トップページに戻る 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
数日後。
Fortsetzung folgt
意識を回復した秋子さんの経過は順調だった。
「……でね、今日にも退院できるって」
「うん、ボクも嬉しいよっ」
朝一に、香里に報告している名雪とあゆの言葉を聞き流しながら、俺は窓の外を眺めていた。
と、後ろからあゆに声をかけられた。
「どうしたの、祐一くん?」
「ん、何だ?」
「別に何でもないけど、なんだか心ここにあらずって感じだったから」
「ほう、あゆがそんな難しい言葉を知ってたとは驚きだな」
「うぐぅ……」
「ま、俺としても秋子さんが戻ってきてくれることを喜ぶのはやぶさかじゃないぞ」
「祐一、なんだか持って回った言い方だよ」
そう言いながらも嬉しそうな名雪だった。
「あ、祐一。学校が終わったらお母さんを迎えに行くんだけど、祐一も来るよね?」
「……そうだな」
「すみません。相沢さんとは約束があるんです」
思わぬ方から聞こえた声に、俺達は向き直った。
そこにいたのは、天野だった。
「天野、そんな約束……」
「約束を破るのは良くないですよ。水瀬先輩もそう思いますよね?」
俺の言葉を遮るように言う天野。
名雪はちょっと残念そうに頷いた。
「そうなんだ。残念……。でも、うん、約束は守らないとね」
「すみません、そうと知っていれば約束はしなかったんですが……」
すまなさそうに頭を下げる天野。
俺はもう一度思い返してみたが、どう考えても天野と約束をした記憶はなかった。
……もっとも、俺の記憶はあんまりあてにならないから、もしかしたら本当に約束してたのかも知れない。
「でも、珍しい取り合わせね、天野さんと相沢くんって。名雪、気を付けた方がいいかもよ」
悪戯っぽく笑う香里に、名雪は慌てて俺の手を掴んだ。
「祐一、そんなことないよね?」
「金輪際有りませんから安心してください。真琴のことで少し相談があるだけですから」
俺よりも早く天野が答えた。名雪はほっとしたように胸をなで下ろした。
「そうなんだ。でも、真琴のことだったらわたしにも相談してくれても……」
「ごめんなさい」
天野がもう一度頭を下げると、名雪は苦笑して手を振った。
「ううん、いいんだよ。そうだね、祐一の方がいろいろと事情に詳しいんだもんね」
……うーん、俺は忘れてたけど、多分天野にそういう相談を受ける約束をしてたんだろう。ここは調子を合わせておいた方が良さそうだな。忘れてた、なんて天野にばれたら何を言われるかわからないし。
「そうそう、そういうわけなんだ。悪いけど2人で秋子さんを迎えに行ってくれ。あっはっは」
「祐一くん、なんだか忘れてたけどばれると危ないから誤魔化してるように見えるよ」
「うぐぅ……」
「うぐぅ、真似しないで……」
「それでは、私はこれで失礼します」
天野は、一礼すると教室を出ていった。
放課後。
結局俺と天野を除いた全員が病院に直行することになった。
「あうーっ、どうして美汐と祐一が来ないのようっ!」
「大事な用事があるんだよ。真琴は、こっち。ね?」
名雪に言われて、真琴は不承不承頷く。
「あう……、うん……」
「いい子いい子」
真琴の頭を撫でると、こっそりウィンクする名雪。どうやら真琴本人には知らせないように気をつかってくれたらしい。
「それじゃ、名雪。また明日な」
「家でまた会うよ」
笑って出ていく名雪。その後からそれぞれに挨拶をしてみんなが出ていった。
それを見送ってから、俺は隣にいる天野に訊ねた。
「で、相談って?」
天野は、軽く頭を下げた。
「……まず、ありがとうございます。話を合わせてもらって」
……話を、合わせた?
俺がきょとんとしていると、今度は天野が目を丸くした。
「まさか、……本当に真琴の話をすると約束してたって思ってるんじゃ……」
「……えっ? 違うのか?」
今度は深々とため息をつかれてしまった。
「道理で。相沢さんがそんなに気が回るなんておかしいと思いました」
なんか、思い切り失礼なことを言われてる気がするぞ。
俺がぶ然としていると、天野は俺に視線を向けた。
「話というのは、秋子さんのことなんです」
「秋子さんの?」
「ええ。この間の……」
言いかけて、天野は口を閉ざし、別の事を言った。
「場所を移しませんか?」
言われて、俺は周りのクラスメイト達がそれとなく聞き耳を立てているのに気付いた。
確かに、公認の恋人がいるのに、その誘いを断って他の女の子(しかも下級生の美少女)となにやら深刻そうに話をしてる奴がいたら、俺でも思わず聞き耳を立ててしまうかもしれない。
「……そうだな」
俺は頷いた。
バタン
鉄製のドアを開けると、青空が広がっていた。
寒さも一時期ほどではなく、春が忍び寄っている気配を感じることはできた。……寒いことに変わりはないが。
金網越しに、この街が一望できる。
俺と天野は、屋上に場所を移していた。
「寒いな。話ならさっさと済ませようぜ」
俺は冷たいベンチに座った。天野も隣りに腰掛ける。
「寒くないのか、天野は?」
「心配してくれるのですか?」
「まぁな。天野に風邪を引かせたら、真琴に怒られる」
「……そうですね」
天野は、微かに微笑んだ。
「真琴は優しい子ですから」
「その優しさを向ける相手がごく限定されるけどな」
しばらく沈黙した後、天野が切り出した。
「秋子さんのことなんですが……」
「ああ。何か気になることでもあったのか?」
「ええ。あ、もちろん今はすっかり回復していることに疑いを差し挟む余地はありませんよ」
俺の不安そうな表情を見て取ったのか、天野はそう前置きした。
「私が気になったのは、秋子さんが誰から呪いを受けたのか。そしてどうしてその呪いを甘んじて受けたのか、です」
「“誰からか”はともかく、“どうしてか”はもうはっきりしてるだろ? 秋子さんは自殺しようとしたんだって……」
さすがに少し声を潜めて俺は言い返した。
天野は首を振った。
「あの時は私もそう思っていましたが、後で考えると理解に苦しむんです」
「……どういうことなんだ?」
「確かに、相沢さんと水瀬先輩がお付き合いを始めて、水瀬先輩が秋子さんに心理的に寄りかかる度合いは減ったかもしれません。それをもってして、秋子さんが自分の役割は終わった、と思うのもそれほど不自然ではないでしょう。でも、秋子さんの役割はそれだけじゃないですよね」
「……と言うと?」
「秋子さんが、あゆさんと真琴を自分の娘として受け入れてから、まだそれほど日はたっていませんよね。二人にとって母親はとても必要なもので、だからこそ秋子さんは二人の母親となった。それなのに、それをあっさりと放り出して死のうなんて、妙だと思いませんか?」
……確かに、言われてみれば秋子さんらしくはないかもしれない。
「確かに、そうよね。私も、それは気になってた」
不意に声がして、俺達は同時に顔を上げた。
いつの間にそこにいたのか、屋上の扉によりかかるようにして、香里が立っていた。
「……盗み聞きは、良い趣味ではないですよ」
「ごめんなさい」
その後ろからひょいっと栞が顔を出す。
「でも、秋子さんの話って聞いたので。あ、大丈夫ですよ。名雪さん達はちゃんと病院に行ってますから」
「なんでそれを……」
と言い掛けて、俺は栞が右の耳にイヤホンをつけているのに気付いた。
さては……。
「天野、ちょっと悪い」
断ってから、俺は天野の耳を押さえて、あらん限りの大声で歌い出した。
「♪わさびっ、わさびっ、とうが〜らし〜っ、すりつけ〜っ」
「きゃぁ」
思った通り、栞は慌ててイヤホンを外すと、涙目になってこっちをみた。
「なんですかっ、その人類の敵みたいな歌はっ!?」
「今は無き聖飢魔Uの「不思議な第三惑星」という曲だが?」
「そんなことする人は嫌いですっ」
「……いいから、盗聴器をさっさと取ってくれ」
「栞、あなたの負けよ」
こっちもちゃっかり耳を押さえていた香里が、笑って栞の肩をぽんと叩く。
「はぁい。……あう、耳ががんがんしますぅ〜」
栞は右の耳を押さえたまま、俺の所に駆け寄ってくると、涙目で見上げた。
「祐一さん、制服の第二ボタンをください」
「……これに仕掛けてたのか?」
俺は第二ボタンを外して、栞に渡した。栞はそれを受け取って、胸に抱きしめる。
「愛する先輩から制服の第二ボタンをもらうなんて、ちょっとドラマみたいで格好良いですよね」
「……それで誤魔化したつもりか、栞?」
「うっ。……ごめんなさい」
「まぁまぁ、それくらいにしておきなさい、相沢くん」
香里に言われて、俺は肩をすくめた。そして天野に向き直る。
「話の腰を折って悪かった」
「いえ、いつものことですから」
ため息混じりにそう言うと、天野は美坂姉妹に言った。
「念のために言いますけれど、このことは、他言無用に願います」
「ええ」
「私、口は堅いですから」
頷く2人をベンチに座るように促して、天野は言葉を続けた。
「先ほど言ったとおり、私には、秋子さんが自殺するようには思えませんでした。それで、私はこう思ったんです。秋子さんは、自殺するように見せかけたんじゃないか、と」
「……ややっこしいな。そもそも秋子さんが呪いにかけられたのは狂言で、実は自殺しようとしてた、ってことだったんだろ? その自殺も狂言だったのか?」
「でも、天野さん。あなたの話だと、秋子さんに掛けられてた呪いって、普段の秋子さんなら跳ね返してるレベルのものだったわよね?」
「そうです。それが不思議だったんです」
天野はそう言うと、視線を金網の向こうに向けた。
そちらには、ものみの丘があるはずだ。
「……天野、言ってくれ」
俺が促して、天野は俺達に視線を戻した。
「私の結論はこうです。……秋子さんが受けた呪いは、元々秋子さんに向けられたものじゃなかった。誰か別の人に向けられたものだった呪いを、秋子さんは身代わりに受けたんだ、と」
「身代わりに?」
「ええ。だからこそ、秋子さんはその呪いを跳ね返すことは出来なかった。そうしたら、呪いは今度こそその人に掛かってしまうから……」
「だったら、何故秋子さんはそう言わなかったの? わざわざ自殺に見せかけるような手のこんだ事を……」
言いかけて、はっとする香里。
「そういうこと……」
「なんだよ、香里?」
「そうですよ。お姉ちゃんだけ納得するなんてずるいです」
ぷっと頬を膨らませる栞。
香里は俺達に向き直って説明した。
「身代わりになった、と知られたくなかったのよ。つまり、元々呪いを受けた人物は、秋子さんの身近な人物だ、ということ。だからこそ、秋子さんは自分が身代わりになったことを隠そうとした。その人に、自分が呪いにかかっていたなんて知られたくなかったから。そうでしょう、天野さん?」
「さすがですね」
天野は頷いた。そして、俺に向き直った。
「そして、その呪いを受けていた人物ですが、おそらく月宮さんです」
「あゆが!?」
俺はきょとんとした。
「でも、なんで? 誰が何のためにあゆに呪いを掛ける?」
天野は空を見上げた。そして、呟いた。
「世界が」
「は?」
「この世界を成り立たせている理(ことわり)ですよ。あゆさんに呪いをかけたのは」
「……どういうことだ?」
「観念的な話をすると長くなりますから、簡単に言いますね。あゆさんは奇跡の力で7年間の眠りから目覚めて、こうして私達と一緒に暮らしています。それは良いことなのですが、同時にその奇跡の力で、本来あるべき流れを無理矢理にゆがめている、とも言えるのです。そして、それを元に戻そうという力が自然に働くんです。ちょうど、バネを曲げると、元に戻ろうとするように」
「……それが、あゆに対する呪い?」
「厳密に言えば、人が人に対して何らかの影響を及ぼそうとする“呪い”ではないですが、まぁ似たようなものです」
そう言うと、天野は俺に視線を向けた。
「その呪いは、それほど強いものではありませんが、かといって放置しておけるものでもありません。それなりの防護策を取れば防ぐことは出来ますが、それには多少時間が掛かります」
「今回は、その準備する暇が無かったってこと?」
香里の言葉に、天野は頷いた。
「そうです。それでやむなく、秋子さんは自らその呪いを受け止めた。あゆさんの代わりに……」
「それなら納得できるけど。……もしかして、秋子さんは名雪や天野さん達が自分を助けてくれるところまで計算してたのかしら? だから、そんな危険な賭けが出来た、と……」
「……さぁ、どうでしょうか?」
天野は、再びものみの丘の方に視線を向けて、呟いた。
「……自分の子供がダンプカーに轢かれそうになったとき、自分が助かる確率まで計算してから飛び出すような親はいませんよ……」
「……そうだな」
俺は、天野の肩をぽんと叩いた。
「天野、うちに来ないか? 今日は秋子さんの退院祝いでぱーっとやろうと思ってるんだ」
「そうね。なんといっても一番の功労者なんだし」
香里が頷いた。
「でも……」
「それに、真琴ちゃんも待ってますよ、きっと」
栞が笑顔で言った。
天野は少し考えて、頷いた。
「わかりました。それでは少し、お邪魔します」
「よし、それじゃ先に家に帰って、秋子さんの出迎えの準備といくか。香里と栞も来るんだろ?」
「はいっ」
「そうね」
2人は頷いた。
川沿いの道を歩きながら、俺は天野の話を心の中で反すうしていた。天野は黙って、美坂姉妹はおしゃべりをしながら、俺の後からついて来ていた。
と、俺はふと気付いて、振り返った。
「天野、いま気付いたんだが……」
「なんですか?」
視線を上げて聞き返す天野に、俺は訊ねた。
「さっきの話が本当だとしたら、あゆにまた、その大自然のおしおきとやらが来るんじゃないのか?」
「……誰が大自然のおしおきなんて言いましたか?」
ため息混じりに言うと、天野は苦笑した。
「もう大丈夫ですよ。そのための準備はしておきましたから。さっきも言ったとおり、多少時間をかけてそれなりの防護策さえ取っておけば、全然問題はありません」
「……悪いな、天野」
「いえ」
天野は首を振った。もう一度その肩をぽんと叩いて、俺は言った。
「この借りはそのうちに返すぜ」
「……楽しみにしてますね」
そう言って、天野は微笑んだ。
「……いいなぁ、天野さん……。私も祐一さんに貸しを作っておけばよかったです〜」
栞が指をくわえて、そんな俺達を見て呟いた。
その肩を抱くようにして、香里が言う。
「貸しくらい、これからいくらでも作ればいいのよ、栞」
「あっ、そうですね。さすがお姉ちゃんです」
……そういう相談は聞こえないところでやって欲しい。
俺がため息をつくと、天野が俺の顔を覗き込んだ。
「……相沢さんも、苦労されてますね」
「わかるか、天野?」
「わかりますけど、同情はしません。相沢さんの自業自得ですから」
「……とほほ〜」
そんなことを話している間に、俺達は水瀬家に着いた。
玄関の方で声が聞こえたので、リビングで雑談をしていた俺達は、それを中止して廊下に出た。
「あっ、祐一くん! 秋子さん帰ってきたよっ」
あゆが俺の姿を見て、声をかけてきた。
その後ろから、秋子さんが微笑んで、俺に言った。
「ただいま帰りました、祐一さん」
その両手を、それぞれあゆと真琴がしっかと握っているのを見て、そしてその後ろで名雪が嬉しそうに笑っているのを見て、俺はなんだか嬉しかった。
だから、精一杯笑顔で、応えた。
「お帰りなさい、秋子さん」
トップページに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く
あとがき
これで、一応「秋子さん編」は終わりです。
……プール4自体は、どうしようかな、と……。
一応、この後にもう一つエピソードの構想はあるんですが、それを書いたものかどうか迷ってます。ここで終わりにしちゃった方がいいかもしれないな、と。
というわけで、今回でとりあえず暫定最終回ということで。特に反響なければそのまま終わらせますし(笑)←この場合は、DC版でエピローグを追加しますってことで。
とりあえず、それでは〜(笑)
プールに行こう4 Episode 25 01/1/16 Up 01/1/17 Update