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Kanon Short Story #16
プールに行こう6 Episode 13

 うぐうぐ言いながらも立ち上がると、あゆは制服についた土埃をぱんぱんとはたき落としてから、顔を上げて俺に尋ねた。
「祐一くん、今帰るところ?」
「いや、今から隣町の高校にみんなで殴り込みをかけに行こうとしてたところだ」
「うぐっ! さ、さよならっ!」
 そのまま走り去ろうとしたあゆの制服の首筋に指を引っかけて止める。
「冗談だ、冗談」
「ほ、ほんとに……?」
「ああ。本当は夜な夜な人の生き血を吸うという吸血鬼を退治しに行こうと……」
「うぐぅっ!!」
 今度は耳を押さえてしゃがみ込むあゆ。
「き、吸血鬼は吸血鬼の話をしたら本当に出てくるから、吸血鬼の話をしちゃいけないんだよっ!」
「思い切り連呼してるぞ」
「うぐっ!!」
「祐一〜、あゆちゃんからかったら可哀想だよ〜」
「そうですよ。それに、普通の人に吸血鬼退治は無理ですよ」
 別の声にそっちを見ると、茶道部の部長さんだった。
「あ、部長さんも今帰り?」
「はい。それでは皆さん、失礼しますね」
 にっこり笑って、部長さんはすたすたと歩いて行ってしまった。
 その背中を何となく見送ってから、俺はまだ両耳を塞いでしゃがみ込んでいるあゆの腕を掴んで引っ張り起こす。
「今から帰るところだって。で? 途中で商店街に寄ってたい焼きでも買って帰りたいのか?」
 “たい焼き”というキーワードに反応したのか、あゆは耳を塞いでいた手を離すと、首を振った。
「それもいいんだけど、違うよっ。あのね、今日栞ちゃん休んだから、帰りにお見舞いに行こうって思って」
「そうだね〜」
 うんうんと頷く名雪。
 俺は真琴に視線を向けた。
「真琴はどうする? 真っ直ぐ帰ってもいいんだぞ」
「い、行くわようっ! しおしおなんて怖くないんだからっ!」
 なんか勘違いして拳を振り上げる真琴。俺は肩をすくめた。
「ま、いいけどな。天野は?」
「そうですね……。私だけ先に水瀬さんのお宅にお邪魔しに行くというのも変ですから、美坂さんのお宅にもご一緒します」
 彼女らしい言い回しで、承認する天野。
 こうして、俺達は美坂家に向かうことになった。

 ピンポーン
「すみませ〜ん、水瀬です〜〜」
 名雪がチャイムを押して、のんびりと声を掛ける。数秒おいて、ドアが開いた。
「あら、みんなで来たの?」
「あ、香里〜。もう帰ってたの?」
 ドアを開けたのは香里だった。
「ええ。栞の見舞い?」
「そうだけど……、栞ちゃん大丈夫?」
「……まぁ、上がって」
「いいのか?」
 聞き返す俺に、香里は肩をすくめた。
「玄関先で追い返す程、あたしも酷じゃないわよ」

 美坂家には、俺も前に一度来た事がある。名雪やあゆは当然ながらもっとたびたび来ており、既に勝手知ったるなんとかという状態である。
 そんなわけで、案内されるまでもなく俺達はリビングに入って、勝手にソファに腰を下ろしていた。
「あら、皆さん来てくださったの?」
 そこに顔を出したのは美坂ママ……要するに香里と栞の母親である。確か名前は、由里……だったっけ?
「お邪魔してます、おばさま」
 名雪が代表で挨拶して、俺達もてんでに頭を下げた。
「あらあら、それじゃジュースでも用意しますね」
 そう言ってキッチンに引っ込むおばさんと入れ替わるように、香里がリビングに戻ってきた。そして俺に声をかける。
「相沢くん、栞が逢いたいって」
「俺にか?」
「ええ。他の人のいないところで話がしたいって言ってるわ」
「……名雪、いいか?」
 俺は名雪に尋ねた。
「うん。栞ちゃんがそうしたいって言うんだから」
 名雪は間髪入れずに笑顔で頷いたので、ソファから腰を上げる。
「なんで祐一だけなのようっ!」
「真琴。栞さんは病気なんですよ」
「あう〜〜っ、で、でもでもぉ〜」
「……真琴」
「……わ、わかったわよう……」
 天野にじっと見つめられて、立ち上がりかけた真琴もしぶしぶ腰を下ろした。
 あゆが俺に声をかける。
「祐一くん……」
「心配するなって」
「うん、そうだね」
 頷いて笑顔になるあゆ。
 そのまま、ドアの脇の壁にもたれている香里の横を通り抜けようとしたところで、声を掛けられた。
「相沢くん」
「なんだ?」
 ドアノブに手を掛けた状態で、香里の方に顔を向ける。
 香里は腕組みしたまま、俺に視線を向けて言った。
「栞に手を出したら、殺すわよ」
「あのな……」
「冗談よ」
 肩をすくめてから、香里は真摯な表情に戻った。
「栞のこと、お願いね」
「……ああ」
 頷いて、俺はリビングを出た。

 2階に上がって、正面のドア。“しおりのへや”と書かれた木製のプレートが下がっている。
 なにげに隣を見ると、“Kaori's Room”と打たれた金属製のプレートがかかっていた。
 こんなところにも、姉妹の違いが出てるのになにか可笑しさを感じながら、ドアをノックする。
 トントン
「俺だ、祐一だ」
「……はい、どうぞ」
 か細い声が聞こえた。俺はドアノブを回して、部屋に入った。
 カーテンが閉ざされた部屋は、灯りもついていないのでかなり暗い。
「……祐一さん」
 声が聞こえた。
「どうした、栞? 電気付けるぞ」
「待ってください。その前に、一つだけ約束してください……」
「何をだ?」
「何があっても、私を守ってくれるって……。それだけで、いいですから……」
 俺は、少し沈黙した。それから、答える。
「……悪いな。あまり軽々しく約束はしないことにしたんだ」
「え……?」
 聞き返す声。
 俺はドアを閉める。部屋の中は、暗がりに包まれた。
「舞も、あゆも、真琴も……、俺の約束のせいでずっと縛られる羽目になったんだ。だから……」
「……祐一さんは真面目過ぎますよ。でも……」
 栞は静かに言った。
「そんなところも魅力なんですけどね」
「……電気、付けてもいいか?」
「はい」
 返事を確認してから、蛍光灯に付いている紐を引く。
 ジジーッ
 微かな音がして、部屋が明るくなった。
 栞は毛布にくるまって、ベッドの上に座っていた。
「栞……」
 俺の声に顔を上げて、微笑む。
「祐一さん、ありがとうございます」
「とにかく、起きてこいよ。みんなも心配してるんだぞ」
「……そうですね。お別れも言わないといけませんし……」
「お別れって、そんな縁起でもない……」
 俺が肩をすくめると、栞は真面目な顔で俺に向かって言う。
「祐一さんとも、これでお別れです……」
「だから、なんでなんだよ?」
 静かに首を振る栞。
「ごめんなさい。訳は話せないんです……」
「それじゃ、こっちも何も出来ないだろっ! 誰かにいじめられたのか? だったらそいつを俺がぶん殴ってやる。だから……」
 俺の言葉が止まったのは、栞が俺の腕を掴んだからだった。
「ありがとうございます。それだけで、十分ですよ……」
 と、ノックの音がした。
 トントン
「栞、いいかしら?」
 香里の声が聞こえた。
「お姉ちゃん?」
「大丈夫? 相沢くんにへんなことされてない?」
「……あのなっ!」
 思わず声を上げる俺。栞はというと、ぽっと赤くなった。
「やだ、お姉ちゃんったら……」
「冗談よ。秋子さんから栞に電話なんだけど……」
「秋子さんから?」
 聞き返す俺に、香里は答えた。
「ええ。どうする? 気分が悪いなら……」
「いえ、出ますから」
 そう言って、毛布の中から立ち上がる栞。どうやら夕べから着替えていないらしく、パジャマのままだった。
「お、ノーブラか」
「そっ、そんな事言う人、嫌いですっ!」
 慌てて毛布を胸元にたぐり寄せながら声を上げる栞。
「栞、大丈夫よ。相沢くんはあたしがいじめてあげるから」
 ドア越しに様子を窺っていたらしい香里の声に、ぱっと表情をほころばせる栞。
「お願いしますねっ、お姉ちゃんっ!」
「ええ、任せて」
 その言葉を入室許可とみたらしく、ドアを開いて、香里が入ってきた。笑顔な辺りが余計に怖い。
「ま、待て香里っ、話し合おうっ!」
「さ、栞。秋子さんをあまり待たせても悪いわよ」
「は、はい」
 頷いて、栞は毛布を引きずりながら部屋を出ていった。
 香里は後ろ手にドアを閉めてから、俺に向き直った。
「わぁっ、待て待てっ!」
「……ありがとう」
「ごめんなさいっ、悪気はなかったんで……。え?」
 反射的に手で防御態勢に入りながら謝りかけていた俺は、意外な言葉に目を丸くした。
「それにしてもさすがね。あなたと話をしただけであんなに落ち着くなんて。あたしじゃ全然ダメだったのに……」
 香里は、壁にもたれながら、はぁとため息を付いた。
「あんなにもなにも、最初っから落ち着いてたぞ、栞のやつは」
「ううん、違うわよ」
 俺の言葉に、首を振る香里。
「あたしや母さんが何を話しかけても、何も返事もしないで部屋から出ようともしなかったのに。少し相沢くんと話をしただけで、もういつもの栞に戻ってるんですもの。……正直、姉として情けないわ」
「まぁ、俺の魅力ってやつだな」
「……さて、下に行きましょうか」
「おい、何故そこで話を逸らす?」
「いいから、ほら行くわよ」
 そう言いながら、香里は一旦閉めたドアを開けると、電気を消した。

 俺と香里が1階に降りると、ちょうど栞が受話器を置いたところだった。
「お、秋子さんとの話は終わったのか?」
「……」
 俺の声に栞は顔を上げた。……あれ? 何故膨れてる?
「聞いてくださいっ祐一さんっ! 秋子さんったらひどいんですよっ!!」
 そのまま俺に駆け寄ってくると、栞は膨れたまま俺に向かって訴えかけてきた。
「な、なにがどうしたんだ?」
「ええと……」
 何故かそこで言いよどむ栞。
「とっ、とにかくひどいんですっ!」
「それじゃわからんわっ!!」
 俺が言い返すと、栞は「それもそうですね」とあっさり頷いた。それから、俺達をじーっと見ていたみんなの方に向き直り、頭をぺこりと下げた。
「ええっと、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですから」
「大丈夫って?」
「はい。もう元気一杯です」
 と言って、ガッツポーズまで取ってみせる栞。それから、俺を手招きして囁いた。
「あの、さっき言ってたことは、無かったことにしてくださいねっ」
「さっきのって、お別れとか旅に出るとか?」
「わーーっ、だからそれは無かったんですっ!」
「……なんかよくわからんが、とりあえず了解」
 俺が頷くと、栞はほっとない胸をなで下ろしたのだった。

 結局、何がどうなったのか、後で秋子さんに聞いてみた。
「企業秘密ですよ。それより祐一さん、甘くないジャムがあるんですけど……」
 真相は、闇の中であった。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう6 Episode 13 01/10/17 Up

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採点(10段階評価で、10が最高です) 1 10
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