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「……ただいま」
Fortsetzung folgt
「ただいまぁ。お腹へったぁ〜」
「お邪魔します」
玄関で三者三様の挨拶をすると、奧のリビングから愛用の猫模様のどてらを羽織った名雪が出てきた。そして、俺の背負っている舞を見て、一言。
「……大きなおでん種」
「なんでだっ!」
「冗談だよ。それより、川澄先輩……寝てるの?」
「まぁな」
俺が頷くと、名雪はふわぁと欠伸をした。
「その気持ち、よく判るよ」
「……は?」
「くー」
そのまま壁にもたれて寝息を立てる名雪。
俺はとりあえず靴を脱ぐと、名雪のところまで行って、その頭をぽかりと叩いた。
「あいた……。あ、あれ?」
頭を押さえてきょときょととする名雪。
「どうして、頭痛い……?」
「お前な……。それより、秋子さんは?」
「あ、夕御飯の買い物に行ったよ。あゆちゃんも一緒に。それから、天野さんは今日は来ないって言ってそのまま帰っちゃった」
「そっか。とりあえず、舞を寝かせるから手伝ってくれ」
「うん、いいよ。真琴の部屋だよね?」
「あう」
後ろで靴を脱いでいた真琴が、それを聞いてぎくりと動きを止める。
「ま、真琴の部屋ぁ?」
「そうだろ? 舞は真琴の部屋だって相場が決まってるんだから」
「決まってない〜っ!!」
慌てて俺達の前に出ると、手を広げてとおせんぼをする真琴。
「真琴の部屋だけはだめ〜っ!」
「そんなこと言われてもなぁ。それじゃ俺の部屋に……」
「駄目だよ」
「それは駄目です」
「もっとだめ〜っ!」
3人に総攻撃を受けて、俺は肩をすくめた。
「それじゃ、何処に寝かせる? 廊下ってわけにはいかないだろ?」
「名雪の部屋でいいじゃないのようっ! 前にあゆあゆだってそこで寝てたんだからぁ」
「うん、わたしはそれでもいいけど……。でも、舞さんは、真琴のそばの方がいいって言うと思うよ」
首を傾げて考えながら言う名雪。栞もこくんと頷いた。
「そうですよね」
「真琴が嫌なのっ!!」
ぶんぶんっと首を振る真琴。
俺はため息をついた。
「どうでもいいから早く決めてくれ。さすがにお……、じゃなくて疲れてきた」
重い、と言いかけて、それは失礼かと思って言い直す。
「とはいえ、この背中に当たる二つのふくらみの感触は、とうてい貧乳コンビでは味わえないダイナミズムであり、まさに男の浪漫と言えるのだが」
「ほっといてくださいっ! そんなこと言う人は大っ嫌いですっ!」
後ろから栞が恨めしそうな声を上げて、俺は思わず考えを口に出していたことに気付いた。
「……祐一、それってセクハラだよ。でも、わたしでよかったらいつでも……」
「真琴でも大丈夫だよっ」
かぁっと真っ赤になってぼそぼそ言う名雪と、多分意味が判っていない真琴。
と、その場に立ちこめた気まずい空気を破るように、ドアが開いて、買い物袋を提げた秋子さんが入ってきた。
「あら、みんな。お帰りなさい」
そう言ってから、俺が背負っている舞に気付いて、秋子さんは頬に手を当てて言った。
「大きなおでん種ですね……」
「違いますっ!」
「おでん種? ボク、おでんも好きだよっ」
「黙れうぐぅ」
「うぐぅ……」
結局、舞はとりあえず秋子さんのベッドに寝かせることになった。
それから、夕食の準備をする秋子さん以外のメンツをリビングに集めて、俺達は学校で起きたことを報告した。
「……とまぁ、そういうわけで、今、舞は薬で眠ってる状況なわけだ」
「……くー」
「こ、怖いところ、もう終わった?」
どういう経緯でか、一人は寝ており、もう一人は耳を塞いでいた。
俺はとりあえず二人の頭を叩いてから、栞に視線を向けた。
「でも、薬で無理矢理眠らせて、とりあえず当座はなんとかなると言っても、抜本的な対策にはなってないんだよな」
「ええ。結局は倉田先輩にちゃんと話を聞かないことには……」
ソファにちょこんと座っている栞がそう言うと、痛そうに叩かれたところをさすっていた名雪が口を挟んだ。
「でも、本当に倉田先輩、久瀬くんと婚約しちゃったのかな?」
「……忘れてた」
俺は舌打ちした。
「もしそうだったら、そんな大事なことを事前に教えてもらえなかった舞は、そりゃ落ち込むだろうなぁ」
「そうだよね。もし祐一くんが婚約することを事前に教えてもらえなかったら、ボクだって落ち込むと思うよ」
「わけのわからん例えをするなっ」
「うぐぅ……」
「だけど、それもここでああだこうだ言ってもどうしようもないことですよ」
栞がもっともなことを言う。
「それに、一番大切なのは、やっぱり倉田先輩本人がどう思ってるか、だと思います」
「それはそうなんだけど……」
「祐一さん」
真面目な顔で、栞は俺に訊ねた。
「もし、もしもですよ? 倉田先輩が本当に久瀬さんの事が好きだったら、どうしますか?」
「……」
俺は、一瞬答えられなかった。
心のどこかで、その可能性は考えていた。だけど、答えが出なかったのだ。
栞は言葉を続けた。
「祐一さんには怒られちゃうかもしれませんけど、私は、倉田先輩の好きなようにさせてあげるのがいいと思うんです。その結果、もしかしたら川澄先輩はすごく傷ついてしまうかもしれません。でも、川澄先輩が傷つかないために、倉田先輩が傷つくことになるのは、本末転倒じゃないんですか?」
栞はそう言うと、くすっと微笑んだ。
「今のセリフ、ちょっとかっこいいですよね?」
「全然」
「うわっ、ひどいですよ。これでも一生懸命考えたんですから」
膨れて口を尖らす栞の頭にぽんと手を置いて、俺は言った。
「でも、そうだな」
「うん、わたしもそう思うよ」
名雪も頷いた。そして、俺に視線を向ける。
「とにかく、倉田先輩の本心を聞き出すのが先決ってことだよね」
「ああ、そうだな」
俺が頷いたとき、いいタイミングでダイニングから秋子さんが顔を出した。
「みんな、夕御飯の支度が出来ましたよ」
「わぁい、ゆうごはんっ、ゆうごはんっ」
嬉しそうに妙な節を付けて歌いながらダイニングに走っていく真琴。どうやら真面目な話が続いたせいで退屈していたらしい。
「もう、真琴。走ったら危ないよっ」
「大丈夫っ。あゆあゆじゃないんだからっ」
「うぐぅ……、ボクそんなに鈍くないもんっ! って、わわぁっ!」
ずべしん
立ち上がったと思ったら、いきなりリビングに床にヘッドスライディングをかましたあゆに、声をかける。
「なにしてんだ、あゆ?」
「うぐぅ……、鼻打ったぁ……」
半泣きになりながら顔を上げるあゆ。
「何かにつまずいたんだよ……」
「何かって、何に?」
「うぐぅ、わかんない……」
俺はあゆに手を差し出した。
「ほら、立てよ」
「えっ? あ、うんっ」
その手に掴まって立ち上がると、あゆはにこにこ笑っていた。
「やっぱり祐一くん、優しいよね」
「んなことねぇよ」
そう言って、俺はダイニングに入っていった。そして振り返る。
「栞、わざと転んでも起こしてはやらんぞ」
「えぅ〜、祐一さん嫌いです〜」
ダイニングで夕食を取っていると、不意にあゆが俺に視線を向けた。
「そうだ。祐一くん、お願いがあるんだよ」
「金ならないぞ」
「うぐぅ、借金の申し込みじゃないもん。……あのね、勉強を教えて欲しいんだよ」
ちょっと赤くなって、小さな声で言うあゆ。
「勉強って、進級試験のあれか?」
「うん……。ボク、そんなに頭良くないから……」
「あっ、それなら私も教えて欲しいです」
「真琴も試験あるんだからっ!」
同じく進級試験組の2人もさっと名乗りを上げる。
俺はため息をついた。
「あのな……。第一勉強なら俺じゃなくても名雪に……」
「くー」
「夜は無理か……」
既にお箸を持ったまま眠っている名雪を見て、俺は再度ため息をついた。と、自分の名前に反応したのか、名雪が目を開けた。
「うにゅ?」
「いいから名雪は寝てろ」
「うにょ……くー」
再び目を閉じて寝息を立て始める名雪。ある意味才能だな。
ま、いいか。
「よし、それじゃみんな、8時に勉強道具を持ってリビングに集合だ」
「はいっ」
「ボクがんばるねっ」
「あうーっ」
それぞれの声を上げる3人。と、キッチンから入ってきた秋子さんが、お漬け物を置きながら笑顔で言った。
「あらあら、楽しそうね。私も一緒にお勉強しようかしら」
「……ええ、歓迎ですよ」
既に自棄気味の俺であった。
ベッドに寝ころんでいると、ドアからノックの音が聞こえてきた。
「祐一くんっ、8時だよっ!」
「全員集合?」
「そうだよっ。みんなリビングで待ってるんだから」
あっさりとギャグを流されて、ちょっと悲しい俺だった。
「そんな昔のギャグ、わかんないよっ!」
「だから、俺の考えを読むなっ! しかもドア越しにっ!」
起き上がりながらそう言い返すと、ドアが開いた。
「なんとなくだよっ。それよりも祐一くん、今日は算数からやるからっ」
「……数学じゃないのか?」
思わず聞き返すと、あゆはてへっと笑った。
「ボク、算数が苦手で……」
「数学以前の問題か、おい」
もっとも、考えてみれば、あゆは小学生の頃から7年も眠っていたわけだから、数学なんてやったこともないはずだった。
「……そんなんで、よく授業受けてられたもんだ」
「あ、でも大体のところは判るんだよ。そんなことより早くっ、早くっ」
あゆにせかされて、俺はやれやれと肩をすくめながら、リビングに降りていった。
リビングに入ると、真琴になにやら聞いていた栞が、俺に気付いて駆け寄ってくる。
「祐一さんっ、真琴ちゃんずるいですっ!」
「……はい?」
いきなりそんなこと言われても、わけがわからない。
「栞、判るように説明しろよ」
「あ、はい。進級試験のことなんですけど、実は今までの中間、期末テストに加えて学力検査試験、小テストなんかの中から選んで出題されるんですよ」
「まぁ、そうだろうな」
進級試験といっても、それだけのために試験問題を作るほど暇があるわけじゃないだろうし。
「そうなんです。それでですね……」
栞は真琴に向き直った。
「数学の小テスト、2学期の9回目の答えは?」
「ア。ウ。33。489。x=3y=6。Aが正の時、BはAより小さい。このことから、CもAより小さいと仮定すると、V=BCである。y=6x+7。それから次がグラフで、こんなの」
ぴっとノートに二次曲線のグラフを書いてみせる真琴。やれやれ、答えを丸暗記してるのか、こいつは。
……ちょっと待て。まさか……。
俺の表情を見て、栞は頷いた。
「はい。今までの全教科のテストの全問題を丸暗記してるんですよっ」
「えっへん」
大威張りの真琴。
ううむ、恐ろしい記憶力だ。
それにしても、全問題を覚えるなんて、とんでもない作戦といえば作戦だなぁ。確かに、真琴にしか出来そうにない。
「うぐぅ……、いいなぁ、真琴ちゃん……」
「あゆちゃん。ローマは一日にして成らずよ」
「うん、そうだね秋子さん。ボク頑張るよっ。祐一くん、よろしくねっ!」
びしっと「必勝」と書いた鉢巻きを締めて、やる気だけは満々のあゆだった。
「ほら、ここが因数分解できるでしょう?」
「あっ、そうか。ボクわかったよ。……こうだねっ?」
「そうよ。上手いわねぇ」
秋子さんに撫でられて、嬉しそうに笑うあゆ。
既にあゆは秋子さんがマンツーマンで教えてるし、栞や真琴には教える必要もないようだ。
俺はそっと立ち上がって、リビングを出た。
「……わっ」
「あれ? 何してるんだ、名雪?」
廊下に出たところで、とっくに部屋で寝ていたはずの名雪と鉢合わせた。パジャマの上からどてらを羽織っているところを見ると、ちょっと起きてきたような感じだった。
「だって、みんな2階にいないから、何してるのかなって……」
そう言うと、寒そうにくしゃみをした。
「リビングの中に入ったらいいじゃないか?」
「駄目だよ。みんなの邪魔になるし」
「それじゃ部屋に戻れよ。俺も戻ろうと思ってたところだし」
「うん、そうするね」
頷く名雪の背を押すようにして、階段を上がった。
名雪は自分の部屋のドアを開けると、振り返った。
「祐一……」
「ん?」
自分の部屋に行きかけていた俺は、立ち止まった。
名雪はちょっとうつむき加減に、俺に視線を向けた。
「えっとね……。ちょっと、お話し、したいな」
「……ああ、構わないぜ」
頷いて、俺は嬉しそうに微笑む名雪の背を押して、彼女の部屋に入っていった。
で、恋人同士の甘い語らい、と行きたかったのだが……。
「……くー」
「寝るなぁっ!」
やっぱり、なかなかそう上手くは行かないものである。
とほほ〜。
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プールに行こう4 Episode 32 01/2/6 Up