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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 15

「ところで、聞きたいことがあるんだが」
「はい、なんですか?」
 運ばれてきたバニラアイスを前にご機嫌に戻った栞に、俺は訊ねた。
「結局、こないだの真琴の一件って、あれは栞が仕組んだんだろ?」
「あっ、祐一さん。このアイス、ミントの葉っぱが乗ってますよっ!」
 ほらほら、とわざとらしく葉っぱを見せる栞。
 俺は無言でその皿をこっちに引き寄せた。
「わわっ、何するんですかっ!」
「正直に言わないと、俺が食う」
 そう言って、コーヒースプーンを手にする俺に、栞は泣きそうな顔をする。
「えぅ〜っ、アイスを人質にするなんてひどいです〜」
「なんとでも言え。俺は目的のためには手段はえばらん」
「……祐一さん、それって随分古いギャグですよ」
「……栞、知ってるのか、これ?」
「はいっ」
 にっこり笑う栞。
 俺と栞は、どちらからともなく、がしっと手を握り合った。
「同志!」
「はいっ!」
「で、どうしたんだ?」
「……誤魔化されてくれないんですか?」
「ふっ。無駄だ」
 俺が爽やかに笑ってみせると、逆ギレする栞。
「いいから返してくださいっ」
「だったら正直に言えっ!」
「う〜っ」
「ふぅ〜っ」
 しばらくにらみ合いを続けていた俺達は、ふと周囲の視線に気付いた。
「なにしてんのかしら、あの2人」
「別れ話のもつれだろ?」
「ママ〜っ、あのふたりど〜したのかな〜」
「これっ、見ちゃいけませんっ」
 慌てて座り直して咳払いをする俺達。
「……で?」
「はぁ。判りました。実はですね……」
 栞は、周囲を伺ってから、言った。
「催眠術です」
「……は?」
「だから、催眠術をかけたんですよ、真琴さんに」
「……マジ?」
「あ、疑ってますね?」
 栞はむ〜っと俺を睨んだ。
「私、ちゃんと通信教育で習ったんですよっ」
「それって無茶苦茶怪しいぞ、栞。よし、それじゃ俺にかけてみろっ」
「無理言わないでください。さぁかけてみろって身構えてる人にはかけにくいんですから」
 もっともらしいことを言う栞。
 俺は、コーヒーを口に運んだ。それから、改めて訊ねる。
「それで?」
「え〜とですね……。私がその通信教育を受けてたのは、去年なんですよ。ほら、薄幸の美少女してましたから」
「……要するに、病気で長期療養していた間に、暇をもてあましてそんなことをしてたわけだな?」
「そうとも言いますね」
 しれっと言う栞。
「でも、今まで実際には使ってみたことはなかったんですよ」
「香里に使ってみたりはしなかったのか?」
 俺が何気なしに訊ねると、栞は表情を少し曇らせた。
「……お姉ちゃんは、その頃は、私の前に来るときには、いつも身構えてたんです。ほら、そういうのって、何となく判っちゃうじゃないですか?」
「まぁ、そうだな」
「今にして思うと、お姉ちゃん、その頃から私の病気のことを知ってたからなのかな、って思うんですけど」
 そう言って微笑む栞。
「……悪い」
「いいんですよ。今は全部、丸く収まりましたから。……祐一さんのおかげです」
 そのまぶしいほどの笑顔。少しでもその手助けが出来たのなら、俺のやったこともなかなかいいんじゃないかと思えるわけで。
「ええっと、とにかくそんなわけで、今まで催眠術って使ったことがなかったんですけど、この間ふと、真琴ちゃんには結構かけやすいんじゃないかなって思って、やってみたらほんとうにかかっちゃったんですよ」
「ほう? 俺からしてみればあゆや名雪の方がよっぽどかけやすい気がするんだけどな。んで?」
「はい。私もびっくりしちゃったんですけど、とりあえず一つだけ命令してみたんです」
「どんな?」
「はい。夜中におトイレに行ったら、そのまま祐一さんのベッドに潜り込む……という命令です。ええっと、命令というよりも暗示ですね」
「……なるほど。それで朝起きたら真琴が俺のベッドの中にいた、ってわけか」
 一応白状したので、人質にしていたバニラアイスを栞に返還する。
「えぅ〜、少し溶けてます〜」
「気にするな。どうせ胃の中では溶けてるんだ」
「気にしますっ!」
 そう言って、残りが溶けないうちに、とばかりに慌ててスプーンで口に運ぶ栞。
 俺は先を促した。
「それで、どうしたんだ?」
「はい。それで、次の日の朝、私もどうなったのか気になったから、起きたらすぐに祐一さんのお部屋に行ってみたんです。そうしたら、ホントに真琴ちゃんがそこにいたんですから、びっくりしちゃいました」
「それならその時に、催眠術かけました、って言えばいいようなものを」
「はい。でも、ちょっと悪戯心が湧いてきちゃいまして。あは」
 ぺろっと舌を出す栞。
 俺は腕組みして、背もたれに背を預けた。
「読めたぞ。それで、秋子さんに怒られたわけだ」
「そのことなんですけど、秋子さんったらひどいんですよっ」
 いきなり栞は身を乗り出してきた。
「秋子さんに叱られるのは仕方ないですよ。それはいいんです。でも、やり方がひどいんですよっ!」
「どう叱ったんだ?」
「はい。秋子さん、私に催眠術をかけたんですっ」
「……は?」
 俺は記憶を呼び覚ます。
 確か、あの時は、秋子さんは栞に電話を掛けたんだよな。それで、次の日栞は学校を休んだ。で、俺達が見舞いに行ったら、なんかわけのわからんことを言ってたような憶えがある。
 それにしても……。
「なぁ、栞。催眠術っていったら、本人を前にして『ワン・ツー・ジャンゴ!』ってやつだろ? 電話でできるもんなのか?」
「私には出来ませんけど、秋子さんには出来るみたいです。現に私はかけられたんですからっ!」
 言っているうちに怒りがぶり返したらしく、栞は憤然としてきた。
「秋子さん、私に暗示をかけてたんですっ。数日中にこの街を離れないといけないって暗示ですよっ」
「そういえば、そんなこと言ってたな、お前」
「はい。私もびっくりですけど、その時は本当に、理由もなくそうしないといけないって思いこんでました。……ううっ」
 その時のことを思い出したのか、涙ぐむ栞。
「祐一さんやお姉ちゃんともお別れしないといけないって思って……。私、悲しくて一晩泣いてたんですよっ」
「ほうほう。それで、どうしてそのまま旅立ってくれなかったんだ?」
「祐一さんっ、私が旅に出てしまったほうが言いような口振りですねっ!」
「冗談だ、冗談だから……」
「そんなこと言う人嫌いですっ」

 ……結局、バニラアイスをもう一つ、追加注文する羽目になった。

 2つ目のバニラアイスを口に運びながら、栞は後日談を俺に語った。
「結局、秋子さんからは2度目の電話でその催眠術を解いてくれたんですよ」
「ああ、俺達が見舞いに行ったときだな」
「はい。それで、『催眠術って怖いでしょう? わかったら、もう使ったらだめよ』って」
「なるほど。秋子さんらしいな」
「でもっ! 同じ叱るんなら、最初から口で言ってくれてもいいと思いませんか、祐一さん?」
 む〜っと俺に視線で訴えかける栞。
 俺は肩をすくめた。
「栞には、言って聞かせるよりも、その身体に覚えさせた方がいいって秋子さんは判断したんだろ。俺は的確な判断だったと思うぞ」
「それじゃ私が言うこと聞かない子供みたいじゃないですかっ!」
「子供だろ? 特にこの辺りが……」
「……そんなこと言う祐一さん、だいっきらいですっ!!」

 俺は、さらにバニラアイスを2つ、追加注文した。

「それにしても、バニラアイスばっかりよくもまぁそんなに食えるもんだ」
「えへへっ。美味しいものは入るところが違うんですよっ」
 すっかり機嫌を直した栞は、俺の隣を歩きながら笑う。
 喫茶店で話しているうちに雨もあがり、雲の切れ間から陽がさし始めていた。
「さて、これからどうする?」
「そうですね……。公園を散歩しませんか?」
「ああ。ただし、芝生に座るのは勘弁してくれよ」
「そうですね。きっとまだ濡れてますからね」
 頷く栞。
「よし、そうと決まれば急ぐぞ」
「わ、急に走らないでくださいっ!」
 駆け出した俺を慌てて追いかけてくる栞。
 バシャッ
 踏みつけた水たまりから飛び散った雫が、陽の光にきらめいた。

「あ、やっぱりっ! ほら、祐一さんっ、アイス売ってますよっ!」
「あのな……」
「買ってきますねっ。祐一さんは何がいいですか?」
「任せる……。いや待てっ!」
 アイスクリームの屋台に向かって走って行きかけた栞を慌てて呼び止める。
「チョコミントにしてくれ」
「ええっ? バニラじゃないんですかっ?」
「やっぱりバニラにするつもりだったのか……」
「当然ですっ」
 きっぱり言い切ると、栞は笑顔で言った。
「でも、祐一さんのお願いには逆らえませんね。わかりました、祐一さんのはチョコミントで手を打ってあげます」
「それなら、栞もラズベリーあたりにしてくれ」
「そのお願いは聞けませんっ」
 笑って、栞は俺に背を向けて走っていった。
 俺は、乾いているのを確認してから、ベンチに腰を下ろし、噴水越しに屋台に走っていく栞の後ろ姿を見送った。
 しばらくして、両手にアイスクリームのコーンを持って、駆け戻ってくる栞。
「お待たせし……きゃぁっ」
 ちょうどその時、風が吹いて、栞のスカートがめくれ上がる。
 普段なら慌てて押さえるところだが、両手にアイスを持ってるために手が使えず、結果的におろおろするだけの栞。
「ゆっ、祐一さんっ、見ないでくださいっ!」
「……なるほど、白か」
「えぅ〜」
 半泣きになりながら、俺の前までとことことやって来る栞。
「祐一さん、見ましたっ!?」
「ばっちりだ」
 俺は、ぐっと親指を立てた。
「……責任」
「なんだ?」
「責任、取ってくださいっ」
 どん、と俺にチョコミントを差し出しながら言う栞。
「これを食えと?」
「違いますっ! とりあえず、持ってくださいっ」
「あ、ああ」
 頷いてアイスクリームを受け取る俺。
 栞は続いてもう片方の手も俺に差し出す。
「……?」
 意図が掴めないまま、それも俺が受け取ると、栞はそのまま俺の隣にちょこんと腰掛けた。
「栞?」
「あ〜ん」
 栞は口を開けた。
「……歯の検査か?」
「違いますっ!」
 一旦口を閉じて、栞は俺を軽く睨む。
「……食べさせてください」
「ああ、そういうこと」
 あ〜ん、と再び口を開ける栞。
 その鼻にアイスを付けてみたくなったが、これ以上怒らせるのもまずいような気がしたので、俺はおとなしく栞の口にアイスを寄せた。
「ん、美味しいですっ」
 一口食べて、にっこり笑う栞。
 しかし、名雪とでさえ、こんな恥ずかしいコト、したことないのになぁ。
 雨上がりのせいか、周囲に人がほとんどいないのが不幸中の幸いだな、と思いながら、俺は栞にアイスを食べさせてあげるのであった。

「それで?」
「それでお開きだよ。栞とはその後すぐに別れたから」
「すぐって、公園で?」
「ああ。あいつ、今日は家に帰るって言ってたぞ」
「そうなんだ……」
 水瀬家のダイニング。
 テーブルに頬杖をついて俺の話を聞いていた名雪は、一つ大きく息をついた。
「でも、良かったよ。祐一がちゃんと話してくれて」
「なんだよ、それ?」
「だって、話してくれるってことは、栞ちゃんとは結局何もなかったってことでしょ?」
 名雪は、あふ、とあくびを一つした。
「なんだよ、まだ寝たりないのか?」
「うん、ちょっと眠い……」
「もうすぐ夕御飯だから、もう少し起きてなさいね」
 キッチンから秋子さんの声。
 俺はキッチンに視線を向けた。
「そういえば、真琴は結局ずっと天野と遊んでるんですか?」
「そんなことないわようっ!」
 秋子さんだけしかいないと思っていたキッチンから、突然真琴が顔を出した。
「なんだ、そんなところにいたのか。つまみ食いはよくないぞ」
「そんなことしてないっ!」
 拳を振り上げる真琴。
 秋子さんがその後ろから俺に言った。
「真琴は私のお手伝いをしてくれてたのよ」
「そうようっ!」
 えへん、と胸を張る真琴。
「料理の練習ようっ! いつまでもあゆあゆにおっきな顔させないんだからっ!」
「なるほど。期待して待つとしよう」
 俺がそう言うと、真琴は嬉しそうに頷いて、キッチンに戻っていった。
「秋子さんっ、次はなにするのっ!?」
「それじゃね、このジャガイモを潰して欲しいんだけど。……こんな感じで。出来る?」
「任せてっ! えい、えいっ!」
 なんとものどかな親子の対話を耳にしながら名雪の方を見ると、こちらは睡魔に耐えきれなかったらしく、テーブルに突っ伏してくーっと寝息を立てていた。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 15 01/10/20 Up

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