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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 44

『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて……』
 カチャ
「文化祭行くよ、とくらぁ」
 目覚ましを止めてそう言いながら、俺は体を起こした。
 そう、ついに今日から文化祭が始まるのである。
 いつものように制服に着替え、上着を羽織りかけたところで、そういえば今日から夏服に衣替えだったな、と思い出し、上着はハンガーに掛け直す。
 まぁ、男子の夏服なんて基本的にスラックスが夏ものに替わって、上着を着なくなるというだけだ。もう少し暑くなればワイシャツも半袖になるのだが、5月の間は長袖も可なのでそのままでいくことにする。となると、見た目は単に上着を脱いだだけ、となるわけだ。
 とりあえず、夕べのうちに秋子さんが用意してくれた、夏用のスラックスに履き替える。
 ……すーすーして涼しいが、まぁじきに慣れるだろう。
 さて、と。
 着替え終わって、鏡で服装をチェックしてから(一応、俺以外は全員女性の家なので、それなりに気は遣っているのである)、俺はドアを開けた。
 まずは、朝一番の仕事、眠り姫を起こしに行くか。
「あっ、祐一さん。おはようございます。今朝は早いんですね」
 廊下に出たとたんに、パジャマ姿で肩から例のストールを引っかけた格好の栞に出逢った。
「おう。……あれ? 栞は、あゆの部屋に泊まってたんじゃないのか?」
「はい、そうですよ」
「なら、なんで2階に?」
 ちなみに、あゆの部屋は1階にあり、さらに言えば洗面所もトイレも1階である。つまり、栞が2階に上がってくる理由は……。
「そんなの決まってるじゃないですか。祐一さんの寝顔を見ようと思ったんですよ」
「……帰れ」
「わ、いきなり酷いですっ。そんなこと言う人嫌いです」
 頬を膨らませると、栞はころっと表情を変えた。
「それで、どうして祐一さんは、早起きしてるんですか? 今日は文化祭だから、10時からですよね?」
「俺は一応責任者だから、朝一のミーティングに出なけりゃならないんでな……って、こんなところでしゃべってる場合じゃなかった!」
 俺は、朝一番の仕事は後回しにすることにして、階段を駆け下りた。
「あ、待ってください、祐一さんっ!」
 栞も後から降りてくる。その栞に訊ねた。
「で、あゆはまだ寝てたのか?」
「はい、まだぐっすりです」
「やっぱりな」
 苦笑しながら、ダイニングのドアを開けると、秋子さんが忙しそうに料理をしていた。
「あら、祐一さん、栞ちゃん。おはようございます」
「おはようだよっ、祐一、栞ちゃん」
「……」
 俺と栞は、顔を見合わせて、同時にリビングに走ると、窓から外を見上げた。
「……2人とも、それはどういう意味かな?」
 背後から、不機嫌な声が聞こえて、俺と栞はもう一度顔を見合わせる。
「いや、だって名雪が、なぁ?」
「はい、私もそう思いました」
「2人とも、朝ご飯は紅しょうが」
 腰に手を当てて膨れる名雪に、俺は言い返した。
「だって、名雪がこんな朝早くから起きてるなんて、普通は考えられないだろ」
「そんなこと……」
「確かに珍しいわね」
「お、お母さんっ!」
 背後から秋子さんに言われて、振り返って抗議する名雪。
 と、そこで俺は気付いた。
「あれ? 名雪、その服……」
「あ、うん。ほら、夏服だよ」
 くるっと一回転してみせる名雪。
「今日から衣替えだもん。冬服はしばらくお休み」
 そういえば、名雪の夏服姿は、いつぞやの季節反転事件以来だった。こうしてみるとちょっと新鮮だったりする。
「あ、祐一さん。冬服は脱衣場に出しておいてくださいね。洗濯してから仕舞ってしまいますから」
 秋子さんに言われて、俺は頷いた。
「わかりました。でも、帰ってからでもいいですか? 今は急いでるんで」
「いいですよ。もうすぐ朝ご飯は出来ますから。栞ちゃんも一緒に食べますか?」
「はい、お願いします」
 ぺこりと頭を下げる栞。
 秋子さんは笑顔で頷いて、キッチンに戻っていった。

 結局、他の連中は起きてこなかったので、3人での登校となった。
 学校に着いた後、昇降口で栞と別れて、俺と名雪は教室に向かった。
 既に、各クラスからは早々とやる気になっている連中の声が聞こえてくる。
「なんか、ウキウキしちゃうねっ」
「ああ、そうだな」
 いつもなら眠そうな顔をしている名雪も、今日ばかりは嬉しそうな顔だった。
 ……俺達の教室に着くまでは。

「……なに、これ?」
「……おい、冗談だろ?」
 教室に着いて、ドアを開けた俺と名雪は、思わずそう呟いていた。
 昨日、綺麗に飾り付けられていた教室が、荒らされていた。
「……どうしたの、相沢くん、水瀬さん?」
 後ろから声が聞こえて、俺達はそっちに視線を向けた。
 七瀬と、その後ろから朝一の当番になっている男子生徒達がやって来たところだった。
「さっさと入りなさいよ。開店の準備をしないと……」
 そこまで言って、教室内の惨状が目に入った七瀬が、言葉を失う。
「なんだよ、これっ!」
「くそっ、誰がこんなっ!」
 男子生徒達が騒ぐ中、名雪がゆっくりと中に入り、足下に落ちていたぬいぐるみを拾い上げる。
 白いうさぎのぬいぐるみは、誰かが踏みつけたのだろう。足形がくっきりと付いていた。
「……ごめんね」
 謝るように呟き、名雪はそのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
 俺は、名雪の肩に手を置いて、皆を見回して言った。
「ともかく、開始時間までに出来る限りの復旧をするんだ! みんな、一仕事頼むぜ!」
「お、おうっ!」
「しょうがねぇなっ!」
「やるだけやってみっか」
 男子生徒達は、俺の声にとりあえず動き始めた。
 続いて、俺はへし折られているベニヤ板を押してみていた七瀬に声をかけた。
「七瀬、復旧班のチームリーダーは任せる。俺は文化祭本部に行って事情を説明してくるから」
「うん、こっちは任せといて」
 雄々しく頷くと、七瀬は早速指示を飛ばし始めた。
「とりあえず掃除から始めるわよ。ぬいぐるみは机の上に上げて、ガラスの破片には気を付けなさいよねっ!」
「へい、姉御!」
「だぁれが姉御よっ!! ほら急いで、時間がないんだからっ!」
 うむ、我ながら見事な人選だ。
 俺は一つ頷いてから、名雪に尋ねた。
「名雪、大丈夫か?」
「うん。でも、酷いよ……」
「酷なようだけどさ、泣くのは後でも出来るって。俺は本部に行くけど、名雪は?」
「……わたしも祐一と一緒に行くよ」
 少し考えてから、名雪はそう言った。そして、手にしたぬいぐるみのほこりをぽんぽんと叩いて落として、脇の机に置いた。
「じゃ、行くか」
「うん」
 俺達は、廊下を駆け出した。

「……というわけなんだけど」
「つまり、何者かが侵入して、3年A組だけを荒らしていった、ということですか」
「それはどうだかわからんけど、他のクラスからそういう話が出てないなら、そういうことになるな」
 頷いた俺に、受付の男子生徒はあくびを一つした。
「それは大変でしたね」
「……あのなぁ」
 思わず拳を握りしめる俺。
 その拳を、名雪がそっと包み込むように握った。
「祐一」
「……ああ」
 頷いて、俺は拳を解いた。
 そうだった。文化祭の実行委員会っていうのは、イコール生徒会だったんだよな。本部っていうのも生徒会室だし。
「……ともかく、他のクラスに対しても警告を出してもらいたい」
「そうですね。一応、そういう訴えをしてきたクラスがいるってことは知らせた方がいいかもしれないですね」
 おざなりにそう言うと、男子生徒は俺に視線を向けた。
「それだけですか? でしたら、そろそろお引き取りいただけますか? 我々も忙しいもので」
「……ああ、わかったよ」
 頷いて、俺は背を向けようとした。
「おっと、失礼」
 そこに入ってきた生徒が、俺にぶつかりそうになって頭を下げた。そして顔を上げて俺に気付く。
「ああ、相沢くん、ここにいたんですか」
「なんだ、やんばるくいなか」
「……久瀬、ですよ」
 やんばるくいなこと久瀬だった。眼鏡をかけているってことは、良い奴バージョンの状態ってことだな。
 久瀬は苦笑してから、男子生徒に視線を向けた。
「吉住くん、だったかな?」
「く、久瀬先輩っ!? お、お久しぶりですっ」
 その男子生徒は、今までの偉そうな態度はどこへやら、椅子を倒しかけるような勢いで立ち上がって頭を下げた。
「君は今でも風紀委員会のメンバーだったと思うけどね……」
 久瀬の言葉に、そいつはこくこくと頷く。
「は、はいっ、おっしゃるとおりです」
「僕が風紀委員長だった頃、君には随分と世話になったものだよ。ここで改めて礼を言わせてもらえないか」
「そ、そんな、もったいない……」
「ところで、小耳に挟んだんだけど、3年A組の教室が荒らされたそうじゃないか。確か、校内の保安は風紀委員会の管轄だったはずだけどね。僕としても、昔の職のことは気になるんだけどなぁ」
「そ、それは、はい……」
「実行委員長に伝えて欲しいな。もう一度こんなことがあったら、僕は昔の職の名誉を守るために、風紀委員会がいかに生徒達のために働いているかを公開しちゃおうかなって思ってると」
「そ、そんな! 久瀬先輩、正気ですかっ!?」
「……君に言ってるんじゃない。君は、会長に伝えてくれればそれでいい」
「……は、はい……」
 完全に迫力負けしている風に、頷くだけの男子生徒から視線をそらすと、久瀬は俺達に声を掛けた。
「では、相沢くん、水瀬さん、行こうか」

 廊下に出たところで、久瀬は俺に向き直った。
「それじゃ僕はこれで。あ、倉田さんによろしく伝えてくれないか」
「また恩を売られたな」
 俺は苦笑した。
 久瀬は軽く手を上げて、歩き去っていった。
 名雪が俺に尋ねる。
「ねぇ、祐一、何がどうなったの?」
「多分、あれは生徒会の嫌がらせだ。そして、とりあえずもう教室が荒らされることはないだろうな、ってこと」
「……祐一」
 名雪は、ぎゅっと俺の手を握った。
 俺は苦笑して、名雪の肩を叩く。
「心配するなって。久瀬に恩を売られたのは悔しいが、ここで俺が暴走しても何の得にもならんってことくらいはわかってる。それに、そんな暇もないってこともな」
「……うん」
 名雪は笑顔で頷いた。
「それじゃ、教室に戻るぞ、名雪」
「うんっ」
 俺達は廊下を駆けだした。

 教室に戻ると、既に荒らされた現場は、かなり片づけられていた。
「あ、お帰り、水瀬さん、相沢くん」
 中央で仁王立ちになって指揮を執っていた七瀬が振り返る。
「おう。そっちはどうだ?」
「うん、見ての通り。意外と見た目ほど壊されてなかったし、厨房に置いてあった機材なんかは大丈夫だったけど……」
 七瀬は眉をしかめた。
「やっぱり仕切り壁が吹っ飛ばされたのは痛いわ。厨房が丸見えになっちゃうし……。それに、教室の飾りも、半分は使えない状態よ」
 確かに、壁に掛けられていた、みんなで作った紙モールなんかは、全て取り払われていた。殺風景なことこの上ない。
「まぁ、それは仕方ないな。で、ぬいぐるみの方は?」
「そっちも、半分くらいはちぎられたりカッターで切られたりして使えないわ」
 そう言って、がっくりと肩を落とす七瀬。
「誰が……、誰がこんなこと……」
 その肩が小刻みに震えているのを見て、俺は七瀬も女の子なんだな、と場違いな感想を持ちながら、声をかけた。
「……七瀬、そう気を落とすな。な?」
「……ぶっ、ぶっ殺してやるぅっっ!!」
 どうやら、泣きそうになっていたのではなく、怒りに震えていたらしい。
「まったくっ、どこのアホよっ、こんなことするのはっ!!」
 泣き出されるよりはずっとマシだが、このまま怒りのままに暴れられても困るので、俺はなだめにまわることにした。
「まぁ、落ち着け七瀬。ともかく今は、うちのクラスのことを考えてくれ」
「う、うん、それはもちろんわかってるわよ。こう見えても乙女なんだし」
 半分意味不明だが、とりあえず落ち着いてくれたのをみて、俺はほっと胸をなで下ろす。
 生徒会が裏で糸を引いていたなんて知ったら、このまま生徒会室に竹刀を持って殴り込んで行きかねないからなぁ。
 ……いや、その前に俺が半殺しにされるか。生徒会がうちのクラスに嫌がらせしてるのは、俺のせいだからな。
 正確には、生徒会側の逆恨みなんで俺のせいでもないんだが。
「……何よ、相沢くん? 急に黙り込んじゃって」
「いや。それより、肝心のコスプレ衣装の方は無事だったか?」
「……あっ! まだ確認してないっ!!」
 飛び上がって、七瀬は厨房の奥に駆け込んでいった。そしてしばらくしてから、今度こそ泣きそうな顔で戻ってくる。
「衣装が全部無くなってる……」
「なにぃっ!?」
 その悲報に、修復作業をしていた男子生徒全員が悲鳴を上げた。
「そんなっ! 俺は今までなんのためにっ!!」
「うぉぉぉっ、どうすればいいんだぁっ、教えてくれタイガージョー!!」
 他の女子生徒もいれば、それなりに反論も出たかも知れなかったが、この場にいたのは名雪と七瀬だけだったので、さしたる反論も出てこなかった。
 とはいえ、時計を見ると、開場時間まで、あと30分弱。
 と、教室の入り口で悲鳴が上がった。
「なによっ、これっ!?」
「きゃっ! ど、どうしちゃったのっ!?」
 どうやら、タイミング良く、他のウェイトレス役の女子生徒達が来たらしい。
 俺は七瀬に言った。
「みんなに事情を説明して、それから料理の準備は始めておいてくれ」
「それはいいけど……。衣装はどうすんの?」
「一応、当たってみる」
 そう言って、俺は教室を出た。
 名雪が後ろからついてくる。
「祐一、当たってみるって……?」
「ああ、それなんだが……」
「名雪! 相沢くん!」
 その声に顔を上げると、廊下の向こうから小走りに近づいてきたのは、香里と北川だった。
「話は聞いたぜ。なんかとんでもないことになってるみたいだな」
 北川が、さすがに深刻そうな顔をして言った。
「俺も話を聞いて、すぐにそっちに行きたかったんだが……。悪い、コンテストの方があって……」
「私も、委員会と部活の仕事があって。ごめんなさい」
「ああ、2人とも、それは仕方ないから気にするな。それより香里、携帯貸してくれないか?」
「え? いいけど、どうするの?」
 香里が携帯をポケットから出して、俺に渡しながら言った。
「秋子さんに電話して、衣装の予備があるかどうか聞いてみる」
「あ、そうだね」
 名雪がぽんと手を叩いた。香里も頷いて手を出す。
「それじゃちょっと返して」
「え? ああ」
 携帯を返すと、香里はいくつかボタンを押して俺にもう一度渡す。
「はい」
 どうやら電話を掛けてくれたらしく、耳に当てるともう呼び出し音が鳴っていた。
 ややあって受話器を取る音がする。
『はい、水瀬です』
「あ、秋子さんですか? 俺です、祐一です」
『あら、祐一さんですか。何かあったんですか?』
 秋子さんの声に、俺は事情を説明した。
「はい、実は……」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 まゆらの公開終了。お疲れ様でしたといいたいです。

 プールに行こう6 Episode 44 02/2/4 Up 02/3/8 Update

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