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「は、はい。では、お休みなさい……」
Fortsetzung folgt
俺は深々と頭を下げて、電話を切った。
途端に、背後から爆笑の渦。
「あはははっ」
「きゃははははっ」
「わ、笑ったら、祐一くんに悪いよ、……うぐっ」
「あ、あゆさんっ、我慢は身体に悪いですよ、くすくすっ」
ぶ然として振り返ると、秋子さんと名雪を除く全員が笑っていた。
天野でさえもさりげなくそっぽを向いて肩を震わせているのを見て、俺はため息をついた。
「あのな、そんなに可笑しかったか?」
「はい。だって、祐一さんが、敬語使ってるなんて……。ぷっ、や、やっぱりだめですっ。あははっ」
栞は、身体を折り曲げて笑い転げた。
いつも仏頂面の舞でさえ、唇を妙にゆがめている。あれは、舞で言えば大爆笑にあたる表情なのだ。……判ってしまう自分が悲しい。
当然ながら、俺のお袋を知っている名雪だけは、流石に笑う様子もなく、ちょっと心配そうな顔で俺に訊ねた。
「ねぇ、祐一。おばさん、なんだったの?」
「あ、ああ。なんか来月くらいにこっちに遊びに来るってよ」
俺は、はぁ、とため息をついて椅子に沈み込んだ。
ようやく笑いが収まったらしいあゆが、目の端についた涙を拭い取りながら聞き返してきた。
「祐一くん、たしか、祐一くんのお父さんとお母さんって、今、外国に行ってるんだよね?」
「あ、もしかして仕事が終わったから戻ってくるとかそういう話だったんですか?」
栞がふと思い付いたように口を挟む。
俺は首を振った。
「いや、まだしばらく戻れないらしくてな……。まぁ、別にそれはいいんだが……」
「それで、来るのは姉さんだけだって言ってましたか? それとも、義兄さんも一緒に来るのですか?」
秋子さんに聞かれて、俺は頷いた。
「いえ、お袋だけみたいです。親父は今、仕事から手を離せない状況らしくて。まぁ、詳しくはまた、ちゃんと決まってから電話するって言ってました」
「そう。……祐一さんも、大変ですね」
そう言い残して、キッチンに消える秋子さん。
俺は名雪に視線を向けた。
「名雪……。俺、まだお袋には、名雪と付き合ってるって言ってないんだ」
「ええっ?」
名雪は驚いたように目を丸くした。
栞がぽんと手を叩く。
「それじゃ、私にもまだチャンスありって事ですよねっ!」
「心配するな、それはないから」
「えぅ〜。そ、それじゃ2号として紹介してくださるんですよねっ!」
「安心しろ、それは絶対ないから」
「……祐一さん、意地悪ですっ」
ぷくっと膨れる栞。
いや、この際、栞よりも問題はお袋だ。
名雪が心配そうに言う。
「どうしよう、祐一。わたしからおばさんに言ったほうがいいのかな?」
「いや、名雪からだと余計に話がややこしくなるから、俺が言う……。けど、さて、どう説明したもんか……」
ため息混じりに、俺は額を抑えた。
「祐一さんのお母さんって、厳しい方なんですか?」
ずっとみんなの様子を見守っていた佐祐理さんが、俺に訊ねた。他のみんなもそれは知りたいらしく、興味津々という表情で俺に視線を向ける。
一同を見回して、俺は言った。
「一番判りやすい説明がある……」
「な、なにようっ? 何を言ったって怖くないんだからぁっ!」
その雰囲気を察して、真琴が声を上げる。……そのわりには、既に天野の後ろに逃げ込んでいるのだが。
「まぁ、聞け。俺のお袋はな……」
俺は、一呼吸おいて、言った。
「秋子さんの姉だ」
「……」
リビングは沈黙に満たされた。
あゆが震える声で呟いた。
「ボ、ボク、なんか怖い考えになっちゃったよ……」
「わ、私もです」
栞も頷く。
結局、それっきり誰も一言も口をきかないまま、夕食は静かに終了した。
食事も終わり、今日ばかりは団らんという気分にもなれなかった俺は、そのまま部屋に引きこもって、ベッドに寝ころんで対応策を考えてた。
しかし、何も思い付かない。なにしろ、こないだの七瀬プロジェクトやぬいぐるみコスプレ喫茶の企画書どころじゃない難問である。
と、不意にノックの音がした。
トントン
「ああ、開いてるぞ」
カチャ
ドアが開いて、パジャマに半纏を羽織った姿の名雪が入ってきた。
「祐一、まだ起きてた?」
「こんな時間に寝てるのは名雪くらいだろ? お前こそどうしたんだ? いつもなら寝てるはずなのに」
「う、うん……、なんだか眠れなくて」
「まぁ、座れよ」
ベッドから身体を起こして言うと、名雪は頷いて、俺の隣に腰掛けた。
「名雪は、俺のお袋には、しばらく逢ってないよな?」
「うん。最後に逢ったのは、7年前かな?」
7年前、最後にこの街に来た時。
あゆの転落事件が起こって、悲しみに沈んだまま、俺は迎えに来たお袋に連れられて、この街を後にした。
……あれ?
一瞬、何かを思い出しそうになったが、それはまるで淡雪のようにあっさりと消えてしまった。
「……祐一?」
「あ、いや。それより、悪いな。ちゃんとお袋に説明して無くて」
「ううん、それはわたしもだし」
名雪は首を振ると、俺の顔を覗き込んだ。
「おばさん、許してくれるかな?」
「さぁな。ま、お袋がどう言っても、俺は名雪のことが好きだからな」
「わ、祐一、恥ずかしいこと言ってるよ」
嬉しそうに笑う名雪を、俺はそのまま押し倒した。
「きゃっ! も、もうっ、びっくりしたよ……。あ……」
そのまま唇を塞ぐと、名雪は少しもがいてから、力を抜いた。
たっぷりと、その柔らかな唇の感触を楽しんでから、一旦顔を離す。
「あん……。も、もう、祐一のえっち……。みんな下にいるんだよ……」
「だから、これで我慢してるんじゃないか」
「……そうだね。これくらいは、いいよね……」
俺と名雪は、もう一度唇を重ねた。
と、いきなりノックの音がして、秋子さんの声が聞こえた。
「名雪、天沢さんからお電話よ」
「え? あ、うん、今行くよ」
……ちょっと待て。なんで俺の部屋に名雪がいるって?
ま、まぁ、名雪の部屋にいなかったからここに来たんだろうけど……。でも、そもそも名雪がここにいるのか、訊ねもしなかったぞ、秋子さん。
「ごめんね、祐一。わたし、電話だから」
そう言って立ち上がると、パジャマのボタンを急いではめ直す名雪。
「あ、ああ……」
生返事の俺に、名雪は軽く手を振った。
「それじゃ、お休み〜」
「お、お休み……」
パタン、とドアが閉まる。
……すまん、名雪。今の俺には、下に降りて秋子さんの前に出る勇気がない。
俺は、まだ名雪のぬくもりの残るベッドにそのまま倒れ込んだ。
「……あれ?」
目を開けると、天井が目に入った。
電気が付けっぱなしになっているが、窓から光が差し込んできている。
要するに、朝であった。
枕元の目覚まし時計を掴んで、手元に引っ張り寄せてみる。
「……ぐぁ」
とんでもない時間だった。
目覚ましは鳴らなかったのか、と思ってから、すぐに夕べセットした覚えがないことに気付く。
どうやら、あのまま寝てしまっていたらしい。
「……思ったよりも疲れてたってことか……?」
独り言を呟きながら、とりあえず寝過ぎて重い頭を抱えながら、制服に着替えると、ドアを開けた。
そのまま1階に降りていこうとして、ふと立ち止まる。
「……まさか、とは思うけどな」
呟いて、『なゆきの部屋』とマーカーで書かれたプレートの掛かっているドアをノックしてみた。
思った通り、返事はない。
そうだよな。いくら名雪でも、とっくに起きて学校に行ってるだろう。
そう思いながらも、念のために、ドアノブに手を掛けて回してみる。
カチャ
ドアを開けると、中を覗き込んで、俺は仰天した。
「なっ!?」
「……くー」
いつも通り、パジャマ姿の名雪がけろぴーを抱きしめたまま眠っていたからだ。
慌てて部屋に入ると、名雪を乱暴に揺さぶって起こしにかかる。
「こら、起きろ名雪っ! 遅刻だぞっ!!」
「うにゅ……」
「お〜〜き〜〜ろ〜〜」
引っ張り起こして肩を掴み、がくんがくんと揺さぶると、ようやく目を開ける。
「……うきゅ……。あ、あれ? 祐一?」
「おう、祐一だ」
「……静かだね」
「言いたいことはそれだけかっ! 時間見てみろ時間っ!」
「……」
無言で、まだ半分目を閉じたような状態の名雪は、それでも枕元に並んでいる目覚ましに目を向けた。それから俺に視線を向け直す。
「……祐一、時計が全部おかしいんだよ」
「んなわけあるかぁっ!」
「……それじゃ、ほんと、に?」
「本当だっ! リアルタイムだ、ライブだっ!」
もはや俺も何を言ってるのかいまいち自分で判ってないが、名雪はどうにか理解したようだった。
「どっ、どうしようっ! 遅刻だよ、遅刻っ!」
「とにかく着替えろ。俺は先に降りてるからな」
「う、うんっ」
頷く名雪を残して、俺は部屋を出て階段を駆け下りた。そのままダイニングに飛び込む。
ダイニングでは、テーブルに残っている食器を秋子さんが片づけているところだった。俺を見て、にっこり笑う。
「おはようございます。今日は随分ゆっくりだったんですね」
「……すみません、寝過ごしました」
「あら、そうなんですか。コーヒー飲みますか?」
「……お願いします」
「はい」
笑顔で頷いて、そのままキッチンに入っていく秋子さん。
俺はその背中に訊ねた。
「あの、他の連中は?」
「みんななら、もう学校に行きましたよ」
「……薄情な奴らだ」
俺は席につきながら、ため息を付いた。
と、リビングの方から舞が入ってきた。
「あ、…………おはよう」
「もう少し爽やかに言えんのか、お前はっ! ……まぁ、それはいいとして、それより、舞はまだ学校に行かなくてもいいのか?」
「……今日は、午後から」
うう、うらやましいぞ大学生っ。
そう思っていると、今度は佐祐理さんが花を抱えて入ってきた。俺に気付いて、笑顔で頭を下げる。
「あ、祐一さん、おはようございますっ」
「おはようさん。見たか、舞? 爽やかな挨拶はこうするものなんだぞ」
「……」
無言でじぃーっと俺を見る舞。う、なんか非難されているような気がしないこともない。
「さ、佐祐理さん、その花は?」
「あ、これですか? リビングの花瓶に生けてたんですけど、余っちゃったので、どうしようか秋子さんと相談しようと思ったんですよ」
「あら、余ってしまったんですか?」
コーヒーカップを手にしてキッチンに入ってきた秋子さんが、佐祐理さんの手にしている花を見て言った。
「それじゃ、玄関に飾っておこうかしら?」
「そうですね〜。それじゃ私がやっておきますね」
「ごめんなさいね、全部お任せしちゃって」
「いえいえ〜。秋子さんには色々とお世話になっちゃってますから、これくらいさせてくださいね〜」
笑って、佐祐理さんはダイニングを出ていった。それと入れ替わるように、制服に着替えた名雪が入ってくると、秋子さんに挨拶する。
「おはよう、お母さん」
「おはよう、名雪。時間はいいの?」
「だめだよ」
はぁ、とため息をついて、名雪は俺の正面の席に腰掛けた。どうやら、どう慌てようとも遅刻は免れないと諦めたようだ。
と、それと入れ替わるように、舞は立ち上がって、リビングに行ってしまった。
「……舞?」
「テレビ、見るから」
その返事と共に、テレビを付けたらしく、子供の声がリビングから聞こえてきた。
秋子さんがキッチンからトーストを運んでくると、俺達に尋ねる。
「2人とも、学校はどうします?」
「さぼろうかと……」
「だめだよ、祐一。学校はちゃんと行かないとね」
「そうですよ、祐一さん」
名雪と、ちょうど戻ってきた佐祐理さんに同時攻撃を受けて、俺は両手を上げた。
「というわけで、2時間目くらいから出ようかと」
「そうですか」
秋子さんは頷いて、エプロンを解いた。
「それじゃ私は、仕事がありますから、そろそろ出ないと」
「うん。行ってらっしゃい、お母さん」
トーストにジャムを塗りながら言う名雪。秋子さんは微笑んで、畳んだエプロンを開いている椅子の背にかけてから、ダイニングを出ていった。
「あ、食器はそのままにしといてくださいね。私と舞で洗っちゃいますから」
「悪いね、佐祐理さん。頼むよ」
「はい、任されました」
佐祐理さんはにっこり笑うと、リビングに入っていった。どうやら舞と一緒にテレビを見るらしい。
「そういえば、名雪?」
「ふぁふぃ?」
トーストを頬張りながら聞き返す名雪。
「昨日、天沢さんから電話があったんだろ? 何だって?」
「あ。うん……」
名雪は、ふぅ、とため息をついた。
「あのね、明日来たらおしおきだって……」
「そうかそうか。がんばれよ」
「……祐一も、だよ」
「なにっ!? 俺もなのかっ!?」
うん、と頷く名雪。俺はため息を付いた。
「……とほほ」
「だいたい、最初に祐一が誘惑してきたんだよ」
「それに乗ったのはお前だろ」
「う〜っ、それはそうだけど……」
「……まぁ、とりあえずさっさと食って学校に行こうか」
「……うん、そうだね」
それから、俺達はいつもよりもちょっと早めのペースで朝食を片づけ、舞と佐祐理さんに見送られながら水瀬家を飛び出したのだった。
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