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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 43

「……う、うん? あれ?」
「くー」
 俺は目をこすって辺りを見回した。それから思い出す。
 そういえば、昨日は学校に泊まり込んだんだっけ。
 保健室から無断で調達してきた毛布を被っているとはいっても、5月半ばの早朝はまだ冷える。
 隣で、俺にもたれかかって寝息を立てている名雪を見て、俺はもう少しこのままの姿勢でいることにして、ぼーっと教室を見回した。
 カーテンの隙間から漏れてくる朝の光が、すっかり様変わりした喫茶店風の室内と、その床にゴロゴロと転がっている生徒達を照らし出す。
 もはや、マグロに男女の区別なしという有様である。まぁ、床で寝てる娘達は、女子はもう帰ってもいいという俺の言葉に従わなかった猛者だからなぁ。
 そんなことを想いながら、顎を撫でると、無精髭がざらついているのが判った。考えてみれば、最後に髭を剃ったのは、水瀬家を出てくるときだったから……、3日前か?
「……うにゅ」
 不意に、名雪が身体を動かした。それから目を開けて、俺に視線を向ける。
「うぉ……、おはようございまふ、だよ」
「おう。珍しいな、名雪がこんなに早く……って、他のみんなが死んでるだけか」
「うにゃ……」
 まだ半分寝ぼけているらしく、目元をしきりにこする名雪。
「……あれ? 祐一……? あれれ、ここどこ?」
「教室だ、教室。ちなみに今日は日曜で、明日から文化体育祭だ」
 俺の言葉に、名雪はようやく思い出した様子で、もう一度辺りを見回した。
「わ、教室が喫茶店になってるよ」
「そりゃ、一気に模様替えしたからなぁ。お前、その前にもう寝てたし」
「えっと、えっと……。わ、わたし、顔洗ってくるよ」
 そう言って立ち上がり、名雪はドアを開けて教室を出ていった。
 その音に、何人かが目を覚ましたらしく、身動きを始める。
「う〜っ、もう……朝かぁ……?」
「身体がまだ痛いよ……」
「あれ? あたしなんでこんなとこで寝てるのっ?」
 俺は、とりあえず教壇に上がって、教室を見回した。
 教室の四分の三を店舗、残りを厨房にして、その間をベニヤ板で仕切ったという造りの喫茶店。
 百花屋みたいな本物と比べるといかにもちゃちだが、でも、俺達が自分たちだけで作り上げた店だ。
「……ところで相沢」
 感慨に浸っていると、斉籐が話しかけてきた。
「なんだ?」
「今さらだけどな……」
 斉籐は、プログラムを片手にして言った。
「ここに載ってる店の名前、誰が決めたんだ?」
「当然、俺が内なる乙女コスモの命じるままに決めた」
「まぁそんなところだとは思ったが……」
 何か言いたげな斉籐は無視して、俺はもう一度教室を見回して、ほとんどのメンバーが起きてきたのを確認した。
「よし、みんなおはようさん。とりあえず顔でも洗ってきてくれ。えーっと」
 振り返って、背後にある黒板の上に掲げられている時計で時間を確認する。
「7時50分か……。よし、それじゃ0800に集合。明日の注意事項を確認してから解散とする。以上!」
 その言葉に、「おー」と力無く答える皆を残して、俺は教室を出た。
 と、向こうから声が聞こえてきた。
「ちょっと水瀬さんっ、しっかりしてよっ! あ〜っ、もうどうしろってのよっ!!」
「……はぁ」
 俺はため息を付きながら、声の方に向かった。

 女子トイレの前で、予想通り水をぽたぽたと髪から滴らせる名雪を、ずるずると七瀬が引っ張って出てくるところに出くわした。
「あ、ちょうどよかった。相沢くん、水瀬さんはあんたの担当でしょ」
「まぁそうだけど……。その様子を見ると、洗面所で溺れかけてたのか?」
「ええ。まったく、あたしが通りかからなかったら大変なことになってたわよ」
 肩をすくめて、七瀬は俺に名雪を押しつけた。
「ほら、ちゃんと管理しときなさい」
「そうする。にしても、七瀬もご苦労だったな。コンテストにも出るんだから、家に帰ってゆっくり休んでた方が良かったんじゃないか? うちのクラスの連中しかいないところで張り切っても、票にはならんのだし」
 例の美少女コンテストでは、自分のクラスの代表には投票してはいけないことになっているのは周知の通りである。
 七瀬は肩をすくめた。
「コンテストとは関係ないわよ。やっぱりこういうのって、きっちり参加してなんぼのもんでしょ?」
「うむ、それでこそ七瀬だ」
「……どういう意味よ?」
「いや、そのままなんだけどな」
「……はぁ。まぁ、いいけどね。……あふぅ」
 小さくあくびをして、七瀬は俺に視線を向けた。
「んじゃ、あたしは教室に戻るわね」
「おう、サンキュ」
「ん」
 軽く手を振って、七瀬は教室に歩いていった。
 それを見送ってから、俺は抱きかかえている名雪の頬をぺちぺちと叩いてみた。……顔がずぶ濡れなので、ぺちぺちというよりはぺちゃぺちゃなのだが。
「おい、名雪、起きろっ」
「……うにゅ〜〜〜〜〜〜〜」
 名雪は薄目を明けて、俺を見た。
「……あれ? 祐一だよ?」
「おう、祐一さんだぞ。いい加減しゃっきり目を覚ませ」
「うん……。あれ? どうして私、濡れてるんだろ……。うう、冷たいよぉ……」
 ぷるぷると名雪が首を振ると、水滴が辺りに飛び散る。っていうか、俺にまでかかる。
「こら、やめんか。俺まで濡れるっ」
「う〜っ、だってぇ……」
 改めて見てみると、上半身がずぶ濡れになっている。というわけで、特に胸がおおう!
「とっ、とにかく着替えてこいっ!」
「な、なににだよ〜?」
「体操服くらい部室においてるだろ、確か」
「あ、そうか。うん、そうだね。それじゃ着替えてくるよ」
「おう。教室にいるからな」
「うん……」
 そのまま、のたのたと歩き出す名雪を見送ってから、俺は教室に引き返した。部室まで送ってやりたいのは山々だが、その前に時間になりそうだったからだ。

「えー、というわけで、第1班は朝8時にここに集合。なお、遅刻の場合は責任者権限で厳罰に処すのでそのつもりで」
 俺がノートを片手に注意事項を読み上げると、七瀬が手を上げた。
「しつもーん」
「おう、なんだ?」
「厳罰って、何よ?」
「おう、いい質問だ。厳罰の内容だが、俺が色々と考えているので、是非誰か実験台になってくれ」
「……」
 俺の言葉に、教室内はざわめいた。
 俺はにやりと笑ってから、ノートを閉じた。
「いよいよ戦闘開始は明日となった。各員の奮起をとみに期待するものである! 今日はゆっくりと身体を休めてくれ。以上、解散っ!」
「お疲れさまでしたっ!」
 うむ、いい返事だ。
 頷いて、俺はぞろぞろと出ていく皆を送り出して、最後に教室のドアを閉めた。鍵を掛けてから、不意に気付く。
 そういえば、名雪が全然来ないぞ。
 まさか、あいつ……。
 俺は駆け出した。

「……やっぱりなぁ」
 陸上部の女子更衣室のドアを開けて、俺はため息をついた。
「……くー」
 上半身ブラのみ、下半身はブルマのみという萌え萌えな格好で、名雪は長椅子にもたれかかって眠りこけていた。どうやら着替えようと制服を脱ぎ、ブルマを履いたところで力尽きたらしい。
 うちの学校の女子制服(冬服)は上下一体型なので、上着だけ体操服、などということが出来ないのである。
「……チャ〜〜ンス」
 にやりと笑って、俺は左右を確認して、更衣室のドアを閉めた。

「う〜〜っ」
「なんだよ?」
「祐一、変態さんだよっ」
「名雪だって、結構感じてたじゃないか」
「う〜〜〜〜〜っ、それはそうだけどぉ……」
 俺と名雪は、約2時間後、そんな会話を交わしながら商店街を歩いていた。もちろん、後半部分は小声である。
「それに制服だって、その間に乾いたんだし」
「それもそうなんだけど……」
 まだ文句ありげだったので、俺は指を一本立てた。
「ラーメン驕ってやるから」
「ラーメンだったら、お母さんのラーメンの方が美味しいもん」
 取材拒否の頑固親父が聞いたら湯気を立てて怒りそうなことをさらっという名雪。だが、実際にそこらの店よりは秋子さんのラーメンの方がよほど美味いのだから仕方がない。
「わかった。んじゃ向こうのアイスショップ」
「ストロベリー?」
「2段重ねまでならいいぞ」
「うん、わかったよ」
 一転、笑顔で頷く名雪を連れて、俺はアイスショップに向かった。

 日曜日でいい天気ということもあって、アイスショップの店内は結構混んでいた。少なくとも、冬よりは。
 そして、そこに……。
「あっ、祐一さん、名雪さん、こんにちわ」
「……アイスショップのヌシもいた」
「わ、いきなり失礼なこと言ってます?」
 手にバニラのアイスクリームを持った栞は、口を尖らせた。
「こんにちわ、栞ちゃん」
「あ、はい。お二人とも制服ってことは、今帰りですか?」
 普通、この時間なら「これから学校?」と聞きそうなところであるが、さすがは栞、伊達に探偵の美少女助手1号を名乗ってはいない。
 俺は頷いた。
「そういうこと。とりあえずエネルギー補給してから家に帰って寝る」
「祐一、わたし並んでるから」
 そう言って、名雪はアイス待ちの列に加わった。それから俺に訊ねる。
「祐一の分も注文してあげるよ」
「んじゃ、チョコミント」
「ストロベリーじゃないの?」
「そりゃお前だろ?」
「……残念」
 肩をすくめて、名雪は向き直った。
 栞は、バニラをぺろっと舐めて首をすくめる。
「きゅん、冷たいです」
「そりゃ熱いアイスはないだろ」
「……もう、祐一さん情緒がないですよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんですよ」
 澄ましてそう言うと、もう一度アイスを舐める栞。
「栞の方の準備はどうなんだ?」
「うちのクラスはとっくに終わってますよ。私も準備万端ですっ」
 えへんと胸を張る栞。
「急に水着コンテストをやるって聞いたときは、ちょっとビックリしましたけど」
「まぁ、北川のことだからなぁ」
 俺は肩をすくめた。
「それにしても、あいつもよくもまぁ1週間でまとめ上げたもんだなぁ。ちょっとだけ見直してやろうと思わなくもないぞ」
「なんだか遠回しなほめ方ですね」
「でも、全クラスのクラス代表の娘に、結局水着審査を含めて全部のOKを取ったんだろ? 忙しくて俺も詳しくは聞いてなかったけど、あと何があるんだ?」
「えっとですね……」
 栞は指を折った。
「水着と、コスチュームと、あと隠し芸を一つです」
「それで、会場投票と、後で全校の男子生徒がやる投票を合わせて、コンテスト結果を出すんだそうですよ」
「それじゃ、2回投票出来るのか、俺は?」
「ええと、そうなるんですか?」
 小首を傾げる栞。
「とりあえず、後で北川に聞いてみるけどな」
「あ、はい。ふふっ、それじゃ、私は2票は確定ですねっ」
「……2票?」
「はい。祐一さんが2票です」
「……考えておこう」
「わ、祐一さんひどいですっ」
「あのな……」
 言い返そうとしかけたところで、名雪が両手にアイスを持って戻ってきた。
「お待たせ〜」
「おう、サンキュ」
 考えてみれば、栞と論戦したところでなんだかんだで論破されてしまうのがオチなので、俺はさっさとアイスを手にした。
「それじゃ栞はがんばってアイス屋を黒字倒産させることに挑戦してみてくれ」
「そんなに食べられませんよ」
 笑って、栞は手を振った。

 2人でアイスを舐めながら、ぶらぶらと家に向かって歩いていると、不意に名雪が俺の腕を引いた。
「祐一、あれ、お母さん達だよ」
「おう? あ、ほんとだ」
 ちょうどスーパーマーケットから、真琴とあゆを従えた秋子さんが出てきたところだった。
 名雪が声を掛ける。
「お母さん!」
「あら、名雪と祐一さん。お帰りなさい」
「もう、お母さんったら。ここは家じゃないよ」
「そうね。ふふっ」
「祐一くん、準備終わったの?」
 あゆが駆け寄ってきて訊ねた。
「おう。問題なし」
「それじゃ真琴と遊ぼうようっ! ここんとこ、ずっと遊んでくれなかったんだからっ」
 そう言いながら腕を引く真琴。
「あのな。寝不足なんだから、少し寝かせてくれ」
「そんなぁ〜〜〜っ」
「……真琴、祐一さんも疲れているんですから、わがままな事を言ってはダメですよ」
「あう〜っ」
 秋子さんにたしなめられて、真琴は不満そうに声を上げながらも頷いた。
「うん、我慢する……」
「偉いわ。そうだ、それじゃお昼はみんな一緒にしましょうか」
「わぁい」
 歓声を上げる真琴とあゆ。名雪も嬉しそうに頷いた。
「お母さん、わたし、ラーメンがいいなぁ」
「あら、ちょうど良かったわ」
「うん。お昼はラーメンにしようって、ボクと真琴ちゃんで決めてね、材料を買ってきたところなんだよ」
 あゆがスーパーの袋を掲げて見せた。
 俺は、そんなあゆの頭にぽんと手を乗せた。
「あゆ、いいのか?」
「うん、何が?」
「何がって、お前猫舌だろ?」
「うぐっ! わ、忘れてた……」
 がっくりと肩を落とすあゆ。
 俺は秋子さんに向き直った。
「それじゃ秋子さん、超熱々の味噌煮込みラーメンにしましょう」
「うぐぅっ!!」
 あゆが悲鳴を上げる。
 秋子さんは笑顔で頷いた。
「了承。ただし、祐一さんもちゃんと食べてくださいね」
「……ええと、普通のラーメンにしてください」
 迂闊にうんと言ったら、例のじゃむまで一緒に入れて煮込みかねないと思って、俺は白旗を揚げた。

 秋子さん特製のラーメン(なるとは自家製)は、やっぱり絶品だった。
 それはあゆや真琴が絶賛したことからもうかがい知れよう。
「うぐっ、これ美味しいよっ、秋子さんっ!」
「うんっ。真琴もおすすめっ!」
 無論、朝からアイスしか食ってない俺と名雪に取っては、まさに砂漠のオアシスという感じである。空腹に勝る調味料なしと言うが、空腹なところに美味いものを食べるというのは、最高の贅沢なのではないだろうか?
「ごちそうさまっ!」
「うふふっ。おそまつさまでした」

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 43 02/2/1 Up

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