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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 54

 木曜日、つまり体育祭の2日目である。
 競技もつつがなく進行し、あっという間に終わった。
「うぐぅ、まだ終わってないよ」
「だから、俺の考えてることにツッコミを入れるなって」
 俺が言うと、あゆが答えるよりも早く名雪が口を挟んできた。
「祐一、あゆちゃんいじめたらだめだよ」
「名雪は、元気そうだな」
「うん。だって、ついにわたしの出番だもん」
 そう、とうとう最終プログラム、クラス対抗リレーの順番が回ってこようとしているのだ。
 俺達は入場門の前で、ラスト1つ前の競技、1年男子の棒倒しが終わるのを待っている状況である。ちなみにあゆは単に時間になるまで遊びに来ているだけで、間違ってもリレー選手ではない。
「うぐぅ、どうせボクは走るのは早くないよっ」
「その足でどうやって食い逃げを成立させてるのか、小一時間問い詰めたいのは山々だが、それはおいといて、と。で、今の得点はどうなってんだ?」
「えーっと」  あゆは、少しの間、視線を宙にさまよわせてから、ふぅとため息を付いた。
「うぐぅ、忘れたよ」
「あのな」
「まぁまぁ。得点なんてどうでもいいよ〜」
 にこにこしながら口を挟む名雪に、俺は向き直った。
「良くないって。どうでもいいんなら適当に走るぞ……って冗談だ冗談。だから首を絞めるのはやめろ松長」
「ったく。最後はお前に掛かってるんだからな、適当なことしてたら殴るぞ」
 第2走者の熱血体育会系馬鹿、松長は、後ろから俺の首に回していた腕を解いた。
 ちなみにこいつ、こう見えても佐祐理さんのファンなのだそうである。
「というわけで、相沢。俺がトップで水瀬さんにバトンを渡したら、倉田先輩に紹介してくれるっていう約束は守ってもらうからな」
「そりゃ構わないけどなぁ」
「うおっしゃぁ! 萌える、萌えるぞ〜〜っ!!」
「萌えてどうする、おい」
「?」
 あゆと名雪、そして第1走者の岸谷さんが顔を見合わせてきょとんとする。
 俺はとりあえず松長に尋ねた。
「で、松長は把握してるのか?」
「あん? 無論倉田先輩のスリーサイズなら把握してるぞ」
「何故知ってるっ!」
「必然!」
 “当然”を通り越した答えをきっぱりと返す松長に、俺は額を抑えた。
「はいはい。で、佐祐理さんのスリーサイズや下着の色には漢として興味が尽きないところではあるが、それはとりあえずおいといて、現在の体育祭部門の得点だ」
「ああ、なんだ、そんなことか」
 肩をすくめて、松長は答えた。
「うちのクラスが1等だったら、逆転優勝ってところだな」
「……マジ?」
 思わず聞き返すと、松長は頷いた。
「マジだ。今の総合1位が2年A組で778点、2位が2年E組で775点、3位がうちで770点だな。で、クラス対抗リレーのポイントは、1位が100点、2位が90点だ」
 俺は松長の並べる得点を、地面に指で書いて計算していた。
「ということは、もしうちが1位だったら870点、2−Aが2位でも868点となるから勝てる、か」
「そういうことだ」
 松長の答えに、いきなり責任重大になったことを知って、俺は頭を抱えた。
 と、不意に後ろから声が聞こえた。
「あ、水瀬部長、相沢さん。こんにちわ」
「あれ? 風見さんも出てたんだね」
 名雪の応じる声に振り返ると、見覚えのある2年生が俺達に頭を下げた。
 あの娘は確か、陸上部で見たよな……。
 俺が思い出そうとしてる間にも、その娘と名雪が話を続けていた。
「風見さん、もしかして第3走者?」
「はいっ。って、部長もですか?」
「うん、そうなんだよ」
「それじゃ、負けられませんねっ」
「お互いに頑張ろうね」
 にっこり笑う名雪に、風見はこくりと頷いて、言った。
「負けませんよっ」
 と、2−Aの女生徒がこっちに向かって大声を上げて呼んだ。
「風見さーん、ちょっと来てーっ」
「あ、うんっ、今行くーっ。それじゃ部長、失礼しますっ」
 ぺこりと頭を下げ、そのまま自分のクラスの場所に戻っていく風見を見送りながら、名雪はため息をついた。
「ちょっと困っちゃったなぁ」
「どうした、名雪?」
「あ、うん。風見さんがリレーに出てて、しかも第3走者だなんて、わたし知らなかったんだよ」
 走ることに掛けてはかなりの自信持ちのはずの名雪が、ため息なぞついているのはちょっと驚いた。
「風見って、そんなに早かったか?」
「祐一も陸上部員なんだから、ちゃんと憶えててよね」
「すまん。って俺は陸上部員じゃねぇっ!」
「あ、あれ? あはは」
 名雪が笑って誤魔化そうとしていると、話を聞いていたらしい松長が割り込んできた。
「ちょっとスマン。水瀬さん、今の風見って娘、もしかして陸上部の秘密兵器と言われてる、あの風見冬香?」
「うん、そうだよ」
 こくんと頷いて答える名雪。松長はう〜んと腕を組んだ。
 俺は松長に訊ねた。
「知ってるのか、エロエロ」
「誰がエロエロだ、誰がっ!」
「わぁっ、わかったからナガタロック2はよせっ! いてててっ!」
「はぁはぁ、ったく。いいか? 風見冬香と言えば、去年の陸上選考会で彗星のごとく現れた新人と呼ばれてるんだぞ。なにしろ、400メートルでは今年の県内高校生記録を持ってるんだ」
 県内高校生記録保持者ってことは、要するに県内最速ってこと、なのか?
「マジですか?」
「嘘ついてどうする! だよな、水瀬さん?」
「うん、ホントだよ。うーっ、困ったなぁ」
 あんまり困ってないような口調で言う名雪。
 ちなみに名雪の得意なのは長距離であり、瞬発力に欠ける分持久力には優れている。その持久力たるや、途中で寝てしまわない限り4ラウンドまでは平気でこなしてくるほどで、俺の方がむしろ……。
 ぺしん
「はいっ?」
 後ろから後頭部を叩かれて、俺は我に返った。振り返ると、あゆが真っ赤になっていた。
「祐一くん、えっちだよっ」
「あ、いや、気にするな。これも漢の浪漫だからな」
「うぐぅ」
「それはそれとして、だ」  俺は“その話はこっちにおいといて”のゼスチャーをしてみせてから、名雪に尋ねた。
「改めて確認しておくが、風見さんって2年A組なんだよな?」
「うん」
 きっぱり頷く名雪。
 俺は顎に手を当てた。
「そうすると、強敵だな。ちぃっ、こうなると知ってたら、栞に頼んで一服盛ってもらえばよかった」
「栞ちゃんは、そんなことしないよ。ボクと同じでいい娘だもん」
 あゆが栞を弁護する。
 苦笑して、俺はあゆの頭にぽんと手を乗せた。
「うぐ?」
「とりあえず、あゆのパワーをもらうぞ」
「えっと、……よくわかんないけど、祐一くんがそれで勝てるんなら、どうぞっ」
 真面目な顔をして目を閉じるあゆ。
 俺はその頭を撫でると、言った。
「よし、もういいぞ、あゆ」
「もういいの? ボク、パワーあげられた?」
「まぁな」
 頷く俺に、あゆは笑顔で言った。
「うんっ」
 名雪も口を挟む。
「あゆちゃんにパワーもらったんだし、頑張ろうね、祐一っ」
「まぁ、これで下手なコトしたら天沢副部長殿の鉄拳制裁が待ってるだろうからな。俺もマジにやらせてもらうぜ」
「そうだね〜。う〜っ、わたしも、風見さんに負けたら、郁未ちゃんに怒られるかも〜」
 急に深刻そうな顔で悩み始める名雪。
「そうだ。名雪さんにもボクのパワーわけてあげるよっ」
 あゆがナイスアイディアとばかりに言うと、俺にしたのと同じように目を閉じる。
「そうだな。名雪もわけてもらえ」
「ありがとう、あゆちゃん」
 名雪はあゆの頭にぽんと手を置くと、しばらくそうしてから声を掛けた。
「ありがと。いっぱいもらっちゃったよ」
「えへへっ、ボクも役に立ったかな?」
「うん、十分だよ」
 顔を見合わせて笑う2人。
 と、そこにアナウンスが聞こえてきた。
『これで、1年男子による、棒倒しが終わりました。次はいよいよ、オーラスの、クラス対抗リレーです』
「いよいよだな。あゆ、お前もそろそろ席に戻ってろよ」
「うん。祐一くん」
 あゆは、俺にガッツポーズをして見せた。
「ファイト、だよっ!」
「それ、わたしのセリフだよぉ」
「あは、ごめんなさい、名雪さん。それじゃっ!」
 ぱたぱたと駆け戻っていくあゆを見送って、俺はクラスのメンバーに声を掛けた。
「よし、それじゃ一発、ぶちかましてやるかっ!」
「おうっ!」
「ええ!」
「がんばろうねっ!」
 それぞれの声を上げるメンバー。
 そして、引率の委員がやって来た。
「それじゃ入場します。選手は全員、立ってください」

「用意……」
 パァン!!
 ピストルが打ち鳴らされ、第1走者が一斉に飛び出す。
 いよいよリレーが始まったのだ。
 クラス対抗リレーは総距離2000メートルを4人で走る。つまり、1人あたり500メートル走るわけだ。妙に中途半端な距離なのだが、何故か昔からそうなっているとのことである。
 トラックは1周400メートルなので、リレーのポイントがトラックのカーブのところだったりする場合があり、普通のリレーよりもさらに駆け引きが要求される。
 ちなみに、全学年全クラスが一斉に走るので、トラック上は20人以上、リレーポイントでは40人が右往左往するわけだから、かなり混雑する。コース取りも、普通のトラック競技以上に重要視されるわけだ。
 我が3年A組の第1走者は岸谷さん。テニス部員で、足も速いのだが、他のクラスもやはり精鋭を揃えてきているらしく、先頭グループには入っているがトップには上がれない状況だ。そのままトラックを1周し、カーブで第2走者の松長にバトンを渡す。
 松長はそのまま全力で走り出し、一気にトップを取った。わき上がるうちのクラスの応援席。
 だが、俺は舌打ちしていた。
 松長は、明らかにハイペースだったからだ。500メートルともなると、実際に走ってみると意外に長かったりする。最初から全力で飛ばして、そのまま走りきれる距離じゃない。
 案の定、後半はずるずるとペースを落として、一時は広げた差を詰められ、ついには逆転されてしまっていた。
 代わってトップに出たのは。
「ちっ。2−Aか」
 俺は思わず舌打ちして、ちょうど目の前を走りすぎていく選手達を見送った。そして松長に声を掛ける。
「こらぁ、松長っ! そんなんじゃ佐祐理さんは紹介してやらんぞっ!」
 ちらっと俺の方を見るが、もはや松長に余力は残っていなかったらしい。さらにずるずると後退して、次々と追い抜かれていく。
 思わず額に手を当てて見守る中、松長がバックストレートで名雪にバトンを渡したとき、順位は5位に落ちていた。
「名雪っ!」
 思わず声を上げる中、名雪は駆け出した。
「ほう」
 思わず、俺は口に出して呟いていた。
 名雪は、最初のカーブで一気に前を走る選手との差を詰めると、アウトコースから強引に抜き去った。そして、目の前を駆け抜けていく。
 一瞬、ちらっと名雪が俺を見た。
 俺も、名雪を見た。
 2人の視線が交錯し、そして名雪は駆け抜けていった。
 だだっと他のクラスの第3走者が駆け抜けていき、全員が通り過ぎた頃には、先頭の風見は反対側のコーナーに入ろうとしていた。
「最終走者は、リレーの位置に入ってくださ〜い」
 促されて、待機していた最終走者達はトラックに出る。
 俺は、横目でちらっと2−Aのアンカーを見た。
 確か、こいつも陸上部の練習のときに見たことがあったような。ってことは陸上部員か。うーん、男子の顔も、もう少し憶えてた方が良かったかもな。
 ま、そんなのは今更だ。それよりも、名雪は?
 俺は視線を向け直した。
 名雪も反対側のコーナーに入っていた。既に1人をどこかで抜いたらしく、現在3位。
 そしてカーブでさらに1人を、アウトコースから豪快に抜いた。これで、2位。
 だが、さらにその前を走る風見。確かに早い。名雪との差は10メートルはあろうか。バトンリレーした時点から全然差が詰まってない。……確かに離されてもいないのだが。
 そのままの距離を保ったまま、バックストレートに入る。
 と、そこからだった。
 名雪と前の風見との差が、じりじりと小さくなっていく。
 なるほど、名雪のやつ、風見が400メートルを過ぎたら、ばてると読んで勝負に出たな。
「よし」
 一つ自分に声を掛けて、俺はラインに立った。
 隣には2−Aのアンカー。
 改めて、トラックに視線を向ける。
 逃げる風見、追う名雪。その差がどんどん縮まるが、それでも届かないか。
 風見が先にアンカーにバトンを渡し、1秒あるかないかの差で、名雪は俺にバトンを渡した。
「ふぁいと、だよっ!」
「おうっ!」
 俺は、そのまま走り出した。前を走る2−Aのアンカーの背を睨んで。

 そして……。

「……そうでしたか」
 報告会となった夕食の場で、俺達の話を聞き終わると、秋子さんはいつも通り柔らかな微笑みを浮かべた。
 ちなみに今日は、水瀬家一同にまいまいさゆりん、美坂姉妹に天野とフルメンバーが揃っている。
「ごめんなさい、佐祐理たちも見に行けたら良かったんですけど」
「今日は一日授業だったから」
 佐祐理さんと舞にすまなさそうに言われ、俺は軽く手を振った。
「あ、いや。むしろ見られなくて幸いだった」
 名雪が、しょんぼりとして呟く。
「ごめんね、祐一。わたしがもっと速かったらよかったんだよね」
「それは、名雪だけのせいじゃない。お互いに、言いっこなし、だろ?」
「うん、そうだね」
 俺の言葉に、頷いて、名雪は微笑みを浮かべた。
 結局、俺は2−Aのアンカーを追い抜くことが出来ず、2位のままゴールに飛び込んだのだった。
「それでも、祐一さん格好良かったですよ。私、思わず祐一さんを応援しちゃいました」
 えへ、とぺろっと舌を出す栞。
「栞に賛成するのは面白くないけどっ、でも祐一がかっこよかったのは賛成。ねっ、美汐?」
「そうですね。はい、真琴、熱いですよ」
 真琴に味噌汁をよそってやりながら頷く天野。
「あっ、ありがと、美汐」
「いえ」
 軽く首を振ると、天野は楽しそうに、味噌汁をすする真琴を見つめていた。
「結局、総合得点でも、うちのクラスは栞のクラスに負けたわけよね」
 香里が呟くと、栞が胸を張る。
「えへん。勝ちです」
「威張るな栞。お前は全然貢献してないじゃないか」
「そっ、それはそのぉ、そうかもしれませんけど、ほらっ、適材適所って言葉があるじゃないですかっ」
「そうよ、相沢くん」
 じろりと俺を睨む香里。
「栞に運動で活躍しろ、なんて無理難題を言わないで欲しいわね」
「お姉ちゃんも、微妙に意地悪なこと言ってませんか?」
 栞がうーっと膨れた。
「そんな事言うお姉ちゃんも祐一さんも嫌いですっ」
「まぁまぁ、栞ちゃんも拗ねないで。アイスクリンはいかがですか? 今日は、秋子さんに教わって、佐祐理が作ってみたんですよ」
「私も手伝った」
「あ、そうだよね。ありがと、舞」
「別に」
 そっぽを向く舞。もっとも、これが舞の照れている状態だと既に見抜いている一同であった。
 佐祐理さんは立ち上がってキッチンに行くと、しばらくして大きなタッパーを持って戻ってきた。そして蓋を開けると、中には白いアイスクリームが詰まっていた。
「はいっ。そんなわけで、これが佐祐理と舞の自信作ですよーっ」
「わ、ほんとですかっ? 嬉しいですっ」
 笑顔でアイスクリームを勧める佐祐理さんに、あっさり陥落した栞は、一口食べて目を輝かせた。
「わ、これ美味しいですっ。秋子さんのアイスクリームにも負けてないですっ」
「よかった」
 笑顔の佐祐理さんは、続いて他のみんなにも勧めた。
「みなさんもどうぞ」
「わぁい、アイスアイス〜」
「こら、真琴。はしたないですよ」
 お箸を握ったまま喜ぶ真琴に、天野が注意した。
「あ、あうう〜〜」
「それに、真琴はまだおかずが残ってます。デザートは全部ご飯を食べてからです」
「あう、わかったわようっ」
 そう言って、一気にご飯とおかずを掻き込む真琴。と、その動きがピタリと止まった。
「うぐっ、ぐぐっ、ひ、ひず……」
「あ、ほらほら、落ち着いて」
 声を掛けながら天野が手渡したコップの水を、一気に飲み干す真琴。
「……ぷはぁ。あう〜、死ぬかと思ったぁ……」
「そんなに慌てなくても、ちゃんと真琴さんの分も残しておきますから」
 佐祐理さんに笑顔で言われて、真琴は嬉しそうにうんうんと頷いた。
「それなら安心っ」
 俺は苦笑しながら、佐祐理さんと舞の作ったアイスに口を付けた。
「うーん、俺にはちょっと甘いかな?」
 そう呟いた瞬間、秋子さんの目がキュピーンと光ったような気がした。
「祐一さん。甘くないのも、ありますよ?」
 そう言いながら立ち上がろうと腰を浮かす秋子さんに、俺は全力で答えた。
「ごめんなさい、これがちょうどいいです、美味しいです」
「そうですか」
 残念そうに呟いて座り直す秋子さん。そしてほっと胸をなで下ろす数名。
 こうして、水瀬家の夕食は過ぎていった。

 ちなみに、この夕食の間、あゆはすっかり忘れ去られていた。
 登場人数が多い話では、よくあることである。うん。
「……うぐぅ」

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 54 02/2/22 Up 02/2/26 Update 02/3/18 Update

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