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『朝〜、朝だよ〜』
Fortsetzung folgt
枕元から声が聞こえて、目が覚める。
『朝ご飯食べて学校行くよ〜』
目覚ましを叩いて止めると、大きく伸びをして、ベッドから抜け出す。と同時に、思わず身震いした。
寒かった。とてつもなく。
とはいえ、慣れ始めた寒さでもあった。
とりあえず制服に着替えると、ドアを開ける。
見慣れてしまった、水瀬家の2階の廊下だった。
……そりゃそうだ。ドアを開けたらいきなり異次元、なんてことが有るはずも無し。
苦笑していると、いきなり壁の向こうでベルが鳴り響き始めた。
やれやれ。
ため息を付きながら、名雪の部屋のドアを叩く。
「こら〜っ、起きろ〜っ!」
相変わらず音は止まらない。
もう一度ため息をついて、俺はドアを開けた。その途端、ベルの音が5割り増し(当社比)で俺の鼓膜を叩く。
騒音の真ん中で、思った通り名雪はけろぴーを抱きしめて幸せそうに眠っていた。
俺は部屋の中にずかずかっと入ると、耳元で大声を上げた。
「名雪〜っ!! 起きないとジャム食わすぞ〜っ!!」
「目、覚めてるもん」
がばっと起き上がる名雪。それから、目をぱちくりとさせた。
「あ、あれ? 祐一?」
「おう」
「……どうして? わたし、……あれ?」
きょろきょろと部屋を見回して、がばっと俺の襟首を掴む。
「お母さん、どうなったの?」
「秋子さん? 多分、下で朝飯の準備してるんじゃないのか?」
「……っ!」
そのまま、俺を突き飛ばすようにして、部屋を飛び出していく名雪。
なんだってんだ、一体?
俺は首を傾げながら、その後から階段を降りていった。
リビングのドアを開けると、俺はそこで立ち尽くしている名雪の背中に衝突した。
「いてっ、なにしてんだ?」
「あら、祐一さん、おはようございます」
「おはよう」
ダイニングから顔を出した秋子さんと、新聞を読んでいたおじさんが、俺に挨拶する。
「おはようございます」
「名雪、どうかしたの?」
秋子さんが、名雪の様子がおかしいのに気付いて小首を傾げた。
「……」
名雪は何も言わずに踵を返して、リビングを飛び出していった。
「名雪、ちょっと待てよ! ……ったく」
俺はやれやれと肩をすくめて、おじさんに訊ねた。
「なにか面白いニュースでも?」
「いや」
おじさんは新聞を畳んで、肩をすくめた。
「ただ、食卓で新聞を読んでると秋子が怒るんでな」
「当たり前です」
秋子さんがそう言うと、おじさんはため息をついた。
「朝、愛する妻子に囲まれて、食卓で新聞を読む。企業戦士にしか為せない技だぞ」
「そんな技、無理して使うことありませんよ。祐一さんもそう思いますよね?」
「祐一くん、君は将来の父親と母親のどちらの味方をするんだい?」
「まぁ、あなたったら。気が早いですよ」
笑いながらキッチンに戻っていく秋子さん。それを微笑んで見送るおじさん。
……ったく、相変わらず万年新婚夫婦だな、この二人。
俺は苦笑して、立ち上がった。
「とりあえず顔を洗ってきます」
「おう。ついでに名雪が洗面所で溺れてたら助けてやってくれ」
「ええ」
頷いて、俺は廊下に出た。そして、ふと振り返る。
……?
なんで違和感を感じたのか。それすらも判らず、俺は洗面所に向かい……。
「祐一っ」
途中で、いきなり袖を引っ張られた。
「なんだよ、名雪?」
「いいから、ちょっと来て」
名雪は真面目な顔で言うと、俺を引っ張って階段を上がっていった。
パタン
俺を部屋に引っ張り込んでドアを閉めると、名雪は俺に言った。
「変だよ」
「名雪が変なのはいつものことだけどな」
「違うよ〜」
首を振り、名雪は俺に訊ねた。
「あの男の人、誰?」
「誰って……、お前、自分の父親の顔も忘れたのか?」
俺の言葉に、名雪は顔色を変えた。そして俺の両肩を掴む。
「祐一……。祐一は、祐一だよね?」
その手が震えているのに気付いて、俺はようやく、名雪がいつものように惚けてるわけじゃないと理解した。
「名雪、何がどうしたんだ?」
「祐一、忘れてる? わたしたち、お母さんを助けるために、お母さんの心の中に入ってるんだよ」
「……ええっと」
名雪の様子から、嘘や冗談を言ってるわけじゃなさそうだけど……。
俺が戸惑っていると、名雪は俺の胸を拳でどんどんと叩き始めた。
「嫌だよ、祐一まで……。わたし、一人じゃなにも出来ないよ……」
「な、名雪? ちょ、ちょっと待てって」
俺はその腕を掴んで止めると、訊ねた。
「夢でも見てたんじゃないのか?」
びくっ、と名雪の身体が震えた。そして、ゆっくりと、涙に濡れた瞳で俺を見る。
「……違うよ。夢なんかじゃ、ないよ……。だって、わたし、夢は見ないもん……」
「……名雪?」
「だから、わたし……祐一に思い出して欲しいから……」
そこで言葉を切ると、名雪はそのまま俺の唇に自分の唇を押しつけた。
一瞬、時が止まったような気がした。
『祐一、思い出して……』
その瞬間、俺は全て思い出していた。
ゆっくりと唇を離すと、頬を赤く染めた名雪は、上目遣いに俺を見る。
「えっと……どうかな?」
「ぜんっぜん思い出せないから、もう一度頼む」
「ええっ? い、嫌だよ……。恥ずかしいし……」
さらに赤くなって俯く名雪の頭にぽんと手を乗せて、呟く。
「それにしても、今度はどうなってるんだ? 天野は、同じ攻撃はしてこないって言ってたよな」
「……え? 祐一、それって……」
ばっと顔を上げる名雪に、俺は親指を立てて見せた。
「思い出したぜ、全部」
「ほんとに? ほんとに全部?」
「ああ」
「よかったよぉ……」
名雪はそう呟くと、俺の胸に顔を埋めた。
「祐一が思いだしてくれなかったら、わたし……独りぼっちだったよ……」
「……悪かったな、忘れちまって」
俺はもう一度その柔らかな髪を撫でると、名雪はかぶりをふって、微笑んだ。
「ううん。……思い出してくれたから……」
「……さて、と」
急に照れくさくなって、俺は明後日の方を見ながら言った。
「それじゃ、そろそろ勝負に行きますか」
「勝負……。うん、そうだね」
名雪も頷くと、俺の手を握った。
「こうしてても、いいかな?」
「ああ」
俺も手を握り返すと、ドアに手を掛けて開いた。
ドアの向こうはいきなり異次元だった。
「……ゆ、祐一っ、これ違うよっ!」
「うわ、あゆなら泣き叫ぶぞ、きっと」
いつぞやの洋館の時を思い出すような、内臓のようなぶよぶよした壁。しかもご丁寧に、時折光ったりしている。
おまけに、その色がオレンジ色だったりするのだった。
「……なぁ、名雪。この色って秋子さんのジャ……」
「お願い、それ以上言わないで」
名雪に口を塞がれて、俺は頷いた。そして、一歩踏み出した。
その瞬間だった。
ビュンッ
耳元で風を切るような音がしたかと思うと、俺の身体が宙に浮いていた。両手首と足首に何かが巻き付いて、それが俺の身体を持ち上げていたのだ。
見ると、壁から伸びたオレンジ色の触手だった。
「祐一っ! きゃぁっ!」
助けに来ようとして廊下(?)に踏み出した名雪も、触手に捕まって宙吊りにされていた。
「や、やだっ、助けて祐一っ!」
「そういうことは俺の状況を見て言え」
「だって……」
「それより、こういう状況になったらやっぱりサービスシーンとして触手責めがあるべきでは?」
「……祐一嫌い」
ぷいっとそっぽを向く名雪。どうやら、それほど心理的に差し迫っている状況ではないようで、一安心ではある。
「……となると、ここはやっぱり悪役が高笑いと共に現れて、ご親切にいろいろと説明してくれるシーンだな」
「そうなの?」
そっぽを向いていたはずの名雪が、こっちに向き直って俺に訊ねる。
「ああ。いわゆる“メイドの土産”ってやつだ」
「……“冥土”だよ」
「……」
「……」
「わっはっはっはっは」
絶妙のタイミングで笑い声が聞こえてきた。
内心ほっとしながら顔をその声の方に向けると、さっきリビングにいた男が、いかにも悪役らしい紫色の衣装を身にまとって現れた。
「私の記憶が確かならば……」
「料理の鉄人ネタはやめい」
「……」
俺のツッコミに一瞬口ごもったが、そいつは咳払いすると、一礼した。
「よく来たな、異分子どもめ。しかし、いまや貴様らの命は我が手中にある。ふはは、ふはははは」
「……祐一、この人嫌い」
「意見が合うな、名雪。俺も嫌いだ」
俺と名雪が囁き合っていると、そいつはどん、と足を踏みならした。
「人が話をしているときはちゃんと聞けっ! まぁ、良い。先ほどは良くも我が罠をうち破って見せたな。だが、もう同じ手は通用せぬ。貴様らはここで果て、秋子は永遠に我がものとなるのだっ」
「お母さんを返してっ!」
名雪が叫ぶが、男は鼻先でせせら笑った。
「ふ、絶望の叫びが心地よいわ」
……なんともレトロな悪役振りだなぁ。
内心、感心していると、男は俺をびっと指さした。
「まずは貴様から死んでもらうぞ」
と同時に、俺の正面の壁から、尖ったオレンジ色の槍が、ゆっくりと伸びてきた。
「ふははは、助けを呼ぼうとしても無駄だ。先ほどの小娘は、ここまで深いところには降りて来られぬわ」
「それは、どういうことだっ!?」
……う。思わず、お約束に付き合ってしまった。
予想通り、男は満足そうに頷いて、説明を始めた。
「ここは秋子の心の中でも最深部。私がここを押さえているために、秋子の心、そして身体はすべて私のものなのだ。そして最深部であるが故に、貴様らのように段階を踏んでここまで来る以外に道はない。そう、あの時のようにいきなり外から飛び込んできて、貴様らを助けてくれるような存在はいないのだっ」
オレンジ色の槍は、俺の心臓の位置にぴたりと突きつけられた。
「ゆ、祐一っ!」
名雪が悲鳴をあげる。
……やっぱり、これで刺されるとやばそうだな。
「やめてっ! やるなら、わたしを先にしてっ!」
あまりに現実感が無くて、ぼんやりとそう思っていると、名雪が声を上げた。なんとか拘束を解こうと暴れるが、手足の触手は離れようとしない。
「ふふふ。貴様らをここに導いたあの術師も、今頃向こうで歯噛みしておろう。手を出せない自分に絶望しながらな。絶大なる我が力に挑むとは愚かの極みということが、これで判ったはずだ。ふはははっ」
「そうでもありませんよ」
静かな、良く通る声が聞こえた。男がうろたえたように辺りを見回す。
「な、なにっ!? どこだっ!?」
ざっ、と、何処からともなく、そいつはそこにいた。
全身を使い古した毛布のようなもので被い、顔も確認できない。……が、その毛布の端からちらちらと黄色いふさふさしたものが見えていた。
すっくと立ち上がると、纏っていた布を投げ捨てる。
「祐一ぃっ! 名雪ぃっ! 助けに来てあげたわようっ!」
そこにいたのは真琴だった。いつものデニムのジャンパーにスカート、そして狐耳と尻尾という出で立ちである。しかもご丁寧に、頭のうえにぴろならぬ黒猫を載せていたりする。
「ええっ、真琴なのっ!?」
名雪が声を上げた。……もしかして、真琴だって気付いてなかったのか、お前は。
「真琴が来たからには、もう安心だからねっ!」
俺達ににこっと笑ってみせると、くるりと振り返って男に指を突きつける。
「あんたは許さないからっ!」
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あとがき
ん〜と、まぁそのうちなんとかなるだろう。
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