トップページに戻る  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 52

 ポンッ、ポポンッ
 青空に花火の音がこだまする。
 そう、今日は健全な若者の祭典、体育祭の1日目なのだ。
「もう、祐一さんったら。開会式とラジオ体操だけ出て、あとはずっと屋上で昼寝しようとしてたんですか? 健全な若者の祭典はどうしたんです?」
「いいんだよ。俺は不健全で。そう言う栞こそ」
「私は見学です」
 さらっと言うと、栞はフェンス越しにグラウンドを見下ろした。
「ほら、人がゴミのよう」
 俺は無言で、栞の額に手を当てた。
「祐一さん、何ですか?」
「あ、いや。また病気が再発したのかと思ってな」
「そんなこと言う人、嫌いです」
 ぷっと頬を膨らます栞。
 グラウンドからは、皆の歓声が、微かに聞こえてくる。
 不意に、栞が呟いた。
「やっぱり、無理なんですよね」
「うん、何がだ?」
「私、これまでずっと、こうしてみんなが楽しんでいるのを外から眺めてました。無理を言って遠足に参加させてもらっても、帰りは必ず先生におんぶされて帰ってました。お父さんやお母さんや、お姉ちゃんにもいっぱい迷惑かけてました」
 カシャン
 栞がフェンスを握りしめる、微かな音。
「その身体ももうすっかり治ったのに、私はまだ、こうして外からみんなを眺めてる」
「栞……」
「上手く言えないんですけど、一度群から離れてしまったら、もう戻れないんですよ」
 そう言うと、栞は振り返って微笑んだ。
「今のセリフ、ドラマみたいでちょっと格好良いですよね」
「40点だな」
 俺の答えに、栞はむ〜っと唸った。
「祐一さん、何気に採点厳しいです〜」
 答えようと口を開き掛けたとき、屋上のドアが開く音がした。
 俺がそちらに視線を向けるのと、体操服姿の女生徒が顔を出して、こっちを見て声を上げたのは、同時だった。
「あーっ、やっぱりここにいたわっ!」
 その声に、栞はそちらに視線を向けて、目を見開いた。
「新藤さん?」
「もうっ、もうすぐ美坂さんの出番なんだからねっ。早く着替えてよねっ。病気は治ったって聞いてるんだから。あ、先輩いらっしゃったんですか? 全然気が付きませんでした。お楽しみのところ済みませんねぇ。でもうちのクラスの浮沈も掛かってるんってわけなんで、申し訳ないですけど美坂さんはお借りしますねっ!」
 そこまで一気にしゃべりながら間合いを詰めた女生徒が、栞が反論する間もなくその腕をぐいっと掴む。
「きゃっ、ちょ、ちょっと待って……」
「いーえ、待ちませんっ。それじゃ先輩、お元気で〜っ」
「あ〜ん、祐一さ〜ん」
 声を上げながら引っぱられていく栞。
 ぱたん、とドアが閉まって、声が聞こえなくなると、俺は苦笑して、フェンスにもたれかかった。

「祐一、祐一」
 身体を揺さぶられて、俺は目を開けた。
 いつの間にか眠っていたらしい。
 目を開けると、高く上っている太陽を遮るようにして、長い髪の女の子が俺をのぞき込んでいた。
「舞、か」
「……うん」
 こくりと頷く舞。
 俺は身体を起こして、辺りを見回した。そして、屋上にいるのは俺と舞の2人だけなのを確認してから、舞に尋ねた。
「舞はどうしてここに?」
「そろそろお昼だから」
「あ、そっか。水曜日だから屋上の日か」
 目元を擦って眠気を払いながら、俺は立ち上がると、ズボンの尻をパンパンと叩いた。そしてあくびを一つ。
「ふわぁ……。どうやら午前中ずっと寝てたらしいな。佐祐理さんは?」
「他のみんなを探してる。佐祐理に、先に屋上に行って待っててって言われたから」
「そっか」
 下から聞こえてくるざわめきも、競技中のものとは種類が変わっているのが判った。どうやら下も食事時間になっているらしい。
「祐一は、ずっとここにいたの?」
「ああ。どうせ今日は何も出ないからな。身体を休めてたんだ」
「……そう」
 舞は頷いて、太陽を見上げた。
「私も、ここにいたから……」
「体育祭の時に、か?」
「うん……」
 舞は、この学校には、あまりいい思い出は無いのかもしれないな。
 そう思いかけて、俺は首を振った。
 そんなことはない。少なくとも、舞はこの学校で、佐祐理さんと出会うことができたのだから。
 俺の考えを読みとったように、舞は俺に視線を向けて、静かに言った。
「私には、佐祐理がいてくれたから」
「ああ、そうだな」
 風が、舞の長い髪を揺らした。
「……祐一」
 不意に、舞が呟いた。
「ありがとう」
「へ? なんだよ、いきなり?」
「なんとなく」
 そう言って、俺の方を見て、
 舞が、笑った。
 その笑顔は、いつか見た、金色の麦畑の少女の笑顔だった。

 ガチャッ
 ドアが開く音に、俺は我に返った。
「お待たせっ、舞。みんな連れて来たよーっ」
「……うん」
 舞は、もういつもの舞に戻っていた。
「あ、やっぱり、祐一はここにいたんだね」
 髪をポニーテイルにまとめた、部活仕様の名雪が駆け寄ってくる。
「ここにもなにも、ちゃんと言っただろ? 今日は一日屋上で寝てるって」
「確かに祐一くんの出る種目はないけど、それでもちゃんとみんなを応援しないとだめだよっ」
 あゆが腰に手を当てて「めっ」と俺に言った。
「そうようっ。まぁ、真琴も美汐も出るのは午後からだからいいけどさっ」
 そう言ったのは、名雪と同じくポニーテイルに髪をまとめて、おまけに額にバンダナを巻くという勇ましい格好の真琴。
 俺は栞に視線を向けた。
「で、栞は何位だったんだ?」
「私が出てたのは玉入れですよっ」
「相沢くん、まさか、栞の勇姿を見てなかったとは言わないでしょうね?」
 香里が腕組みしてじろりと俺を睨んだ。
「こら待て。ここまでの会話で俺が見てないことは判ってるだろ、かおりん」
「誰がかおりんよ。まったく、しょうがないわね」
 腕をほどくと、香里は肩をすくめた。
「お父さんがビデオに撮ってるはずだから、あとで相沢くんにはしっかり見てもらいましょうね、栞」
「……うーっ、お姉ちゃん意地悪ですよっ」
 なぜか不機嫌な栞を見て、俺はあゆに小声で尋ねた。
「何かあったのか?」
「うん、それなんだけどね」
「あゆさん。あゆさんは私のお友達ですよね?」
 じろりと栞に睨まれて、あゆは慌てて手を挙げた。
「もっ、もちろんだよっ。ボク何にも見てないよっ」
「あははーっ。それじゃ、そろそろお昼ご飯にしましょうか」
 良いタイミングで佐祐理さんが言葉を挟み、舞が黙々とビニールシートを広げたので、皆はその上に座って弁当を食べることにした。

 パーン
 スターターの鳴らす号砲と同時に、スタートラインを飛び出す真琴。
 午後一番最初の競技が、真琴の出る2年女子の400メートル走である。
「がんばれーっ、真琴ーっ!」
「真琴ちゃん、がんばれーっ!」
 俺の隣で立ち上がって声を上げる名雪とあゆ。
「ほらっ、祐一も応援してあげてよっ」
「俺が応援するまでもないだろ? 陸上部員だし」
「でっ、でも真琴ちゃん遅れてるよっ」
「なに?」
 あゆの声に顔をあげてみると、第2コーナーを回る一団で、確かに真琴は一番後ろを走っていた。
 ったく、何やってるんだ?
 俺は思わず声を上げていた。
「おい真琴っ、しっかり走れ〜〜〜っ!」
 と。
 一瞬こっちを見たかと思うと、猛然と走り出す真琴。なんか走り方が全然違う。
「わぁっ、すごいすごいっ!」
「行っけーっ」
 手を叩く名雪と、こぶしを振り回して応援するあゆ。
 そんな中、バックストレートで2人抜き、コーナーを大きく外から回りつつ3人抜き、そしてホームストレートで最後の1人を抜いて、そのままゴールテープに飛び込む真琴。
「わぁっ! やったよ名雪さんっ!」
「うん、真琴1等だよっ!」
 パンパンッ、とハイタッチをしてはしゃぐ名雪とあゆ。
 真琴はというと、「1」の旗を持って、こっちに向かってVサインをして見せていた。
 と、そこに天野が駆け寄っていくと、真琴に何か言い始めた。途端にしゅんとする真琴。
「……?」
 俺とあゆは顔を見合わせて、首を傾げた。
「天野、真琴に何言ってるんだろう?」
「おめでとう、じゃないみたいだね?」
「ああ、どう見てもお祝いしてるようには見えないぞ」
 名雪が口を挟んだ。
「多分、天野さんは、真琴が最初手を抜いてたから、怒ってるんだよ」
「ああ、そっか。でも、それじゃなんで最初手を抜いてたんだ、あいつは?」
「それは判らないけど」
「うーん。まぁ、あとで本人に聞けばいいか」
「それもそうだね」
 あゆが頷いた時、アナウンスが流れた。
『プログラムナンバー22番、パン食い競争に出る選手は、入場ゲート前に集合してください。繰り返します……』
「あ、ボクの出番だっ!」
 あゆが慌てて走っていこうとする。俺は呼び止めた。
「あゆっ」
「うん、何?」
「頑張れよ」
 ぴっと親指を立てて、爽やかに笑ってみせると、あゆは嬉しそうに頷いた。
「うんっ。ボク頑張るっ」
 そのまま走っていくあゆの後ろ姿を見送ってから、俺は名雪に尋ねた。
「そういえば、名雪は今日は出番無しか?」
「うん。わたしは、ほら、陸上部部長さんだから、あんまりいろいろ出ちゃダメだって言われてるんだよ」
 俯いて、唇を噛むようにしながら話す名雪。
「なるほどな。確かに、陸上部部長が全種目出場とかやってたら、パワーバランス的に問題あるかも知れないな」
「それもそうなんだけれども、でもそれだけじゃないわよ。そりゃ名雪が全種目出場してもいいけど、そうしたら競技に参加できない人が出てくるでしょ? 1年生や2年生ならそれでもいいかもしれないけど、もうあたし達も3年生だものね」
 香里の声に、俺は振り返った。
「よう、香里。そういえば香里も、今日は競技には出てないのか?」
「あたしはもう午前中の100メートル走に出たわよ」
 あっさり答える香里。
「まったく。相沢くん、クラスメイトの出る競技くらい把握してなさいよね」
「それは無理だな。何しろ俺は他人の名前も3日で忘れる特技の持ち主だから」
「はいはい」
 ため息混じりに肩をすくめる香里。
 と、グラウンドで歓声が上がった。
 振り返ると、どうやらパン食い競争が始まったようだった。

「……うぐぅ」
 パン食い競争が終わり、俺達の所に戻ってきたあゆ。
 とりあえず、俺達は話題をそらすことにした。
「そういや、真琴と天野が借り物競走に出るんだったよな。いつだ?」
「あ、うん。あと3つ後かな?」
「そうかぁ。どんなことになるのか楽しみだな」
「そ、そうだねっ」
「いいんだよ、祐一くんも、名雪さんも、ボクに気を遣わなくても」
 自分の椅子に崩れるように座りこみながら、あゆがぼそっと呟いた。
「あ、べ、別にそういうつもりじゃ……」
「そうだぞ、あゆ。スタート直後に大転倒して顔面からグラウンドに突っ込んでしまい、そのまま棄権したあゆのことを気遣ってるわけじゃないぞ」
「うぐっ。いいもんっ、ボクはどうせドジでのろまなカメバズーカだもんっ」
 あゆは椅子の上に体育座りをして拗ねてしまった。
 慌てて名雪が取りなす。
「そ、そんなことないよ。あゆちゃんそれでも頑張ったと思うよ」
「そう、かな?」
「うん。だからほら、顔上げようよっ」
「う、うん」
 あゆは抱え込んでいた腕を解いて顔をあげた。
 その鼻には絆創膏が貼ってあったりするのだが、ここで笑うとあゆがまた拗ねてしまう上に名雪にしこたま怒られるのが目に見えているので自粛することにした。
「……うぐぅ、やっぱり祐一くんは意地悪だよ」
「だから読むなっ」

Fortsetzung folgt

 トップページに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く

あとがき
 ちょっと文章表現に気を遣ってみよう、ということで、試験的にやってみました。

 プールに行こう6 Episode 52 02/2/15 Up 02/2/17 Update 02/3/16 Update

お名前を教えてください

あなたのEメールアドレスを教えてください

採点(10段階評価で、10が最高です) 1 10
よろしければ感想をお願いします

 空欄があれば送信しない
 送信内容のコピーを表示
 内容確認画面を出さないで送信する