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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 50

 体育館は、いつぞやのように華麗な舞踏会場に変わっていた。
 優雅な音楽の流れる中、男女がペアになってぐるぐると回っている。
「……ふぅ」
 ため息をついて、壁にもたれかかる。やっぱり、こういう雰囲気は苦手だ。
 みんなには悪いけど、ここは逃げた方が……。
「あっ、祐一さん。こんな所にいたんですか」
 こそっと移動しようとした俺は、その声に逃亡を断念して振り返った。
 そこに立っていたのは、佐祐理さんと舞だった。
「おっ、やっぱり似合ってる……のはいいけど、なんだそれ? 普通のドレスじゃ、ないよな?」
「あっ、はい」
 佐祐理さんは白い服をふわりと翻して見せた。
「えっとですね、佐祐理のは……。係の娘はこれのこと、チマ・チョゴリって言ってましたけど……」
「チョゴリって、確か韓国の民族衣装の?」
 記憶の彼方から思い出しながら尋ねると、佐祐理さんは微笑んだ。
「チョゴリは確かに韓国の衣装ですけど。でも、これはチョゴリをドレス風にアレンジしたものですよ。本当のチョゴリはこんなにふわっとはしてないんです」
「そうなのか……。えっと、難しいことはよくわからんけど、似合ってるぜ」
「あはは〜っ、ありがとうございます。でも、それは舞に言ってあげてくださいね〜」
 言われて、舞の方に視線を向けると、その舞はぽっと赤くなって、そっぽを向いてしまった。
「えっと……、よくわからないから、佐祐理に選んでもらって……」
 小さな声でぶつぶつ言う舞が着ているのは、チャイナドレス……じゃないな。似てるけど、チャイナドレスだと下にズボンを履いたりはしないだろうし、それにちょっとゆったり気味だな。それでも、舞の身体の描く曲線美は隠しきれるものではないが……。
 ずべしっ
「祐一、目がいやらしい」
 赤くなったままの舞にチョップを食らってしまった。俺は慌てて手を振る。
「そ、そんなことはないって。それで佐祐理さん、舞の着てるのは?」
「はい、ベトナムのアオザイっていう民族衣装ですよ。こっちも日本風にちょっとアレンジしてありますから、ホントの意味じゃ違いますけれど」
「なるほどなぁ」
 俺は頷いた。
 2人とも、舞踏会場にいる他の娘の着てるようなヨーロッパ系ドレスとは違ってアジア的にエスニック風味だが、それはそれで良しである。
「それで、祐一さん。舞のドレスはどうですか?」
 佐祐理さんに聞かれて、俺はぐっと親指を立てた。
「ナイスだ、2人ともな」
「あはは〜っ、良かったね舞。祐一さん褒めてくれたよ」
「……えっと、あっ、ありがとう……」
 うつむき加減に視線をそらしながら答える舞。
 目元を赤く染めたその表情がなんともいい。
 などと親父っぽくにやついてしまっていると、いきなり顔をあげた舞にチョップされた。
「あいてて……」
「あはは〜っ、舞ったら照れてますね〜っ」
「……」
 びしびしびしっ
「きゃぁきゃぁ」
 耳まで赤くなって佐祐理さんにチョップする舞と、そのチョップから逃げるように小走りに駆けていく佐祐理さん。
 なんとも微笑ましいなぁ、と思って、そんな2人を見ていると、その視界の端に、こそこそとこちらから離れようとする小柄な姿が入った。
 俺は大股にそっちに歩み寄ると、背後から声をかけた。
「おい、逃げるなって」
「わぁっ!」
 10センチほど飛び上がると、おそるおそる振り返るうぐぅ。
「うぐぅ……。ボク、うぐぅじゃないもん……」
「いや、それはそうなんだけど、で、何で逃げようとしてたんだね、月宮あゆくん?」
「だって、ボク……、やっぱりこんなの似合ってないし……」
 そう言うあゆの着ているものはというと、これまた体型が見事に出るチャイナドレスである。しかもご丁寧に深紅の地に緑の龍がからみついているという、目立つことこの上ないしろもの。
 ……栞のヤツ、何を考えてたんだろう?
「うぐぅ……」
 思わずそんな事を考えていると、あゆはますます涙目になっていた。
「や、やっぱりボク帰るねっ」
「あ、こら」
 俺は慌ててその髪を掴んだ。
「うぐっ! な、何するんだよっ!」
「あ、いや、だって、迂闊にドレスを掴んで破ったりしたらえらいことだし……」
「そっ、それはそうだけど……」
「まぁ、その、なんだ……。それも悪くはないんじゃないか?」
「そう……かな?」
 うぐぅ、と自分の格好を見下ろしてみるあゆ。
 一歩下がって、俺はもう一度あゆの全体を見てみた。
 確かに舞や佐祐理さんと比べるとアレだが、それはむしろ比較対象が悪いんであって、こうしてみるとあゆは元々背が低いんだから、結構いけてるのではないかと。
「……うぐぅ、それはそれで、なんだか恥ずかしいよぉ」
「贅沢を言うな」
「……うん。そうだね。祐一くんがそう言ってくれるんだから、そうなんだって思うことにするよっ」
 あゆは顔をあげて笑顔で頷いた。それから、不意に後ろを振り返り、俺の腕を引く。
「ほらっ、祐一くん。名雪さんが来たよっ!」
「え? おっ」
 俺は思わず声を上げてしまった。
 薄いブルーのドレス……としか自分にはよくわからんのだが、そのドレス姿でしずしずとやって来た名雪は、俺の前で立ち止まると、ちょこんと膝を折って頭を軽く下げた。それから、尋ねる。
「祐一、……どう、かな?」
「あ、ああ……」
 袖のない、胸から上がオープンになったドレスだから、胸元の柔らかなラインが結構見えたりして、俺は思わずごくりと唾を飲み込んで、答えた。
「に、似合ってるぞ、名雪」
 俺の言葉に、名雪は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、祐一。祐一も、似合ってるよ」
「……そ、そうか?」
 俺は、思わず自分の格好を見下ろした。栞が選んだタキシードだが、元々ちゃんと着こなせるはずもないので、首筋のあたりはわざとボタンを外して着崩してたりする。どう見ても、似合ってないと思うんだが。
 と、名雪が俺の手を取った。
「祐一、えっと……良かったら、ね?」
「へ?」
 思わずきょとんとする俺の脇腹を、あゆが軽く突いた。
「祐一くん、踊っておいでよっ」
「……は?」
 思わず、あゆと名雪を交互に見てから、俺は慌てて空いている方の手のひらを、名雪の前に突き出した。
「待てっ。俺が踊れるとでも思ってるのかっ!?」
「大丈夫だよ」
 なぜか自信満々の名雪だった。
「わたしだって踊れないもん」
「……そういう自信かっ!」
「それにね……。わたし、祐一と踊りたいんだよ」
 俺の目を見ながら言う名雪。
 そう言われてしまうと、俺としても断る理由はない。
「よし、それじゃ行くか……」
「それじゃダメだよっ!」
 そのまま進み出ようとした俺の襟首を、後ろからあゆが引っ張る。
「ぐへっ。なにすんだっ」
「あ、ご、ごめん……。じゃなくてっ、ちょっと耳貸してっ」
 珍しく強気のあゆが、俺の耳を引っ張ってささやいた。
 思わずあゆを見る俺。
「……マジ?」
「うんっ。ほら、名雪さん待ってるよっ!」
 今度はぐるっと俺の身体を押して、名雪の方に向けさせるあゆ。
 俺は仕方なく、名雪に向かって身体を倒して頭を下げた。
「えっと……。踊っていただけますか、お嬢さん。……これでいいのか?」
 小声であゆに尋ねると、あゆは黙ってVサインをして見せた。
「うん、上出来だよっ」
 名雪は、一瞬驚いたようにきょとんとしていたが、こぼれるような笑みを浮かべて俺の手を取った。
「はい、喜んで」

「……う〜っ」
「拗ねるなよ、栞」
「拗ねたくもなりますっ! 着替え終わって来てみたら、祐一さんは私を待ってくれるどころか、名雪さんと踊ってるんですからっ!」
 舞踏会場の隅にあるベンチに座って、ぷくーっと膨れている栞。
 ちなみにその格好はというと、これが実になんていうか……。
「でも栞ちゃん、すごいドレスだよっ」
「うん、すごいドレスだよ、栞ちゃん」
「そうですね。佐祐理も、すごいドレスだと思います」
「……すごいドレス」
「みんなの言うとおりだ。すごいドレスだぞ、栞」
「そんなこと言う人達って嫌いですっ。それじゃまるで私はどうでも良くてドレスだけすごいみたいじゃないですかっ」
「……というか、それ事実だし」
 栞のドレスはレースを主体とした、それこそ絵本に出てくるお姫様必須の、薄いピンクのゴージャスなドレスだった。後で佐祐理さんに聞いたところでは、本当にプリンセスラインとかいう種類らしい。
 さらにいつものショールならぬヴェールを肩にまとい、手首まである手袋に、胸元には小粋なチョーカー、足にはガラスのハイヒール、さらにさらに頭にはティアラというフル装備っ振りである。
「いや、眼福眼福。良いもの見させてもらったぞ、栞」
 俺は栞の頭にぽんと手を置いた。
 栞は俺を見上げて言った。
「それじゃ、祐一さん。ひどいこと言った罰です。私と踊ってください」
「……えーとだな……」
 俺は救いを求めて、名雪に視線を向けた。名雪はすぐに気付いて、笑顔で助け船を出してくれた。
「わたしは別に構わないよ。祐一、栞ちゃんと踊ってあげて」
 ……助け船だと思ったら、そのまま海に突き落とされたようなもんだった。
「うぐぅ……」
「ボクの真似しないで、栞ちゃんと踊っておいでよっ」
 あゆにまでさらに突き落とされ、俺はため息をついて、栞に手を差し出した。
「足を踏んでも怒るなよ」
「大丈夫ですっ。私、ちゃんと通信教育でダンスも習ってますから」
 どこの通信教育だ、とツッコミを入れる気力も萎えた俺は、栞の手を取って、一緒に会場の中央に進み出た。

「……う〜っ」
「それで転んで足をくじいたの? 気取って普段履かないようなヒールを履くからよ。ホントに馬鹿ね」
 保健室の椅子に座ってうなる栞を見下ろして、ため息をつく香里。
 栞は涙目で姉を見上げた。
「そんなこと言うお姉ちゃん、嫌いです〜」
「そんなこと言うものじゃないよ、栞ちゃん。香里ったら……」
「あっ、名雪っ!」
 慌ててその口を塞ぐ香里。だが、珍しく俊敏にその手をかわして、名雪は笑って言った。
「栞ちゃんが怪我したってわたしが知らせに行ったら、香里ったら真っ青になっちゃってね〜」
「それ以上言ったら本気で怒るからねっ、名雪っ!」
 真っ赤になって声を上げる香里に、名雪は「きゃぁ」と悲鳴を上げて俺の後ろに隠れた。
 あゆが心配げに栞の足に手を触れる。
「本当に大丈夫? 栞ちゃん」
「あ、はい。とりあえずこうしてると痛くはないので、骨を折ったりしたわけじゃないと思います」
 足をぶらぶらさせながら答える栞。
「ふぅ、良かったよ」
「……でも、ごめんなさい。私のせいで、舞踏会を途中で抜けちゃう羽目になってしまって……」
 栞は俺達の方に向き直って頭を下げた。
 俺は苦笑して手を振る。
「いいって。栞のことがなくても、どうせ機会を見て逃げようとは思ってたわけだしな」
「……えっと」
 香里は保健室を見回してから、俺に尋ねた。
「ところで、倉田先輩と川澄先輩は?」
「へ?」
 言われて、俺も見回してみたが、2人の姿は無かった。
「……どうやら、会場に置いてきてしまったらしい」
「らしい、じゃないでしょ?」
 ため息を付きながら、香里は腕を組んだ。
「とりあえず、相沢くんが迎えに行って来なさいな」
「俺が?」
「他の誰が行くのよ? 名雪、それでいいわね?」
「うん、わたしはいいよ。あ、そうだ。このドレス、返さないといけないね。それじゃわたし達は2−Aで待ってるから」
 う〜ん、勝手に決められてしまった。
 俺は苦笑して頷いた。
「了解。んじゃ舞と佐祐理さんを連れて2−Aに行くから」
 皆も頷くのを見て、俺は保健室を出た。

「……はぁ、はぁ、はぁ」
 2年A組の教室の前まで来たところで、俺は荒い息を付きながら振り返った。
「あはは〜っ、楽しかったね、舞?」
「……うん」
 無邪気に喜んでいる2人の先輩を見てると、とりあえず20人からの男子生徒達の追撃を受ける羽目になって校舎中を駆けずり回ったのも、まぁいいかと思えた。
 俺は額の汗を拭って、そこで、ふと気が付いて2人に声を掛けた。
「そういえば、佐祐理さん、舞」
「はい、なんですか、祐一さん?」
「……?」
 こっちを向いた2人に尋ねる。
「昨日、舞に電話したときに、今日は2人とも午後から授業があるって言ってなかったっけ?」
「……あ」
 舞が口を押さえて、それから佐祐理さんに視線を向ける。
「……どうしよう?」
「……ふふっ、あははっ」
 佐祐理さんは笑い出した。それから、あっけにとられている俺をよそに、舞の背中をぱんっと叩く。
「佐祐理は、授業よりも、舞や祐一さんと一緒に遊ぶ方が大事だって思いますよ。舞も、そうだよね?」
 舞は、少し考えてから、こくんと頷いた。
「そう、思う」
「だったら、いいんですよ。それに、さぼったわけじゃありませんから」
 あっさりと言う佐祐理さん。
「実は、今朝教授に連絡して、欠席届を出しておいたんですよ。だから、さぼりじゃありません」
 なるほど、さすがは佐祐理さん……、と納得しかけて、俺はふと尋ねた。
「それで、その欠席の理由はなんと?」
 佐祐理さんは、唇に指を当てて微笑んだ。
「ヒミツです」
 俺が一瞬考え込んでいると、佐祐理さんは舞の手を引いた。
「そろそろそのドレスを返さないと。行こ、舞っ」
「……うん」
 2人は教室に入っていった。
 そこで、俺は周りの生徒達にじろじろと見られていることに気付いた。
 ……よく考えると、俺もタキシード姿のままだった。

 着替え終わって外に出ると、既に他のみんなも着替え終わって待っていてくれた。
「えっと、今何時だ?」
「え? 4時ちょっと前だよ」
 名雪が時計を見ながら言った。
「そっか。舞、佐祐理さん……」
 俺が2人の方に視線を向けると、察してくれた佐祐理さんは笑顔で頷いた。
「はい、佐祐理はもう十分です。ね、舞?」
「……えっと、うん」
 舞も、こくりと頷く。
 あゆが不意に、栞に声を掛けた。
「あ、そうだ。栞ちゃん。ボクが家まで送ってあげるよっ」
「えっ? あ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ、あゆさんっ!」
「それじゃ祐一くん、名雪さん、家でねっ!」
 そう言い残し、あゆは栞を引っ張るようにして廊下を歩いていった。
「えぅ〜っ、そんな強引なあゆさん嫌いです〜。祐一さぁ〜ん」
「ほら、いいからいいからっ」
 何となくそんな2人を見送っていると、佐祐理さんが声を掛けてきた。
「それじゃ佐祐理達も、今日はお別れですね。ありがとうございました」
「うん」
 ぺこりと頭を下げる佐祐理さんと、軽く頷く舞の2人も、あゆ達の後から歩いていってしまった。
「……気を遣わせちゃったかな?」
 俺は苦笑してから、名雪に言った。
「せっかく2人きりにしてもらったんだし、楽しませてもらうか。な、名雪?」
「うん」
 名雪は笑顔で頷いた。そして、俺の腕に自分の腕を絡ませる。
「行こっ、祐一」
 俺達は、廊下を歩き出した。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 ……というドレスを着せてみましたが、いかがでしょう?
 それにしても、もう50話まで来てしまいました。

 プールに行こう6 Episode 50 02/2/13 Up

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