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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 47

 火曜日。
 文化体育祭は2日目を迎えた。
 俺的には、今日は昨日のように拘束されず自由になる日なので、それこそ家でずっと寝ていても構わないのだが、そこはそれ、舞と佐祐理さんと一緒に文化祭を見て回るという重要な使命がある。
 とはいえ、2人との待ち合わせは10時。というわけで、今朝は目覚ましも掛けずに朝寝坊を楽しんだりしてたので、1階に降りていったのは8時を回ってからだった。
 顔を洗ってからダイニングに入ると、物音に気付いたのか、秋子さんが手にしたお皿を拭きながら、キッチンから顔を出した。
「おはようございます、秋子さん」
「あら、おはようございます。今日はゆっくりなんですね」
 テーブルの上には、まだ手の付けられていない朝食が並んでいるのが、秋子さんらしい細やかな心遣いだ。
 なんの気なしにその朝食の数を数えて、俺は訊ねた。
「あの、秋子さん」
「はい、なんですか?」
「真琴と天野は……」
「2人なら、もう学校に行きましたよ。うふふっ、今日も張り切ってるみたいですね」
「あゆは……」
「あゆちゃんは、まだ寝てるみたいですね」
 あゆも俺と同じく、今日は一日自由なのだ。まぁそれはいいとして……。
「……えっと、秋子さんは、朝ご飯は……」
「はい、真琴達と一緒に、もう頂きましたよ」
 ついでに言うと、舞と佐祐理さん、そして美坂姉妹は、夕べは泊まっていない。
「……俺には、ここには3人分残ってるように見えますけれど」
「ええ、そうよ」
「3人分……。俺と、あゆと……」
 指を折って数える俺に、秋子さんは頬に手を当てて呟いた。
「困ったものね」
「……呼んできます」
 ため息を付きながら、俺は腰を上げた。

 考えてみれば、名雪の部屋で盛大に目覚ましが鳴り響けば、俺も起こされるはずなんだよなぁ。それが無かったことに気付くべきだった。
 そう思ってため息をつきながら、眠りこけていた名雪を文字通り叩き起こした俺は、まだ寝ぼけている名雪を引きずるようにしてダイニングに戻ってきた。
 その間にあゆも起きてきたらしく、着替えて席に着いていた。
「あ、おはようっ、祐一くん、名雪さん」
「おう、今日も元気だな、あゆ」
「おはにょ……。うう、眠い……」
「うん。ボクいつも元気だもん。……あれ? 名雪さん、今日は朝番だったんじゃ……」
「うにょ……」
 目をこする名雪。
 俺は時計に視線を向けて、ため息をついた。
「すみません、秋子さん。電話借ります。あゆ、とりあえず名雪に顔洗わせてくれ」
「うん、まかせてよっ」
 頷くあゆに名雪を任せて、俺はリビングに入っていった。

 リビングの子機から香里に電話してから、ダイニングに戻ろうと廊下に出ると、ちょうど洗面所からあゆと名雪が水浸しになって出てきたところだった。
「……何やってたか、聞いてやろうか?」
「うぐぅ、聞かないで……」
「ごめんね、あゆちゃん」
 ここに至ってようやくはっきりと目が覚めたらしく、あゆに謝る名雪。
「とりあえず、2人とも着替えてこい」
「うん、そうするよ」
 ま、名雪がパジャマ姿だったのは不幸中の幸いだな。
「うぐぅ……、ボクはどうでもいいの?」
「いや、名雪は、学校に制服を着ていかないといけないからな。あゆは今日は私服でもいいんだから、濡れても替えがあるだろ?」
 一応、出し物側に参加する場合は、学校行事なので制服で登校すること、という不文律があるそうだ。俺も香里に言われるまで知らなかったのだが。
 逆に言えば、今日は出し物側としては参加しない俺とあゆは、私服で行ってもいいのである。
「あ、そっか。うん、そうだね」
 あゆは納得したように頷いてから、くしゅんとくしゃみをした。
「うぐぅ、ボク着替えてくる」
「ごめんね、あゆちゃん」
 もう一度謝ってから、名雪は階段を上がっていった。
 あゆも自分の部屋に戻ったので、俺はリビングに戻って、先に朝飯を食うことにした。

 朝食を済ませて、名雪は慌ただしく飛び出していった。それでも朝の当番には遅刻だが、一応香里に連絡はしておいたから大丈夫だろう。
 それからしばらくして、秋子さんが仕事のために家を出ていくと、俺とあゆが2人だけ家に取り残される。
「……珍しいパターンだな」
「うん?」
 せんべいを口にくわえて、普段見ることのないテレビのワイドショーに見入っていたあゆが振り返る。
「いや、なんでもないけどな」
「そう?」
 不思議そうに俺を見てから、テレビに向き直るあゆ。
 俺は時計を見た。
 10時に校門で待ち合わせなら、9時半に家を出ても十分間に合う。
 今は8時半。あと1時間はあるな。
 俺は一つあくびをして、ソファの背に体重を預けた。
 うーん、夕べは十分寝たと思ったんだが、まだ眠いって事はやっぱり昨日は疲れ果ててたんだろうなぁ……。
「あゆ……」
「うん? どうしたの、祐一くん?」
「ちょっと寝る。9時過ぎたら起こしてくれ」
「うん、いいよっ」
 元気の良い声に、俺は目を閉じた。

「……くん、祐一くんっ! うぐぅ、起きない……」
 泣きそうな声に、意識が浮上する。
「……あ、ゆ?」
「あっ、起きたっ!」
 ぱっと嬉しそうな声に変わり、それからまた慌てた声になる。
「祐一くんっ、時間だよ、時間っ!」
「な……んだ?」
 目をこすりながら、身体を起こして時計を見る。
「……9時、55分……。っておいっ!」
 寝ぼけていた意識が、一気に覚醒した。
「うぐぅ、いくら揺すっても祐一くん起きないんだもん……」
「とりあえず話は後だ。あゆ、すぐに出られるか?」
「え? あ、うんっ」
「よし、それじゃ行くぞ」
 俺はジャケットを掴んで、リビングを飛び出した。

 家を出たところで、あゆを先に行かせて、ドアの鍵を閉める。それから走ってあゆに追いつくと、一気に追い越した。
「うぐぅ、待ってよぉ〜」
「ええい、傷ついたあゆが足手まといで逃げ切れないっ」
「……だ、誰から、逃げるんだよぉ……」
「食い逃げ常習者の誇りはどうしたっ!」
「そ、そんなの、ない、もんっ」
 既に息を切らしつつあるあゆだった。
「ううむ、やはりあゆも陸上部に放り込んで、天沢副部長プロデュースの鬼の特訓を受けてもらったほうがいいかもしれんな」
「うぐぅ……」
 反論しようにも息が切れてできないので、せめていつもの口癖で抗議の意を表しているらしかった。
 さすがにこのまま見捨てていくのも可哀想なので、多少歩調を落とす。
「うぐっ、ふわっ、はふっ、えぐっ」
「……なんか、死にかけている犬みたいだぞ」
 振り返って俺が言うと、あゆは恨めしそうな目で俺を見るが、口に出して抗議するまではまだ回復していないようだった。
 と、いきなり背後から声が聞こえた。
「あははーっ、やっぱり逢えましたよ」
「わっ!?」
 慌てて振り返ると、そこにいたのは佐祐理さんと舞だった。
「おう、2人ともおはようさん」
「おはようございます。でも、どうしたんですか? 祐一さんが約束の時間になってもなかなか来ないから、佐祐理も舞も心配したんですよ」
「いや、あゆが寝坊してさぁ」
「うぐぅ、ボクじゃないもん」
 どうにか回復したらしく、あゆが口を尖らせながら割り込んでくる。
「祐一くんがなかなか起きてこないからだよっ」
「まぁ、あゆもこう言ってることだし、許してやってくれませんか?」
「祐一くん、日本語おかしいよっ!」
「あははーっ、別に怒ってませんよ。ね、舞?」
 佐祐理さんに話を振られて、舞は首を振った。
「……怒ってないけど、時間がもったいないから」
「おう、そうだ、時間がもったいないんだな。急ぐぞあゆあゆ」
「うぐぅ」
 不満そうな声を上げながらも、あゆは俺達に歩調を合わせて早めた。

 4人でしゃべりながら歩いていると、すぐに飾り付けられた校門が目に入ってくる。
 俺は佐祐理さんに尋ねた。
「で、どこから回ろうか?」
「まずは、祐一さん達のクラスにお邪魔しようと思うんですけど、どうでしょう?」
 ぽんと手を合わせて言う佐祐理さん。
「俺達の? そりゃ構わないけどさ……」
「……祐一のクラス、見てみたいから」
 舞がぼそっと言った。
 そう言われて断る理由もない。俺は頷いた。
「いいよ。それじゃ行こうか。あゆもそれでいいな?」
「うん、いいよ」
 あゆも笑顔で頷いた。

「いらっしゃいませ〜。あ、祐一、あゆちゃん、それに川澄先輩、倉田先輩。遊びに来てくれたんですか?」
「おう、今日は客だからな」
 俺達を出迎えた、EARLの制服姿の名雪に答えてから、店内を見回す。
 今日も変わらず大盛況……というわけでもなかった。というよりも、がらがらである。
 理由は一目でわかった。
 隅の方のテーブルを占領している、目つきの悪い男達。
 俺の視線で気付いたのか、名雪が言った。
「うん、そうなんだよ。開店してすぐにあそこに……。それで、他のお客さんも怖がって入ってこないんだよ」
「そうか。ウェイトレスに手を出したりしてるのか?」
「うん、最初に風見さんが、その、触られて……。それで、今は香里が相手してくれてるんだけど……」
「おいっ、コーヒーくれっ」
 名雪が話している間に、男の一人が声を上げる。
「はい、ただいま参ります」
 香里がそれに応じて、トレイにコーヒーを乗せて歩み寄っていく。ちなみに香里の制服はEspoir。ちなみに、これが今の女子ウェイトレスの中では一番おとなしい制服だったりする。
 テーブルにコーヒーを置いた香里に、男がなにやらささやきかけ、何がおかしいのか周りの男達がどっと笑った。
「くそ、俺が叩き出してやろうか」
 腕まくりしかけた俺を、名雪とあゆが慌てて止める。
「だめだよ祐一〜。香里も我慢してるんだし、それに一応はお客さんなんだから〜」
「そうだよっ。それに、祐一くんが喧嘩したら、また生徒会の人になにか言われるよっ!」
 ううむ、あゆにしては正論だ。
 でも、このままにしておくのも……。
「……あ」
 俺が内心で唸っていると、不意に佐祐理さんが小さな声を上げた。それから、俺に向き直る。
「ここは、佐祐理に任せてもらえませんか」
「佐祐理さんに?」
「はい。佐祐理なら、もう卒業してますから、何かあっても祐一さん達にご迷惑は掛かりませんし」
「で、でも……」
 断ろうとしたが、もう佐祐理さんはすたすたと歩きだしていた。
 慌てて止めようとした俺の腕を、舞が掴む。
「舞?」
「佐祐理は、大丈夫。それに……」
 一旦言葉を切って、舞はじっと男達を睨んだ。
「なにかあったら、……許さないから」
 その言葉には、あいつらが佐祐理さんのお尻を触ろうもんなら、その場で三枚に下ろしかねないような迫力があった。
 佐祐理さんは、そんな舞の様子など知らぬ気に、すたすたと近寄っていくと、あろうことかそのまま声を掛けた。
「こんにちわーっ。お久しぶりです」
 ひさしぶり、って知り合いか? と驚く間もなく、もっと驚くことが起きた。
 だらしなくテーブルに足を上げて煙草をふかしていた男達が、佐祐理さんの姿を見て、慌てて煙草をもみ消しながら立ち上がった。そして直立不動で頭を下げる。
「お久しぶりです、お嬢!」
 お、お嬢?
「あははーっ、やっぱり皆さんでしたか」
 嬉しそうに笑う佐祐理さんと、それを取り囲んでこちらも楽しそうな男達。さっきまでの凶悪そうな雰囲気はどこへやら、なんとも和気藹々という感じであった。
 そして、俺達は、ぽかんとその様子を見守るだけだった。

 ややあって、男達は佐祐理さんに頭を下げて、素直に料金を払って、教室から出ていった。
「あ、ありがとうございました〜」
 レジを担当していた名雪は、男達の後ろ姿に頭を下げてから、俺にしがみついた。
「うう〜っ、怖かったよぉ」
「おお、よしよし」
 とりあえず頭を撫でてやりながら、俺は駆け寄った舞に笑顔で返している佐祐理さんに視線を向けた。
 香里がカウンターからやってくる。
「ふぅ。塩撒いておかなくちゃ。相沢くん、助かったわ」
「やったのは佐祐理さんだろ。俺じゃなくて佐祐理さんに礼を言ってくれ」
「それもそうね」
 あっさりと頷くと、香里は腰に手を当てて店内を見回した。
「でも、一般客が戻ってくるにはしばらく掛かりそうね。悪い噂はすぐに広まるものだし」
「ま、出ていっただけでも良しとするさ。下手すりゃあいつらに今日1日ずっと居座られたかもしれないんだしな」
「そうね。さて、と……。名雪、いつまでも相沢くんにしがみついてないで、しゃきっとなさい。一応あなたは店員で、相沢くんはお客さんなんだから」
「うう、ごめんね」
 名雪は身体を起こして、俺から離れた。その名雪の頬をふにゅっと引っ張る香里。
「ふにゅっ、ひ、ひはひよぉ」
「ほら、スマイルは接客の基本でしょ?」
 そう言って手を離す香里。名雪は「ううーっ」と涙目で香里を睨んでから、俺に向き直ってぺこりと頭を下げた。
「それでは、ごゆっくり」
「おう」
 頷いて、俺は佐祐理さん達が囲んでいるテーブルに向かった。

「よ。佐祐理さん、ご苦労さん。それからサンキュな」
 テーブルについたところで、まずは礼を言うと、佐祐理さんは笑顔で首をふった。
「佐祐理はなんにもしてないですよー。でも、お役に立てて良かったです」
「でも、佐祐理さんがあんな連中と知り合いとはなぁ」
 そう言うと、佐祐理さんは表情を硬くした。
「祐一さん、あんな、なんて言い方はいけないですよ」
「……ごめん、失言だった。でも、佐祐理さん、どこで知り合ったの? なんか佐祐理さんとは接点がなさそうな人々だけど……」
「ゲーセンですよ」
 こともなげに言う佐祐理さん。
「ゲーセン?」
 佐祐理さんとゲーセンなんて、全然結びつかないよなぁ。
 俺が首を捻っていると、佐祐理さんが言った。
「ほら、祐一さんが前に連れて行ってくれたことがあったじゃないですか〜。あの時ですよ」
「へ? ああ、あのデ……もとい、一緒に遊びに行ったときか」
 前に、佐祐理さんと2人で商店街に行ったことがあった。その時にゲーセンに寄ったのだが、佐祐理さんが店の常連客を相手に連勝してみせて、とうとう最後には親衛隊みたいなものまでしまったのだ。
「……もしかして、あの時の……?」
「はい。皆さん、佐祐理なんかのことでも憶えててくれてたので、良かったです」
 嬉しそうにぽんと手を合わせる佐祐理さん。
 まぁ、連中にしても、どこから見てもお嬢様のくせに異様にゲームが上手かった佐祐理さんは、やっぱり印象に強かったんだろうな。ある意味カリスマだったのかもしれない。
「そう簡単に忘れられるようなもんじゃないって」
「そうでしょうか?」
「……美味しい」
 いつの間にか、舞はケーキを頬張っていた。
「……あれ? ケーキなんて注文したのか?」
「助けられたんだから、サービスよ」
 香里がウィンクしながら、ケーキをテーブルに置いていった。
「はぇ、いいんですか?」
「まぁ、向こうがサービスって言ってるんだから、断ることもないよ」
「はい、それじゃ頂いちゃいますね」
「ボクもいただきます」
「……いたのか、あゆ」
「うぐぅ、ずっといたもん」
「あははーっ」
 こうして、なんとも和やかに、俺達はケーキを頬張るのであった。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 今日の制服はちょっと凝り気味?(笑)

 プールに行こう6 Episode 47 02/2/4 Up 02/3/11 Update

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