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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 20

「ええ〜〜っ!?」
 翌朝の朝食の席に、名雪の悲鳴のような声が響き渡った。
 昨日のうちに子猫を譲渡することを閣議決定したことを知らされた反応である。
「そんなのひどいよ〜っ。もう、みんな嫌い〜〜」
 いきなり拗ねるし。
 俺は秋子さんに視線を向けたが、秋子さんは黙って首を振った。むぅ、付ける薬はない、ということか。
「あっ、でも、きっとまた逢いに行けるよっ」
 あゆが取りなすように声をかける。
 名雪はじとっとあゆを見た。
「ほんとに?」
「えっと、多分……、逢えるかも、……うぐぅ」
「う〜っ、あゆちゃんの嘘つき」
「うぐぅ……」
 びしっと言われて泣きそうな顔になるあゆ。
「こらこら、名雪。あゆをいじめたらダメだよ」
 いつもの名雪の口調で言ってみると、名雪はぷいっとそっぽを向いた。
「祐一なんて知らないよっ」
 う〜む、名雪がここまでだだっ子モードになるとは。猫恐るべし。
 とりあえず名雪はほっとくことにして、俺は秋子さんに尋ねた。
「それで、子猫はいつ引き取りに来るんですか?」
「ええ、先方さんの都合で、今日の夕方になるって」
 秋子さんはそう答えると、名雪に視線を向けた。
「名雪、子猫を連れて家出なんて、考えてないわよね?」
「えっ? そ、そんなこと考えてないよぉ」
「それならいいけど」
 にっこり笑う秋子さんに、う〜っとさらに膨れる名雪。……こいつ、絶対に、それやろうと思ってたな。
「さて、それじゃさっさと飯食って学校に行くか」
 俺の声に、皆は頷いて朝食を再開した。
「う〜〜っ、ねこ〜〜、ねこ〜〜〜〜」
 若干一名、まだぶつぶつ呟いているのもいたけれど。

「なにぃっ!? 何も思い付かなかっただとうっ!?」
 学校に着いて、白紙のままのノートを北川に返すと、彼は髪をかきむしりながら絶叫した。
「うるさいぞ北川。大体これはお前の仕事だろうが」
「俺はだなぁ、相沢のそのなんだかよくわからんが気が付いたら全て上手くいっているという技能を期待していたんだぞっ!」
「人にわけのわからない技能を付けるなっ!」
「潤、一ついいかしら」
 脇から、呆れたような口調で香里が口を挟んできた。
「なんだかよくわからないけど気が付いたら全て上手くいってる、ってことは、要するに行き当たりばったりってことでしょう? そんな人に計画なんて立てられるわけないじゃない」
「う、納得」
「こら、納得するなっ!」
 声を上げる俺を無視して、北川は隣の香里の方に向き直り、ノートを差し出した。
「やっぱりこういうことは香里に任せるしかないっ! ずっと前から決めてましたっ、お願いしますっ!」
「ねるとんかぁっ!」
 ツッコミを入れる俺を無視して、ノートをさらにずいっと差し出す北川。
 香里は肩をすくめた。
「……ごめんなさい」
「う、うわぁぁぁぁぁぁっっっ!」
 その途端、北川は立ち上がると教室を飛び出していった。
 俺はため息をついた。
「ねるとんか。……何もかもが懐かしい」
「というか、バブル全盛期の話だから、あたし達は知らない時代のはずなのよね……」
 香里がしみじみと呟いた。
 一瞬、沈黙が流れる。
「あ、そうそう。この子はどうしたのよ、いったい?」
 香里は、今の会話にも加わって来ずにつーんとしている名雪に視線をちらっと向けた。
「ああ、ちょっとな」
「相沢くん、まさか名雪に変なコトして嫌われたんじゃないでしょうね?」
「んなことするか。北川じゃあるまいし」
「な、なんでそこで潤が出てくるのよ?」
 何故か赤くなると、ぶつぶつ呟く香里。
「そりゃ確かに、時々ちょっとあれかなとは思うこともあるけど……」
 ……北川って、そんな楽しいプレイをしてるのか?
 ま、それはおいおい追求することにして、俺は手早く事情を説明した。
「かくかくしかじかだ」
「……あ、そういうことね、なるほどね」
 腕組みして頷くと、香里は前に向き直った。
「……おーい、香里さん? ツッコミを入れてくれないんですか?」
「入れてあげない」
 むぅ、さすがクラス委員だけあって強敵だ。
 と、旅に出ていた北川が教室に戻ってきた。同時に石橋が前の入り口から入ってくる。
「よし、ホームルーム始めるぞ。席に着け〜」

 昼休みになって、俺達は屋上で飯を食っていた。
 この席で、俺は昨日のことを、その場にいなかった美坂姉妹&天野に説明してやった。
「なるほど、そういうわけね」
「そんなことがあったんですか」
 いつも通り無表情ながら、微妙に悔しそうな天野。
「残念だったな、天野。真琴のいいところを見損なって」
「……」
 お、ホントに残念そうだ。
「でも、その子猫にそんなわけがあったんですね」
 栞は、弁当のおかずの唐揚げを口に運びながら頷いた。
「でも、相沢くん、しばらく大変よ」
 香里が苦笑しながら言う。
「猫がらみだと名雪はしつこいから」
「そんなことないもん」
 そう言いながらも、少し離れたところで弁当を黙々と頬張っている名雪。どう見てもまだまだ拗ねているようにしか見えない。
 あゆが名雪におずおずと声を掛ける。
「名雪さん、一人で食べてないで、みんなと一緒に食べようよ……」
「あゆちゃん、わたしのことはほっといて」
「うぐぅ……。祐一く〜ん」
 泣きそうになって俺を呼ぶあゆ。
 やれやれだなぁ。
「こういうときは、しばらく放っておいた方がいいのよ」
 名雪との親友歴では俺を上回る香里の貴重な意見に従うことにして、俺はあゆを手招きした。
「あゆもこっちに来いって」
「で、でもぉ……」
 きょときょとと俺達と名雪を見比べるあゆ。
 俺は立ち上がると、あゆの所まで歩み寄って肩を叩く。
「俺が名雪のそばにいるから」
「……うん、そうだね」
 頷いて、あゆは立ち上がり、みんなの所に駆け寄っていった。
 それを見送ってから、俺は名雪の隣に座った。
「名雪、いつまで拗ねてるんだよ」
「……だって、ねこさん……」
「うちにはぴろだっているだろ? そもそも、お前は猫アレルギーだし」
「う〜っ、でもねこさん……」
「ったく」
 俺はため息を付くと、名雪に小さな声で言った。
「名雪、俺じゃダメか?」
「えっ?」
「俺なら、ずっと名雪のそばにいる。それでもダメか?」
「……」
 一瞬きょとんとして、それから名雪は聞き返した。
「ホントに?」
「ああ」
「それじゃ、ぎゅってしてもいい?」
「……他の連中がいないところなら」
「うん、それでいいよ」
 名雪は笑顔を浮かべた。
「わたし、ねこさん大好きだけど、祐一も大好きだから」
「……もしかして名雪……」
「うん?」
「……いや、なんでも」
 俺にそれを言わせたかったのか、とも思ったが、名雪がそこまで策略を巡らすとも思えないしな。栞じゃないんだから。
「……っくしゅんっ」
 背後で栞がくしゃみをするのが聞こえた。

 そんなわけで名雪の機嫌を直して、連れてみんなのところに戻ってくると、香里が感心したように言う。
「さすがね、相沢くん」
「何がだ?」
「名雪がこんなに早く機嫌を直したの、見たこと無いもの」
「香里、ひどいよ〜」
 名雪はそう言いながらも笑っていたので、香里は怪訝そうな顔をして俺に囁く。
「まさか、変なものでも食べさせたんじゃないでしょうね?」
「なんだよ、その変なものって」
「そうね……、怪しげなキノコとか」
「あ、そういうのが必要なら……」
「出さなくてもいいぞ、栞」
「……残念です」
 そういいながら、ポケットにいれかけた手を出す栞。

 放課後になり、例のごとく特訓でへろへろになる俺。
「祐一〜、ふぁいとぉ〜」
「や、やめてくれ、力が抜ける……」
「何言ってるの、相沢くん。名雪の声に耐えられないようじゃ、インターハイには出られないわよっ」
「出るかぁっ! 俺は陸上部じゃねぇっ!」
「あら、まだ元気そうね。それじゃダッシュをもう3セット追加ね」
 ……俺、体育祭までに死ぬかもしれない。

 そんなぢごくのとっくん(全部ひらがななのがポイントである)を済ませて、俺と名雪は並んで帰途につく。
 今日は同じ時間に練習の終わった真琴と、真琴の専属マネージャーの天野も一緒である。
「今日もまた真琴にそんなことがあったら大変ですから」
 ……やっぱり、昨日、真琴が川に流されたところで、一緒にいなかったのを、相当気にしているらしい。
「出番がないとどんどん影が薄くなるからな、天野の場合は」
「……失礼ですね」
 やや間が空いたのは、多分自分でもそれを自覚しているのだろう。
「急いで帰るよ〜」
 名雪がそう宣言して、すたすたと歩き出す。
「な、なんでだ?」
「だって、早く帰らないと、ねこさんがもらわれていっちゃうかも。せめてお別れは言いたいし」
「そ、そうよねっ!」
 真琴も頷いて駆け出す。
「わ、こら待てっ!」
「……」
 陸上部部長、陸上部のホープ、現役退魔師、そして帰宅部所属のごく普通の高校生の4人が競争するとなると、その結果は走る前から明らかなわけである。

 で、その通りの結果となった。
「はへっはへっはへっはへっ」
「祐一〜、大丈夫〜?」
 真琴が心配そうに、膝に手を付いて荒い息をしている俺の顔を覗き込んだ。
「ああ、なんとか、な」
 一方の名雪は、そんな俺を振り返ることもなく家に駆け込んでいった。
「お母さ〜ん、ねこさんまだいるよねっ!?」
「あらあら、お帰りなさい、名雪。ええ、まだ引き取りにいらっしゃってませんから」
 キッチンから手を拭きながら出てくる秋子さんに、名雪は安心したように胸をなで下ろす。
「よかったよ〜。あ、祐一、大丈夫?」
「相沢さんより猫が優先してるようですね」
「……冷静に指摘しないでくれ、天野。悲しくなるから」
「それは、失礼しました」

 とりあえず着替えてリビングに降りてみると、名雪がくしゃみをしながらも子猫を抱いていた。
「くしゅん、くしゅん、くしゅん、くしゅん」
「えーい、うっとおしい」
 俺はひょいと子猫を取り上げて、真琴に渡す。
「ほらっ」
「わわっ! あ、あうっ」
「えぐっ、へぷしっ、ぐしゅん」
 どうやら抗議しようとしているのだが、くしゃみのせいで話が出来ない名雪。
 それを後目に、真琴が子猫を抱いていると、チャイムの音がした。
 ピンポーン
「あ、いらっしゃったみたいね。はぁい」
 秋子さんが玄関に出ていく。そして、その後から俺達もぞろぞろと続いた。とりあえずどんな人なのか興味があったからだが。
「こんにちわ〜」
 そこにいたのは、栞だった。
「……あれ?」
「わ、その子猫ちゃんですかぁ?」
 あ然としている俺達を後目に、栞は真琴が抱いている猫を見て駆け寄ってきた。
「ええ。大事にしてね」
「はいっ」
 笑顔で頷くと、栞はひょいっと真琴から猫を取り上げて、頬ずりした。
「可愛いです〜。そうだ、名前は決まってるんですか?」
「いいえ、まだ決まってないわよ」
「そうですか。それじゃ……、そうだ。祐一さんって名前にしましょう」
「……はっ! 待てこらっ!」
 俺は危ういところで我に返ると、栞の襟首を捕まえた。
「きゃっ、何するんですか祐一さんっ」
「なんで栞が猫を持っていくんだ?」
「昨日、秋子さんから電話もらったんですよ。子猫いりませんかって」
「……マジですか、それ?」
「ええ。栞ちゃんなら大事にしてくれると思ったものですから」
 にこにこしながら頷く秋子さん。
 栞は、子猫を目の高さまで差し上げて、話しかけた。
「それじゃ帰りましょうか、祐一さん」
「だから、俺の名前を付けるんじゃないっ!」
「そっか。栞ちゃんの家なら、まぁいいかなぁ」
 納得する名雪。
「あう〜っ、真琴は嫌だけど……」
 じーっと栞を睨むようにしている真琴に、後ろから天野が声をかけた。
「真琴」
 真琴は、こくりと頷いた。
「……うん、我慢する」
「いい子」
 後ろから手を伸ばして真琴の頭を撫でる天野。
 とりあえずその場の全員が納得したところで、栞が俺に向き直った。
「祐一さんって名前がダメだったら、祐一さんが付けてくれませんか?」
「へ?」
「ですから、この子の名前ですよ」
「そうよっ、前にぴろの名前だって付けてくれたじゃないのようっ」
 真琴が口を挟んだ。
 俺はうーむと腕を組んでから、言った。
「安田のネコもしくはネコ塚ネコ夫っていうのは却下ですよ」
「うぐ」
 口を開きかけたところで先制されて、俺はもう少し考え込んだ。
「……それじゃ、栞の主食がバニラアイスな所から取って、バニラというのはどうだ?」
「あ、それって祐一さんにしてはセンスがいいですねっ」
 栞は喜んで、子猫の顔を覗き込んだ。
「それじゃ、キミはバニラですよっ」
 うにゃぁ
 子猫改めバニラは、どうやらその名が気に入ったらしく、一声鳴くと栞の鼻をぺろっとなめた。
「きゃっ、くすぐったい」
「あう〜っ。真琴、ぴろと遊んでくるっ!」
 うらやましくなったらしく、真琴はだだっと自分の部屋に駆け戻っていった。そして名雪は……。
「ねこ〜っ、ねこ〜〜っ」
 ……病気が再発していた。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 20 01/11/4 Up

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