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翌朝、今日は若干の余裕をもって教室に着いた俺は、香里に声をかけた。
Fortsetzung folgt
「よう。しかし、香里も何も言わないんだもんなぁ。すっかり騙されたぜ」
「人聞きが悪いわね。誰が何をどう騙したって言うのよ?」
ノートを広げて何か書き物をしていた香里は、俺の言葉に顔を上げた。
名雪が話に加わる。
「香里だって知ってたんでしょ? あのねこさんが、香里の家に行くことになってたって」
「ああ、そのこと。まぁね……。おとついの晩は、大変だったんだから」
香里は、ノートに視線を戻しながら答えた。
「おとついの晩って、秋子さんがそっちに電話かけたときのことか?」
俺は、その時の様子を思い出しながら訊ねた。
あのとき、秋子さんはどこかに電話をしてから、子猫の引取先が決まったと俺達に言った。ということは、その電話の相手は当然美坂家ということになるわけだ。
香里も、その俺の推測を裏付けるように頷き、肩をすくめた。
「ええ。秋子さんの電話を受けたのは栞だったんだけどね、電話を切るなり、父さんと母さんに「私、猫を飼います」って言うんだもの。それで大もめにもめたのよ」
「それじゃ、親は反対したのか?」
「ええ。まぁ、母さんは栞が面倒見るならいいって言ってたんだけど、父さんがねぇ」
ため息を付く香里。
「あたしに言わせれば、只でさえあまり家に帰ってこない栞が猫なんて飼ったら、余計に自分とは話をしてくれなくなるんじゃないかって心配してるってところでしょうけど」
……親父さん、娘に見切られてますぜ。
名雪が心配そうに訊ねる。
「それじゃ、もしかしてばにらちゃん、いじめられてるのっ? そんなことだったら、わたし許せないよっ!」
香里の返答いかんによっては、そのまま美坂家に乗り込んで奪還しようか、という勢いである。
だが、香里は首を振った。
「すこぶる良好よ。というか、反対してたはずの父さんが、妙に乗り気になったみたいでね、会社帰りに猫の飼育道具一式を買い込んで来てたし、夕べは栞に俺にも猫を抱かせろってごねるし」
くすっと笑う香里。俺も想像して思わず笑ってしまった。
「あの親父さんがなぁ……」
ちなみに美坂姉妹の親父さんと俺とは、酒を酌み交わした仲である。
「そんなわけだから、名雪も安心なさい」
「よかったよ〜。ううっ、ばにらちゃん、幸せにね〜」
涙ぐんでうんうんと頷く名雪。
まったく、なんだかなぁ。
「……ところで、相沢くん。話は変わるんだけど」
香里は、ノートから視線を上げた。
「文化祭でうちのクラスが何をやるのか、覚えてるわよね?」
「えっと、パラパラ喫茶だっけ?」
「……なんで踊らないといけないのよ。まぁ、そんなことだと思ったけど」
ため息を付く香里。
「確か、ぬいぐるみコスプレ喫茶店……だったよね?」
名雪が頬に指を当てて思い出すように言った。
「ええ。それでね、そろそろ生徒会のほうに、具体的な責任者とか出展内容とかそういうのをまとめた報告書を出さないといけないんだけど……」
俺は一つ頷いた。
「なるほど。その責任者を俺にしろと」
「ええ。さすが相沢くん、話が早いわ」
「そうなんだ。がんばってね、祐一」
「おう。……ってちょっと待てい!」
俺は頷きかけて、慌てて声を上げた。
「今のは冗談だろ?」
「あたしが冗談言うと思ってたの?」
「いや、それは……。だ、だけど、普通こういうのはクラス委員が兼任するもんじゃないのか?」
「不文律でそうなってるだけで、どこにもそんなことは明記はされてないわ」
「いや、そもそも俺は転校生だぞ。こういうことは、元々ここに最初っからいたような奴にやらせた方がいいに決まってるだろっ!」
「もう相沢くんが転校してきてから4ヶ月以上たってるし、それに、もうこれ以上ないくらいクラスに馴染んでるじゃない」
「うん、そうだよ祐一」
「名雪は口を挟まないでくれ。とにかく、俺はっ……」
「名雪、説得は任せるわ」
「うん、任されたよ」
面倒くさそうに手をひらひらさせて言う香里に、胸を張って頷く名雪。
……一瞬にして、外堀が埋められたというか、潮除け堤防が落とされたというか……。
「祐一」
名雪は真面目な顔になって、俺に向き直る。
「わたし達、もう3年生だよ。だから、祐一と一緒に出来る文化体育祭って今回だけなんだよ」
「いや、それとこれとは……」
「わたし、祐一と一緒に想い出を作りたいな」
にっこり笑う名雪。
俺様陥落。
「……わかったよ」
「わぁい、やったよ香里っ!」
「それじゃ……、実施責任者・相沢祐一、と」
何やら用紙に俺の名前を書き込む香里。
よく考えてみれば、別に俺が責任者にならなくても、名雪との想い出は十分作れると思うのだが、それに気付いたのは手遅れになってからだった。
朝のホームルームで、俺の責任者就任がクラス一致で承認され、とうとう逃げ場が無くなってしまった俺は、香里に渡された提出用企画書を前に唸ることになる。
「こんなもん書かないといけないのか?」
「ええ。これを書いて生徒会に提出してOKもらって、そこで初めて準備を始められるわけだからね」
香里は香里で、なにやらノートにシャープペンシルを走らせながら答える。
と、俺はふと気付いた。
「今思い出したけど、俺って生徒会に睨まれてるじゃないか。その俺が責任者って、かえってまずくないか?」
「心配しなくても、3年A組は、あなたと名雪とあたしがいる時点でマークされてるわよ」
舞が退学になりかけた一件で関わったメンバーの名前をすらすらっとあげる香里。
「既にマークされちゃっている以上、こういう場合は、かえって正攻法の方がいいのよ」
俺はため息をついた。
「やれやれだなぁ。言っておくけどな、香里。俺がやるとなった以上、半端な真似はしないぞ」
「ええ、そうでしょうね。でも、半端なことやってても勝ち目がないわけだし」
「勝ち目? ああ、クラス対抗の話か」
確か、文化祭が終わってから全校で投票するんだっけ。
「相沢くん、頼んだわよ」
「……あのな」
もう一度、ため息をつく俺に、名雪が隣から嬉しそうに言った。
「祐一なら、きっとなんとかしてくれるよね」
「その無意味な信頼は勘弁してくれ」
「そんなことないよ」
「何がだ?」
「わたし、無意味な信頼なんてしてないもん」
名雪は微笑んだ。
その微笑の為になら、なんとかしてやらなくちゃ。そう思わせる微笑みだった。
「……というわけで、授業をさぼって書き上げたぞ」
帰りのホームルーム前に、俺は香里に提出用紙を手渡した。
「そんなこと、威張って言わなくてもいいじゃないの。それじゃ見せてもらうわよ」
香里は呆れたように言うと、紙に目を走らせた。
と、北川が香里に声をかける。
「ちょっと悪い、香里。頼んでたやつは?」
「ああ、それならはい」
机の中からノートを出して北川に渡す香里。
「サンキュー! やっぱり香里は頼りになるぜっ」
「ちょっと、やめてよね」
踊り出しそうな北川に顔を赤らめて言う香里。
俺は北川に尋ねた。
「なんだよ、それ? 愛の交換日記か?」
「ふ。俺と香里の間には今更ノートに書いて交換するような秘密なんてないのさっ」
「ちょ、ちょっとやめてってば」
がたん、と席を立つ香里。おお、真っ赤になってるじゃないか。
「祐一〜、香里はらぶらぶさんなんだから、あんまりいじめたらだめだよ〜」
いつもの口調で笑いながら言う名雪に、香里は口の中でなにやらごにょごにょと呟いてから、どすんと腰を下ろした。
「も、もうっ、名雪まで……」
「あはっ、いつも言われてるぶん、お返しだよ〜」
「で、結局そのノートは何なんだ?」
これ以上香里をからかって、そのとばっちりが北川に行くと可哀想なので、俺は話を逸らすことにした。ううっ、俺っていい奴だなぁ。
「ああ、これは例の七瀬プロジェクトのノートだ。お前があてにならんから香里に頼んだんだよ」
そう言いながら表紙を見せる北川。
と、
「え? あたしがどうかしたの?」
「うわっ、七瀬っ……さん」
思わずのけぞる北川に、さりげなく他人のふりをする香里&名雪。
俺もくるっと向き直って名雪に声をかけた。
「それじゃ名雪、部活に行こうか」
「うん、そうだね。じゃあね、香里」
「ええ、また明日ね、名雪。相沢くん、それじゃこれは目を通してから生徒会の方に提出しておくわ」
「頼むぞ、香里。じゃな」
「こ、こら、そこっ! さりげなく話を逸らすんじゃないっ!」
「ねぇ、北川クン。何の話をしてたかくらい教えてくれてもいいじゃない」
にっこり笑いながら、北川の肩にぽんと手を置く七瀬さん。
俺達は言い合わせたように立ち上がり、そのまま教室から出ていった。
「……ねぇ、香里、いいの?」
「ん? ああ、潤のこと? 大丈夫よ。今の七瀬さんならね。……彼女が真の姿を見せたら判らないけど、まぁ学校にいる限りはそれもないでしょうし」
廊下を歩きながら、名雪に答える香里。
俺は聞き返した。
「なんだ、その真の姿って?」
「さぁ、あたしの口からは言えないわ」
肩をすくめる香里。
香里がこうしてとぼけ始めると、答えを聞き出すのは至難の業だったりする。
仕方なく、俺は追求を諦めた。それにしても、こないだのあゆといい、七瀬に関わると色々と妙なことが起こるよなぁ。
「それじゃ、香里。わたし達はこっちだから」
「ええ、それじゃ。相沢くん、しっかりね」
「……う」
忘れていた。今日も地獄の特訓があったのだ。
「……すまない、名雪。戦場での古傷が痛むのだ」
「ええっ? どこが痛いの、祐一?」
「いや、そんなにマジに心配されると嬉しくもあり申し訳なくもあり……」
「でも、心配だもん……」
「はいはい。いちゃつくのはそれくらいにしてね」
「どわっ!」
いきなり後ろから声を掛けられて飛び上がる俺。
振り返ると、既に体操服にジャージ姿の天沢副部長が立っていた。
「遅いわよ、相沢くん」
「わ、悪いな。いろいろあって……」
「はい、言い訳する暇があるなら、着替えてグラウンドに出なさいっ」
「はいぃぃ〜〜」
慌てて、男子更衣室に向かって走り出す俺。
「もう、郁未ちゃん。祐一いじめたらだめだよ〜」
「名雪ったら、甘いんだから」
背後からの声は、角を曲がると聞こえなくなった。ほっと一息ついて、速度を緩め……。
ドシィィン
「うわっ」
「きゃっ!」
デェン
後ろに気を取られながら走っていた俺は、前から来た人に気がつかなかった。で、見事に衝突したわけだ。
……なんて冷静に語ってる場合じゃないな。
俺は、慌てて起きあがると、尻餅をついているその人に声を掛けた。
「悪い、怪我してないか?」
「えっ? あ、はい。……あ、相沢くんじゃないですか」
「え?」
聞き返してから、ああ、と気がついた。
「茶道部の部長さん! 眼鏡してないからわかんなかったよ」
「してないんじゃなくて……。あ、ありました」
そう言って、部長さんは眼鏡を拾い上げた。それから、俺の額を指でつん、とつつく。
「もう、廊下を走っちゃ駄目ですよ」
「あ、ごめん……」
「はい。それじゃ私は部室に行かないといけませんから、これで失礼しますね」
部長さんは軽く頭を下げて、そのまま歩いていった。なんとなく、その後ろ姿を見送る俺。
……しかし、あの部長さんもよく判んない人だよな。
おっと、いけね。遅れたらまた天沢さんに怒られる。
俺は頭を掻いて、今度は前に気を付けて駆け出した。
タッタッタッタッ
ピッ
俺は、少し流してから、ゴール地点でストップウォッチを持っている名雪のところに駆け戻った。
「どうだ?」
「うん、さすがだね祐一。ほらっ」
名雪はにっこり笑って、ストップウォッチを俺に見せた。
「へぇ、やっぱりちゃんとしたフォームって大事なんだなぁ」
ストップウォッチの示す数字を見て、俺は感心した。
「うん。でも、それだけじゃないよ、きっと。祐一、素質あるもん」
「んなもんねぇって」
俺は肩をすくめた。それから、辺りを見回してから名雪に囁く。
「で、タイムも計ったことだし、これくらいで今日は上がらないか?」
「ええ〜? ダメだよ〜。郁未ちゃんに怒られるよ〜」
「……イチゴサンデー付ける」
「今の時間だと、郁未ちゃんは新入生の面倒見てるから、向こうから回っていけば見つからないよっ」
嬉しそうに言うと、名雪は俺の背中を押して言った。
「裏門で待っててね。すぐに行くからっ」
……自分で誘っておいてなんだけど、いいのか陸上部部長?
ま、これ以上特訓させられると俺も大変だからいいか。
俺は肩をすくめ、駆け出した。
「それで、逃げて来ちゃったんですか? 二人ともいけない人ですねぇ」
「……それを見つけてちゃっかり付いてきてる栞はどうなんだ?」
俺は、バニラアイスを口に運びながら言う栞に聞き返した。
「私は、ちゃんと部活してますよ」
「栞ちゃんは美術部だったよね」
こちらはイチゴサンデーを前に嬉しそうな名雪。
「はい。今日も先生に筋がいいって誉められたんですよ」
「……」
「あ、祐一さん、疑ってますねっ」
俺が思わず無言でいると、栞はむぅっと腕を組んだ。
「いや、何も言ってないだろ?」
「目がそう言ってましたっ。いいですよ、それじゃこれ見てくださいっ!」
栞はごそごそと脇に置いてあったバッグを探り、中からスケッチブックを出した。そして広げて見せる。
「ほら、これですっ」
「……」
「わ、すごいね、これ、ばにらちゃんでしょ?」
横からひょこっと覗き込んだ名雪が言うと、栞はぱっと表情をほころばせた。
「やっぱり名雪さんには判ってもらえますよねっ!」
「うん、すぐにわかったよ」
笑顔で頷く名雪。
俺は改めてそのスケッチブックを覗き込んだ。
……どう見ても……。
「……恐竜?」
「違いますっ! バニラちゃんですよっ」
ぷっと膨れて、栞はスケッチブックをパタンと閉じてしまった。
「もういいですっ。祐一さんは芸術が判らないんですからっ」
「いや、そういう問題じゃないと……。しかし、名雪はよく判ったな」
「わたしはすぐに判ったよ。だって、ばにらちゃんだもん」
う〜ん、猫好きの魂には呼びかける何かがあったのだろうか?
俺は首を傾げるばかりであった。
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