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「ただいま〜」
Fortsetzung folgt
玄関で声を掛けると、ぱたぱたっと足音がして、あゆが玄関先まで迎えに出てきた。
「おかえりっ、祐一くん、真琴ちゃん、舞さん」
「ただいまようっ。あ〜っ、お腹減ったぁ」
「……お腹減った」
「鞄は……見つかったんだねっ。よかったね、真琴ちゃん」
あゆは、真琴が少し汚れた鞄を担いでいるのを見て、笑顔で言った。
「それなのようっ! これ見てよっ、これっ!」
真琴は鞄をずいっとあゆに突きつける。
そこには、見事な足跡がついていた。
「誰かが真琴の鞄、踏んづけて行ったのようっ! あ〜っ、悔しいっ!!」
三和土で地団駄踏む真琴を、舞がぽんぽんと背中を叩いて慰める。
「大丈夫、まこさん。二度と踏ませないから」
「あ、えっと、うん」
舞の言葉に、戸惑ったように頷く真琴。
俺は微笑ましい様子に思わず頬を緩めてから、あゆに声をかけた。
「それより、腹も減ったし、すぐに飯にしたいんだけどさ」
「あ、うん。みんな待ってたんだよっ」
頷いて、あゆは廊下をばたばたと走っていく。
「秋子さ〜ん、名雪さ〜ん、みんな帰って来たよ……」
ずるっ、どてぇん
「……あゆ、フォロー入れた方がいいか?」
「うぐぅ……」
廊下でヘッドスライディングした格好のまま、あゆは情けない声を上げた。
「まったく、どうやったら廊下で転べるんだ、お前は。第一だな……」
「……第一、何?」
「どうせ転ぶなら、ミニスカートにしとけばいいのに。キュロットでは色気もなにもあったもんじゃないだろ」
ずびしっ
背後から舞に激しいツッコミを受けた。
「いてっ! 何すんだ舞っ!」
「……祐一は、……変態?」
「いや、そう聞かれても……」
こっちだって何て返していいものやら、対応に苦慮するじゃないか。
「と、とにかく飯にしよう、飯に」
「真琴はさんせ〜! 行こっ!」
このままではずっと舞に背中をぽんぽんと叩かれ続けることになりかねない、とばかりに、真琴が脱兎のごとくあゆの上を駆け抜けてリビングに走っていった。
「……まこさん、行っちゃった」
「舞、そんなにがっかりするなよ。さ、行こうぜ」
「……うん、わかった」
俺達も、その後を追ってリビングに入っていく。
「……うぐぅ、ボク、忘れられてる……?」
「で、結局鞄を見付けたのは舞だったんだけどな」
夕食を食べながら、俺は真琴の鞄を探したときの話を皆にしていた。
ちなみに今日の食卓に並んでいるメンバーは、水瀬家一同+まいまいさゆりんコンビである。
「へぇ、舞さんが見付けたんだ。もう外は真っ暗だったのに、すごいね」
「……」
あゆの賞賛の言葉に、無言ながらやや胸を張る舞。……ま、元々大きいから、少しだけでもあゆとの差は絶望的なまでに……。
「うぐぅ……、ぜったいおっきくなるもん……」
また俺の考えを読んだらしく、拗ねて納豆をかき混ぜるあゆ。ちなみに今日は栞がいないので、かなり不利なのである。
「ご苦労様でした。はい、これもどうぞ」
秋子さんがご褒美とばかりにお芋の煮っ転がしの皿を舞の前に置く。
「……あ、ありがとう」
ちらっと秋子さんを見て、おずおずと礼を言う舞。
そんな舞を、佐祐理さんは笑顔で見ていた。
夕食が終わって、俺は眠いと目をこすり始めた名雪を連れて2階に上がり、そこで別れてそれぞれの自室に戻った。
名雪は当然そのままお休みモードなのだが、俺の方も、明日までに仕上げておかないといけない宿題があったのを思い出したからだ。
「……ったく、北川の野郎め、俺に仕事を押しつけやがって……」
ぶつぶつ言いながら、俺は鞄からノートを出して机の上に広げ、シャープペンシルのお尻を噛み噛み考えた。
30秒で諦めた。
「……無理だ」
俺はノートを閉じた。
そのノートの表紙には、北川の字で“七瀬を乙女にしてやるぜ、特攻野郎スーパーZ大作戦立案ノート”と書いてある。
要するに、七瀬を全校美少女コンテストで優勝させるための作戦を俺に考えろということだ。
しかし北川のヤツも、自分で考えればいいだろうに、なんでまた俺に押しつけるかなぁ……。
ため息混じりにノートを鞄に放り込み、俺は気分転換にベランダに出てみることにした。
カラカラッ
サッシを開けると、冷たい空気が流れ込んでくる。
冷たいっていっても、冬のときの刺すような空気に比べれば雲泥の差がある。
俺はその空気の中に身を投じて、ベランダの手すりに手を掛けた。
高所恐怖症という病を持っている俺は、以前はベランダに出るのも身がすくんだものだが、最近はどうやらベランダに出るくらいなら平気になってきた。
と、後ろに気配を感じて振り返る。
うにゃぁ
猫の鳴き声が聞こえた。
「よう」
「……よう」
ベランダに出てきたのは、子猫を抱いた舞だった。
「ねこさんのさんぽ」
「……あ、なるほどな。相変わらず優しいな、舞は」
「……そんなことない」
舞は、そう言い捨てて、ぷいっと明後日の方を見る。
これは、照れてるだけだな。
そう判ったので、俺は舞のそばに歩み寄った。
と、舞が顔を上げて、俺に尋ねる。
「この子猫は……どうなるの?」
「う〜ん。野良らしいんだよなぁ、こいつ。引き取るにしても、うちにはもうぴろがいるし……」
「それじゃ、うちに……」
「舞のところには、例の白猫がいるだろ……」
「……うん」
こくんと頷くと、舞は子猫の顔を覗き込む。
「でも、捨てるのはだめ」
「それじゃ保健所に渡すか……。いや待て、落ち着け舞」
「そんなことしたら、許さないから」
じろっと俺を睨みながら、すすっと俺の手が届かない間合いに離れる舞。
「冗談だ、冗談。ま、とりあえず子猫のことは、後で考えることにしよう」
「……うん」
頷いて、舞は俺の隣のポジションに戻ってきた。
しばらく黙って、二人で並んで風に吹かれていると、不意に舞が呟いた。
「……寂しくなった」
「え?」
「今まで、考えたことなかったのに……」
舞はそのまま、抱いている子猫に頬を寄せた。
「舞……」
俺は、さっきの夕食の時を思い出した。
秋子さんに礼を言われて、いつになく神妙な顔をしていた舞。
「舞、お前には佐祐理さんだっているし、俺だっているだろ?」
かなり恥ずかしいセリフなのだが、舞にははっきりと言わないと判ってもらえないというのは、今までの付き合いで十分に学んだ俺だった。
だが、舞は首を振った。
「……今は、佐祐理がいないから、言うけど……」
そして、夜空を見上げて、言った。
「……佐祐理も、祐一も……お母さんじゃないから……」
その頬を、光るものが流れ落ちるのが見えた。
舞の言葉には、俺は何も返せなかった。
確かに、俺も佐祐理さんも、舞のお母さんにはなれない。
それだけは、どうしようもない……。
どれくらい、黙っていたか。
不意に、舞はぐいっと袖で顔を拭った。そして、俺の方を見て微笑んだ。
「でも、大丈夫。お母さんはいなくても、祐一も、佐祐理もいてくれるから」
「舞……」
「だから、大丈夫」
もう一度繰り返すと、舞は俺に視線を向けた。
暗くてよく判らなかったけど、多分その目は赤いのだろうけど、でも、その笑顔は、素直に綺麗だと思えた。
だから、俺も笑った。
「そろそろ、戻ろうか」
「うん。……あ」
振り返った舞の前で、サッシを掴んだ姿勢のまま、佐祐理さんが困ったような顔をしていた。
「ええっと……」
「佐祐理、聞いていたの?」
「……ごめんなさい」
姿勢を正すと、深々と頭を下げる佐祐理さん。
「舞がなかなか戻ってこないから、気になって……」
「……そう」
「ね、舞」
佐祐理さんは、舞に歩み寄ると、こつんとその肩に額を当てた。
「ごめんね。私……」
今度の「ごめん」は、覗いてたことを謝ったんじゃない。舞に寂しい思いをさせてしまったことに対して、だった。
だから、舞は首を振った。
「違う。佐祐理が謝ることじゃない」
「だけど……」
佐祐理さんがこだわるのも、俺にも舞にも判ってる。だからこそ、舞も佐祐理さんではなく俺にうち明けたんだし。
どちらも相手のためを思って、そしてともすればそれが相手を傷つけてしまう。
二人とも、優しすぎるから。
だから、俺が必要なんだ。
俺は、二人の肩を叩いた。
「お二人さん、それくらいにして下に降りようぜ。きっと秋子さんが、今頃デザートを用意して待ってるから」
「あ、そうですね」
「はちみつクマさん」
二人は、俺の言葉に頷いてくれた。
二人を伴って1階に降りてリビングに入ると、秋子さんはどこかに電話を掛けているところだった。
「あ、祐一くん。秋子さんがデザート用意してくれてるよ」
「ほらほらっ、見てこれ、あいすぼっくすくっきーだってっ!」
あゆと真琴が、テーブルに置いてある大きな皿に山盛りになっているクッキーを摘んで見せた。
「お、いいものがあるじゃないか」
「それじゃ、私が紅茶入れますね〜」
舞をソファに座らせてから、佐祐理さんがキッチンに入っていく。
ちなみに、キッチンの支配者こと秋子さんが、唯一紅茶を自由に入れる権利を認めたのがこの佐祐理さんであるとか。
「ゆ、祐一ぃ……」
真琴が、俺の袖を引っ張ると、しきりに舞が抱いている子猫の方をちらちらと見る。
俺は苦笑して、舞に言った。
「舞、その猫ずっと抱いたままだろ? そこのソファに下ろしたらどうだ?」
「……うん」
こくんと頷いて、横のソファの上に下ろす舞。
と、猫は一つ欠伸をしたかと思うと、そのまま丸くなって眠ってしまった。
「わぁ、可愛い〜」
早速かぶりつきでその猫を鑑賞する真琴と、そんな真琴をじぃーっと見つめる舞。
「……祐一くん、なんか二人とも、とても嬉しそうだよ」
「しばらくほっといてやれ。な?」
「うん、そうだね……」
しばらくして、紅茶のいい香りがリビングまで届いてきた。
と、ずっと何か小声で話していた秋子さんが、その話も終わったらしく、受話器を置いた。そして俺達の方に向き直る。
「ちょっといいかしら? その子猫のことなんだけど」
「……?」
全員が秋子さんに視線を向ける中、秋子さんは言葉を継いだ。
「ちょっと、知り合いに電話して聞いてみたんですけど、そういうことなら引き取ってもいいって言ってくれたの」
「ええーっ!?」
真琴が大声を上げながら立ち上がる。子猫が起きるかと思ったが、よほど疲れていたのか、ひげをぴくぴくさせただけで起きることはなかった。
「この子、あげちゃうのぉっ!?」
「真琴。うちにはもうぴろがいるでしょう?」
噛んで含めるように言う秋子さん。
「で、でも……。あう〜っ、祐一〜〜」
「俺に言っても無理だぞ」
「……ううっ」
しょぼんとする真琴。その頭を舞がそっと撫でた。
「まこさん、泣いたらだめ……」
「あ、あう……」
「きっと、この子にとっても、それがいいことだから……」
「そう言いながら舞の方が泣きそうじゃないのか?」
俺が言うと、舞はぷいっと視線を逸らした。
あゆが訊ねる。
「その人って、この子を可愛がってくれる人だよね、秋子さん?」
「ええ、間違いないわよ」
笑顔で頷く秋子さん。
俺は言った。
「秋子さんもそう言ってることだし、やっぱりここは温かく送り出してやるべきだろ。な?」
「で、でもぉ……」
まだ未練ありげに、眠っている子猫を、じぃーっと見つめる真琴。
「紅茶が入りましたよ〜」
そこに、佐祐理さんがティーカップをお盆に乗せて登場。
「あ、秋子さん。オレンジペコ使わせてもらいました〜」
「どうぞ。あ、いい香りね」
「いえいえ〜」
笑顔でティーカップを配る佐祐理さん。ちなみに秋子さんの分まで用意してある辺り、さすがにそつがない。
俺はカップを掲げた。
「それじゃ、その子猫が幸せに暮らせますように」
「うん、そうだね。ボクもお祈りするよ」
続いて、こちらは猫舌用にミルクをたっぷり入れたティーカップのあゆがカップを掲げる。
佐祐理さんが苦笑する。
「祐一さん、紅茶で乾杯なんてしないですよ」
「そうかな?」
「はい。……でも、それもいいかもしれませんね」
そう言いながら、佐祐理さんもカップを掲げた。
続いて、見よう見まねという感じで真琴と舞が、そして最後に秋子さんがカップを掲げる。
「じゃ、乾杯」
チーン
薄いティーカップは、いい音がした。
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あとがき
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