員を集めたよりも多いところを見ると、他からやって来ている連中もいるんだろう。
「すごい人ですね……」
とりあえず、出入りする人の邪魔にならないように、客席の壁際まで移動したところで、天野が呆れたような口調で言う。
俺もため息混じりに言った。
「そうだな。他のみんなもどうせ来るだろうから現地で合流できるかと思ったけど、甘かったかな」
「そんなことはないですよ」
天野は肩をすくめた。
「相沢さんは、いろんなものを引き寄せてしまいますから」
「それって、どういう……?」
聞き返そうとしたとき、不意に視界が真っ暗になった。
「だ〜れだ」
顔には柔らかな手の感触。そして聞き慣れた声。
「佐祐理さん?」
ごすっ
視界が明るくなると同時に、後頭部にチョップが叩きつけられた。
「あいて! で、でも声は確かに佐祐理さん……」
後頭部を押さえながら振り返ると、舞が仏頂面で立っていた。そしてその後ろに佐祐理さん。
「もしかして、佐祐理さんは「だ〜れだ」って言っただけ?」
「はい、そうです。祐一さん、声で騙されちゃって舞が判らないなんて、佐祐理は悲しいです」
「……悲しい」
「えーと、えーと……。いや、誰だって聞いたのは佐祐理さんで舞じゃないだろ? だから佐祐理さんで合ってるんだよ」
俺が苦し紛れにそう言うと、佐祐理さんはぽんと手を合わせた。
「あ、そう言われてみればそうかも知れませんね。あははーっ、それじゃ今度は舞に自分で言ってもらいますね」
「おう、それならきっと判るぞ」
「……それなら、納得」
こくりと頷く舞。
それから、佐祐理さんは改めて天野に挨拶していた。
「こんにちわ、天野さん。今日は祐一さんと一緒だったんですねー」
「あっ、はい」
こくりと頷く天野。
佐祐理さんは、辺りを見回した。
「祐一さん、他の皆さんは?」
「栞や真琴は出演者から当然として、名雪や香里はうちのクラスでウェイトレスをしてるから来られるかは微妙。あゆは多分どこかで血迷ってる」
「血迷ってなんかないよっ!」
いきなり耳元で声を上げられた。さすがに驚く。
「うぉ? どこから現れたんだあゆあゆ」
「ボク、佐祐理さんや舞さんと一緒に来たんだよっ」
「はい、一緒に来たんですよ」
「そう、一緒に来た」
「……3人で言わなくてもいいって」
俺が苦笑しながら言ったとき、ゆっくりと場内の照明が落とされていった。そして、アナウンスが流れる。
『えー、皆さん大変お待たせ致しました。間もなく、美少女コンテストを開始いたします』
おおーーっ、とどよめきが場内を満たした。
Fortsetzung folgt
あとがき
そういえば、質問を受けたので、この場を借りてお答えします。
Episode.54と55に出てきた、佐祐理さんが作った「アイスクリン」ですが、アイスクリームとは違います。
アイスクリームとシャーベットのあいのこみたいなもんで、高知名物らしいです。でも原産地は横浜という説もあり、沖縄や秋田や青森でも目撃されてたりします。
アイスほどまったりしておらず、シャーベットほどあっさりしてないそうです。
プールに行こう6 Episode 57 02/2/27 Up