トップページに戻る 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
「どうしたの、祐一?」
Fortsetzung folgt
「いらないのか?」
「そ、そんなことないけど……」
放課後。百花屋で、イチゴサンデーを前にして戸惑いの表情を浮かべているのは名雪。
「でも、今までに祐一が、無条件でおごってくれるなんてことなかったし……」
「そりゃいつもはお前になにかと理由を付けておごらされてるからだろ」
ずばっと指摘すると、名雪はう〜っとうなる。
「それは、そうだけど……」
「いいから食えって。これを逃すと、次に俺からおごろうなんて言うのはいつになるかわからんぞ」
「それもそうだね。うん」
名雪は頷くと、嬉しそうに笑った。
「それじゃ、いただきま〜す」
そのまま、イチゴサンデーとの戦いに突入する名雪を見ながら、俺はコーヒーを口に運んだ。
黙っていれば大人っぽく見える名雪だが、こういうところはまだまだ子供っぽいなぁ。
「祐一も一口食べる?」
「いらん」
「……美味しいのに」
そう言いながらも、ぱくっとスプーンを口にくわえる。
「ん〜。わたし、しあわせだよ〜〜」
「330円でいいのか。安っぽい幸せだな」
「そんなことないよ。わたしのしあわせは、330円じゃ買えないものだもの」
「……なんかよくわからんが、まぁいいや」
俺は苦笑して、コーヒーの残りを喉の奥に流し込んだ。
百花屋を出ると、俺達は2人で、特に目的もなしに商店街をぶらついていた。
「あ、祐一。わたし、あの目覚まし欲しいな」
「こら、これ以上目覚まし増やしてどうするっ」
「だってぇ……」
時計屋の店先に飾ってある白い時計を、指をくわえて見つめる名雪。
こりゃ、ほっといても2、3日後には名雪のコレクションにあの時計が加わってるに違いない。
「わかったわかった。いくらだ?」
「え? あ、1200円だけど……」
「よし、すみませ〜ん」
「あ、祐一っ!?」
商店街を離れて、家に向かう道を、2人で並んで歩く。
既に辺りは赤く染まり、やや涼しい風が俺と名雪の制服の裾を揺らしていた。
他には誰もいない、川沿いの道。
「えへへへ〜〜」
隣では、時計の入った紙箱を抱えて、嬉しそうに笑う名雪。
「ったく、散財させやがって」
俺は財布をポケットにしまいながら、名雪に言った。
「とにかく、これ以上時計は買わないからなっ」
と、名雪が腕にしがみついてきた。
「うん。もう十分だよ」
「そうかそうか。なら今夜はその分、奉仕してもらうことにするかなぁ」
「ほうし?」
「うむ、そうだなぁ……」
少し考えて、名雪の耳に囁く。
「……で、……を、……」
「えっ? それってどういうこと?」
きょとんとする名雪に、詳しく説明すると、ぼっと真っ赤になった。
「そ、そんなことできないよ〜」
「いやいや、世間一般のカップルでは大流行らしいんだな、これが」
「祐一、嘘言ってるでしょ?」
「そんなこと言ってないぞっ。俺の目を見ろっ!」
「……血走ってるよ?」
しげしげと俺の瞳をのぞき込みながら言う名雪。
俺はその頬を両手で挟んだ。
「え? 祐一……、あ……」
そのまま唇を俺の唇で塞ぐと、しばしそのまま、柔らかな感触を楽しむ。
耳からは、川の流れる音。雪解けの水が流れ込んでいるのだろう、冬の間に比べると、水音も大きくなっていた。
にゃぁぁぁぁ
「あう〜〜〜〜〜っ」
……へ?
水の音に混じって妙な声が聞こえたような気がして、俺は名雪から唇を離して訊ねた。
「名雪……?」
「うん、わたしも聞こえた」
俺達は、慌てて川岸のガードレールに駆け寄ると、川面をのぞき込んだ。
「あっ!」
「祐一、あれっ!」
俺達は同時にそれを見つけた。
制服姿の真琴が、片腕に子猫を抱え、もう片方の腕で流木に捕まった格好で、そのまま流されていく。
「真琴っ!」
「真琴〜〜っ」
「あ、祐一、名雪、たすぶっ」
俺達を見て声を上げようとしたところで、波を被ってしまう真琴。
くそ、流れが速い!
俺は上着を脱いで名雪に放った。
「持っててくれっ!」
「祐一っ!?」
悲鳴のような名雪の声を背に、俺はそのまま、頭から川に飛び込んだ。
それからどうしたのか、俺自身もよく憶えていない。
ただ、気が付いてみると、俺と真琴はずぶ濡れながらも川岸に上がっていた。
「げほげほっ、真琴、大丈夫か……?」
「う、うん……、だ、だいじょう……ぶ」
真琴らしからぬ消えそうな返事に、驚いて隣の真琴を見ると、真っ青になってがたがたと震えていた。
「いかん。名雪!」
「ぐしゅっ、な、なに? ……くしゅんくしゅんっ」
くしゃみをしながら駆け寄ってくる名雪。その理由は、名雪が子猫を抱いているのを見ればすぐにわかった。
「えくしっ、あ、ま……っくしゅん、うん」
とりあえず真琴の様子から俺の要求は判ったらしく、くしゃみをしながら頷くと、名雪は手元のスポーツバッグを開けた。もっとも、くしゃみ続きのうえに片腕で子猫を抱いているので、思い切りやりにくそうである。
「とりあえず、猫はこっちによこせ。それじゃバッグからタオルが出てくる前に真琴が凍死する」
「うくしゅっ、……そくしゅんっ、だねっくしゅん」
くしゃみを立て続けにしながら頷くと、名雪は俺に子猫を渡した。そして、タオルを出すと真琴に渡そうとしたが、真琴が自分を抱くようにしてがたがた震えてるのを見ると、そのまま広げて真琴の身体を抱くようにして拭き始める。
「ゆくっ、はや……くっしゅん、かえっくしょんっ」
「早く帰った方がいいって? 俺も同じ意見だ」
俺自身も寒くて凍えそうな状況だった。どれくらいの間流されていたのかは知らないが、少なくとも俺よりも前から水の中にいた真琴は、もっと寒いことだろう。
俺は子猫を名雪に渡してから、真琴を抱き上げた。
「あ、あう……」
「名雪、秋子さんに知らせて、風呂を沸かしておいてくれ」
「くしゅっ、うんっ」
頷いて、名雪は子猫を抱いたまま駆け出した。
俺達が家に着くと、秋子さんが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。名雪から話は聞いてるわ。もうお風呂は沸いてますから」
名雪を先に家に行かせてから、まだ10分もたってない筈なんだが、とりあえず今は有り難い。
「俺よりも真琴を先に入らせてやってください。かなり身体が冷えてて、自分でも動けないくらいなんですよ、こいつ」
「あ、あう……」
俺に抱かれたまま、紫色になった唇から弱々しい声を上げる真琴を見て、秋子さんは頷いた。
「そうですね。それじゃ私が真琴をお風呂に入れますから、祐一さんはすみませんけど、真琴を脱衣場まで運んでくれませんか?」
「ええ、わかりました」
頷いて、俺は靴を脱いで脱衣場に向かった。
脱衣場まで真琴を運んだついでに、俺も制服を脱いでから、タオルを身体に巻いて部屋に駆け戻った。俺の制服もずぶ濡れで、どっちにしても洗濯が必要な状態だったからだ。
部屋に戻って、とりあえず下着まで全部脱いで、ベッドに腰掛けてバスタオルで身体を拭いていると、ノックの音がした。
「くしゅん、くしゅん」
「お、名雪か。入れよ」
「くしゅん……」
ドアを開けて、名雪が入ってきた。後ろ手でドアを閉めると、訊ねる。
「くしゅっ、へぷしっ、くしゅんっ」
いや、訊ねようとしてくしゃみを連発する。その理由は、言うまでもなくまだ抱いたままの子猫だ。
「いいから、とりあえず猫は誰かに預けとけよ」
「で、でもくしゅっ」
「あゆはまだ帰ってないのか? それか、他の誰かはいないのか?」
ぐしゅぐしゅと鼻をすすりながら首を振る名雪。
「そっか。それじゃとりあえずこっちによこせよ」
手招きする俺に、名雪はこくんと頷いて、子猫を渡した。それから、ティッシュを一枚取って鼻をかむ。
「……ちーん。ぐしゅっ」
俺はとりあえずバスタオルで子猫をくるむようにして、頭を指で撫でてやった。
うにゃぁ
くりっと目を開いて、小さく鳴く子猫。どうやらこいつが一番元気のようだ。首輪もしてないし、かなり痩せているところを見ると野良猫らしいが、それにしては結構人懐こい。まぁ、ぴろも野良のくせに結構人懐こかったしなぁ。
「ううっ、ねこ〜、ねこ〜〜」
そんな猫を見て、のそのそと床に四つんばいになって近づいてくる名雪。ったく、懲りない奴だ。
苦笑しながら、その頭を空いてるほうの手で止める俺。だが、その手をどけるでもなく、そのまま前進しようとする名雪。
「ねこぉ〜〜〜」
うーむ、猫まっしぐらモードに入ると、知能まで猫レベルに低下するのか?
と、その時、ノックの音がした。
トントン
「祐一くん、帰ってる?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、あゆの声だった。どうやらいつの間にか帰ってきたらしい。
「おう、いるぞ」
ちょうどいい。とりあえずあゆにこの子猫を預けることにしよう。
「みんなどうしたの? 秋子さんと真琴ちゃんは二人でお風呂に入っちゃってるし、名雪さんも部屋にいないし……」
そう言いながらドアを開けたあゆが、そこでびしっと固まった。
「……ん? どうした、あゆ?」
俺の言葉に、あゆはくるっと背を向けて、部屋を飛び出していった。
「ボ、ボクなにも見てないですっ、ごめんなさいっ、そんなことしてるなんて思ってなかったしっ!」
「……は?」
「ご、ご、ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃっ!!」
そのままだだっと廊下を走り去る足音。
「うぐぅぅっ!」
どんどんどがごとごっ
あ、階段を落ちたな。
それにしても、何を慌ててるんだ、あいつは?
「ねこぉ〜〜」
今のあゆも目には入っていなかったらしく、じたばたと前進を続けようとしている名雪。
あ。
名雪が今まであまりに平然としてたので俺もうっかり忘れていたのだが、今の俺は全裸であった。そして、その全裸でベッドに腰掛けている俺の前で、四つんばいになっている名雪。
……なんか、妙なプレイをしてるような格好ではないか、これは。
まぁ、そういう状況にしては、俺のモノが臨戦態勢どころか後方支援状態にもなっていないのだが、あゆがそれを判別出来るとも思えないし。
やれやれ。
俺はとりあえず子猫を床に置くと、名雪が再びその子猫を抱きしめながらくしゃみを連発するのを横目に、トランクスを履いてシャツを頭から被った。
と、階下から声が聞こえた。
「こんにちわ〜。どなたか、いらっしゃいますか〜? あら、あゆさん? どうしたんですか?」
「うぐぅ……」
どうやら、舞と佐祐理さんが来たらしかった。
「だから誤解だって」
「ぐしゅっ、そうだよ……」
「う、うん……、わかったよ……」
「だったらどうして俺と目を合わせようとしないんだよ?」
「だ、だって……、うぐぅ……」
俺と正気に戻った名雪は、リビングでやっきになってあゆの誤解を解こうとしていた。
ちなみに子猫は、わけを話して舞と佐祐理さんに2階の俺の部屋で一緒に遊んでもらっている。
とりあえずアレルギーの原因たる猫から離れたものの、まだ後遺症が残っているらしく、目を赤くしている名雪が言う。
「わたし、ほんとに祐一が裸なんて、気が付かなかったんだよ」
「そうそう。第一、名雪はまだレベルが低いから、そういうプレイにまでいけないんだ」
「ゆ、祐一の莫迦ぁっ」
かぁっと赤くなる名雪。
「あゆちゃんの前で変な話しないでよ〜」
「うぐぅ、ボ、ボク子供だからよくわかんないよっ」
あゆも、言葉とは裏腹に真っ赤になっている。
と、リビングのドアが開いて、スゥエットに着替えた真琴と、湯上がりらしくほかほかと湯気を上げながら秋子さんが出てきた。
「あっ、真琴、大丈夫?」
これ幸いと真琴に声をかける名雪。
「うん、もう大丈夫。えっと……」
真琴は、ぽりぽりと頭を掻いてから、勢いよく俺達に頭を下げた。
「祐一、名雪、ありがとっ!」
「気にするなって」
「わたしの妹なんだもん、助けるのは当たり前じゃない」
「えへっ」
ぴょんと顔を上げると、照れたように笑いながら、俺の膝の上にちょこんと座る真琴。
「よいしょっと」
洗い立ての髪からは、シャンプーのいい香りがしてくる。いつものようにリボンで縛ってないでそのまま流しているので、ちょっと雰囲気が違って大人っぽく見える。
「こらこら」
「だってぇ」
振り返って甘えた声をあげる真琴。
名雪が言う。
「祐一、真琴は猫さん助けてあげたんだから。ね?」
「そうだ。そもそもなんでお前が猫と一緒に川を流されてたんだ?」
「あ、うん。あのねっ……」
真琴の話によると、部活が終わってから帰る途中で、川を子猫が流されていくのを見て、思わず川に飛び込んでいたのだという。
「……帰る途中に?」
「うん」
「それで、お前の鞄とかはどうしたんだ?」
「……あ〜〜〜っ!!」
ばっと俺の膝から飛び降りて叫ぶ真琴。
「川のそばに放り出して来たままだったぁ!」
やっぱりか。
俺はため息をつきながら立ち上がった。
「名雪はまだ後遺症が残ってるだろうからいいや。あゆ、手伝ってくれ……なくてもいい」
「うぐっ! な、なんで?」
立ち上がりかけていたあゆがこける。
俺は窓の外を見た。
「あゆ、外は真っ暗だぞ」
「うぐ……。ごめん、真琴ちゃん。ボク、力になれなくて……」
がっくり膝をつくあゆ。
俺は苦笑した。
「適材適所だ。あゆ、舞を呼んできてくれ。俺の部屋にいるはずだから。それから、代わりに佐祐理さんと一緒に猫と遊んでろ」
「あ、それならわたしも……」
「名雪は駄目でしょう?」
秋子さんに言われて、名雪は不満そうにため息をついた。
「ううっ、みんなひどいよ〜」
「それよりも、今から夕ご飯の支度を急いでするから、名雪はそれを手伝ってくれないかしら?」
「……そうだね、うん」
頷いて立ち上がる名雪。
俺は真琴の頭に手を置いた。まだ濡れている髪をくしゃっとかき回す。
「わわっ、なにようっ!?」
「いや、別に」
「もうっ、なんなのようっ」
口を尖らす真琴。
「……なぁ、真琴」
「何?」
「なんで、助けたんだ?」
「え?」
一瞬きょとんとしてから、真琴は首を振った。
「わかんないけど……、でも、あの時ね、流されてく子猫を見た時、助けなくちゃって思ったの。私しかいなかったし……」
俯いてごにょごにょと言う真琴の頭を、もう一度うりゃっと掻き回してやる。
「わわっ、またっ! もう、なんなのようっ、祐一っ!!」
「あ、それね、祐一が嬉しいときの癖なんだよ」
ひょこっとリビングに顔を出して言う名雪。
「な、なにを言うんだ名雪っ!?」
「あはっ」
笑って、名雪はダイニングに引っ込んでしまった。
「祐一、嬉しいの?」
腰の後ろで手を組んで、俺の顔を覗き込むようにして訊ねる真琴。
俺は頬を掻いて、しぶしぶ認めた。
「……まぁ、そういうことだ」
「えへへ〜」
真琴はにぱっと笑って、俺の背中にぴたっとしがみついた。
「わ、何すんだっ?」
「いいじゃないのようっ!」
結局、舞がリビングに降りてくるまで、真琴はずっと俺の背中にしがみついたままだった。
トップページに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く
あとがき
プールに行こう6 Episode 18 01/11/3 Up