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そろそろ薄暗くなり始める頃合いに、水瀬家にやってきた天野は、俺を呼びだして、開口一番真琴がいなくなったと告げたのだった。
Fortsetzung folgt
「いなくなったって、どういうことなんだ?」
「はい、昨日の今日で、早速、陸上部に連れて行ったのですが……」
天野はもう一度ため息をついた。
「練習が始まったところで、天沢先輩に1500メートルのランニングを命令された途端、そのまま逃げてしまいました」
「……ちょっと待ってくれ。練習が始まったところってことは、一応あいつ、体操服に着替えてたのか?」
「はい。それで、その格好のまま……」
「……そりゃ、悪いコトしたな、天野」
いろんな意味でな……。
「いえ、私の不徳の致すところですから」
おばさんくさい言い回しをしてから、天野は俺に視線を向けた。
「それで、一応、商店街辺りは捜してみたのですが、真琴の姿は見当たらなくて、それでもしや家に帰ったのではないかと思いまして」
「ここに来た、と」
「……はい」
俺は真琴の立ち回り先を想像してみた。
あいつが俺の前に人間の姿となって現れて、もう4ヶ月近くなる。それなりに人間の世界にも慣れて、行動範囲も広がってきてはいるが、それでもその行動範囲は天野も把握してるはずだ。それが見つからないということは、何かトラブルにでも巻き込まれたか……。
……まさかな。
嫌な予感を首を振って飛ばすと、俺はふと思い付いて天野に尋ねた。
「ものみの丘には行ってみたのか?」
「そちらはまだです。方向が逆ですし、まずこちらに戻ってるかどうか確認したいと思いまして」
「それなら、うちに電話でもしてくれば良かったのに」
「……あ」
珍しく、天野はぽかんとした顔をした。
「……そう言われてみれば、そうでした」
そんなことも思いつかなかったくらい慌てていたってことか。
そう思うと、妙に天野が可愛く思えるから不思議だ。
「……相沢さん?」
「あ、いや。そっか、ものみの丘はまだか。それじゃそっちを捜してみるか」
「はい」
頷く天野。
俺は「上着を取ってくるから」と言って、リビングにとって返した。
「……というわけだから、ちょっと天野と丘まで行って来る」
「うん、気を付けてね、祐一」
いつもなら「一緒に行くよ」と言うだろう名雪だが、足を捻挫している今はそういうわけにもいかないわけである。
「あ、ボクも一緒に……」
「あゆはいい。二重遭難するのがオチだ」
「うぐぅ……」
不満ありげながらもそのまま黙ってしまうところを見ると、一応自覚はあるらしい。
舞がいてくれたら一緒に来てもらうところなのだが、今日は来てないし。
「それじゃ私が……」
「いらん」
「わ、ひどいですっ!」
ぷっと膨れて拗ねる栞だが、構ってる暇も惜しいので、俺はソファの背に引っかけておいたブルゾンを羽織ると、リビングを出た。
「祐一さん」
背後から、秋子さんの声。
「はい?」
「真琴を、お願いね」
秋子さんは、微笑んでそう言った。俺は頷いた。
「はい。夕御飯の用意、お願いします」
森を抜けると、ぱっと目の前が開ける。
眼前には、広大な星空。
目線を下げると、なだらかに続く斜面の向こうに、隣町の灯りが見下ろせる。
ものみの丘、と呼ばれる場所。
真琴が生まれたところ。そして、もう帰れないふるさと。
そして、そのど真ん中に、身体を丸めるようにして、体操服姿の真琴が座り込んでいた。
ちょうど、俺達には背を向けている格好だった。
「……よかった」
隣で、天野が安堵のため息をつく。
そして、俺達は足を進めた。
「……」
俺達の足音には気付いているはずだ。その証拠に、真琴は身体を硬くして、顔を膝に埋めて見えないようにしている。
「……真琴」
天野が、声を掛けた。だが、反応はない。
まったく。
俺は、なおも声を掛けようとする天野を制した。そして、真琴の肩に手を掛けた。
ビクッと真琴の身体が震える。が、顔は上げようとしない。
その背中に手を回して、俺は真琴を抱き上げた。
「わわっ、なっ、なにようっ!!」
「天野、真琴の荷物はまだ学校か?」
じたばたともがく真琴を無視して、天野に尋ねる。
「えっ? あ、はい、そうです」
きょとんと、と言うよりはむしろ唖然と俺達を見ていた天野が、こくこくと頷く。
「オッケイ」
俺は頷いて、歩き出した。
昼間に名雪を同じようにして運んだものだが、名雪には悪いが、真琴の方がずっと軽く感じるので、別に苦にはならなかった。
「ゆ、祐一っ?」
「なんだ?」
「……怒らないの?」
おそるおそる俺の顔を覗き込むようにして訊ねる真琴に、俺は答えた。
「怒るのは、他の人がたっぷりしてくれるだろうな」
「あ、あう……」
「だから、俺は怒らない」
「……えっ?」
目を丸くする真琴に、俺は言葉を継いだ。
「真琴がどうして逃げ出したのか、なんてことも、別にどうだっていいんだ。ただな、真琴が逃げ込む場所はもうここじゃない」
俺はもう一度、ものみの丘を見回して、それから腕の中で小さくなっている真琴に、言った。
「真琴の家族のいる場所は、水瀬の家なんだから」
「……祐一っ、うくっ……」
真琴は、ぎゅっと俺の首筋にしがみついて、泣き出した。
「うわぁぁぁん、ゆういち〜〜っ」
「……ったく」
苦笑して、俺は真琴を抱いたまま、泣きやむまでゆらゆらと揺らしてやった。
「それにしても、相沢さんも随分丸くなりましたね」
学校で真琴の荷物を回収してから、水瀬家に向かう道の途中で、不意に天野が言った。
「……そうか?」
「はい」
こくりと頷く天野。
「前だったら、真琴がこんなことしたら、一方的に怒鳴りつけてたはずです」
「う〜ん。俺もだんだん水瀬家気質に染まってきてるのかもなぁ」
俺は苦笑して頭を掻いた。
秋子さんも名雪も滅多なことでは怒らないからなぁ。真琴がうちに来たばかりのころ、イタズラばかりしていたこいつを叱るのはいつも俺の役で、秋子さんも名雪も、いつもこいつをかばってたからなぁ。
それでも、ぴしりと叱るべきところは叱ってたな、秋子さん。まだまだ俺にはそこのところの見極めっていうのは難しいのだが。
「きっと、相沢さんっていいお父さんになると思います」
「……あのなぁ」
「それじゃ真琴がお母さんっ」
しゅたっと、学校で制服に着替えた真琴が手を挙げる。俺は無言でその後頭部をどついた。
「あいたぁっ! なにすんのようっ!」
「やかましい。優しくしてやったからって調子に乗るなっ」
「あう〜っ、美汐〜〜〜」
そのまま天野のところに逃げ込む真琴。
と、不意にその耳がぴんっと立つ。って、おい。
「真琴っ、耳と尻尾っ!」
「あ、あうっ」
慌てて真琴が耳と尻尾を仕舞い込んでいるところに、後ろから声が掛けられる。
「……こんこんまこさん、こんばんわ」
真琴を“まこさん”なんて呼び方するのは一人しかいない。
「あ、あう、……こんばんわ……」
一応最近は仲良くしているものの、やはり苦手なものは苦手らしく、声が小さくなってしまう真琴であった。
「よう。舞は学校帰りか?」
「……」
ちらっと俺を見てから、舞は真琴の頭を撫でた。それからおもむろに答える。
「……そう」
「遅いっ!」
思わずツッコミを入れてから、俺は辺りを見回した。
「あれ? 佐祐理さんは?」
「……今日は、いないから」
「実家に行ってるのか?」
「……うん」
こくりと頷く舞。
「それじゃ、うちに来るか?」
「……いいの?」
「いつだって大歓迎だ。なぁ、真琴?」
「えっ? あ、あう……、うん」
俺に話を振られて、真琴はためらいながらも頷いた。
「ま、真琴は、いいけど……」
「よし、決まりだ」
「……まこさん、ありがと……」
舞は嬉しそうに(と言っても、慣れてないと、舞の感情表現はなかなか見分けられないのだが)、真琴の頭をもう一度撫でた。身を小さくして撫でられている真琴。
「あ、あう、あう……」
「さて、それじゃ帰るか!」
俺は声を上げて、歩き出した。
数歩歩きかけたところで、ふと思い出して振り返る。
「……相沢さん、私のこと、途中から忘れてましたね?」
「……すまん」
家に帰って夕食を済ませてから、秋子さんと名雪が真琴を連れて真琴の部屋に入っていった。
残るメンバーは、何となくリビングに集まっていた。
あゆが心配そうに、真琴の部屋の方を見上げる。
「……真琴ちゃん、大丈夫かな?」
「なに心配してるんだよ、あゆは。別に名雪だって秋子さんだって、真琴を取って食おうってわけじゃないんだぞ」
「それはそうだけど……。うぐぅ……」
「やっぱり、真琴さんには部活みたいな団体行動は無理なんじゃないですか?」
栞がお茶を飲みながら言った。
俺は天野に視線を向けた。
「そこんとこ、天野はどう思う?」
「……確かに、そうかも知れません。でも、真琴はこういう生き方を選んだのですから……」
天野は、手にした湯飲みの中をじっと見つめるようにしながら、呟いた。
「真琴がそれを望むのなら……、それを手助けしてあげることしか、私には出来ませんから……」
「そうだな」
「……まこさん、どうしていいのかよくわかってない」
不意に舞が呟いた。
「舞?」
「……なんとなく、そう思う」
そう言うと、舞は俺達から視線を逸らし、窓の方を見つめた。そして、ぼそっと付け加える。
「まこさんは……、まっすぐだから……」
「あ、なんとなくわかります」
栞が頷く。
「真琴さん、ほんとに真っ直ぐですものね」
「栞と違ってな」
「……そんなこと言う人嫌いです」
ぷぅっと膨れる栞。
「それじゃ、まるで私がねじ曲がっちゃってるみたいじゃないですかっ」
「ほう。では聖人君子のごとく清らかな心だと?」
「ええっと……」
明後日の方に視線を向ける栞。と、不意に視線を俺に戻した。
「ところで祐一さん、誰に投票したんですかっ?」
「ぶはっ」
危うく飲みかけのお茶を噴き出すところだった。なんとかリバースはしなかったものの、気管にお茶が入ってしまったらしく、激しくむせる俺。
「げほげほっ」
「……祐一、汚い」
「あ、あのなぁ……」
「投票?」
小首を傾げるあゆに、栞はあっさりと答えた。
「はい。文化祭のクラス対抗美少女コンテストの予選投票ですよ」
「ええっ? そ、そんなのいつやってたのっ!?」
慌てて立ち上がるあゆ。
栞は頬に指を当てて考える。
「ええっと、確か今日から3日間、でしたっけ」
さすが栞の情報は確かである。
「ど、どうしようっ、祐一くんっ! ど、どうなるんだろっ?」
「どうにもならないから落ち着け」
今度は部屋の真ん中でくるくる回りだしたあゆを、肩を掴んで強引に座らせる、
「うぐぅ……」
「予選はクラス単位ですから、私に投票したくても出来ないのが残念だっていうのは判るんですけど……」
「安心しろ、そんなことこれっぽっちも思ってないから」
俺がきっぱりと言うと、栞は情けない顔をした。
「えぅ〜、こんなときくらい、ホントのことを言ってください〜」
「ええっ? 祐一くんっ、栞ちゃんに投票したのっ!?」
「だからしてないって。ちなみに誰に投票したかはノーコメントだ」
「うぐぅ……、気になるよぉ……」
うるうる目になっているあゆをよそに、栞はため息をついた。
「ま、仕方ないです。それじゃ、本選のときは、ちゃんと私に投票してくださいね」
「……あのな。まだ予選の結果も出てないだろっ?」
「うふふっ」
それには答えずに、にっこりと笑う栞。
どうやら、胸は無くても自信はあるようだった。
「うぐぅ……、祐一くん、それは酷いよ……」
「だから読むなって……」
と、リビングのドアが開いて、真琴が入ってきた。
「お待たせ〜っ、祐一っ!」
そのままぴょんと跳んで、俺に飛びつく真琴。
「ああ〜っ、何してるんですか、このアーパー妖狐っ!」
そう言いながら、俺から真琴を引き離しにかかる栞。
「ふ〜んだっ。祐一はねぇっ、真琴にとっっっても優しくしてくれたんだからっ。もうしおしおなんて目じゃないのようっ!」
俺に抱きついたまま、あっかんべーをしてみせる真琴。
栞がじろっと俺の方を見る。
「祐一さんっ、私の見てないところでそんなことしてたんですかっ?」
「えーっと……」
まぁ、心当たりがないわけでもないわけだし……。
と、口ごもっていると、栞は口を手で押さえてよろよろと後ずさる。
「ひ、ひどいですっ、祐一さんっ。純真な乙女の心を玩ぶなんてっ」
「し、栞ちゃん?」
驚いて駆け寄ろうとするあゆを、腕を掴んで止めて、俺はため息をついた。
「……栞、ドラマの見すぎだぞ、ぜったい」
「……いいとこなんだから、邪魔しないでくださいっ」
「あら、楽しそうね」
そう言いながら、秋子さんが入ってくる。
「あ、秋子さん。名雪は?」
「眠いから寝るって、もう部屋に戻ったわよ。……真琴」
「あ、あう」
秋子さんに声を掛けられて、真琴は俺から離れた。そして、俺達にぺこんと頭を下げる。
「心配かけてごめんなさい」
「……あ、おう」
「はい、良くできました」
秋子さんはにっこりと微笑んだ。それから、俺達に視線を向ける。
「真琴も悪かったって反省してますから、許してあげてくださいね」
「そりゃいいんですけど。で、やっぱり真琴、陸上部は辞めるんですか?」
俺が訊ねると、秋子さんは首を振った。
「そんなことないわよ。ね、真琴?」
真琴は、こくんと頷いた。
「うん。真琴、まだ頑張ってみるからっ」
「そっか」
真琴はどうやら、真琴なりに、この人間世界でやっていこうとしてるんだな。
それが判って、俺はなんだか嬉しくなった。
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あとがき
にふ支店に移転して、心機一転ってところです。はい。
まぁ、Muteはコンテンツの一部があるだけなので簡単に移転できましたけど、全部和塩(と言うらしいですね(笑))に置いてた人は大変みたいです。
ええっと、表示形式ですが。
にふ支店に移転したときに、プール6については全部、新方式に変更しました。
前形式と比べたときの変更点としては、1.行間が空いた 2.左右が空いた の2点となるはずです。
また、前にも述べましたが、ネスケ4.xはスタイルシートにバグがあって、line-height指定を無視してくださるそうなので、見たときにぐしゃぐしゃになるんだそうです。そこで、それに対する回避策は取ったのですが、おかげでネスケ4.xシリーズは以前と同じ表示形式になっていると思われます。
(すみません、今手元にネスケが無くなってるので確認出来ないんです(泣))
そんなわけで、特に4.x以外のネスケ使ってる方は、ちゃんと新表示で表示されているのかどうか教えてくだされば幸いです。
プールに行こう6 Episode 7 01/10/7 Up