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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 34

「……はぁ」
 ベッドに寝転がって、天井を見上げても、ため息しか出てこない。
 解決策は……。
 お袋を説得する、と言ってもなぁ……。
 未だかつて、お袋が一度決めたことを撤回したってことには、ほとんど覚えがない。理不尽と思えることでも平気で通してしまうし……。
 トントン
 不意に、ノックの音がした。無言でいると、おずおずした声が聞こえる。
「……祐一くん。ボクだよ……」
「あゆか。……鍵なら掛かってないぞ」
「う、うん。……お邪魔します」
 ドアを開けて、あゆが入ってきた。
「で、どうなった?」
 身体を起こして訊ねた俺に、あゆは力無く首を振った。
「秋子さんと名雪さんが、一生懸命言っても、おばさん全然聞いてくれないよ……。うぐぅ……」
 話を聞いた秋子さんが、名雪とともにお袋を説得してくれていたのだが、結果も予想通りだったようだ。
 ちなみに俺はというと、秋子さんに「祐一さんはいない方が、姉さんを説得しやすいですから、部屋にいてください」と言われて、報告待ちという状態だったわけだ。
「で、2人は?」
「今はリビングにいるけど……。あ、祐一くんは来ないでって秋子さんが言ってた」
 思わずベッドから降り掛けた俺に、あゆは言う。
「名雪さんが泣き出しちゃって、今、秋子さんと佐祐理さんが慰めてるんだ。それで、秋子さんが、名雪は祐一くんに泣いているところは見られたくないでしょうから、って……」
「……そうか」
 俺はもう一度、ベッドに座り直した。
「うぐぅ……。ボクも、祐一くんとお別れなんて、嫌だよ……」
 あゆは、そのまま床にぺたんと座り込んで、呟く。
「真琴だって、お断りようっ!」
「わわわわっ!!」
 いきなり背後からの声に、両手を振り回してうろたえるあゆ。
「おたおたしないでようっ、あゆあゆっ!」
「だだだだってぇぇっ!」
 いつの間にか部屋に入ってきていた真琴が、あわあわしているあゆをそのままに、俺に飛びついてくる。
「どうして祐一があふりかに行かないといけないのようっ! ……あ、ところで祐一、あふりかって遠いの?」
「……ああ」
 いつもなら茶化してるところだが、そんな気分でもなかった。
「遠い」
 俺の返事に、真琴は少し首を傾げてから聞き返す。
「ここからものみの丘よりも遠いの?」
「ずっと、な」
 そう答えると、真琴は表情をゆがめた。
「あう〜っ、そんなの嫌ようっ!」
「うぐぅ……、びっくりした……」
 ようやく落ち着いたらしいあゆが、目から涙を拭き取りながら呟く。
 そんなあゆに、振り返って真琴が言う。
「あゆあゆっ、祐一がどっかしらないけど、遠くに行っちゃうって言うのようっ!」
「う、うん……」
 思わず頷くあゆに飛びつくと、襟首を掴んでかくかくと揺さぶる真琴。
「うん、じゃないわようっ! お姉ちゃんならお姉ちゃんらしくっ、何とかしなさいようっ!!」
「う、ぐ、ま、まこ、はなっ、してっ……」
「こらこら、真琴。あゆが死ぬぞ」
 思わず苦笑しながら言うと、真琴は「あう〜っ」と声を上げながらも、手を離した。
 そのままがくっと床に突っ伏すあゆ。
「うぐぅ……、お花畑が見えたような気がするよ……」
「……祐一、行っちゃやだよう……」
 そんなあゆを無視して、真琴は呟いた。
 俺はため息を付きつつ、床に視線を落とす。
「今回ばかりは……、そうもいかないかもしれないな……」
「そんな祐一さん、祐一さんらしくないですっ!」
 唐突に声が聞こえた。
 今の声には、流石に驚いて顔を上げる。
「栞、どうして……?」
「は、話は、全部聞きましたっ。どうして、そんな重要な、ことに、私を呼んで、くれないんですかっ」
 荒い息の元で、細い肩を上下させながらそこまで言うと、栞はあゆの隣にぺたんと座り込んだ。
「さ、さすがに、家からここまで走ってくるのは、疲れましたぁ……」
「だ、大丈夫? 栞ちゃん、しっかりしてよ」
 慌ててその背中をさするあゆ。
 俺は訊ねた。
「一つ聞いていいか、栞?」
「何ですか?」
「話は全部聞いたって、誰に聞いたんだ? それとも、自分の耳で聞いたのか?」
「もちろん、自分の耳で聞きました」
 えへん、と胸を張る栞。と、はっと気付いて手を振る。
「そ、そんなことはとりあえずどうでもいいんですよっ。それより祐一さん、私というものがありながらアフリカに行ってしまうっていうのはどういう事ですかっ」
「いや、この際、栞はどうでもいいんだが……」
「そんなこと言う人、嫌いですっ」
 ぷっと膨れると、栞は立ち上がった。
「私、お義母さんと話してきますっ」
「待てこら。誰が誰のお義母さんなんだ?」
 俺は、栞のストールの端を掴んで止めた。
 振り返る栞。
「ええと、それは冗談としても、とりあえず話くらいさせてください。私だけ、まだご挨拶してないんですよっ」
「まだって、香里や天野もまだ逢ってないけどな」
「この際天野さんやお姉ちゃんはヒロイン候補じゃないから除外です。いいですよね、祐一さん?」
「まぁ、それは構わないけど……」
「……っと。あ、いい案が浮かびましたっ」
 出て行きかけて、不意に立ち止まり、栞はぽんと手を打った。
「祐一さんと名雪さんがお付き合いしてるから、お義母さんは祐一さんをアフリカに連れて行こうって話になっちゃったんですよね。だったら、祐一さんは私と付き合ってることにすればいいんですよっ」
「……あのな」
「ダメですか?」
「それじゃダメだよ、栞ちゃん」
 あゆが口を挟んだ。栞は頬に指を当ててしばらく考えていたが、やがて頷いた。
「それもそうですね……」
「うん。やっぱり祐一くんは名雪さんと一緒なのが一番だよ」
「それは違いますけど」
「全然違うわようっ! あゆあゆのばかぁっ!」
 同時に年下2人に言われて、あゆはしゃがみ込んで床にのの字を書き始めた。
「うぐぅ……、ボク年上なのに、ぜんっぜん威厳がないみたいだよう……」
「心配するな。あゆなんて逆さにして振ったって威厳なんてないから」
「うぐぅ、もういいもんっ」
 あ、拗ねた。
「とにかく行って来ますね」
 そう言って、栞は俺の部屋を出ていった。

 そして15分後。
「う〜〜〜っ」
「……」
「うう〜〜〜っ」
「あのな、栞。不機嫌なのは判るが、唸るのはよせ。あゆが怯えてるじゃないか」
「うぐぅ、そんなことないけど……。でも、ちょっと気味が悪いよ……」
「だって、あんまりですよっ!」
 栞は声を上げた。
「私のどこが中学生なんですかっ!?」
「胸」
「身長、かな?」
 俺とあゆが同時に言って、さらに膨れる栞。
「祐一さん、それってセクハラですっ。それに身長についてあゆさんに言われたくありませんっ」
「うぐぅ、ご、ごめん……」
 痛いところを突かれて、素直に謝るあゆ。
 このままでは話が果てしなく逸れていきそうなので、俺は栞に訊ねた。
「で、何があったんだ? 戻って来るなり唸るわ膨れるわじゃ、こっちもわけがわからんぞ」
「ええと、はい」
 こくりと頷くと、栞は説明を始めた。
「私がリビングに入ったら、ちょうどお義母様もいらっしゃったところだったんです。それで、秋子さんに私を紹介していただいたんですが、そうしたらお義母様ったら、私の頭を撫でて、「可愛いわね。2年生ってことは、中学生なの?」なんて言うんですよっ。ひどいと思いませんか祐一さんっ!?」
「いや、それはお袋じゃなくてもそう思うんじゃないか?」
「そんなこと言う人嫌いですっ」
「あ、拗ねるのは後にしてくれ。それでどうなった?」
 俺の言葉に、栞はぷんぷんと首を振った。
「どうもこうもないですよっ。あんな強情な人、嫌いですっ」
 そう言ってから、はっと口を押さえて「ごめんなさい」と謝る栞。
 あゆがため息をつく。
「栞ちゃんが説得してもダメだったんだ……」
「まぁ、佐祐理さんや秋子さんの説得がダメっていう時点で既に絶望的だがな……」
 俺もため息をついた。
「アフリカ、かぁ……」
「何を諦めたようなことを言ってるんですかっ! そんなこと言う人嫌いですっ」
 栞が声を上げた。
「いつもの祐一さんはどこに行っちゃったんですかっ!?」
「いや、そう言われてもなぁ……」
「栞のためなら、奇跡くらいいくらでも起こしてやる、って自信満々だった祐一さんはどこに行っちゃったんですかっ!?」
「いや、栞のため、なんて言った覚えはないぞ」
 俺がそう指摘すると、栞はぶんぶんと首を振った。
「そんな些細なことはどうでもいいんですっ! 祐一さん、まさか本当に、アフリカに行っちゃうつもりなんじゃないですよねっ!?」
「……」
「どうして黙ってるんですかっ! いつもみたいに、冗談じゃない、とか言ってくださいよっ!」
 栞は、俺に歩み寄ると、俺の胸を拳でとんとんと叩いた。
「そんな祐一さんなんて、嫌いですっ」
「……栞ちゃん」
 後ろから近寄ったあゆが声をかける。
「祐一くんだって、それくらいは判ってるよ……」
 栞は振り返って声を上げた。
「それならっ! それならどうして、そんな諦めたようなことばっかりっ!」
「落ち着いて……」
 あゆは、栞を静かに抱きしめた。
「ボクは……祐一くんを、信じてるから……」
「……私だって、信じたい、ですよ……。だけど、だけど……」
 俺は、立ち上がった。そして、背後から栞の頭にぽんと手を置く。
「……そうだな」
「祐一さん?」
「祐一くん……」
 栞とあゆが、同時に俺を見る。
「そうだな。……往生際が悪いっていうのが、俺のチャームポイントだったよな」
「それはチャームポイントじゃないですよっ。……でも、はい」
 栞はこくんと頷いた。それから、俺に向き直る。
「祐一さん、今だけは……、私も、祐一さんと名雪さんを、応援しちゃいます」
「栞……」
「あ、でも、今だけですからねっ」
「……ああ」
 もう一度、くしゃっと栞の頭をかき回してから、俺は部屋を出た。

 1階に降りて、リビングのドアを開けると、俺はわざと明るい声を上げた。
「秋子さん、そろそろ夕食の時間じゃないですか?」
 リビングのソファには、俯いたままの名雪。そしてその左右に、秋子さんと佐祐理さんが座っていた。
「……ええ、そうですね」
 俺の表情を見て、秋子さんは頷いて立ち上がった。そして、キッチンに入っていく。
「……名雪」
「祐一……、わたし……」
 俯いたまま、名雪は呟いた。
「わたし、もう……」
 その続きを聞きたくなくて、俺は遮るように言った。
「俺、もう一度お袋と話してくるよ」
「……え?」
 名雪は、ゆっくりと顔をあげた。
 俺は、にやりと笑って見せた。
「こんなんで、名雪と別れたくないからな」
「……祐一……」
 ゆっくりと、名雪は、ソファから立ち上がった。
「……わたしも」
 震える唇から、それでも名雪は言葉を紡ぎ出した。
「わたしも、一緒に……行くよ」

 だが……。

「それでも、ダメだったというわけですか」
「ああ……」
 俺は、ため息混じりに頷いた。
 天野は、呆れたように肩をすくめた。
「相沢さん……。それにしても、そのようなことで私を呼び出すなんて、そんな酷なことはないでしょう」
「美汐〜っ、そんなこと言わないでよぉ」
 真琴が泣きそうな顔で天野にすがりつく。
「助けてよぉ。真琴、祐一がいなくなるの、やだよぉ……」
「わかってますよ」
 優しい笑みを浮かべて真琴の髪を撫でると、天野は真面目な顔に戻って考え込んだ。
「お姉ちゃんも、何か良い案はないですか?」
 栞に視線を向けられて、香里は額に手を当てながらため息をつく。
「無理言わないでよ……」
「えぅ〜っ、お姉ちゃんだけが頼りなんですよ〜っ」
 そう言いながら、両手を組んで香里を拝むように見つめる栞。
「もう、こんな時ばっかり甘えるんだから……」
 そう言いながらも、まんざらではない表情の香里であった。
 夕食の時も、結局お袋は部屋から出てこなかった。というよりも、その前に名雪と一緒に部屋に押し掛けて直談判したのが、完全に逆効果になってしまったらしい。
 いつもなら夕食後はリビングで団らんなのだが、流石にそんな気になれずに部屋に引っ込んだ俺だったのだが、他のみんなもそのまま俺の部屋に着いてきてしまい、結局ここで作戦会議と相成ったわけだ。
 その上、よい案が出ないで唸っていると、なぜか天野と香里までやってきた。……いや、なぜ来たかというのは、それぞれ真琴と栞が呼び出したから、なのだが。
 香里は、さすがに眠そうに目をこすりながらも、まだ頑張って起きている名雪に視線を向けた。
「……それにしても、どうして相沢くんのおばさんは、そんなに名雪と相沢くんを別れさせようとするのかしら?」
「やっぱり、血が繋がってると世間体が悪いとか、そういう理由でしょうか?」
 栞が頬に指を当てて、首を傾げながら言った。
「そんなことってあるんですか? 佐祐理は、違うような気がします……」
 佐祐理さんはそう言ってから、唇を噛んだ。
「ごめんなさい。佐祐理がちゃんと説得できればよかったんですけど……」
「いや、佐祐理さんのせいじゃないって。それにしても……どこからどうすればいいものやら……」
「……ともかく、今すぐに相沢さんがアフリカに行くというわけでもないんですから、少し冷却期間をおいてから、もう一度話し合ってみたらどうでしょうか?」
 天野が言ったが、俺は肩をすくめる。
「冷却期間を置いても変わらないと思うけどな。お袋は、一度決めたことは曲げないから」
「うん、そうなんだ……よ」
 あふぅ、とあくびをしながら言う名雪。
「わたしも……、おばさんがにゃぁ……、くー……」
「……まったく、自分のことだっていうのに……」
 苦笑しながら、壁にもたれて眠ってしまった名雪に、毛布を掛ける香里。
 時計を見ると、もう午後11時過ぎ。確かに名雪にはつらすぎるだろう。
 と、不意に名雪が顔をあげる。
「大丈夫。わたし、寝てないよ……」
「名雪、無理するなって」
「……だって、わたしと祐一の大事なこと……だもん。わたし、眠ったりしないから……」
 そう言いながら目をこする名雪。
 佐祐理さんが、可愛らしくあくびをした。
「ふぁ、佐祐理も眠くなって来ちゃいました。とりあえず、今日はこれくらいにしておきませんか?」
「……そうですね。眠い頭でいろいろと考えるよりも、ゆっくり休んですっきりさせた方が、良い考えも浮かぶというものです」
 相変わらずおばさんくさい事を言う天野であるが、確かに正論だ。
 というわけで、ここで一旦水入りとすることにして、皆はそれぞれの部屋に引き上げていくのだった。
「あはは〜っ、それじゃ、お休みなさいです〜」
「あ、佐祐理さん」
 最後に部屋を出ていこうとした佐祐理さんを呼び止めて、俺は笑って言った。
「さっきはサンキュ」
「はい? 何のことですか?」
「名雪が今にも眠りそうだったから、佐祐理さんも眠そうにしてみせてくれたんだろ? あのあくび、可愛かったぜ」
「あはっ、やっぱりばれちゃいましたか。佐祐理は演技が下手ですから」
 照れたように笑うと、佐祐理さんはもう一度お休みを言って、ドアを閉めた。
 一人、部屋に取り残された俺は、ベッドにゆっくりと横になった。そして、天井に向かって呟く。

「……みんな、ありがとう……」

 そして、俺はいつしか眠りに落ちていった。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 34 02/1/8 Up

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