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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 33

 玄関のドアが開き、恐れていたことが現実となった。
「あら、騒がしいと思ったら、祐一じゃない。それと……名雪ちゃん、ね。まぁ、大きくなったわねぇ」
「お、お久しぶりですっ」
 名雪が慌てて頭を下げる。
 あゆが、俺の影に隠れるようにしながら訊ねる。
「も、もしかして、あの人って……」
 俺は、かくかくと頷いた。
「ああ、俺の……お袋だ……」
「祐一、挨拶はちゃんとしなさい」
 その声に、俺は思わず背筋をぴんと伸ばした。
「た、ただいま帰りました、お母様」
「よろしい。お帰りなさい、祐一」
 そう言ってにっこり笑ったのは、間違いなく俺の母親であるところの、相沢(旧姓水瀬)奈津子であった。

 お袋は、それからあゆと真琴の方を見て小首を傾げた。
「それで、そちらは名雪ちゃんのお友達?」
「あ、違います。この2人は……」
「さっき話した、私の新しい娘ですよ、姉さん」
 そう言いながら、秋子さんが出てきた。それから、俺達に笑顔で声を掛ける。
「お帰りなさい、みんな」
「ただいま、お母さん。あ、あの……」
 そこで口ごもる名雪に、秋子さんは微笑んで首を振った。
「あのことは、まだ姉さんには話してませんから」
「そ、そう……」
「あら、秋子。まだ何か隠し事があったの?」
 振り返ってにっこり笑うお袋に、同じようににっこり笑う秋子さん。
「うふふっ」
「……うぐぅ、怖い……」
「あう〜っ」
 その2人の間に見えない火花が散っているのが、俺にも見えるようだった。当然のように怯えて俺の背後に隠れるあゆと真琴。
「まぁ、とりあえず玄関先で話をするのも何ですから」
 秋子さんに言われて、俺達はようやく家に入る事が出来た。

 制服から着替えてリビングに入ると、まだあとの3人は着替え終わってないらしく、そこにいたのはお袋と秋子さんの2人だけだった。
「祐一」
 お袋は、口に運んでいたティーカップをテーブルに置くと、俺に視線を向けた。
「あ、はい」
「まぁ、お座りなさい」
「し、失礼します」
 俺はぎくしゃくと、ソファに腰掛けた。そんな俺に、訊ねるお袋。
「それで、学校の方はもう慣れた?」
「はい。先生方も級友達もいい人ばかりです」
「あら、そうなの。いじめに遭っていたりはしないの?」
「ええ、大丈夫です」
「……ちっ」
 なにげに舌打ちするお袋。俺はとりあえず話題を変えることにする。
「お母様、アフリカでの生活はいかがでしょうか?」
「ええ、こっちも別に変わったところはないわよ。そうね……、先月、拳銃を持った強盗が入ってきたくらいね」
 それは充分に変わったところだと思う。
 俺は、アフリカに行かずにここに来ることにした自分の判断の正しさを、改めて噛みしめるのだった。
 秋子さんがお袋に訊ねる。
「それで、その強盗はどうしたんですか?」
「今は多分警察病院だと思うわ」
 あっさりとお袋は答えた。それ以上突っ込むと、あゆなら速攻で逃亡しそうな怖い答えが返ってきそうだったが、それよりも早く着替え終わった3人がリビングに入ってきた。
「お待たせしました、お母さん、奈津子おばさま」
 名雪がぺこりと頭を下げる。
 秋子さんが、その後ろに隠れるようにしている2人を手招きした。
「それじゃ姉さん、改めて紹介するわね。あゆちゃん、真琴、いらっしゃい」
「あっ、はいっ」
「うん……」
 慌てて秋子さんの横に駆け寄る2人。
 秋子さんは立ち上がって、その2人の肩に手を置いた。
「こちらが月宮あゆちゃん、そしてこちらが沢渡真琴ちゃん」
「あっ、あのっ、月宮あゆですっ。よろしくお願いしますっ!」
 がばっと頭を下げるあゆ。
「ま、真琴……、です」
 一方、警戒感もあらわに、おずおずと頭を下げる真琴。
 お袋は2人を見て、目を細めた。
「……秋子、この2人って……」
「ええ、姉さんの感じた通りよ。でも、今は2人とも、大切な私の娘ですから」
 目を閉じて、静かに答える秋子さん。
「……お母様?」
 俺が訊ねると、お袋は俺に視線を向けた。
「祐一、あんたはとんでもないことに関わってしまってるって判ってる?」
「……真琴やあゆのことですか? ええ、判ってます」
「祐一さんも、名雪も、全部知ってますよ。知っていて、2人を受け入れてくれてます」
 秋子さんが口を挟んだ。お袋は「そう」と頷いて、それから微笑んだ。
「それじゃ、改めて。秋子の姉で、祐一の母の奈津子です。よろしくね、あゆちゃん、真琴ちゃん」
「あ、はいっ、こちらこそっ」
「よ、よろしく……です」
 ぺこりと頭を下げるあゆと、まだちょっとおずおず気味の真琴であった。
 と、チャイムの音が鳴った。
 ピンポーン
「あら。姉さん、ちょっと失礼しますね」
 秋子さんが立ち上がって玄関に向かう。
 俺は時計を見て、時間を確かめた。そしてあたりを付ける。
「……舞と佐祐理さんだな」
 しばらくして、リビングに戻ってきた秋子さんの後から現れたのは、予想通りの2人だった。
「あ、姉さん。祐一さんのお友達ですよ。倉田佐祐理さんと川澄舞さん」
「初めまして。倉田佐祐理と申します。それからこちらが佐祐理の親友の川澄舞です」
「……初めまして」
 完璧な挨拶をしてのけたお嬢様の佐祐理さんはともかく、舞も彼女にしては珍しく、ちゃんと挨拶していた。もっとも、普段の舞を知らなければ無愛想このうえない挨拶であるが。
「あの、お母様……」
 フォローを入れようと口をはさみかけたが、それよりも早くお袋は立ち上がって頭を下げていた。
「こんにちわ。祐一の母です。いつも息子がご迷惑をおかけしてるようで……」
 笑顔で首を振る佐祐理さん。
「いえいえ、そんなこと。祐一さんには佐祐理たちのほうがいつも助けられてるんですよ。ね、舞?」
「……うん」
 いつもの通り、仏頂面のままでこくりと頷く舞に、その無愛想さにはらはらする俺。もっとも、俺の危惧をよそに、お袋は笑顔のままだった。
「まぁ、みんなで立ち話も何ですから、座ったらどうですか?」
 秋子さんが合いの手を入れて、お袋と舞はソファに座った。

 秋子さんと佐祐理さんが増えたメンバー分の紅茶とお茶菓子を出してくれ、その間に雑談などを交わして、多少なりとも緊張は解れてきた。
 俺は名雪をちらっと見た。名雪もちらっと俺を見る。
 ……そろそろ、かな?
 ……うん、そうだね。
 深呼吸を一つして、俺はお袋に声を掛けた。
「ところで、お母様。実は、聞いて欲しいことがあるんですが……」
「あら、何かしら、祐一」
 お袋が俺に視線を向ける。
 俺はもう一つ深呼吸して、言った。
「あのですね、実は……、俺、名雪と付き合ってるんです」
 お袋は、名雪に視線を向けた。
「名雪さん、今のは、冗談……かしら?」
「本当ですっ。わたし、祐一のことが好きなんです」
 名雪は、かぁっと赤くなりながらも答える。
「……秋子は、知ってるの?」
 今度は、秋子さんに尋ねるお袋。
「ええ、知ってます」
 秋子さんは、静かに頷いた。
 お袋の表情から、微笑みが完全に消えた。
「……秋子、2人のこと、知ってて、黙って見てたわけ?」
「姉さん……。2人とも、もう何も判らない子供じゃありませんよ」
 静かに切り返す秋子さん。だが、お袋は微かに首を振る。
「でも、全てに責任を取れる大人でもないわ」
「それはそうですけど……」
 珍しく言いよどむ秋子さん。
「……あなたに祐一を預けたのは、間違っていたかもしれないわね」
 ため息を付くと、お袋は立ち上がった。
「……ごめんなさい、皆さん。私、ちょっと疲れたから、休ませてもらいますね」
「あ、それじゃ、部屋に案内しますね」
 秋子さんも立ち上がった。
 そして、お袋は、それっきり俺達と目を合わせようともせずに、秋子さんの後に続いてリビングを出ていった。

 しばらく、リビングは沈黙に満たされていた。
「だ、大丈夫ですよ、きっと。祐一さんのお母さんも、お二人のこと賛成してくれますよ」
 ようやく口を開いた佐祐理さんが、そう言ってくれる。
「……ならいいけどな……」
 俺は力を抜いて、ソファの背もたれに寄りかかった。
「……祐一」
 心配そうな顔で俺を見る名雪。
 ……そうだよな。俺が弱気になってどうするんだ?
 自分にそう言い聞かせて、俺はようやくいつものように笑ってみせることが出来た。
「大丈夫だ。俺は何があっても、名雪のことが好きだからな」
「わ、恥ずかしいこと言ってるよっ」
 かぁっと真っ赤になる名雪。
「ボクも! 2人のこと、応援してるからねっ!」
 あゆがしゅたっと手を上げて言う。
 佐祐理さんも、こくんと頷いた。
「そうですね。佐祐理は、祐一さんが舞と付き合ってくれたらなぁって思ってますけど、それでも祐一さんと名雪さんを無理矢理引き離すのは嫌ですから、今だけはお二人を応援しちゃいます。ごめんね、舞?」
「……私も、今はそうする。……祐一が悲しいのは、嫌いだから」
 舞はそう言って、俺に視線を向けた。
「だから……、邪魔だったら、斬るから」
「斬るなっ!」
 こんな状況でも、ついついツッコミを入れてしまう俺だった。
「えーっと、えーっと……、よくわかんないけど、真琴は祐一の味方ようっ!」
 真琴もえいえいおーと拳を振り上げた。
「……ぐすん、みんな、ありがと……」
「泣くなよ、名雪」
「だ、だってぇ……」
 くすん、と鼻を鳴らして、名雪は微笑んだ。
「わたし、嬉しいんだもん」
「……まぁ、そうだな」
 俺も頷いた。

 しばらくして、秋子さんが1人でリビングに戻ってきた。
「お母さん……」
 心配そうに、秋子さんに声を掛ける名雪。
 秋子さんは微笑んだ。
「大丈夫よ、名雪」
「うん……」
「祐一さん」
 続いて、秋子さんは俺に向き直った。
「姉さんが呼んでます。私の部屋にいてもらってますから」
「……ええ」
 俺は頷いて、腰を上げた。
「祐一……」
「大丈夫だって」
 心配そうな名雪の肩を叩いて、俺はリビングから出た。

 秋子さんの自室のドアをノックする。
 トントン
「……祐一です」
「どうぞ」
 中から聞こえた声に、俺はごくりと唾を飲み込んで、ドアを開けた。
「……どうしたの? 中に入りなさい」
「は、はい」
 頷いて、一歩部屋に入る。
 ガチャ
 背後でドアの閉まる音が、何かを断ち切るような音に感じられたのは気のせいか。
 ベッドに腰掛けていたお袋は、俺に視線を向けた。
「……秋子から、話は聞いたわ」
「……すみません」
「済まないと思ってるのなら、最初からしなければいいでしょう?」
 思い切り不機嫌そうな声だった。俺は思わず身を固くして、次の言葉を待った。
「……名雪ちゃんは、あなたとは血が繋がってるのよ。それは判ってる?」
「……はい」
「最初にはっきり言っておくけど、私は反対よ」
 きっぱりと言われた。でも、それで俺も腹が据わった。
 それに気付いたのかどうか、お袋はため息をついて窓の外に視線を向けた。
「あのとき……、7年前に最後にここに来たとき、名雪ちゃんがあんたに好意を持ってたのは、私も知ってたけど……。でも、あの時は、まだお互いに子供だったから、と思ってたわ。それに、7年もたてば、名雪ちゃんも別に好きな男の子くらいできてると思ってた。あの時、あなたはあんなことをしたんだしね……」
 お袋は一度言葉を切った。
「だから、そんなことになるとは夢にも思わなかったわ。まさか、名雪ちゃんが、まだあなたを好きだったとはね……」
「お母様、俺は……」
「祐一」
 不意に、お袋は俺の言葉を遮るように告げた。
「決めたわ。一緒にアフリカに来なさい」
「……え?」
 一瞬、頭が真っ白になった。
「お、俺が、アフリカに……ですか?」
「ええ。やっぱりまだ、私の目の届くところにいないとダメなのよ、あなたは」
「そんな! 俺は……」
「口答えは許しません。荷物の準備をしておきなさい。手続きは私がやっておきますから、あなたのすることはそれだけでいいわ。私の話は、それだけです」
「……」
 俺が黙っていると、お袋は俺をじろりと見た。
「話は終わりましたよ?」
「俺の話も聞いてください」
「お断りです」
 だが、俺は言葉を続けていた。
「俺は、名雪が好きだ。本当に好きなんだ。だから、付き合ってくれって言って、名雪もOKしてくれた。そこに何の問題があるっていうんだ?」
「……よくも、そんなことが言えたものね」
 お袋の声音に、俺ははっとして口を押さえた。
「……申し訳ありません。興奮してしまいまして……」
「……下がりなさい」
 俺は、それ以上何も言えず、部屋を出ようとドアを開けた。
 ガチャ
「……名雪」
 そこにいたのは、名雪だった。
「わたし……」
「名雪さん、ちょうど良かったわ」
 お袋が立ち上がり、俺の背後まで来た。そして言う。
「今までお世話になったわね。ありがとう」
「……え?」
「祐一は、アフリカに連れて帰ります」
「……ま、待ってください!」
 名雪は、俺の手をぎゅっと握って、お袋に向かって言った。
「わたしから、祐一を取っていかないでくださいっ」
「……名雪さん、正直に教えてください」
 お袋は訊ねた。
「祐一は、……7年前のことを謝りましたか?」
「……それは、わたしはもう気にしてませんし……」
「答えてください」
 お袋の言葉に、名雪は首を振った。
「いいえ……。で、でも、祐一は……」
「もう、結構です」
 そう言うと、お袋は、ため息をついた。
「で、でもあの時は……」
「結構、と言いました」
 それだけ言い残し、お袋は俺を押し出すように、ドアを閉めた。
 俺は訊ねた。
「名雪、何だ? その7年前のことって……」
「……もう、昔の事だから」
 首を振って、それから名雪は俺に聞き返す。
「それよりも、本当にアフリカに行っちゃうの?」
「……」
 力無く、首を振る俺。
「判らない。俺はもちろん行くつもりなんて無いけど……」
「……うん」
 名雪は、さらに力を込めて、俺の手を握った。
「行かない……よね?」
「……」
 その名雪に、俺は答えることが出来なかった……。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 33 02/1/9 Up 02/1/10 Update

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