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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 53

 そうこうしているうちに、午後のプログラムもまったりと消化されていき、ついに水瀬家的1日目午後最大の山場、2年女子の借り物競走が始まろうとしていた。
「うぐぅ、ボクのパン食い競争は山場じゃなかったんだ」
「まぁ、どっちかって言えばオチに持ってきたかったな」
「祐一くんの意地悪っ」
 とまぁ、いつものやりとりをしている間にも、出場する女子生徒達が整然とグラウンドに入場していく。
 その生徒達の中に、真琴や天野の姿も見えた。
「でも、借り物競走か。天野はともかく、真琴はちょっと不利じゃないか?」
「ボクは、そんなことないと思うけど」
「そうか? 俺としては、真琴が借り物をちゃんと理解できるのか不安なんだが」
「もうっ。祐一くん、そんなこと言ったら真琴ちゃんが可愛そうだよっ」
 なぜか、自分が何か言われた時よりもムキになって反論するあゆ。
「だけどなぁ」
「うぐっ! そんなに言うなら、ボク、真琴ちゃんがちゃんと借り物出来ることに賭けるよっ!」
 椅子から立ち上がって、こぶしをぶんぶんと振り回しながら俺に迫るあゆ。いつにない迫力に、思わず腰を引きながら、俺はグラウンドに視線をそらした。
 すると、入場してきた女子生徒達は既にスタート脇に並んで座っており、第1走者がスタートラインに並んでいた。
「お、そろそろスタートみたいだぞっ」
「えっ? あ、ほんとだ」
 スタートラインの方を見て、慌てて座り直すあゆ。
 俺は、そのスタートラインに並ぶ女生徒の中に、見知った顔を見つけた。
「お、天野じゃないか」  どうやら2年E組は、天野が先発するらしい。
「ほんとだ。天野さーん、がんばれーっ!」
 また立ち上がって、ぱたぱたと手を振るあゆ。
「しかし珍しいな、天野が最初から出てくるなんて」
「うぐ、そうかな?」
 もう一度座り直して聞き返すあゆに、俺は腕を組んで答えた。
「ああ。天野って目立つことは嫌いみたいだしな。同じ事をいつも言ってるわりには容姿で目立つ誰かさんに比べると地味だし」
「その誰かさんって、誰のことかしら、相沢くん?」
 名雪の向こう側に座っていた香里が、じろりと俺に視線を向けた。
「いや、別に香里のことなんてこれっぽっちも言ってない。っていうか、名雪寝てるしっ」
「……くー」
 どうもさっきから話に入ってこないと思ったら、名雪はいつの間にか座ったままこっくりこっくりと舟を漕いでいた。
「こら起きろ名雪! 真琴が出てるんだぞっ!」
 肩を掴んで揺さぶると、名雪はうっすらと目を開けて呟いた。
「うん、起きてるよ……。イチゴジャム美味しいもん……」
 どう見ても寝ぼけてやがる。
 と、そうこうしているうちに、スタートの準備が整ったらしく、スターターがピストルを天に向けて、一発撃った。
 パァン
 8人が一斉にスタートを切り、まずは100メートルほど先にある、借りるものを書いた紙片の入ったボックスのところに殺到していく。
 天野は、ややゆったりとスタートを切って後方に着いていた。本気を出せば多分ダントツのトップなのだろうが、まぁ秘密の職業柄やむを得ないかな、というところだ。
 他の選手が一斉に紙片に飛びついて行く中、やや遅れて到着した天野は、余裕をもって騒ぎの中から紙片を拾い上げて、2つに畳んであったそれを開いて中を読む。
 と、その場でぴしりと固まったのが、こちらからでも判った。
「どうしたんだ、天野の奴?」
「さぁ」
 顔を見合わせて、俺とあゆはもう一度天野の方に視線を向けた。
 と、天野がこっちを見た。そして、そのまますたたっと駆け寄ってくる。
「もしかして、俺達の所に向かってきてないか?」
「ボクもそう思う」
 そんなことを言っている間に、天野は俺達の所まで来ると、右手で紙片を握りしめたまま、左手を胸に当てて言った。
「あの、お願いがあるのですが」
「うぐっ! ブルマ、脱がないとだめ!?」
 慌てて立ち上がりながら聞き返すあゆ。
「なんでやねんっ!」
 思わずそのあゆにツッコミを入れてしまう俺だった。
 と、その腕がひしと掴まれた。
「相沢さん、お願いします。何も聞かないで来てもらえませんか?」
「俺かよっ!?」
「はい」
 思わずさまぁ〜ず風の反応をする俺に、こくりと頷く天野。
「そっか、ボクじゃないんだ。祐一くん、がんばって!」
「行ってらっしゃい」
「……くー」
 3人に励まされ(名雪が励ましてるかどうかはおいておく)、俺はやれやれと肩をすくめながら、椅子から立ち上がった。

 天野と並んで走り、ゴールに入ると、そこには10人ほどの生徒が椅子を並べて座っていた。
 天野は手にしていた紙片をその一人に手渡す。
 彼らが紙片を回し読みし始めたので、俺は天野に尋ねた。
「あいつら、何やってるんだ?」
「えっと、審判団だそうです。借り物が成立しているかどうかを判定するんだそうです」
 と、そこで彼らが一斉にプラカードを上げた。
 全部「○」である。
「お。オッケイが出たみたいだな」
「……はい」
 胸に手を当てて、ほっと一息つく天野。
 俺は辺りを見回して、天野の肩をぽんと叩いた。
「どうやらトップらしいな。おめでとさん」
「え? あ、本当ですね」
 天野も辺りを見回して、初めて気付いたらしく目を丸くしていた。その天野に、ゴール係が1着の旗を手渡している。
 その旗を手に、天野は俺に頭を下げた。
「協力して頂いて、ありがとうございました、相沢さん」
「ああ、それはいいんだが、結局天野の借り物って何だったんだ?」
「え? あ、えっと、私、並ばないといけませんから」
「こら、話を逸らすな。しかも逸らし方が下手だし」
「う。……あ、ほら、真琴がスタートしますよ」
 スタートの方向を指す天野。
 俺がそっちを見たその瞬間、パァンとスタートの号砲が聞こえてきた。
「お、真琴のやつ、今度はトップを走ってるな。そういえば、400メートルの時に真琴を叱ってたな、天野」
「はい。真琴が本気を出すのはまずいにしても、やっぱり一生懸命競技をしている人をおちょくるような行動は好ましくありませんから」
「そうだな。で、借り物は何だったんだ?」
「そんな手には乗りませんよ」
 うーん、真琴やあゆならあっさり引っかかるような手だが、さすがに天野には通用しないか。
 まあ、後で聞けばいいや。
「それじゃ、とりあえず俺は席に戻るから」
「あ、はい」
 頷く天野を残して、俺は自分の席に小走りに、
「祐一ーーっ!!」
 戻ろうとしたところで、後ろから真琴が駆け寄ってきた。そして俺の首根っこにしがみつく。
「祐一っ、一緒に来てようっ!」
「なんだなんだ、真琴まで。借り物は何なんだ?」
「うん、これ」
 真琴が広げて見せた紙には、大きく「好物」と書いてあった。
「なんで俺が好物なんだっ!」
「だって、好物って好きなものってことでしょ? 真琴、祐一のこと好きぶっ」
「こんなとこでそんな大声で叫ぶな」
 慌てて真琴の口を塞ぎながら辺りを見回す俺。
 幸い、グラウンドの真ん中で、かつ周りの客席からの声援が大きかったので、他の人には聞こえてはいなかったようだった。
「ぶぐ〜〜っ」
「お、悪い」
 ジタバタと暴れる真琴の口から手を離すと、真琴は大きく息を付いた。
「あう〜っ、死ぬかと思ったぁ」
 そんな真琴の姿を見て、俺は額を押さえながら言った。
「まぁ、いいか。真琴がそれで納得するなら、とりあえず一緒に行ってやるけどなぁ」
「えっ? うん、ありがと祐一っ」
 ぱっと笑顔になると、俺の手を引いて走り出す真琴。

 しかしながら、ゴール後の判定では、案の定審判団は全員一致で「×」を出してきた。
 真琴はその一人の胸ぐらを掴むようにして問いただしに掛かった。
「なんでようっ!!」
「わわっ、暴力反対っ!」
 ピピーッ!
 慌ててホイッスルを鳴らしながらゴール係が駆け寄ってくる。
「審判団への暴力行為は失格ですよっ!」
 俺も後ろから真琴を羽交い締めにしながら、審判に言った。
「とりあえず理由を説明してくれないか? でないとこいつも納得しないようだし」
「あ、はい。えーとですね、好物っていうのは人じゃないですから」
 もう一度殴りかかられてはたまらないと思ったらしく、早口で説明する審判員A。
「え? 好きなものでしょっ?」
「ものです。人ではないです」
「あう〜〜っ、そんなのわかんないわようっ!」
 そう言いながら、俺に羽交い締めにされたままジタバタもがく真琴。
 それを見たらしく、天野が駆け寄ってきた。そして、真琴の頭に手を乗せて、優しく言う。
「真琴、ほら、落ち着いて」
「あ、あう……」
 そのままおとなしくなる真琴。
「おお、見事だな、天野。ビーストマスターの称号を与えよう」
「そんなのいりません」
 あっさりと返されてしまった。むぅ、さすが手強いな。
「でも、美汐、それじゃどうすればいいのようっ」
 そんな天野の手を取って、しがみつくようにして聞き返す真琴。
「そうですね。今のシーズンでは肉まんは難しいですし、そもそもお昼が済んでますから、もうどこにも食べ物は残ってないでしょうし」
「好物って、肉まんのこと?」
「というか、好きな食べ物だな、普通は」
「あう……」
 今度こそ自分の間違いを認識したらしく、真琴はがっくりと肩を落としてしまった。
 と、そこで俺はふと思い付いた。
「あ、そうだ。栞に聞いてみれば持ってるかもしれないぞ」
「え〜っ、しおしおに聞くのぉ?」
 嫌そうな顔をする真琴。
「でも、負けたくないならそうした方がいいかも知れないですよ」
 天野がもっともなことを言う。
 俺は腕組みした。
「しかし、考えてみると、持っていたとしても、栞が素直に貸してくれるかな」
「それもそうですね。あ、そうだ」
 天野は何か思い付いたらしく、真琴に耳打ちした。
「……て、……みて……、……ら」
「……う、うん。それじゃそうしてみる」
 こくりと頷くと、真琴はすごい勢いで2年A組の観客席に向かって走っていった。
 俺は天野に尋ねた。
「真琴に何を言ったんだ?」
「栞さんと交渉する方法を教えただけです」
「なるほどな。で、さっきの借り物は何だったんだ?」
「教えません」
 むぅ、防御は固いな。さすが天野。
 と、真琴が駆け戻ってきた。手には、ほかほかと湯気を立てている肉まん。
 って、ホントに栞のやつ、持ってたのか?
「ほらっ、借りてきたわようっ!!」
 どうだ、と言わんばかりに審判団に肉まんを見せる真琴。そして、今度は審判団も迷うことなく全員「○」を上げた。
「えへへーっ、真琴の勝ちっ!」
 Vサインをする真琴に、ゴール係が旗を差し出す。
 その数字を見て、真琴は「あう」と固まった。
「8位か。惜しかったな、真琴」
「相沢さんを連れてきて、その後にごねていた間のタイムロスが致命的でしたね」
 そう、真琴がごねている間に、他の選手達は次々とゴールインしていたのだった。
「あ、あう〜〜っ」
「ほら、落ち着いて」
 爆発しそうになった真琴を、天野が抱いてあやし始めた。
「あうあう〜〜っ」
 さて、と。このままここにいるのもなんだし、もう戻るか。
「それじゃ俺はこれで」
「……はい」
 俺は天野と真琴に手を振って、そそくさと自分の席に戻っていったのだった。

「それは残念だったわね、真琴」
 夕食の席。
 話を聞いていた秋子さんは、微笑んで真琴の頭を撫でた。
「でも、次は頑張るからねっ」
 もうすっかり立ち直ったらしく、真琴は箸を持ったまま手を突き上げて高らかに宣言する。
「そうね。次はきっと上手くいくわ」
「うんっ!」
 にぱっと笑顔になる真琴。
 その隣であゆはうぐうぐしていた。
「ボク、次もきっと駄目だよ……」
「そんなことないわよ。ね、祐一さん?」
 いきなり俺に振りますか、秋子さん。
「そ、そうだな。なぁ、名雪?」
「……うにゅ?」
 既に半分寝ている様子の名雪は、とろんとした目であゆの方を見た。
「うん……。きっとそれはチュパカブラだお……」
「なんじゃそりゃぁっ!」
 思わずツッコミを入れてしまってから、俺はふと思い出して天野に視線を向けた。
「ところで天野、借り物のことなんだが」
「言えません」
 首を振る天野。
 む〜、相変わらず鉄壁だな。
「あれは、ひとときの夢でいいんですから」
「へ? 何か言ったか?」
「あ、いえ」
 首を振ると、天野は秋子さんに視線を向けた。
「この焼き魚、美味しいですね」
「ありがとう、天野さん。ところで、試して欲しいものがあるんですが」
 ガタッ
「お母さん、わたしごちそうさま。美味しかったからっ!」
 いきなり覚醒して席を立つ名雪。
「お、俺もごちそうさまでしたっ!」
「真琴もおやすみなさいなのようっ!」
 続いて俺と、妖狐のカンなのか、真琴が慌てて立ち上がった。そして俺達は、そのままあたふたと、もつれ合うようにしてダイニングを飛び出した。
 だから、その後残された天野とあゆに何があったのかは、俺は知らない。断じて知らないのだ。うん。

「で、結局天野の借り物って何だったんだ?」
「言えませんっ」
「ねぇ、美汐。顔、赤いよ?」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 謎は謎のままにしておく方が浪漫でいいんですよ。きっと。
 やかま進藤たんの出番がまたあるかどうかは不明です、今のところ。

 プールに行こう6 Episode 53 02/2/19 Up 02/3/17 Update

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