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Kanon Short Story #14
プールに行こう4 Episode 41

 一方その頃……。
「あららっ? あゆさん、どうしたんですか〜?」
「……うぐぅ。ボク、忘れられてる?」
「はちみつくまさん」
 あゆは、屋上に続く踊り場に取り残されていた。
「うぐぅ……。降りるタイミングがなかったんだよぉ……」

 俺と名雪は、当然それどころではなかった。
 何しろ、舞の事がある上に、眼下の中庭では香里と北川がただならぬ状況なのだから。
「……香里と北川くん、何かあったのかな?」
「さ、さぁ……」
 聞こえるはずもないのだが、つい小声になってしまう俺と名雪だった。
 既に香里の姿は中庭にはなく、北川だけが佇んでいる。
 と。
 キーンコーンカーンコーン
 予鈴を告げるチャイムの音が、唐突に廊下に鳴り響いた。
「わわっ、もう寝なくちゃっ!」
「なんでやねん!」
 思わずツッコミを入れる俺に、名雪はあわあわと手を振った。
「あっ、違うよ。とにかく教室に戻らなくちゃっ」
「それはそうだな」
 俺は頷いて賭けだした。
「祐一っ、廊下は走っちゃ駄目だよっ」
「非常事態だ!」
「そっか。それなら仕方ないね。それじゃわたしも走るよ〜」
 宣言してから、だっと駆け出す名雪。さすがは陸上部部長だけあって、あっという間に俺と並ぶ。
「お先に〜」
 そのまま俺を一気にオーバーテイクしてそのまま廊下を曲がって行く。
 ……名雪、早すぎ。

 俺と名雪が教室に駆け込むと、あゆあゆが駆け寄ってきた。
「二人とも、どこに行ってたの?」
「おや、途中から存在感が消えていたあゆじゃないか」
「うぐぅ……。ボクだってがんばってるのに……」
 それなりに気にはしているらしかった。
「そうじゃなくって! ボクより早く降りていったのに……。あ、そっか。ごめんなさい……」
 ぽっと赤くなってもじもじするあゆ。
「ボク、気がきかないから……」
 俺は無言であゆの頭をぽかっと叩いた。
「よけいな気を回さなくてよろしい」
「うぐぅ……」
「でも、嬉しいよ……」
 ……名雪、なんでお前まで赤くなってる?
 と、そのとき不意に、俺を呼ぶ声がした。
「……相沢」
「え?」
 振り返った俺の目に映ったのは、教室の入り口から俺を睨んでいる北川だった。
「北川?」
「相沢、話がある」
 それだけ言うと、北川は身を翻した。
「……今から授業なんだがな……」
「……」
 一瞬、ちらっと俺を振り返り、そのまま歩いていく北川。
 俺は肩をすくめると、名雪達に言った。
「悪い、俺と北川の分の代返頼む」
「そんなの無理だよ〜」
 のんびりと答える名雪とは対照的に、あゆは表情を強ばらせていた。
「祐一くん……。北川くん、なんだか、怖かったよ……。大丈夫かな……?」
「すぐに戻るって」
 あゆの頭にぽんと手を置くと、名雪に視線を向けた。
「……うん」
 名雪はこくりと頷くと、あゆに話しかけた。
「あゆちゃん、もう授業が始まっちゃうよ」
「そ、そうだけど……」
「じゃな」
 俺は軽く手を挙げてから、北川の後を追った。

 俺達は、さっきまで北川達がいた中庭に出た。
 ちょうどそのとき、5時間目を告げるチャイムが鳴り響く。
 ……学校には来てるんだが、授業に出てないぞ俺。
 と、北川が振り返った。
「……相沢」
「何だよ、いったい?」
「……お前、美坂のことをどう思ってるんだ?」
 ……唐突すぎて、俺は思わず口をぽかんと開けた。
 北川が美坂って呼ぶのは香里のことだよな? 栞のことは栞ちゃんって呼ぶし。でも、どうして俺が美坂をどう思ってるか聞かれないといかんのだ? 栞ならまだしも……。
 俺がとまどっていると、北川はつかつかっと俺に近づいてきて、いきなり胸ぐらを掴みあげた。
「てめぇには、水瀬さんっていうもったいない人がいるじゃねぇかっ! それをなんで美坂にまであんなことをっ!!」
「……は?」
 何で北川が激昂してるのか訳が分からなかった。というか、それ以前に北川がここまで激昂してるのを初めて見た。
「てめぇっ!」
 そのままぐいっと押され、校舎の壁にドンッと押しつけられた。
 訳が分からないままだったが、それでも背中に痛みが走り、それが怒りに変換される。
 俺は、自分の胸ぐらを掴んでいる北川の手首を掴んだ。
「何すんだよ!」
「うるせぇっ! てめぇ、ぶっ殺してやるっ!」
「なんで殺され……っ」
 ガッ
 俺の手を振り解いた北川が、そのまま俺の顔を殴っていた。
 ただでさえ、舞のことでイライラが募っていた俺にとっては、それは導火線に火を付けるに等しかった。
 俺は、続くフックを右にかわした。
 こっちは舞と一緒に魔物と戦った、言ってみれば実戦経験者だ。……まぁ、役には立ってなかったけど。でも、あれに比べれば、人間相手にするほうがよほど楽だった。なにしろ見えるからな。
 さらに大振りの一撃をかわし、俺はがら空きになった北川のボディを、遠慮なく殴った。
「ぐっ」
 鈍い感触が手に伝わる。それに一瞬戸惑った俺の右肩に、衝撃と痛みが走る。北川が姿勢を崩しながらも肘打ちを右肩に落としたのだ。
 戸惑いは一瞬に怒りに変わり、俺は意味のない叫びをあげながら、右足を振り上げて、北川を蹴り飛ばした。
 少し間合いを開けて、俺達はにらみ合い、同時に叫びながら突進した。
 既に、俺達には理性の欠片もなかった。ただ、相手をねじ伏せてやるという原始的な欲求だけに従い、手足を動かしていた。

 どれくらい、殴り合い、蹴り合っていたのだろうか?
 既に、俺達には時間の感覚もなかった。
 だが、確実に体力は消耗していた。
 最初は俺にあった余裕も、いつの間にか消し飛んでいた。それほど、北川は打たれても打たれても立ち上がってきたのだ。
 そして……。
「……はぁ、はぁ、どうした、もう終わりかよ」
 口の端から血を流しながら、北川が言う。
「けっ、てめえこそ、足もがくがくのくせに……」
 ぺっと吐き捨てた俺の唾も、雪の上に赤い色を残していた。
「うるせぇ。お前に、お前なんかに、美坂は渡さねぇからなっ!」
 そう叫ぶと、北川はだらんと下げていた拳を固めた。
「てめぇに汚されてても、俺は美坂が好きなんだっ!」
「このやろぉっ!!」
 俺は吠えた。そして、拳を突き出す。
 がすっ
 俺と北川の拳が交錯し、そして衝撃が走った。
 一瞬で視界が白く霞む。

「……祐一、大丈夫?」
 青空をバックにして、名雪が俺を覗き込んでいた。
「わ、顔、腫れてるよ」
「……殴り合いしたからな」
「うん」
 そう言うと、名雪は濡らしたハンカチを、俺の頬に当てた。
「……つつっ、しみるな」
「あたりまえだよ」
「……北川は?」
 俺は、そう尋ねてから、初めて地面に倒れていることに気付いた。
「……俺なら、ここだぞ」
 北川の声がした。そして。
「本当に、あなた達って、馬鹿ね……」
「……香里、か?」
 体を起こすと、あちこちから痛みが走り、思わず喉の奥から悲鳴が上がりかける。
「くくっ」
「わ、祐一、大丈夫?」
 のんびりとした口調と裏腹に、素早く名雪が体を支えてくれた。
「ああ、なんとかな……」
 俺はそう言ってから、瞼が腫れているせいかちょっと狭い視界の中で香里に膝枕されている北川を見つけた。
「ナイスガッツ、とほめてやろう」
「……うるせぇ。ててっ……」
 毒づきかけて、北川は顔をしかめた。香里が無言で北川の頬をつねったのだ。
「北川くん、まずは相沢くんに謝りなさい」
「でも、それはだな……」
「あなたが勝手に誤解したんでしょ? あたしが、その、……相沢くんに変なことされたって」
「でも、ちゃんと言わなかった香里も悪いと思うよ」
 名雪がのんびりと言った。香里はかぁっと顔を赤らめた。
「それはそうだけど……。でも、そんなこと、普通、言えるわけないでしょ?」
「……話が見えないぞ」
 俺が言うと、香里は恨めしそうに俺を睨んだ。
「そもそも、相沢くんが悪いんだからね」
「……俺? なんでだ?」
 聞き返す俺を、今度は名雪がつねった。
 ぎゅ
「いたたたたっ、何だ名雪っ!?」
「香里に聞いたんだからねっ。もう、祐一のえっち」
「……もしかして、俺が偶然にも香里のセミヌードを見てしまった例の一件のことぬだがっ」
 ごくっ
「わぁっ、祐一の首が変な方に曲がってるよっ!」
「……まったく。もう忘れなさい! あたしも忘れるからっ」
 ため息混じりの香里の声。しかし、香里とは直線距離で3メートルは離れていたはずなのだが、何があったというんだ?
 ともあれ、ようやく話が見えてきた。
「なるほど。それで香里の様子がおかしいんで、北川が不審に思って問いつめたと」
「ああ。だけど、美坂は話してくれないし、挙げ句の果てには平手打ちだからな」
「あなたがしつこいからよ」
「いててて、悪かったっ」
 どうやら北川がまたつねられたらしい。……俺の視界が傾いたままなのでよく見えないのだが。
「で、どうして俺が北川に呼び出される羽目になったんだ?」
「それは、その……。美坂の様子がおかしくなったのはお前の家に泊まりに行ってからだったし、それでつい、美坂とお前の間に何かあったのかと思って……」
「何かって?」
「そりゃもう、ええっと……」
「……するってぇと、俺が香里を強姦したりするとお前は思ってたわけか?」
「すまん。俺もすっかり頭に血が上ってた。でも、実際のところ水瀬とは、その、してたりするんだろ?」
「そりゃまぁな。へへっ……」
 ごかっ、ばきっ
「……馬鹿」
「祐一、変なこと言わないでようっ」
 俺と北川は、同時に名雪と香里に殴られた。
 と。
「そろそろ、結界を解いてもよろしいですか?」
 不意に声が聞こえて、俺はそっちを見た。
 そこには天野が立っていた。その脇に、矢が一本地面に刺さっているのが、奇妙と言えば奇妙だった。
「あれ? なんで天野が?」
「天野さんにお願いして、みんなには見えないようにしてもらってたんだよ」
 名雪が言った。香里がため息混じりに補足する。
「こんな時に裏庭で大喧嘩なんて、生徒会に俺達も退学にしてくれ、って叫んでるようなもんでしょ? まったく、二人とも馬鹿なんだから」
「水瀬先輩と美坂先輩にお願いされたので、この周辺に結界を張っていたんです。今、この辺りだけは、他の生徒には普通の中庭にしか見えていません」
「……悪いな、天野」
「いえ、いつものことですから」
 そう言うと、天野は矢を抜いた。そして一礼する。
「ちなみに、今はもう、6時間目もとっくに終わって放課後になっていますから。それでは失礼します」
 そのまま立ち去る天野。
 俺は名雪に視線を向けた。
「で、名雪達はいつから俺達が殴り合ってるのを見てたんだ?」
「ずっと見てたよ。わたしは止めようとしたんだけど、香里が本人達がやりたいだけやらせた方がいいって言うから……」
「でも、2時間も殴り合うとは思わなかったわよ」
 肩をすくめると、香里は北川の顔を覗き込んだ。
「だから、最後のもちゃんと聞いてたわよ」
「えっ? あ……」
 慌てて体を起こそうとする北川。だが、香里はその肩を押さえて強引に寝かせる。
「北川くんって、いつもふざけてばっかりだから、どれが本音なのか、あたしには全然判らなかったのよ。でも、今日やっと判った……」
「美坂……、俺は……」
 北川は手を伸ばして、香里の頬に当てた。
「俺は美坂のことが好きだ。だけど、その資格がないって思ってた」
「……え?」
「俺、美坂が栞ちゃんのことで苦しんでる時に、何も力になってやれなかったから……」
「……北川くん。そんなことない」
 香里は首を振った。
「北川くんがいつもふざけて明るくしててくれたから、あたしも栞への想いに潰されないで済んだのよ……」
「美坂……」
 不意に、俺の肩を名雪がぽんと叩いた。そして振り返った俺の耳にささやく。
「祐一、行こうよ。これ以上はお邪魔だよ、わたしたち」
「……ああ、そうだな」
 俺は頷くと、名雪の肩を借りて立ち上がった。
 俺達が校舎に入る前に最後に振り返ったときも、美坂と北川は、俺達には気付かない様子で、なにやらラブラブな空間を形成していた。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 そんなわけで、長々とぐずぐずしていた香里と北川もようやく……ってところですね。
 ちなみに、この2人のカップルは59%の賛同を得ております(笑)<プール3最終回アンケート最新結果より
 もうちょっと引っ張ってもいいかな、とも思ったんですが、あんまり引っ張るのもあれかな、と。ただでさえ引っ張ってる佐祐理さんの話もありますしね(笑)

 それにしても、Choirが入手できなかったのは痛いなぁ……(今更爆)
 帝都周辺じゃどこにも売ってないし。

 プールに行こう4 Episode 41 01/2/16 Up

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