トップページに戻る 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
皆からの質問攻めを受けながらの遅い夕食を済ませ、俺はリビングで歓談する皆と別れ、一人で2階に上がってベランダで涼んでいた。
Fortsetzung folgt
カラカラッ
サッシの開く音に振り返ると、名雪が自分の部屋の窓から顔を出していた。
「祐一……。わたしも、そっちに行っていいかな?」
「ああ、席は空いてるぞ」
俺の返事にくすっと笑い、名雪はベランダに出てくると、俺の隣に並んで伸びを一つした。
「う〜っ、気持ちいいね〜」
「ああ、そうだな……」
そよ風が、名雪の髪を揺らした。
冬の冷たい風ではなく、春の暖かな風が。
「……名雪」
俺は、ベランダの手すりを掴んで、名雪に顔を向けた。
「うん? どうしたの、祐一?」
「……ええと、やっぱりちゃんと謝らせてくれないか?」
俺の言葉に、名雪は一瞬、表情を硬くした。
「……あの時のこと?」
「ああ……」
「……もう、いいよ。それに……」
名雪は、にっこりと微笑んだ。
「あの時のことを憶えてなかったのに、祐一はわたしを選んでくれたんだもん」
「……ああ。……もし憶えてたら、逆に、あんなことは言えなかっただろうなぁ……」
「あんなことって?」
小首を傾げる名雪に、俺は苦笑して答えた。
「名雪にプールで付き合ってくれって言ったこと」
「あ、うん……」
名雪も思いだしたらしく、ぽっと赤くなった。それから、俺に向き直ると、もじもじしながら上目遣いになって言った。
「あのね、祐一……。あの時のこと思い出しても……、わたしで、いいんだよね?」
「ったく、何度も言わせるなよ……」
俺は、首筋が火照るのを感じながら答えた。
「それに、お前こそ……」
「わたしはね……、うん」
一つ、こくりと頷いて、名雪は答えた。
「祐一がこっちに戻ってきてから、ずぅっと考えたんだよ。わたし、あんまり頭良くないけど、でも一生懸命考えて……。それで出てきた答えは、やっぱりおんなじだったんだ。……わたし、7年前も、今も、祐一のことが大好きなんだって」
「……ありがとう」
素直に、その言葉が口をついて出てきた。
「……ううん。どういたしまして、だよ」
名雪は嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔に、7年前の少女の笑顔が、ようやく重なった。そんな気がした。
「……そういえば、祐一」
「うん?」
「明日から、どうするの?」
「明日からって……、ああ、ゴールデンウィークだったんだよな」
それどころじゃなかったので、すっかり忘れていた。
俺は、肩をすくめた。
「適当に時間を潰すとするよ。名雪は部活があるしな」
「う、うん。でも、わたしも午後からは空いてるよ」
「そっか。それじゃ、どこかに遊びに行くか。どこに行く?」
「百花屋!」
名雪はぽんと手を合わせて言う。
俺は苦笑した。
「いつも行ってるじゃないか。もっとこう、ぱぁっとした場所に……」
「祐一」
その俺の唇に指を当てて、名雪は言った。
「わたしは、祐一と一緒だったら、どこでもいいんだよ」
「……ええっと」
照れくさくなって、俺は明後日の方に視線を逸らしながら言った。
「それじゃ、明日は百花屋でいいか」
「うんっ」
名雪は嬉しそうに頷いた。
約束をした途端に眠くなったらしい名雪を部屋まで送り、俺は自分の部屋に戻った。
ベッドに寝転がって、深呼吸を一つ。
と。
トントン
ノックの音がした。
「はい?」
ベッドから起き上がりながら答えると、ドアの向こうから秋子さんの声が聞こえた。
「祐一さん、少しいいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
慌てて居住まいを正しながら答えると、ドアが開いて秋子さんが入ってきた。
「ちょっと、お話しがあるんですけど……」
「はい。あ、とりあえず座ってください」
クッションを勧めると、秋子さんは「ありがとう」とその上に座った。
俺はベッドに座って訊ねた。
「それで、どうしたんですか?」
「まずは、あの子の母親として、お礼を言わせてくださいね。名雪のことを思い出してくれて、ありがとう」
頭を下げる秋子さんに、俺は慌てて手を振った。
「いや、そもそも忘れてた俺の方が悪いんですから……」
「それから、もう一つ」
顔を上げた秋子さんは、静かに言った。
「姉さんは、まだ、祐一さんと名雪が付き合うことを、認めたわけじゃありませんよ」
「……それは、どういうことですか?」
一瞬息が詰まったような気がして、俺は慌てて深呼吸してから訊ねた。
秋子さんは答えた。
「私と姉さんの賭けのことは、勿論聞いてますよね?」
「あ、はい。俺は名雪のことを思い出したわけですから、賭けは勝ち、のはずですよね?」
「ええ、祐一さん……というか、実際に賭けをしていたのは私と姉さんなので、私の勝ち、ということになりました」
こくりと頷く秋子さん。
「……それなら、どうしてお袋は、俺と名雪が付き合うのを認めないんですか?」
「賭けの結果が出た時には、勝者は敗者に一つ、なんでも願いを言うことができる。そういう賭けでした」
「……まさか、お袋は秋子さんの願いを聞くだけ聞いて終わり、なんてオチだったんじゃ……」
「姉さんはそこまで姑息じゃありませんよ。ちゃんと、私の願いは叶えてくれましたから」
秋子さんはそう言うと、俺をじっと見つめた。
「私は、祐一さんと名雪が付き合うことを、姉さんに認めて欲しいとは、頼みませんでした」
秋子さんの言葉を理解するまで、一瞬、間が空いた。
「……それじゃ、秋子さんは、何をお袋に頼んだんですか?」
「祐一さんを、ここに……。水瀬家に残らせて欲しいと頼みました」
頬に手を当てて、静かに言う秋子さん。
「姉さんは、意地悪ですから……。きっと、私が祐一さんと名雪の仲を認めて欲しいと頼んだら、それを了承する代わりに、祐一さんをアメリカに連れて行ってしまったでしょうね」
「……まぁ、ありえなくもないです」
というか、間違いなくそれは想像できた。
それにしても……。
「お袋はなぜ、そこまで俺と名雪が付き合うことを認めたくないんだろう……。秋子さん、何か知ってますか?」
「……そうね。もう言ってもいいかしら」
秋子さんは俯いて呟くと、俺に視線を戻した。
「祐一さんが、名雪を悲しませたからですよ」
「……それは、7年前の……?」
「ええ」
頷く秋子さん。
「あの頃は私も姉さんも、あゆちゃんのことは全然知らなかったから、祐一さんに何があったのか、ほとんど判らなかったんですよ。祐一さんも、何も話そうとしなかったし……。私も姉さんも、事実からしか考えることが出来なかったんです」
「……事実って……」
「名雪を……、自分の精一杯の思いをあなたに伝えようとした名雪を、祐一さんは黙殺しました。それだけが、私と姉さんの知っている事実です」
「……ええ、そうです……」
秋子さんの言葉に、俺は、うなだれることしか出来なかった。
謝ったところで、7年前に時間を巻き戻せるわけじゃない。
「でも、名雪が祐一さんを赦すのなら、私や姉さんがそのことで祐一さんを責めるのは筋違いでしょう」
秋子さんは、柔らかな声で言った。
「ましてや、全ての事情が判った今では、祐一さんの行動の意味も、わからなくもないですし……。ですから、祐一さんは、今まで通りでいいんですよ」
「……はい」
「でも、姉さんは……」
秋子さんは、もう一度頬に手を当てて、今度は困ったようにため息をついた。
「姉さんは、また祐一さんが名雪を悲しませることになるんじゃないかって、それを一番気にしてるんですよ」
「……俺は」
俺は、両手を組んで呟いた。
「もう名雪を悲しませるつもりは、ありません」
「ええ」
秋子さんは、微笑んだ。
「信じてますよ、祐一さん」
ゴールデンウィークは、特にどこに行くでもなく、まったりと過ぎていった。
少し変わった点があるとすれば、俺が意識して、出来るだけ名雪と一緒に過ごそうとした、ということだろうか。
もっとも、名雪の方も部活で忙しく、ずっと一緒、というわけにはいかなかったが。
まぁ、一言で表せば、大過なく、といったところか。
そして、ゴールデンウィークの最後を飾るスペシャルイベントも無事に終了してしまい(これについては長くなるんでまたの機会にでも)、とうとう最後の日も終わろうとしていた……。
「うぐぅ……。明日から学校だよ……」
夕食後、いつものように皆がリビングに集まると、開口一番あゆが言った。
「あう〜〜〜っ」
真琴が同意するように長々とため息を付く。
「私は、ゴールデンウィークの間、ずっとお友達に会ってませんでしたから、久し振りで楽しみですよ」
食後のアイスを口に運びながら、栞が微笑む。
あゆが、不意に俺に尋ねた。
「祐一くん、宿題はちゃんとやった?」
「そういうあゆは?」
「……うぐぅ」
俺が聞き返すと、涙目になるあゆ。
「心配するな、あゆ。俺達には学年トップの頭脳の持ち主を姉に持つ奴がついていてくれるぞ」
「はい、まかせてください」
どんと胸を叩くと、栞は立ち上がった。
「それじゃ、電話借りますね」
「おう」
とたたっと子機を取りに行く栞。
その背を見送りながら、名雪が呟く。
「でも、香里って、こういうことには厳しいからね……」
「そうなの、名雪さん?」
「うん」
「うぐぅ、どうしよう、祐一くん……」
「うむ、まずいな……」
考え込む俺とあゆを見て、呆れたように言う天野。
「というか、最初から宿題を自分でしようという選択肢はなかったのですか?」
「……うぐぅ」
「下級生にぐうの音も出ないほどやりこめられるとは、哀れだな、あゆ」
「祐一くんもだよっ!」
と、そこに栞が戻ってきた。そして、涙目で俺に訴える。
「えぅ〜〜、もうお姉ちゃんなんて嫌いです〜〜」
「……はぁ」
俺とあゆは、顔を見合わせてがっくりと肩を落とす。それから同時に名雪に向き直った。
「名雪っ」
「名雪さんっ!」
「……しょうがないなぁ。イチゴサンデー3つで手を打ってあげるよ」
呆れたように、それでも笑いながら答える名雪。
「恩に着るぞ、名雪。よしあゆ、今から作戦開始だ!」
「うん、ボクがんばるよっ! 名雪さん、ありがとうっ!」
天野は真琴に声を掛けた。
「それじゃ、真琴。私たちも宿題に取りかかりましょうか」
「あう……。やっぱり、やらないとダメ?」
「駄目です」
「……あう〜〜」
情けない声を上げる真琴。
こうして、俺達はそれぞれの学年に別れて、連休中の宿題を片づけることになった。
「……というわけだよ、香里くん」
「なにが、というわけなのよ」
久し振りの学校で、クラスメイトに挨拶するのもそこそこに、俺と名雪、あゆの3人は香里に頭を下げていた。
「ごめんね、香里。わたしも数学の宿題、忘れてたんだよ〜」
「流石に俺達では、ワークブック1冊を一晩で仕上げるのは無理だったのだ」
「偉そうに言わないの。つまり、見せろってこと?」
こくこくと頷く俺達に、香里はため息をついた。
「こんなこと言いたくないけど、あたし達一応受験生なのよ?」
「それはわかってるんだけど……。ね、香里。お願いっ」
ぱしんと両手を合わせて見せる名雪に、香里は渋々といった様子で、鞄からワークブックを取り出した。
「はい。やるなら、さっさと写しなさいね」
「ありがとっ、香里っ!」
「きゃっ、いきなり抱きつかないでよ」
香里と名雪がじゃれ合っている間に、俺とあゆはワークブックを広げて争うように数値を書き写していた。
と、後ろの席から声が聞こえた。
「ふっふっふ。無様だな相沢」
「うるさい北川。お前は写さないのか?」
顔を上げて訊ねてみると、北川はぱたぱたと自分を手で扇いで見せた。
「ふ。庶民の声が心地よいわ」
「あ、てめぇ、さっさと香里のを写したな! 裏切り者っ!」
「祐一くんっ、時間がないよっ!」
あゆに言われて、俺はとりあえず写経に戻った。
「祐一くん、しゃきょうじゃないよっ」
「似たようなもんだっ!」
こうして、朝のホームルームが始まる直前まで、俺達は大騒ぎをしていたのだった。
トップページに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く
あとがき
プールに行こう6 Episode 39 02/1/28 Up