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Kanon Short Story #14
プールに行こう4 Episode 30

「……ここか? 久瀬の家っていうのは。住所は間違いないのか?」
 俺の問いに、香里は答えた。
「ええ、住所録ではここになってたけれど……」
「いや、案外全然違う場所だったりしないか? どこかで道を間違えたとかさ」
「あたしだって、この辺りはあまり詳しくないのよ。……あ、ちょっと待って」
 香里は、壁に現住所を書いた緑のプレートが張ってあるのに気付いて、そこまで走っていった。そして確認して戻ってくる。
「間違いないわよ」
「おう、表札にも“久瀬”って書いてあるしな」
「……それを早く言いなさいよね」
 香里の視線がデンジャラスな色に染まっていくのを見て、俺は慌てて目の前の家に視線を戻した。
「……大きなお屋敷だね」
 名雪がのんびりと感想を言った。
 そう、俺達の目の前にあるのは、“家”というよりは“お屋敷”と形容した方が合うような、3階建ての洋館だったのだ。敷地だって、1ブロックというのか、通りの端から端までを占めている。
「そういえば、久瀬の父親と佐祐理さんのお父さんが知り合いって前に聞いたことがあるな。確か佐祐理さんのお父さんって議員なんだろ?」
「そうらしいわね」
 頷く香里。
 俺は腕組みした。
「その議員と知り合いっていうことは、久瀬の方もそれなりの家だってことになるわけだ」
「まぁ、そうかもね。それで、どうするの? 堂々とチャイムを鳴らして「同級生ですが、入れてください」って頼むわけ?」
 香里に尋ねられて、俺はため息をついた。
「さて、どうしたもんだろ」
 実際の所、何も考えてなかった。
「よし、栞、どこでもドアかタケコプターを出してくれ」
「そんなものありませんっ」
 ぷぅっと膨れる栞。
「祐一さん、私のことを未来から来た猫型ロボットか何かだと思ってませんか?」
「えっ、違うのか?」
「違いますっ。ちょっとキュートな下級生ですっ」
「……自分のことをキュートなんて言うのはどうかと思うが、まぁそれはそれとして」
 俺はもう一度、その屋敷の方に視線を向けた。
「こうなったら、塀をよじ登って忍び込むか?」
「無茶言わないでよ。それに、あれを見なさい」
 香里が指さす方向を見ると、塀の上には監視カメラらしいものが据え付けてあった。
「こんなところで捕まるのはごめんですからね」
「くそ、どうすれば……」
 俺は歯噛みしたが、どうしようもなかった。

「……というわけで、俺達はあえなく撤退を余儀なくされたわけだ」
「そうですか」
「ボクを連れて行ってくれなかったからだよっ」
「そーよっ!」
「あゆや真琴を連れて行ったところでどうなったとも思えないけどな」
「……うぐぅ」
「あう〜っ」
 万策尽きた俺達は、善後策を話し合うために、(名雪の強い要望によって)百花屋に行くことにした。ところが、商店街の入り口で、勉強が終わって帰る途中だったあゆ達にばったり逢い、こうして報告を兼ねたお茶会となったわけだ。
 緑茶を一口飲んで、天野は顔を上げた。
「やはり、本人に事情を聞くのが先決だと思いますが」
「そうね」
 香里は頷くと、コーヒーを口に運ぼうとする。
「……あれ? 香里、お砂糖入れないの?」
 名雪の言葉にその手が一瞬止まる。
「い、いいのよ。あたしは前からブラックだったんだから!」
 なぜか強い口調で言うと、香里はブラックのままで一口飲んだ。
「……にが」
「あれ? 今、苦いって言ったか?」
「言ってないわよっ」
 なぜか今度は大声になる香里。
「そんなことよりも、今問題なのは……」
「体重ですか?」
「そう、どうにかしてあと2キロ……って栞っ!!」
 悲鳴のような声を上げる香里。
「どうしてそれをっ!」
「ふふっ、お姉ちゃんの悩みくらい判りますよっ」
 悪戯っぽく笑う栞。対する香里は、この世の終わりのような顔をしていた。
「幸せ太りって、あるのよねぇ……」
「こほん」
 天野が小さく咳払いして、はっと我に返る香里。
「ええっと、そうじゃなくて、問題は倉田先輩でしょっ」
 このまま香里を追求するのも面白そうだったが、それどころではないのも事実なので、今回は断念して俺は訊ねた。
「でも、前にも行ったけど、佐祐理さんが話してくれるかな? なにせ、舞にも何も言ってないんだぜ?」
「それはそうかもしれないけど、でもまずはそこから始めるしかないでしょ? こっちが勝手に思い込んだあげく暴走して、みんなが傷ついて終わり、なんてことになったら目も当てられないわよ」
 もっともなことを言う香里。
 と、天野がずずーっとお茶を飲み干してから、俺に視線を向けた。
「ところで、川澄先輩はどちらにいらっしゃるのですか?」
「……」
 それを言われて、俺ははたと気付いた。
「しまった! 舞のことを忘れていたっ!! 行くぞマコピーっ!」
「どうして真琴なのよっ!」
 いきなり呼ばれた真琴が、口の回りをクリームだらけにして立ち上がった。
「あ、でも祐一がどうしてもって言うなら一緒に行ってあげてもいいよっ!」
「うぐぅ、ボクも……」
「行くのか? 真っ暗な校舎にあるという魔の13階段に……」
「残念だけどボク家に帰って待ってるよっ、行ってらっしゃい祐一くんっ!」
 俺の言葉を遮るように、異常な早口で言うあゆ。
 俺は名雪に視線を向けた。
「そんなわけだから、ちょっと遅くなるかもしれないって秋子さんには伝えてくれ」
「うん、いいよ。夕御飯は、川澄先輩の分も用意して置いてもらうね」
 3つめのイチゴサンデーを食べながら頷く名雪。さすが、話が判る。
「おう。ま、秋子さんのことだから、俺達が言わなくても用意してるとは思うけど、念のためな。よし、行くぞ」
「はいっ、頑張りましょう」
「あーっ、どうしてしおしおまで来るのようっ!」
「当然じゃないですか」
 既に肩にいつものショールを纏い、出撃体勢の栞だった。
 と、不意に今まで耳を押さえていたあゆが、どうやら怖い話は終わったと悟ったらしく、その手をはずすと栞に訊ねた。
「あ、そうだ。栞ちゃん、一つ聞きたいんだけど……」
「はい、なんですか?」
「スペイン宗教裁判のことなんだけど……」
 ババーン
「まさかの時のスペイン宗教裁判っ!!
「はい、なんですか?」
「2つの武器のことなんだけど、どの歴史の本にも載ってなかったんだよ……」
「それなら“恐怖”“迫害”“法皇への服従”ですよ」
 指を折って教える栞。
「あ、なるほど。勉強になったよ」
 笑顔で頷くあゆ。それから、「あれ?」という顔になる。
「でも、それじゃ2つじゃなくて3つ……」
「そういうものです」
「う、うん、わかったよ」
 栞に笑顔で諭されて、こくこくと頷くあゆ。
 そんな2人を見て、俺は感想を述べた。
「……しかし、どう見ても栞の方が年上に見えるな」
「えっ、そうですか? 何となく嬉しいです」
「うぐぅ。小学生に見えても、ボクの方が年上だもん」
「自慢になってない、っていうか自爆?」
「うぐぅ〜」
「ま、それはいいとして、だ」
「ぜんっぜんよくないよっ!」
 あゆの抗議を無視して、俺は香里に向き直って尋ねた。
「いいのか、栞を連れて行っても?」
「かまわないわよ。栞も子供じゃないんだから」
 苦笑する香里。
「それにしても、面倒見がいいわね、相沢くんは」
「いや、そんなつもりはないんだけどな」
 俺はほっぺたを掻くと、立ち上がった。
「よし、行くぞっ」
「うーっ、しおしおが一緒なのが気に入らない……」
「来なくてもいいんですよ。行きましょう、祐一さん」
 栞が俺の腕に自分の腕を絡めて言うと、慌てて真琴が駆け寄ってくる。
「行くーっ! 行くからしおしおは離れなさいっ!!」
 ……人選間違えたかも知れない。
 俺はそこはかとなく後悔しながら、百花屋をそそくさと出た。
 ちなみに、せっかく異端審問官の赤い服を着て飛び出してきた北川は、ずっと無視されて、店の隅で床にのの字を書いていた。
「くそぉ、結局俺はこんな扱いなのか〜っ」
「……北川くん、クッション貸してあげましょうか?」
「美坂、お前の優しさが胸に染みるぜっ」
「ただし、角だけね」
「……えーと」

「えっへへ〜。祐一っ、手、繋いで行こっ!」
「ダメですよっ。それなら私も繋ぎますっ!」
「あう〜、それなら真琴、我慢するから、しおしおも繋いだらダメっ」
「よく判らない理論ですね……」
「えへんっ!」
「……私、ほめてないですよ」
「ええーっ!? しおしおの嘘つきぃっ!」
「人聞きの悪いこと、言わないでください」
 まったく、あの1年生コンビは、仲が良いのか悪いのか……。
 言い合いながら俺の前を歩く2人の背を見ながら、俺は肩をすくめた。
 でも……。
 この2人、人目もはばからず……栞は多少ははばかってるのだろうが……、俺に親愛の情を示してくれる。というか、北川あたりに言わせればラブラブアタックを掛けてくる。
 やっぱり、もう一度はっきりと言っておいたほうがいいんだろう。特に真琴には、ちゃんと言ったような覚えがないし。
 俺は決心した。

 商店街を出て、しばらく歩いたところで、俺は立ち止まった。
 商店街と学校を繋ぐ道は、いつもなら学校帰りに商店街に寄っていく生徒達で溢れんばかりになっているが、そのラッシュ時間も過ぎた今は、ほとんど人通りもない。
「……? どうしたんですか、祐一さん。学校に行くんじゃなかったんですか?」
「あう?」
 先に行きかけた栞と真琴が、それに気付いて立ち止まる。
 俺はポケットに手を突っ込んで、2人を見つめた。そして口を開いた。
「悪いとは思うけど、この際だからはっきり言っておきたいんだ」
「なんですか?」
 俺が真剣なのに気付いたらしく、栞は居住まいを正した。雰囲気で冗談じゃないことを悟った真琴も、こくりと頷く。
「うん、いいよ」
 深呼吸して、俺は言った。
「……俺は、名雪のことが好きだ。だから、……2人が好意を示してくれるのは、そりゃ男としては嬉しいけれど、それに応えることは出来ない」
 今の心地よい関係を崩してしまうかもしれない。せっかく仲直り出来た2人を、また失うことになるかもしれない。
 でも、自分でもけじめは付けておきたかった。
「それだけは、はっきり言っておきたかった。それだけだ」
「……私、前にも言いましたよね」
 栞は、笑顔で言った。
「祐一さんが、名雪さんと付き合い始めたとき、私、ずっと考えたって。でも、答えは変わらなかったって……。私、今でもやっぱり、祐一さんのこと大好きですから」
「……俺が、それに応えることは出来ないって言ってもか?」
「はい」
 頷くと、栞は最近よく見せる、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それに、“絶対”なんてことはないんだって教えてくれたのは、祐一さんですよ」
「え?」
「だから、私は“絶対”って言葉は信じないことにしたんです。その代わりに……今は“奇跡”を信じてますから」
 その笑顔は、純粋に、栞を助けることが出来て良かったと俺に思わせるに足るものだった。
 俺は黙ったままの真琴に視線を向けた。
「……真琴?」
「真琴は……、難しいことはよくわかんないけど」
 そう言って、真琴は腰の後ろで手を組んだ。そして、意味もなく地面を蹴りながら言う。
「でも、真琴は、栞がいて、あゆあゆがいて、名雪がいて、秋子さんがいて、みんながいて……そして祐一がいる、今がとっても倖せだから……」
 そこまで言って、真琴はあう〜っと天を仰いで唸ると、俺に視線を向けた。
「だから……」
 そして、そのままジャンプして、俺に飛びついてきた。
「わぁっ!」
 たっぷり5メートルは跳んできたにも関わらず、真琴はその衝撃を感じさせずに、ふわりと俺の胸に自分の顔を埋めていた。
「だから、真琴は祐一が好き!」
「……そっか」
 俺は、ぴょんと立っている耳をこちょこちょとくすぐってやった。
「えへへ〜。祐一ぃ〜」
 猫だったらごろごろ喉を鳴らしそうな顔で、笑う真琴。
「あ、いいなぁ。祐一さん、私もこちょこちょして欲しいです」
 そんな俺達を、栞が指をくわえてじーっと見ていた。
 こんな2人を。……いや、あゆや舞も含めて、こんな連中を冷たくはねつけるのが、正解なんだろうか?
 ……いや、今は考えるのはよそう。とにかく、今は舞に逢わないと。
 このことについては……こんど天野に相談しよう。あいつならきっと……。おばさんくさいからな。

「……っくしゅん」
「うぐぅ。美汐さん、風邪?」
「……そうかもしれませんね」

Fortsetzung folgt

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あとがき


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