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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 40

 朝のホームルームの寸前まで続けた写経のおかげで、ゴールデンウィーク明けの月曜の授業もまったりと終わり、放課後。
「……なるほど、そういえばそうだったっけ」
「そういうわけだ、同志相沢スキー」
 北川はそう言うと、俺の肩を叩いた。
「頑張れよ、実施責任者」
 俺はため息をついて、俺の席の周りに集まったクラスメイト達を見回した。
「すっかり忘れてた」
 そう、ゴールデンウィークが終わったということは、例の文化体育祭までの残り時間が1週間ちょっとしかないということでもあるのだ。
 かててくわえて、俺は香里の陰謀で、うちのクラスの出し物「ぬいぐるみコスプレ喫茶」の実施責任者だったりするわけである。
 というわけで、放課後、まずは部活もない連中が準備の為に居残っているのだ。
「……で、俺にその指揮を執れ、と?」
 聞き返すと、北川は腕組みして頷いた。
「ああ、その通りだ。うちのクラスの浮沈は、ひとえにお前に掛かっている。頑張れ相沢。俺達はお前をなま暖かい目で見守ってやろう」
「そうだ、相沢。あとは任せたぞ」
 と、久し振りにセリフのあったロリー斉籐。
「こら斉籐、全部俺にやらせるつもりかっ!」
「そうだ。任せたぞ」
「だぁ〜っ、同じ表情で肩を叩くなっ!」
 ちなみに何故ロリーかというと、こいつはどうやらあゆ好みらしいからである。
「どうしてボクだとロリーなの?」
 ひょこっと顔を出すあゆ。ちなみにさっきから男どもばかり発言をしてるが、女子生徒もあゆを筆頭に若干名残っている。
「聞きたいのか、あゆ?」
「どうしてなのかなっ?」
 笑顔で訊ねるあゆ。でも目がぜんっぜん笑っていない。
「おお、そうだあゆ、お前部活はいいのか?」
 聞き返すと、あゆは小首を傾げた。
「部活? ボク、何か部活してたっけ?」
 俺は、ちょいちょいとあゆを手招きする。
「うん、何かな、祐一くん?」
 とことこと近寄ってきたあゆの頭に腕を回して、がっちりと固める。
「お前はゴールデンウィークの間に自分の部活も忘れたのかぁっ? ええっ!?」
「うぐぅっ、痛い痛い痛い〜〜〜っ」
 ぱたぱたと俺の腕をタップするあゆに免じて解放してやってから、はたと周囲の視線に気付く。
「……あ、えーっと」
「……相沢、お前いつもそんなうらやましい事をしてるのかぁ?」
 背後に異様なオーラを漂わせながら、俺に迫る斉籐。
「ええっと、それはだなぁ……、こ、こら、あゆ、お前からも何か言えっ」
「うぐぅ……、祐一くん、いつもボクをいじめるんだもん……」
「いつも、いじめる、だぁ? まさか貴様、同じ屋根の下なのをいいことに、あんなことやこんなこと、あまつさえそんなことまでっ!!」
「貴様、水瀬さんをげっちゅしておきながら月宮さんにも手を出してたのかぁっ!」
 俺は慌てて、北川に助けを求める。
「お、おい、北川、お前からも何とか言ってくれっ!」
「……同志諸君」
 北川が言うと、皆が一斉に視線を向ける。
 そんな皆に向かって、北川はにやりと笑い、親指をくいっと下に向けた。
「……祭りの始まりだ」

「はぇ〜。それで、祐一さんが怪我をしてたんですかぁ?」
「そういうこと。まったくあいつら……あいてててっ! 舞、そんなにきつく締めるなっ!」
「……」
 無言で、それでも左腕の包帯を巻き直す舞。
「はい、ちょっとしみますよ〜」
 佐祐理さんは、そう言ってから、右の肘にちょんちょんとヨードチンキを塗ってくれた。
「はい、これでおしまいです」
 男子生徒達にたこ殴りにされていた俺を救出してくれたのは、たまたま大学の授業が早めに終わったとかで遊びに来た舞と佐祐理さんであった。ちなみにあゆは俺が袋だたきにあっている間に速攻で逃亡したらしく、その時にはもういなかった。
 それにしても、2人が教室に入ってきたときのあの連中は……。
「それにしても、佐祐理はびっくりしちゃいました。みんなで一斉に「いらっしゃいませ、お嬢!」ですもの」
 くすっと笑いながら言う佐祐理さん。
 佐祐理さんは知らない世界だと思うが、あれは正しくその筋の光景だった。
 クラスの男達がこうして直立不動になっている隙に、舞が俺を救出してくれて、現在こうして保健室で2人に手当をしてもらっているというわけである。
 と、不意に保健室のドアが開いて、北川が顔を出した。
「よう、元気にしているか?」
「ああ、なんとかな。それでそっちは?」
「実施責任者がいないから、何も出来ないってことで、今日は解散」
 肩をすくめる北川。
 佐祐理さんが済まなさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい。佐祐理たちが祐一さんを連れ出しちゃったからですね」
「あ、いえ、そんなことは全然、はい」
 慌てて手を振る北川。
 と、その背後から声が掛かる。
「北川くん、何をうろたえてるのかしら?」
「どわぁっ、か、香里かっ!?」
 北川が大げさなリアクションを交えて飛び退くと、その後ろにいた香里は、腕組みしながら保健室に入ってきた。そして俺の脇に立つと、じっと見下ろす。
「……委員会から戻ってみたら、まったく……。相沢くん、文化祭まであまり時間がないのよ」
「そんなのは判ってるけどなぁ……」
「……はぁ」
 ため息を付くと、香里はいらだたしげに髪をかき上げた。
「これじゃ、去年みたいに私が独りでやったほうがマシだったかも知れないわね」
「そう思うんなら、今からでも香里に任せるけど?」
「そうね、そうしようかしら」
「……あの」
 黙って俺達のやりとりを聞いていた佐祐理さんが、遠慮がちに口を挟んだ。
「佐祐理は詳しいことは判らないですけど、でも、最後の文化体育祭なんですから、みんなで楽しくやった方がいいんじゃないかって思います……」
「……ええ、そうですね」
 香里は、組んでいた腕を解くと、軽く頭を下げる。
「すみません、倉田先輩、川澄先輩。みっともないところをお見せしてしまいました」
「いえいえ〜」
 佐祐理さんは首を振ると、立ち上がって薬箱の蓋を閉めた。
「はい、手当はおしまいですよ」
「……こっちも、おわり」
「ありがと、佐祐理さん、舞。さて、と」
 俺は腰掛けていたベッドから立ち上がると、腕を軽く回してみた。さして痛みもないのを確認してから、香里と北川に声を掛ける。
「というわけで香里と、ついでに北川。今から作戦会議を開くから、百花屋まで付き合え」
「なにが、というわけなのか判らないけど、まぁいいわよ」
 肩をすくめる香里を見て、北川も頷く。
「香里が行くなら当然俺も行くぞ」
「オッケイ。それじゃ行こう。あ、舞と佐祐理さんも一緒にどうだい?」
「はぇ? いいんですか?」
 聞き返す佐祐理さんに、俺は頷いた。
「勿論。手当してもらったお礼もしたいからな。な、舞?」
「はちみつくまさん」
 こくりと頷く舞。
 こうして俺達は、百花屋に向かった。
 ちなみに、陸上部の特訓のことを思い出したのはずっと後になってからであった。だから計画的サボリではないのである。
 ……ホントだぞ。

「……んじゃ、喫茶店のレイアウトはこれで決まり、と。で、ぬいぐるみは……。そうだな、各自が家にある余ってるぬいぐるみを持参するってことでいいんじゃないか?」
 ノートに描いた店内図の脇に「決定」と書き込みながら、俺は言った。
「そうね。でも、それだけじゃ多分、あんまり集まらない気がするけど。高校3年にもなっていらないぬいぐるみが家にあるなんて人は、そんなにはいないと思うわ」
 香里が、シャープペンシルのお尻で額をこつこつと叩きながら言った。
「そうか? 名雪の部屋なんてぬいぐるみがごろごろしてるぞ。けろぴーとか」
「だから、『いらない』ぬいぐるみ、って言ってるでしょ? この歳にもなってまだ持ってるぬいぐるみっていうのは、逆に言えば、大切なぬいぐるみってことなのよ」
「……なるほど」
 俺と北川は顔を見合わせて納得した。
「さすがはマイハニー」
「ちょっと、やめてよね」
 頬を赤らめた香里は、それを隠すようにコーヒーカップに手を付けた。
 佐祐理さんが頷く。
「そうですね。佐祐理も、美坂さんの言うとおりだと思います」
「……うん」
 もしゃもしゃとパウンドケーキを頬張っていた舞も頷く。
「はいへへなほんははは」
「……悪かったから、ちゃんと口の中のものを食べてからしゃべれ」
「……ほうふる」
 もう一度頷いて、舞はもぐもぐと口を動かす。
 俺はノートに目を落とした。
「しかし、そうなると……、ぬいぐるみの調達も、実は難しいのか?」
「とりあえず、明日みんなに聞いてみて、それから考えればいいんじゃないかしら? 明日じゃ間に合わないっていうんなら、今夜にでも連絡網を使って聞いてみればいいし。……あ、今からメール打った方が早いかも知れないわね」
 滔々と語る香里。
「それじゃ、メールは香里に頼めるか?」
「……そうね。相沢くんや潤からいきなりみんなのところにメールさせるわけにもいかないしね」
 やれやれ、といった風に、香里は鞄から携帯を取り出した。
 ちなみに、我が水瀬家一同のように携帯を誰も持っていないという家庭は、今やごく少数派らしく、栞や香里、天野に佐祐理さんも携帯を持っていたりする。
 北川は、携帯に向かってメールを打ち始めた香里をちらっと見てから、小声で訊ねる。
「ぬいぐるみのことはマイハニーに任せるとして、肝心要の例のブツはどうなのだ、同志相沢?」
「それについては抜かりはない」
 俺は頷くと、鞄から小さなアルバムを取り出して、北川に差し出した。
「教室じゃ、連中が暴走したんで見せ損なった。ふっふっふ、あいつらめ、後で後悔して泣くがよかろう」
「おい、相沢? お前こそなんか暴走してないか?」
 そう言いながら、アルバムを開く北川。と、その目が見開かれる。
「おおっ、こ、これはっ!」
「うむ。これこそ、俺がゴールデンウィークの間に総力を挙げて作成した、水瀬家主催、コスプレコンテストの出場者の生写真だ」
 声を潜めて言う俺。
 北川は、がしっと俺の手を握った。
「さすが相沢。我が魂の兄弟よ。後で焼き増ししてくれ」
「あ、これって、この間の写真ですね〜」
 背後から明るい声が聞こえて、俺達は思わず飛び上がった。
 慌てて振り返ると、佐祐理さんと舞が俺達の手元を覗き込んでいた。
「あの時は楽しかったですよ。ね、舞?」
「……うん」
 ケーキの最後の欠片をコーヒーで流し込んでから頷く舞。
 そう。ゴールデンウィークの間に、俺は秋子さんがどこからともなく集めてきたコスプレ用の衣装を、みんなに着てみてもらってファッションショーを開いたのである。
 ちなみに俺はアクションカメラマンとしてローアングルに漢の浪漫を……。
 いや、それはまぁどうでもいいとして。
「……しかし、よくもまぁこれだけの衣装を集めたもんだなぁ」
 感心してページをめくる北川。
 あ。
 俺はあることを思い出して、慌てて北川の手を押さえようとしたが、既に遅かった。
「おおっ、これはっ!」
「はぇ〜。名雪さんばっかりですね〜」
 俺は慌てて覗き込む3人の前からアルバムを回収した。
「こ、こら相沢、独り占めするなっ!」
「うるさいっ。これは俺の個人的なコレクションだっ! そんなことより、衣装はこれで問題ないなっ!?」
「お前な、もう少ししっかりとサンプルを見ないと、ざっと流し見ただけじゃ良いも悪いもわからんじゃないか。だからお前の個人的なコレクションも見せろ」
「お前、セリフの前半と後半に何の脈絡もないじゃないか」
 そう言いながら、俺はとりあえずアルバムを、あきれ顔で見ていた香里に渡した。
「すまん、とりあえず名雪の親友であるところの香里に預けておくから、北川にだけは見せてくれるな」
「やれやれね……」
 香里は、ぱらぱらとアルバムをめくり始めた。
 まぁ、香里ならいいか、と思っていると、不意に顔をあげて尋ねる。
「ねぇ……。この名雪を撮ったのって、相沢くんなんでしょ?」
「ああ、そうだけど……」
「ふーん」
「……なんだよ?」
「言葉通りよ」
 そう言って、香里は不意にアルバムから1枚の写真を抜いて、北川に差し出した。
「これ、見なさいよ」
「え?」
「どわぁっ! 何をするんだかおりん!」
 叫びながら俺は手を伸ばしたが、それよりも早く写真は北川に渡っていた。
「……ほぉ」
「……負けたわね」
「……そうだな、こりゃ」
 写真を見て頷き合う2人。佐祐理さんと舞もその写真をのぞき込む。っておいっ!
「こら、2人ともさっさとかえ……」
 ぶしっ
「祐一、邪魔」
「のぉ〜っ」
 舞にフォークの柄で突かれた眉間を押さえていると、香里は写真を元のようにアルバムに戻して、俺に差し出した。
「はい、返すわ。ごちそうさま」
「こら、おごるとは言ってないぞ」
「意味が違うわよ」
 そう言うと、香里は肩をすくめた。
「みんなにメールは打っといたから、今夜中には返事を集めて、栞の携帯に送っておくわね。どうせあの子、今日も相沢くんのところに泊まりでしょう?」
「あ、ああ……。多分な」
「それじゃ。あたしのコーヒー代はここに置いておくわね」
 そう言って、香里は立ち上がった。
「おう。お疲れ」
「あ、待てよ香里。家まで送っていくって」
 立ち上がる北川。
「ありがと。でも家には母さんがいるけどね」
「ぎく。べ、べつに何も考えてないぞっ!」
 言い合いながら2人は百花屋を出て行った。
 カウベルが、そんな2人を送り出すようにカランカランと鳴る。
 ……と、そこで俺は気付いて立ち上がった。
「北川の奴、コーヒー代を払ってねぇ!」
「はぇ? ちゃんと払ってますよ」
 佐祐理さんが笑って、香里が置いたお金を指した。
 レシートを挟んだクリップの上には、千円札が1枚。
「美坂さん、北川さんの分まで置いていったんじゃないですか?」
「むぅ、さりげなくやってくれるな、美坂香里」
「あの、祐一さん。さっきの写真、もう一度見せてくれませんか?」
「え? ま、まぁ、いいですけど……」
 俺はアルバムを佐祐理さんに渡した。佐祐理さんはさっきのページを開いて微笑んだ。
「ほら、舞。名雪さん、いい笑顔だよね」
「……うん」
 それは、公園で撮った写真だった。
 噴水をバックにした、名雪のスナップ写真。
 俺は、その写真を微笑んで見ている2人を、こそばゆいような気分で眺めていた。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 40 02/1/29 Up

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