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「それじゃ、今日はこれまで。えー、それから、最近はいい陽気になってきたから、気分もついついだらけがちになるが、お前達も最上級生なのだから、もうちょっと気を引き締めていくように。以上」
Fortsetzung folgt
「起立、礼!」
日直の挨拶に合わせて礼をしてから、石橋が出ていくと、教室は一気に騒がしくなる。
「祐一、放課後だよ……」
「ああ、そうだな……」
俺と名雪は顔を見合わせ、同時にため息をつく。
後ろから、香里が笑いながら声をかけてきた。
「最後に石橋が言ってたのって、あなた達のことでしょ?」
「すまん、香里。今はそれどころじゃないんだ」
「うん、そうなんだよ」
深刻そうな俺達の顔に、香里は眉をひそめる。
「どうかしたの?」
「ああ……。今、俺達の直面している問題は一つ」
「いかにして天沢郁未・陸上部副部長の怒りを和らげるか、ってことね」
「そうそう……ってうわぁっ!」
思わず飛び上がると、振り返る。
そこには予想通り、天沢さんが腕組みして立っていた。
「い、いつの間にっ!?」
「また逃げられたら敵わないから、うちのクラスのHRが終わってすっ飛んできたのよ」
すっ飛んで来たわりには息一つ乱さずににっこり笑う天沢さん。さすが、陸上部副部長の名は伊達ではないらしい。
「陸上部局中法度、その1・局を脱するを許さず。名雪、知らないとは言わせないわよ」
「そんなもん作るなっ!」
思わずツッコミを入れる俺を無視する陸上部の部長と副部長。
「いっ、郁未ちゃん、これにはその色々と事情があるんだよ、きっと!」
「ふぅん、そうなの。それじゃ、部室でゆっくりとその事情とやらを伺う事にしましょうか。あ、相沢くん、名雪を残して一人で逃げたらどうなるかは、判ってるわよね?」
そのまま鞄を掴んでダッシュしようとしていた俺をじろりと睨む天沢さん。
名雪が哀れっぽく言う。
「祐一〜〜、わたしを見捨てて逃げようなんて、考えてないよね〜」
「……も、もちろんじゃないか名雪っ」
「なんで、一瞬間があいたんだよ〜」
名雪にしては鋭い追求だった。
天沢さんは、にやりと笑った。
「はいはい、夫婦漫才はそれくらいにして」
「わ、夫婦なんて、照れるよ〜」
「ぼけの振りしても無駄だからね、名雪」
「わわっ、襟掴んで引っ張らないでよ〜」
そのままずるずると引きずられるようにして、連れて行かれる名雪。
「♪かわいいなゆき〜、うられてゆ〜く〜よ〜」
「相沢くんも、ドナドナの替え歌を歌ってないで、さっさといらっしゃい」
「……はい」
仕方なく、俺もその後に続く。
ちなみに、あゆは一部始終を教室の反対側で目撃していたのだが、後で聞いてみると「うぐぅ、怖くて口を挟めなかったんだよ……」とのことである。
「ぜいぜいぜいぜい……。し、死ぬ……」
15000メートルを走り終わって、トラックにばったりと仰向けに倒れた俺に、声が聞こえた。
「あっ、祐一〜〜っ!」
「……」
答える元気も無く、俺はかろうじて首だけを声の方に倒した。
だだっと体操服にブルマという姿の真琴が駆け寄ってくると、いつもならその勢いのままに飛びついてくるところだが、さすがに地面に倒れている俺に飛び乗るということはしないでその傍らにしゃがみ込む。
「祐一、どうしたの?」
「……」
この状態が見てわからんのかね君は、と言う元気もない俺だった。
ちなみにこの角度だと、ちょうど屈み込んだ真琴のブルマのベストポジションが目の前に来るのだが、絶景を鑑賞する余裕すらない。
「真琴、相沢さんはお疲れの様子ですから、しばらくそのままにしておいてあげましょう」
後ろから、天野の声が聞こえた。
「でも……」
「ほら、あと50メートルが3セット残ってますよ」
「う、うん。それじゃ真琴は行くねっ」
ぴょんと立ち上がって、走っていく真琴。
……元気な奴だな……。
「では、私も失礼します」
天野がそう言って遠ざかっていく。
俺はもうしばらく体力が回復するまで、じっと倒れたままだった。
と、微かに声が聞こえてくる。
「生意気よね、最近」
「ええ。ちょっと可愛いからって」
「少し、思い知らせてやりましょうか」
……真琴のことか、と思ってそちらに視線だけ向けると、校庭の隅の木が数本生えている辺りに、制服姿の女子が何人か集まっていた。
見た限り、陸上部の女子ではなさそうだった。再びトラックの50メートルを走っている真琴を見ようともしていないところから見ても、ターゲットは真琴ではないらしい。
何年生だろうか?
って、ケープの色を見れば何年かは判るじゃないか。
思考能力まで低下していた俺がそれに気付いたのは、その連中が話しながら校門に向かって歩き出したところでだった。
……ふむ、赤だ。ってことは3年だな。
ま、例の美少女コンテストとかで色々とあるクラスもあるって北川が言ってたからな。多分その絡みなんだろうな。
「あら、相沢くん。なにしてるのかしら?」
声が聞こえて、俺はそっちに視線を向けた。
そこには、俺に15000メートル走(タイム制限付き)を申し渡してから、名雪を連れてどこかに消えていた天沢さんが、腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「……見てる」
「何を?」
「天沢さんのブルマ」
ピシッ、と何かが切れる音がした。
「まだまだ余裕があるみたいね、相沢くん」
「うぉっ、天沢さんの眼がオレンジ色にっ!!」
「……し、死ぬ……」
地獄の特訓は暗くなるまで続き、俺達が水瀬家に戻ってこられたのはすっかり夜になってからだった。
俺は2階に上がることも出来ず、そのままリビングに直行して、名雪の手当を受けていた。
「もう。祐一が郁未ちゃんにつまんないこと言うからだよ」
苦笑しながら、名雪は俺の背中に湿布を貼った。ひんやりと冷たくて気持ち良い。
「はい、これでおしまい」
「サンキュ」
俺はシャツを羽織りながら、名雪に訊ねた。
「それで、名雪の方は大丈夫なのか?」
「えっ? 何が?」
「何がって、天沢さんのお仕置きとやらを受けたんだろ?」
「えっ? そ、それは、うん……」
何故かぽっと赤くなる名雪。何故かその瞳が潤んでいる。
「……あんなお仕置きなら、たまにはいいかも……」
「は?」
「えっ? わ、わたし何か言った?」
はっと我に返ったらしく、名雪はわたわたと慌てていた。
余り深く追求しない方が良さそうだな、これは。まぁ、お仕置きがなんなのかは、その気になれば栞にでも調べてもらえばすぐに判ることだろうし。
そう思って、俺はソファから腰を上げた。まだ身体が痛むが、名雪に湿布を貼ってもらったおかげで少しは楽になった。
と、秋子さんが顔を出した。
「そろそろ夕御飯にしましょうか」
「あ、はい」
頷いてから、俺は、あれ、と思って秋子さんに尋ねた。
「そういえば、あゆと真琴はどうしたんですか?」
いつもならリビングにいるはずのあの2人を、俺は帰ってから見てない。靴はあったから部屋にでもいるんだろうか?
ちなみに、栞や舞の靴は無かったので、あの2人は今日は来てないようだったが。
「うふふっ」
秋子さんはにっこり笑うと、それ以上は何も答えないで、キッチンの方に戻っていった。
俺は名雪と顔を見合わせて、ダイニングに向かった。
「なるほど、そういうわけか」
夕食を前にして、俺は納得した。
秋子さんの左右に、エプロンを付けたあゆと真琴が立っている。
2人の肩に手を置いて、秋子さんが言う。
「今日は、あゆちゃんと真琴に手伝ってもらいました」
「うんっ」
「そうなのようっ!」
胸を張る2人。
食卓の上には、カレーライスが並んでいた。
「わ、美味しそうだね」
名雪の言葉に、嬉しそうに顔を見合わせるあゆと真琴。
まぁ、秋子さんが見てたなら、食べられないようなものは入ってないだろう。
……待てよ。
俺はあゆを手招きした。
「あゆ、ちょっと来い」
「うん? どうしたの、祐一くん?」
首を傾げてやってくるあゆの耳を掴んで引っ張る。
「わわっ、痛いよっ!」
「いいからじたばたするなって。あのさ……」
小声で訊ねる。
「秋子さん、カレーに変なもの入れてなかったか?」
「変なもの?」
「ああ。オレンジ色の憎いヤツだ」
「うぐっ!?」
その名を聞いただけでびしっと硬直するあゆ。
「そ、そんなの入れてなかったよっ」
「本当だろうな?」
聞き返す俺に、こくこくと頷くあゆ。
「ほ、本当だよっ。ボクちゃんと見てたからっ」
「よし、お前を信じよう」
俺が言うと、あゆは初めてほっと胸をなで下ろして、それから笑顔を見せた。
「祐一くんが信じてくれて、ボク嬉しいよっ」
「おう。信じたから、最初に食うのはあゆからな」
「……え?」
また、びしっと硬直するあゆ。
「う、うぐぅ……。ボク、祐一くんに喜んで欲しくて……」
じわりと眼を潤ませるあゆ。
むぅ、泣かれると流石に弱い。
「悪かった。ちゃんと食うから」
「ホントっ!? やったぁ」
ぱっと笑顔に戻るあゆ。ってことは、さっきのは嘘泣きか?
「あ〜ゆ〜」
「え? あ、えっと、しくしく」
「今更遅いわっ! どうせ栞に教わったんだろっ!?」
「ええっ、どうして判ったのっ!?」
……今度、栞にカレーを食わせてやる。
俺は心の中で決心しながら、とりあえずスプーンを手にした。それから名雪に視線を向ける。
「名雪、お前は?」
「あゆちゃんも真琴も、祐一のために作ってくれたんだから、まずは祐一が食べるべきだよ」
にっこり笑って言う名雪。
「……名雪、俺を毒味役にしようとか思ってないか?」
「そんなことないよ」
名雪にしては即答するのがかえって怪しかったりする。
「祐一さん」
俺がスプーンを掴んだまま逡巡していると、秋子さんが声を掛けてきた。
「二人とも、頑張って作ったんですよ」
思わず顔を上げると、それなりに真面目な顔で、俺を真剣に見ているあゆと真琴と目が合う。
う。
どうやら、逃げ道は無かった。
仕方なく、カレーにスプーンを突っ込み、口に運ぶ。
「……ど、どうかな?」
「美味しいでしょっ!?」
俺は、もぐもぐと咀嚼してから、ごくりと飲み込む。そして言った。
「……美味い」
「やったぁ!」
ぱちん、とハイタッチするあゆと真琴。その頭を撫でる秋子さん。
俺は名雪にも視線を向けた。
「ほれ、お前も食ってみろ。食堂のカレーよりもいけるぞ」
「ホントに?」
「ああ。これでも俺はカレー通で通ってるんだ」
「そんなの初めて聞いたよ」
そう言いながらも、名雪もカレーを口に運んだ。そして、一つ頷く。
「ほんと、美味しいね、このカレー」
「そりゃそうよっ。なんてったって、真琴の愛情が詰まってるんだからっ」
えへんと胸を張る真琴。
「ボ、ボクのあい……、うぐぅ、恥ずかしいよぉ」
何故か照れ照れ状態のあゆ。
秋子さんは、そんな二人の肩を軽く叩いた。
「それじゃ、私たちも頂きましょうか」
「はーい」
声を揃えて答えると、2人はそれぞれの席について、カレーを食べ始める。
「うぐっ!」
スプーンを口に突っ込むや、かぁっと真っ赤になって慌てるあゆ。
「あらあら、大丈夫?」
そう言いながら秋子さんが差し出した水をぐっと飲み、はぁっとため息を付くと、あゆは涙目になって呟いた。
「うぐぅ、熱かった……」
「お前、自分が猫舌だって忘れてただろ?」
「祐一くんっ、判ってたんなら教えてよっ」
「それで、あゆは何をしたんだ?」
「え? あ、うん。ボクはジャガイモの皮を剥いて切ったよ。あ、それからお肉を炒めたし……」
「真琴はね、にんじんとたまねぎ切ったのようっ!」
「……真琴、判ったからスプーンを振り回すな。こっちまで飛んできたぞ」
「あ、あう……、ごめんなさい」
「でも、二人とも包丁を使えるようになったんだね」
名雪が口を挟むと、笑顔で頷く二人。
「うん。秋子さんに教えてもらったんだよ」
「なるほどな。それにしても秋子さんって料理上手いよなぁ」
何の気なしにそう言うと、名雪が笑顔で言う。
「そりゃそうだよ〜。お母さん、特級厨師だもんね」
「……はい?」
「昔のことですよ」
にっこり笑う秋子さん。相変わらず底の知れないお人である。
みんなでカレーを食べながら話を聞くと、結局最終的な味の調整は秋子さんがしたらしいのだが、それにしても二人がこのカレーの大部分を自分たちだけで作ったというのは事実らしかった。
「これで、いつでもカレーは作れるわようっ!」
「ボクだってカレーは大丈夫っ」
まぁ、カレーくらいなら俺でも作れるのだが、それは言わない方がいいだろう。
嬉しそうに話をする二人を見ながら、そう思う俺だった。
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あとがき
カレーと聞いて、茶道部の部長さんが乱入してくるんじゃないかと期待した人、残念でした(笑)
プールに行こう6 Episode 25 01/11/12 Up 01/11/13 Update