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切り株に腰を下ろしたまま、俺は想い出を捕まえようと、目を閉じていた……。
Fortsetzung folgt
「……はぁ」
ため息をついて、目を開ける。
ダメだ。全然思い出せない。
足下に視線を落とす。
雪うさぎだったそれは、全て溶けてしまい、今では地面が少し濡れているだけだった。
そして、耳だった緑の葉っぱと、目だった赤い木の実が転がっている。
俺は、その木の実を拾い上げた。手のひらの上で転がしてみる。
あの時は、何かを思い出し掛けたのに……。
少なくとも、俺と名雪の7年前に、雪うさぎが何か関係しているのは間違いないんだが……。
……くそっ。
いらだち紛れに、しめった土を蹴飛ばす。
どうして、思い出せないんだ!?
確かに、あゆのことで悲しかったから、その時のことは全て忘れようとしていたのは間違いないだろう。
でも、あゆが目覚めた今は、もう忘れている必要なんてないはずだ。
そもそも、その原因になったあゆのことは思い出しているのに……。
……待てよ。
俺はもう一度、切り株に腰を下ろした。そして、あの頃のことをもう一度思い出そうとした。
あゆが樹から落ちたのは、俺がこの街を離れる前の日。
だから、その次の日にはもう、俺はこの街を離れていたはずだ。
つまり、名雪となにかあったとしたら、あゆの事故の直後ってことになるんだな。
だとすると……。
細い、今にも切れそうな糸を、慎重にたぐり寄せるように、俺は記憶を、心の奥底から引っ張り出していく。
そう、全てを一度に思い出そうとしても無理なら、こうすればいいんだ。
俺は立ち上がった。そして、数歩離れて振り返り、屈み込む。
ちょうどこの辺りに、あゆは倒れてた。
あの時のことを思い出すと……、今でも胸が痛い。
あゆが現実には助かって、今は幸せそうに笑ってるって判っていても。
でも、物語はそこで終わってなかった。まだその続きがあったんだ。
立ち上がり、俺は歩き出した。
あゆが死んだと思いこんでいた俺は、その悲しい現実を受け入れられなかった。心の中で幸せな幻を作っていた。その幻を受け入れることを選んでいた。
だとしたら……。
俺は、ここにはいなかったはずだ。
ここには、俺とあゆの学校には、悲しい現実があるから、ここにいるわけにはいかないはず……。
それじゃ、どこだ?
決まってる。あゆとの楽しい想い出のあった場所だ。
そうなると、候補は3カ所。そのうちの1カ所は、消去法で消える。
少なくとも、商店街じゃない。あそこは、幻と一緒に過ごすには賑やか過ぎる。
残りの2カ所。
あゆと毎日待ち合わせていた場所と、あゆと一緒に天使の人形を埋めた場所。
「……駅前と、公園……か」
真っ暗な場所。
外からの光。
雪うさぎ。
その時のことは、まだ、そんな漠然としたイメージしか浮かんで来ない。
でも、それが7年前にあった出来事だっていう確信が、俺にはあった。
なら、そこから辿っていけばいい。
茂みをかき分けながら、俺は考えていた。
真っ暗な場所……。
なぜ真っ暗なんだ? 俺の心が悲しみに潰されそうだったからか?
それはあるだろう。でも、それだけじゃない。
その時、俺がいた場所が暗かったからだ。
あゆが樹から落ちたのは夕焼けの綺麗な時間、つまりは夕方だったから、それから俺が移動したとすれば、時間的にも暗くなっていたというのは納得できる。
外からの光。
名雪のことをそう思ったのか? だったとすれば、名雪が俺を迎えに、俺がいた場所まで来たってことか?
だとしても、まだ小学生の俺が、迎えに来た名雪を光だって思うのは、いくらなんでも変だ。俺がそんなに詩人なわけもなく、むしろ即物的なはずだし。
目の前に突き出していた枝を折って、俺はようやく舗装された道路に出た。そして、空を見上げる。
いつしか、辺りは暗くなり始めていた。
俺はその場に座り込んだ。
まだ駅前と公園、どちらが本命か絞りきれない。
両方に行ってみれば済む話だけど、それじゃ俺が7年前のことを思い出したわけじゃない。
それよりも、静かなここで、もう少し糸をたぐり寄せてみようと思った……。
どうにか繋がっている想い出。そのかけらを、俺はもう一度、並べてみる。
あゆの事故を目の前にして、俺はあゆが死んだと思いこんだ。そして、そのままあゆと一緒に楽しく遊ぶという幻に捕らわれて、それを実現させるにふさわしい場所に移動した。
それが、公園か、駅前のどちらか。
そして、暗くなっても戻ってこなかった俺を迎えに来たのが、名雪。だが、それは俺にとっては……。
……いや、待て。
雪うさぎは、この話にどう絡んでくるんだ?
7年前の名雪との想い出に、雪うさぎが出てきたのは間違いがない。だとしたら、それはどこに登場してくるんだろうか?
少なくとも、俺が作ったわけじゃない。あゆと遊んだときに、雪うさぎなんて作った覚えはない。
とすると、名雪が持ってきたのか。
でも、なんで、俺に雪うさぎなんて持ってきたんだ?
「わたしから、祐一へのプレゼント、だよ……」
カチリ、と音を立てて、何かの回線が繋がったような、そんな印象。
「……受け取って、もらえるかな?」
そして、俺は、7年前の夜を、思い出していた。
目の前には、大きな建物。
そして、雪の積もったベンチ。
そこに座っているのは、俺。
独りぼっちで、泣いている俺。
「……やっと、見つけた」
街灯の明かりに照らされて、目の前に三つ編みの少女が立っていた。
「……家に帰ってなかったから、ずっと捜してたんだよ」
俺が泣いていることに気付いていないわけがない。
だけど、それには触れないで、少女は言葉を続けた。
それは、少女の方も必死だったから。
「見せたい物があったから……」
「ずっと……、ずっと、捜してたんだよ……」
黙ったままの俺に向かって、何度も練習したのだろう、とびきりの笑顔で言うと、少女は後ろに隠していた手を前に出す。
その小さな手の上に、さらに小さな雪うさぎ。
「ほら……。これって、雪うさぎって言うんだよ……」
「わたしが作ったんだよ……」
「わたし、ヘタだから、時間かかっちゃったけど……」
「一生懸命作ったんだよ」
白い息と共に、紡がれる言葉。
それでも、俺は黙ったまま。
少女は、少し居住まいを正し、それから深呼吸をして、言う。
「あのね……、祐一……」
「これ……受け取って、もらえるかな……?」
「明日から、またしばらく会えなくなっちゃうけど……。でも、春になって、夏が来て、秋が訪れて……、またこの街に雪が降り始めたとき……」
「また、会いに来てくれるよね?」
「こんな物しか用意できなかったけど……、わたしから、祐一へのプレゼントだよ……。受け取って、もらえるかな…?」
少し口を閉じて、少女は息を整え、そして言う。
「わたし…ずっと言えなかったけど……。祐一のこと、ずっと……」
初めて二人が出逢ってから、どれくらいの時間が掛かったのか。彼女がその言葉を、どれくらいの思いを込めて口にしたのか。
だが。
その瞬間、少女の差し出した雪うさぎは、崩れ落ちていた。
「祐一……?」
戸惑うように、少女が俺の名前を呼ぶ。
さっきまであった雪うさぎは、地面に落ちて、すでに見る影もなかった。
「……」
目が取れて、耳が潰れたうさぎ。
差し出した少女の雪うさぎを地面に叩きつけたのは、紛れもなく俺の小さな手だった。
プレゼント、という言葉がまずかったのだろう。
あゆへのプレゼントを渡すことが出来なかった俺にとって、それはまさしく、心を悲しい現実というカッターナイフで切り裂かれるようなものだったから。
だけど、名雪にとっては、八つ当たりもいいところだったのだ。
名雪は、だから、俺を罵倒しても良かったはずだ。
「……祐一。雪……嫌いなんだよね……」
それでもそうすることをせず、涙を堪えるように、少女は屈み込んで、雪うさぎだった雪のかけらを拾い集める。
「……ごめんね……。わたしが、悪いんだよね……」
「ごめんね、祐一……」
最後まで、少女は、俺を責める言葉を口にはしなかった……。
「……馬鹿だな、俺は……」
呟いて、俺はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
今のが真実だとしたら……、俺は名雪に、なんて言えばいいんだろう?
名雪は、間違いなくあの時のことを、憶えていた。
今にして思えば、7年前の時のことを持ち出したとき、いつも名雪の様子は変だった。
そりゃそうだろう。俺が何の気なしにあの時のことを口にするたび、名雪はあのことを思い出させられていたわけだから。
……でも、だとしても、名雪は俺のことを好きだって言ってくれたんだ。
「……名雪」
俺は立ち上がった。
そして、駆け出した。
「…祐一…」
「…さっきの言葉、どうしてももう一度言いたいから…」
「…明日、会ってくれる?」
もう、賭けなんて、どうでも良かった。
「…ここで、ずっと待ってるから…」
ああ、そうだ。
名雪は、ずっと待ってたんだ。
俺が名雪と7年ぶりに再会したのはどこだった?
暗い道をひた走り、そしてその場所に俺がたどり着いたとき。
そこには、誰もいなかった。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
荒い息を付きながら、俺は辺りを見回した。
街頭の時計の針は、まだ、12時は過ぎていない。
「……ここじゃ、ないのか?」
いや、ここだ。
あの時、俺の目の前には、大きな建物があった。
少なくとも公園や商店街にはそんなものはない。
ここしかありえないはず。
俺は、もう一度、駅ビルを見上げた。そして、視線を落とす。
目の前にある木製のベンチ。
青白い街灯の光に照らされたベンチには、誰の姿も無かった。
……それじゃ、どうして名雪は、ここにいないんだ……?
全身の力が抜けて、俺はその場に腰を落としていた。
「……名雪……」
カコーン
不意に、背後から音が聞こえた。
驚いて振り返る。
「祐一……」
そこには、少女が立っていた。
「来て……くれたんだ……」
「名雪……」
俺は、足下に転がってきた缶コーヒーを拾い上げた。そして、訊ねる。
「なんで、2本なんだ?」
「祐一……、祐一っ!」
そのまま、抱きついてくる名雪。
「おっと」
それを受け止めて、俺は、いとこの少女を抱きしめた。
「……ごめん、名雪。7年も待たせちまって」
「……っ!」
名雪は、顔を上げた。
「思い……出したの?」
「ああ。全部……思い出したよ」
プシッ
ベンチに座ると、俺は缶コーヒーのプルタブを引いた。
湯気が立ち上る缶を傾けて、中身を口の中に流し込む。そうしてから、俺は胃の中が空っぽなのに改めて気付く。考えてみれば、朝飯を食った後、何も口にしてなかった。
「……ふぅ、人心地ついた。しかし甘いぞ、これ。MAXコーヒーか?」
「疲れたときには、甘いものがいいんだよ」
そう言いながら、もう1本の缶コーヒーを開けると、名雪は口に運んだ。
「うん、美味しい」
「……ごめんな」
「……」
名雪は隣に座ると、無言のまま、俺の身体にもたれかかった。
頬を、名雪の長い髪がくすぐるように流れる。
「……わたし、怖かったよ」
呟く名雪。
「また、祐一は来ないんじゃないかって……。7年前みたいに……」
「あの時は……。……いや、いまさら言い訳は、みっともないよな」
「そうだね……」
しばらく沈黙が続く。
「……祐一」
それを破ったのは、名雪だった。
「わたしで……いいのかな?」
「名雪でなくちゃ、ダメなんだ」
即答する俺。
「……そっか」
名雪は、嬉しそうに微笑んだ。
俺は照れくさくなって、缶コーヒーの残りを一気に喉の奥に流し込んで、立ち上がった。
「名雪、そろそろ帰ろうぜ」
「え?」
「腹減ったし……。なにより、みんなが待ってるしな」
「……うん、そうだね。ちょっと残念だけど……」
そう言って、名雪も立ち上がる。
俺は、右手を差し出した。
「帰ろう」
「うん」
頷いて、名雪は俺の手を握った。
「……ど、どうしたんだよ、名雪?」
「ゆ、祐一こそ……」
水瀬家の門の前で、俺と名雪は小声で囁き合っていた。
「ええっと、ほら、なんだ、やっぱり名雪から先に行けよ」
「う〜っ、なんだか照れくさいよ〜」
赤くなる名雪。
まぁ、考えてみればあれだけ大騒ぎして、2人で並んで帰ってくるっていうのは、やっぱり気恥ずかしさが立つのだろう。
俺としては、その後にお袋と会うことを考えると、少し気が重いというのもあるんだが。
と、不意に玄関のドアが開いた。
「あら、祐一さん、名雪。お帰りなさい」
笑顔でそう言ったのは、秋子さんだった。
「とりあえず、外はまだ寒いわ。お入りなさい」
「あ、はい。ほら、名雪も」
「うん」
こくりと頷いて、名雪は俺と並んでドアをくぐった。
「わ、祐一、そんなところ引っ張らないでよ〜」
「お前こそ、ちょっと暴れるなっ」
「わわわっ」
三和土で、2人で並んで靴を脱ごうとじたばたしている俺と名雪。
そんな俺達をにこにこしながら見守っていた秋子さんが、不意に言った。
「そうそう。祐一さん、姉さんなんですけど……」
秋子さんに言われて、俺は腹をくくった。
「ええ、わかってます。お袋は部屋ですか? 今度こそ、俺と名雪のことを認めてもらわないと……」
「それは、無理ですよ」
秋子さんは、静かに答えた。
「姉さんは、もうここにはいませんから」
「……へ?」
俺と名雪は、思わず顔を見合わせた。
それから、俺は秋子さんに聞き返す。
「……いないって、どういう……」
「夕方くらいに、急にアフリカに帰ると言って、出て行ってしまいました」
秋子さんはそう言うと、視線を逸らした。
「祐一さんが戻るまで待っていれば、と引き留めたんですが……。姉さんは、賭けに負けるのは嫌いだからと言って……」
「え?」
「祐一さんが思い出すって、判ってたんですよ、きっと」
頬に手を当てて、いつものように微笑む秋子さん。
「お袋が……」
俺が呟いたとき、不意にリビングのドアがバーンと開いた。そして廊下に飛び出してきたのは、真琴だった。
「祐一ーーーっ、名雪ーーーーっ、おか……」
「えい」
「わぁっ!」
何かにつまずいて、そのまま廊下にスライディング……と思いきや、そのままくるくるっと前転して体勢を立て直す真琴。さすがに反射神経が鋭い。
「なにすんのようっ、しおしおっ!」
その後からぱたぱたと廊下に出てきた栞は、振り返りざま怒鳴る真琴に、しらっと首を傾げてみせる。
「さぁ、何のことですか?」
「何のことって、いま足引っかけたでしょうっ!」
「証拠でもありますか?」
「あう……、い、いま、えいっとか言ったでしょっ!!」
「はて、なんのことでしょうか?」
あさっての方を見ながら、肩をすくめる栞。
「あうう〜〜〜っ、むかつく〜〜〜〜っ!!」
「真琴、落ち着いて」
地団駄を踏む真琴を、廊下に出てきた天野がなだめる。
「あはは〜っ、お帰りなさい〜っ。ほら、舞も〜」
「……おかえり」
いつものように笑顔の佐祐理さんと、こちらもいつものように仏頂面な、それでいてどことなく嬉しそうな舞。
「うぐぅ……、出遅れたよ……」
そして、最後にあゆ。
たちまち、狭い玄関はすし詰めの大騒ぎになった。
そんな中で、名雪は俺の腕を引いた。
「祐一」
「うん?」
「帰ってきたときには、だよ」
笑顔で言う名雪。
「……そっか。そうだな」
俺は頷いた。そして、みんなの方に向き直る。
「あ〜、ちょっといいか?」
俺の言葉に、騒いでいた皆がこちらに向き直る。
名雪と俺は、「せぇの」と声を合わせて、言った。
「ただいま、みんな!」
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