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Kanon Short Story #14
プールに行こう4 Episode 35

「……久瀬、あんたに聞きたいことがあるんだ。ちょっと顔貸してくれないか?」
「祐一、それじゃ不良が校舎裏に呼び出し掛けてるみたいだよ」
 名雪は苦笑混じりに言うと、久瀬に向き直った。
「でも、話を聞きたいのは本当だよ」
 久瀬は肩をすくめた。
「……別に、君たちに話すようなことはないけれどね」
「てめ……」
「祐一っ」
 思わず振り上げ掛けた腕を名雪が後ろから押さえる。
「ダメだよ」
「……あ、ああ」
 我に返って腕を下ろす俺。
「……下手な夫婦漫才をやるために、僕を呼び止めたのか? それならさっさとどいてくれないかな」
「ったく、一々気に障る言い方だな、久瀬」
「祐一……」
「わかってるって」
 俺は深呼吸して気を落ち着かせると、久瀬を睨んだ。
「話っていうのは、佐祐理さんのことだ」
「……君たちには、関係のないことだと思うがね。これは僕と倉田さんとの間のことだ」
「関係ないことなら聞いたりしねぇ。でもな、はっきりさせとかないと、俺達が安心出来ねぇんだよ」
「……もう一度言う。話すつもりはない」
「……話した方が、いいと思います。僭越ですが」
 静かな声に、俺達は同時にそちらを見た。
 そこには、天野と真琴がいた。どうやら、ちょうど図書室に勉強しに来たところらしく、2人とも鞄を手にしている。
「あう……」
 場の雰囲気に怯えたようで、天野の後ろに隠れてこっちを伺っている真琴と比べて、天野はさすがというか、上級生を前にして堂々としていた。
「もし、きちんと話さなければ、相沢さんはずっと久瀬さんにつきまといますよ」
「それは脅しかな、天野くん?」
「いえ。相沢さんならそうするだろうという推測です」
「ああ、俺は多分そうするだろうな」
「……やれやれ」
 ため息を付く久瀬。
「まったく、どうして倉田さんには妙な友人が多いんだろうねぇ」
「てめぇ……」
「相沢さん」
「祐一っ!」
 天野と名雪に同時に声を掛けられて、俺は上げ掛けた拳を降ろした。
 名雪が困った顔で言う。
「もう〜。祐一って、どうして、久瀬さんを相手にするときは、そんなに短気なの?」
「やっぱり馬が合わないんだろ」
「珍しく意見が合ったな」
 久瀬はそう言うと、もう一度ため息をついた。
「わかった。でも、こんなところで立ち話でするようなことでもないな」
「それなら……」
 名雪が言った。

「わたし、イチゴサンデー」
「真琴はちょこぱへっ!」
「ブレンドコーヒー」
「僕もそれで」
「……アメリカン」
「かしこまりました。イチゴサンデー、チョコレートパフェ、ブレンド2つ、アメリカン。ご注文は以上でよろしいですね? それではしばらくお待ち下さい」
 注文を書きとめ、ウェイトレスが一礼して去ると、俺は名雪に囁いた。
「やっぱり百花屋なのか?」
「だって、ここのイチゴサンデーが一番美味しいから。それより、祐一こそ、いつもはブレンドなのにどうし今日はアメリカンなの?」
「……なんとなく、だ。天野はいいのか? 真琴の試験勉強の予定だったんだろ?」
「たまには、息抜きもしなくてはいけませんから、ちょうどいい機会です」
「そうよっ」
 何故か力を込めてうなずく真琴。さすがに暗記帝王といえども、毎日暗記では飽きてしまったとみえる。
 まぁ、天野もいてくれると助かるのは事実だ。
 俺はやおら向き直って言った。
「さて、久瀬。色々と聞きたいことがあるんだ」
「久瀬さん」
 久瀬が俺の言葉に答えるより早く、天野が久瀬に向き直って言った。
「ここは、学校ではありませんから、戻っても構わないのではないですか?」
 ……戻る?
 俺は、天野にその意味を正そうかとも思ったが、とりあえず様子を見守ることにした。
 久瀬は天野に視線を向けた。
「……どうして、そのことを?」
「私はこう見えても色々とお付き合いもありますから。特に、“裏”関係では」
 澄まして答える天野。
「……そうか。そういえば、君はそういう仕事だったな」
 天野の仕事……。人の世に害を為す“魔”を討つ、退魔を生業とする。それが天野のもう一つの顔。
 決して歴史の表舞台には姿を見せない仕事故に、同じく表には出ないことも色々と知っており、それが天野をして、年不相応な物腰とさせているのだと聞いたことがある。
「……君は、強いな」
「私は強くありません。強く見えるとしたら……それは、私が一人ではないからでしょう」
「そうか」
 久瀬は呟くと、鞄から眼鏡ケースを出した。そして中から銀の細いフレームの眼鏡を出してかけると、俺達に視線を向ける。
「改めまして。久瀬達也です」
「今更言われなくても……。あれ?」
 どことなく違和感を感じて、俺は口ごもった。ちらっと名雪を見ると、名雪も同じように違和感を感じたらしく、戸惑った表情をしていた。
「久瀬くん、だよね?」
「はい」
 頷く久瀬。……え? 「はい」?
 さらに違和感を感じる俺達に、久瀬は苦笑した。
「やはり、変ですよね。学校での僕しか知らない人にとっては、今の僕は別人にしか見えないらしいですから」
 口調が、丁寧なしゃべり方をしていてもどことなく高圧的な、いつもの久瀬とは違っていた。
 俺は、天野の方に視線を向けた。
「……天野、どういうことか説明してくれないか?」
「相沢さん……。相変わらず、私は何でも知ってると思っているのですか?」
「違うのか?」
「そうですね、僕が自分で説明するよりも、天野さんが説明してくださった方が、皆さんも信じやすいと思います」
 久瀬もそう言って天野を見る。
 天野は仕方なさそうに頷いた。
「判りました。それでは……」

「……要するに、二重人格っていうことなの? あの久瀬が?」
 帰宅後、水瀬家のリビングで、俺はその場にいなかった連中――あゆ、栞、香里の3人だ――に、久瀬のことを説明していた。
 ちなみに、言うまでもなく久瀬とは百花屋で別れた。また、真琴は今日は特訓で天野の家に行くそうだ。
「ああ。なんでも、久瀬の父親っていうのが随分と強圧的な男でな、久瀬にいつも自分の意のままになることを強制し続けていたんだそうだ。で、いつしか久瀬は、本当の自分と、対父親用の自分を使い分けるようになった、ということらしい」
 俺の説明に、香里は頷いた。
「まぁ、ありそうな話ではあるわね。いくつかの自分を使い分ける、っていうのは」
「久瀬の場合、それがはっきりと違う人格にまでなっているということらしいんだ、これが」
「で、それに倉田先輩がどう絡んでくるわけ?」
「ああ……。俺にもその辺はよくわからんのだが、なんだか佐祐理さんが共感するところがあったらしいんだ、これが」
 俺は頭を掻いた。
「久瀬は、眼鏡を掛けることで本当の自分に戻るらしい。なんでも、あいつの母親が眼鏡を掛けていたのと関係がありそうだってことだが。で、普段はあいつは眼鏡なんてかけてないんだが、たまたま図書室で、眼鏡をかけて本来の自分に戻っていた時に、佐祐理さんとばったり逢ったんだと。で、話している内になんかいろいろとあったらしい」
「らしい、ばっかりですね」
 栞に言われて、俺は肩をすくめた。
「しょうがないだろ? 全部伝聞なんだから」
「ま、それもそうね」
 今まで黙って聞いていた栞が、不意に口を挟んだ。
「祐一さんは、それで久瀬先輩と倉田先輩がお付き合いすることに賛成してきたわけですか?」
 ……あ。
「いかんっ、久瀬の話に呑まれて最重要課題を忘れていたっ! ああっ、俺の馬鹿馬鹿っ、うわぁ〜どうすればいいんだあぁぁっ」
「香里チョップ」
「おふぅ」
 一瞬意識を彼岸の彼方に飛ばしかけて、なんとか自力で踏みとどまった俺に、香里が呆れたように言った。
「まったく、何してるんだか……」
「でも、そういうところが祐一らしいんだと思うよ」
「うん、ボクもそう思う」
「そうですよねっ」
「……はいはい」
 3人に一斉に言われて、香里は両手を挙げて降参した。
「ふ、勝ったな」
「別に相沢くんに負けたわけじゃないわよ。で、これからどうするの?」
「うーん」
 俺は腕組みして唸った。
「正直、佐祐理さんや天野の人を見る目は、俺よりもよっぽど信用できると思う。その2人が久瀬を認めてるんなら、認めたほうがいいんじゃないか、と俺の理性は主張してるわけだ」
「ふぅん。で、感情は?」
「佐祐理さんを久瀬に渡すのは断固反対」
「……正直でよろしい」
 ため息混じりに言うと、香里は名雪に視線を向けた。
「名雪はどうなの?」
「わたしは、祐一と同じだよ」
 名雪はにっこり笑って答えた。額に手を当てる香里。
「はいはい。聞いたあたしが馬鹿でした」
 と、そこに秋子さんが顔を出した。
「そろそろ夕御飯にしようと思うんだけど、ちょっとお総菜買ってきてくれないかしら」
「あ、それならボクが行くよ」
 あゆが立ち上がった。
 俺に名雪が声を掛ける。
「祐一、あゆちゃんと一緒に行ってあげてくれないかな?」
「え、俺が?」
「うん。あゆちゃん一人だと危ないし」
「うぐぅ。ボク、一人でできるもん」
 ない胸を張るあゆ。俺はため息をついた。
「……ふぅ。今の言葉を聞いて余計に不安になったな。わかった、俺も行こう」
「……名雪さん、いいの?」
 伺うように名雪に尋ねるあゆに、名雪は笑って頷いた。
「うん、もちろんだよ」
「それなら、えっと、よろしくお願いします」
 ぺこっと頭を下げるあゆ。俺はその頭を拳で挟んでぐりぐりとした。
「あいたたたたっっ、ゆ、祐一くん痛いようっ!」
「ったく、何他人行儀にしてんだよ。俺達、家族だろ?」
 俺がそう言うと、あゆは涙目で顔を上げた。
「祐一くん……。うんっ」
「うらやましいです……」
「何言ってんのよ。栞にはあたしがいるでしょ?」
「えへ、そうでした」
 そんな俺達を、美坂姉妹は微笑みながら見ていた。

「うぐぅ、真っ暗……」
「それじゃな、あゆ」
「わぁっ、祐一くん待ってよっ!」
 スーパーを出ると既に辺りは暗くなっていた。案の定、あゆは片手にスーパーの買い物袋を提げ、もう片手で俺の服の裾をしっかと握りしめるというていたらくである。
 まったく、こいつも変わらねぇなぁ。
 と、不意にぐいっとあゆがさらに裾を引っ張った。
「ゆっ、祐一くんっ!」
「どうした、夕暮れゾンビでも出たか?」
「ちっ、違うよっ! あ、あれっ!」
 びしっと向こうの方を指さす。
 そっちを見て、俺も思わず息を飲んだ。そして、慌ててスーパーの中に逆戻りした。
「わっ、ちょっと祐一くんっ! うぐぅっ」
 一瞬、道に一人取り残される形になったあゆは、辺りをきょろきょろ見回してから、俺の後を追いかけてスーパーに飛び込もうと……。
 べしん
「うぐぅ……」
 センサーに引っかからなかったのか、自動ドアが開かず、そのままガラスにべしんと見事に体当たりするあゆだった。
 シュン
 それから思い出したようにドアが開いたのが、余計に気まずい空間だった。
「……うぐぅ、祐一くん。他人の振りしないで……」
「いや、あゆあゆはどうでもいいんだ」
「よくないよっ。すっごく痛かったよっ!」
「いいからっ」
 俺はとりあえずあゆを引っ張り寄せると、ガラス越しに外の様子を伺った。
 幸い、あゆの体当たりギャグにも向こうは気付いていなかったようだ。
「体当たりギャグじゃないもんっ」
「いいから、俺の考えを読んでないで様子を見るんだ」
「う、うん……」
 俺とあゆは、改めて、並んで外の様子を伺った。……そうとう怪しい二人だが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
 なにしろ、そこにいたのは、佐祐理さんと舞だったのだ。
 ……しかし、ここにいては何を話しているのかさっぱり聞こえないな。
「あゆ、何を話しているのか聞こえないか?」
「聞こえないよ……」
「それじゃ盗聴器を使うんだ」
「うぐぅ、持ってない……」
「くそ、こうなったら幽体離脱だっ!」
「うん、やってみるっ!」
 あゆはそう言うと、しばらくうーんとうなってから、半泣きになって俺を見る。
「うぐぅ、出来ないよ……」
「当たり前だっ! やる前に気づけっ!」
「うぐぅ、祐一くんいじめっ子だよぉ」
「いかん、あゆをいじめてる場合じゃなかった」
 俺は慌てて視線を外に戻した。
「あれ? その後ろにいるのって、天野さんと真琴ちゃんだよ」
 あゆの言葉に、俺は視線をずらした。
 2人を見守るように後ろを歩いている天野と、その天野にじゃれついている真琴がそこにいた。
「確かに……。そうすると、あの2人の会見は天野プロデュースってことか。あいかわらずおばさんくさいな」
 俺が呟くと、向こうで天野がくしゃみをするのが見えた。
「祐一くん、それは天野さんに悪いよ。……でも」
 あゆが、嬉しそうな顔で佐祐理さん達に視線を向ける。
「あの2人、なんだか嬉しそうだね」
「……そうだな」
 佐祐理さんはいつものように笑っていた。そして舞も、いつもと同じような仏頂面だったが、俺にはあれが嬉しいときの舞だって判った。
「……結局、あの2人は何があっても親友同士ってことかな」
「うん、そうだよ」
 俺とあゆは、4人がスーパーの前を通り過ぎて行くまで、窓にへばりつくようにしてそれを見ていたのだった。

Fortsetzung folgt

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あとがき


 プールに行こう4 Episode 35 01/2/9 Up 01/2/11 Update

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